18.存在と不在
「無茶をしたわね」
カグラは真っ白な寝台の上に寝かされ
額やこめかみに赤いレーザーを照射されながら
黙って目を閉じていた。
彼女に声をかけたエヴァ博士はモニターを見て
キーボードを叩きながらため息をつく。
「ひとまず、脳出血などの症状は見当たらないわ。
よかったわね。
起き上がっていいわよ」
言われて、カグラは身を起こす。
まだ少しふらついたところを、そばにいたリリスが手を差し出して支えた。
エヴァ博士はデスクからこちらを振り返り
鋭い視線を2人へ向けた。
「リリス。
アンドロイドが人間の言葉に従うことになっているとはいえ
もう二度とこんなことはしないで。
あなたの優先順位コードはどうしてしまったの?
彼女が貴重な存在であることはわかっているでしょう?」
「………申し訳ありません」
リリスがそう言って頭を下げる。
それを聞きながら、カグラは胸の中がむずむずするのを感じていた。
違う。
リリスはあのとき
カグラの気持ちに、応えてくれた。
それだけだ。
(「アンドロイドだから」なんかじゃ……ない)
そう思いながらも
はっきりとそう口に出せない自分を歯がゆく思いながら
カグラはまだ力の入らない拳を握りしめた。
「カグラ、あなたもよ。
軽率な行動はしないでちょうだい」
「でも………」
「でも、はなしよ。これはここのルール」
「でも!」
カグラは思わず身を乗り出して、エヴァ博士を見つめた。
「じゃあ、あなたはどうなんですか?」
食ってかかるように言葉を吐き出す。
「気にならないんですか?
私は、アダムを見たんですよ。
人間の……あなたの息子の、アダムですよ。
知りたいとは思わないんですか?
もっと検索をかければ、彼の居所がわかるかもしれない。
彼は今も、どこかで生きているかもしれない!」
「……………」
エヴァは冷たいガラスの目をわずかに細めた。
腕を組み、もう一度ため息をつく。
「気にならないわけがないでしょう」
できる限り感情を押し殺した声で
彼女は言った。
「私はこれでもアダムの母親よ。
そして人類の存続に全力を尽くしている。
その私が、気にならない?
そんなふうに見えるかしら?」
「それは…………」
「カグラ。
私は記憶検索を否定しているわけではないのよ。
むしろあなたの記憶を探ることは
とても重要なことだと思っている。
だから、これからも治療は続けていくつもり。
けれどね。
優先順位というものがあるのよ。
あなたの存在が今この世界でどれだけ貴重なものなのか
あなた自身がわかってない」
カグラは口をつぐんで
握っていた拳をそっと開いた。
(でも)
心の中で、小さく唱える。
「いい? カグラ。
あなたは人間なのよ」
「………アンドロイドは」
はじかれたように
カグラはじっとエヴァ博士の瞳を見据えて言った。
「アンドロイドは、貴重ではないんですか」
カグラの問いに、エヴァはほんの少し首を傾げてみせる。
「どういう意味?」
「そのままの意味です、博士。
人間が貴重な生命だというのなら、アンドロイドだって、そう。
私はそう思う。
あなたには感情がある。
リリスにも、アンドロイドの……アダムにも。
私はアンドロイドにも生命があると思っています。
人間とアンドロイドは、互いを思いやりながら共生できる。
だって、心があるから。
同じ心持っているから。
だから──」
「それは間違っているわ」
カグラの言葉を、エヴァが厳しい口調で一蹴する。
「何が間違っているんですか?」
「決定的に、あなたは間違っている。
アンドロイドの存在意義を知らないわけではないでしょう」
「ですが……」
「違うのよ。カグラ。よく聞いて」
エヴァはそう言って、長い前髪をそっと後ろへかきあげた。
デスクチェアに深く沈みながら
とん、とん、と右手の人差し指でひざを叩く。
「この世界で現在確認されている生命は
あなたとマリアの2人だけ。
たった2人。
万が一その2人を失ったとき
人間の存在を前提としたアンドロイドには何が起こると思う?」
「…………どうなるんですか?」
「停止するのよ」
こともなげに
彼女は言い放つ。
「人間という存在を確認できなくなったその瞬間
私やリリスやアダムを含め
ここに存在するすべてのアンドロイドは
機能を停止する。
………例外なく」
カグラは言葉を失い
呆然として
リリスを見た。
見上げた先の彼女はカグラに向かって
ゆっくりとうなずく。
「アンドロイドに、心がある?
冗談はよしてちょうだい」
自嘲するように、エヴァは呟く。
「もし、心があったら
あったなら
そんなもの
とっくの昔に壊れているわ」
カグラは治療室を出て、リリスに付き添われながら自室へ戻った。
リリスの手を借りてベッドに横たわり、目を閉じる。
「しばらくは安静にしていて。
体調が回復したらまた記憶検索を再開するわ。
今度は、あなたに負担をかけないように。
………悪かったわね」
「どうして謝るの?」
カグラは目を閉じたまま尋ねた。
返答はない。
リリスは黙って、カグラの体にそっと布団をかけた。
(アンドロイドの心、感情………)
ある。
絶対にあるはずだ。
しかしそれを肯定することは
彼らにとって
残酷なことなのだろうか──
それでも。
(アダム…………)
「アダムに、『好き』だと言ったんですって?」
突然
まるでカグラの心を読んだかのように
リリスが言った。
驚いてぱっと目を開ける。
「マリアに聞いたの?」
「ええ。
『カグラがおにいちゃんに告白した! しかもキスしてた!』って。
私のところへ飛んできたわよ」
「……………」
「ねえ、カグラ」
リリスは手を伸ばし
やさしく
カグラの額に触れる。
「あなたが彼に好意を持つこと自体を否定するつもりはない。
けれど
質問があるわ」
「…………なに?」
「あなたは、本当に<アンドロイド>の彼が好きなの?
それとも、記憶の中の<人間>のアダムが好きなの?
それがどちらなのか、あなたにはわかっているの?」
その言葉に
胸をえぐられるような痛みを感じて
カグラは開いていた目を
さらに見開いた。
「……………よく考えたほうがいいわ」
そう言って
リリスはカグラの額から手を離し
部屋を出て行った。
ひとり、部屋に取り残されて。
カグラの両目は変わることなく
天井に向かって見開かれていた。
「アダム」
呟く。
そこに、2人のアダムがいる。
彼女は両手を持ち上げ
自分の顔を覆った。
そうして長く長く、息を吐いた。