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KAGURA  作者: 瀬戸玲
17/58

16.彼女が見たもの




 皿の上に置かれたできたてのチーズパイをつまみ


 口に運ぶ。


 さくり


 と音が鳴り、とろりとした熱いチーズが舌に流れてくる。





 カグラの前にはチーズパイ、サラダ、スープ、パン、葡萄、オレンジジュースが器に盛られ、トレーのうえに整然と並べられていた。


 リリスがカグラのために運んできてくれたのだ。


 カグラはパイを咀嚼しながら、ふと前を見た。


 そこにはまだリリスが座っている。


 彼女は下を向き、テーブルに紙を一枚載せて、そこに何かを書き込んでいた。


 それは一見、奇妙な行為だった。


 アンドロイドの脳は機械で出来ている。


 人間よりもはるかに多くの事を頭の中で処理することができるのだ。


 その彼女が紙とペンを手にし


 「何かを書いてている」という姿はある種奇妙で


 ある種とても美しい光景のようにカグラの目に映った。




 「何を書いてるの?」




 しばらく経ってから、カグラは訊ねてみた。


 リリスは顔を上げ、微笑をもらすと


 手元の紙をカグラへ差し出す。


 その紙には、デッサンのようなものが描きこまれていた。


 おそらくカグラの食事する風景を模写する途中なのだろう。




 絵。




 「おかしいでしょう」



 苦笑しながら、リリスが言った。



 「私、時々絵が描きたくなるの。

  エヴァ博士は生前、絵が趣味でいらしたそうだから。

  人間であった時のなごりなのでしょうね」



 「……………」



 カグラは黙って、紙をリリスへ返した。


 それから神妙な顔をして、チーズパイを齧り続けた。




 さく、さく、さく、さく、さく。




 咀嚼し、口の中のパイを飲み込む。




 「リリス」




 カグラは正面を向き、じっと、彼女を見つめる。


 リリスは顔を上げ、カグラを見つめ返す。




 「お願いがあるの」












 数十分後、カグラは再び寝椅子のような装置に身を横たわらせ


 漆黒のヘルメットをかぶって目を閉じていた。


 胸の少し下あたりで両手を組み合わせ


 すうーっと一度深呼吸する。




 『いいのね』




 スピーカーから、リリスの声が部屋の中に響く。




 「ええ」



 『この間よりも催眠効果を引き上げるから

  かなり負担がかかるわよ』



 「大丈夫。…………始めて」



 『わかったわ』




 カグラはもう一度、深呼吸した。


 後頭部のあたりで、金属音のようなものが鳴りはじめる。


 カグラは頭痛が起こりそうになるのに耐えながら


 ひたすら深呼吸をくり返した。





 ゆらり、ゆらり。


 意識が揺れる。







 そして。




 水の中を滑るように潜っていく。




 自分自身の中に。











 気がつくと、彼女はあの羊水の中にいた。


 この間の記憶検索のときよりもかなり鮮明に


 その感覚を認知できる。


 あたたかくて、やわらかい。


 海の中をたゆたう感覚。




 「おめでとう」




 男性の声がした。


 おそらく、コンドウ博士だ。


 カグラは薄目を開けて、前を見た。


 ぼんやりとした男の人の輪郭が見える。




 「君の13歳の誕生日だ。おめでとう」




 男性はカグラの収められたポットのすぐ近くに立っているようだった。


 現に、ポットのガラス面についた両手がくっきりと見える。




 「もう、すべての工程は終了した。

  いつ生まれてきてもいいんだよ。

  君がそれを──望みさえすれば」




 カグラはゆっくりと首を曲げ、自分の体を見た。


 手を見ると、胎児の手ではない。


 13歳。


 博士の言ったとおり、成長した少女の手だった。




 「君は新しい、まったく新しい生命だ。

  そして希望だ。

  私と……そして、全人類の」




 博士の言葉を聞きながら、カグラの意識は再びとろりとした曖昧な場所へ沈んでいった。


 おだやかな海の中で。




 (………ずっと眠っていたかったんだわ)




 そこで唐突に、夢が一瞬、途切れる。




 来る。




 彼女は反射的に、そう感じる。









 次の瞬間


 ガラスの割れる大きな音がして


 突如として


 羊水で満たされたポットの中から滑り落ち


 冷たい床の上へ放り出された。




 「逃げろ! 逃げるんだ!」




 どこかで博士が叫んでいる。


 しかし生まれたばかりのカグラはわけがわからず


 目も開けられず


 床の上でじっと身を固めていた。




 「奴らが来る! ここはもうだめだ!」




 博士がどこで叫んでいるのか、カグラにはわからなかった。


 しかし、違う誰かが自分のすぐそばにいる。


 カグラはその人物の存在を感じ、ますます身を固くした。







 「大丈夫だよ」

 





 声。





 やさしい、声。





 若い男の声。





 彼は何かやわらかな毛布のようなものでカグラを包み込むと





 そっと





 彼女の体をを抱き上げた。







 「何をしてる! 早く行け!」



 「博士はどうするんです!?」



 「私のことは気にするな! とにかく、彼女を安全な場所へ運ぶんだ!

  彼女を失ったら、我々は………!」





 抱えられながら


 カグラはぼんやりと、彼らのやりとりを聞いていた。


 意識が定まらず、めまいばかりがしていた。





 私は。



 私は。





 私は…………だれ?






 「あれを持って行け! いいな!」



 「わかってます! 博士は!」



 「いいから早く行けと言っているだろう!」




 カグラの体を抱く彼の手に


 一瞬、力がこもるのがわかった。




 そして彼は片手で彼女を支えるようにしながら


 彼女の右手に


 何かをはめた。




 「すみません、先に行きます!」



 「早くしろ!


  彼女を守れ!


  彼女は………カグラは!


  希望だ‼


  私の、希望だ‼


  彼女を守ってくれ‼」




 博士の絶叫とともに


 カグラを抱きしめ


 彼は走り出す。






 部屋を飛び出し


 廊下を走り抜け


 エレベーターに飛び込む。


 カグラはその間も強いめまいと格闘していた。


 突然産み落とされた環境に、体が馴染んでいないのだ。





 壁に背をもたれ


 ずるずると、彼が座り込むのを感じる。


 泣いている。


 彼の押し殺した声が、聞こえる。





 しかし泣き声はすぐにやみ


 その代わり


 彼はカグラのまだ濡れた髪をそっとなでた。





 「カグラ」





 彼は、彼女の名前を呼んだ。





 彼女も何かを言おうとして、しかし、喉が詰まって何も言うことができなかった。


 なんとかして、目だけでも開けようとする。


 彼の存在を


 この目で


 確かめるために。





 「カグラ、大丈夫………大丈夫だよ」





 まだ少しかすれた声で、彼は言った。





 「大丈夫。


  ほら。


  こうして、そばにいる。


  君の事は………俺が、守る。


  絶対に守るから」




 「…………っ……っ……」





 声なのか吐息なのか


 よくわからないものを吐き出しながら


 彼女はおそるおそる


 生まれてきた世界の姿をこの目で見ようと


 瞼を、開いた。









 そこで彼女が












 はじめて見たものは



































 気がつくと、カグラは元の寝椅子に横たわっていた。


 重たいヘルメットは取り外され、リリスがすぐそばに立っている。


 リリスはカグラを見下ろしながら


 そっと彼女の額に手を置いた。





 「……………見たのね。彼を」






 その問いに


 カグラはうなずいた。 


 そして


 彼女の意識はそこで、深い深い闇に堕ちた。





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