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KAGURA  作者: 瀬戸玲
16/58

15.残影





 人類保護区【パンゲア】。




 街ではアンドロイドや小さな動植物たちが生活し


 中枢部にはアンドロイドが3体


 そして人間が――2人。




 カグラは地下層から戻ると、自分の部屋に帰ろうとして


 ふと立ち止まった。



 (……マリア)



 街に降りて以来、彼女とはまだ顔を合わせていなかった。


 そういえば、マリアの部屋がどこにあるのかすら知らない。




 『どこにもいかないで。ずっと一緒にいて』




 そう言った彼女の気持ちが、今のカグラにはよくわかった。


 彼女はずっと耐えてきたのだ。


 あたたかな温もりのないこの世界で。


 深い絶望と、孤独に。




 マリアが街の風景を見せてくれたあのとき


 彼女はカグラの手をとても強く握りしめていた。




 カグラは廊下をうろつきながら


 マリアの部屋を探していた。




 おそらく、以前はこの中枢部にもそれなりに人数が暮らしていたのだろう。


 たった2人しかいない人間のためにしては食堂は広すぎるし


 部屋数も多い。




 (生まれたく、ない)




 彼女も――


 マリアも、そう思っていたのだろうか。


 そう思いながら生まれてきたのだろうか。


 あの天真爛漫な笑顔を思い浮かべると


 そんなことは想像できなかった。




 笑顔。


 そう。


 彼女の、あの笑顔……






 たんっ。






 その時


 背後で小さな音がした。


 足音。


 とっさに体を反転させ、カグラは廊下を見渡した。


 廊下の十字路。


 その角に、きらりと光る黄金の線のようなものが見えたような気がした。




 「………マリア?」




 呟き、走り出す。


 マリアだ。


 絶対に彼女だ。


 姿は見えない。


 ただ、かすかに聞こえる足音と勘だけをたよりに走り続ける。




 「ねえ、マリアでしょ!?」




 遠くへ遠くへと過ぎ去っていく影のような音に向って


 カグラは叫んだ。


 しかしその影はひらりひらりと見え隠れして


 追いつくことが出来ない。




 そして




 ぱたりと、その音が消えた。




 カグラがたどり着いたのは廊下の突き当たりだった。


 正面には、一枚の、扉。


 その扉を見つめながら、カグラはなぜだか叫び出したいような気持ちになっていた。


 それをこらえながら、一歩、一歩、近づいていく。


 カグラは右手を持ち上げ


 そっと


 扉をノックする。




 辺りはしん、としていた。


 それもただの静けさではなく


 張りつめた氷のような静寂が辺りを覆っていた。




 部屋の中から反応はない。




 カグラは唇を噛み


 もう一度、右の拳を上げた。





 「やめておきなさい」





 背後で声がした。


 カグラはぴたりと動きを止め


 うしろに目をやった。




 リリス。




 エヴァ博士とまったく同じ顔をした彼女が腕を組み


 至極落ち着いた様子でそこに立っていた。




 「そっとしておいてあげなさい」


 「マリアは……一体どうしたの?」


 「あの子は時々、こうなるのよ」


 「でも…………」


 「とにかく、今は何を言ってもだめよ。

  それよりもこっちに来なさい。

  少しあなたと話がしたいわ」




 同じ声。同じ瞳。同じ、有無を言わさぬ口調。


 カグラは苦い顔をして扉から離れ、うなずいた。







 リリスがカグラを連れて行ったのは食堂だった。


 広い広い食堂。


 リリスはカグラを座らせ


 コーヒーカップをひとつ持ってくると


 それをカグラの前に置いて自分も腰をおろした。


 カグラはぼんやりと、コーヒーカップの中の黒い液体を見下ろした。


 あたたかな飲み物。


 心地よい香り。


 そして少し、苦い。


 アンドロイドは飲むことができない。


 黒い水面に映る自分の影を見下ろしながら


 カグラは黙ってその湯気に顔をさらしていた。




 「あの子は」




 やがて、リリスが静かに語りはじめた。




 「マリアが生まれたのは……13年前。

  奇跡的なほど良好な状態で生まれて

  今のところ大きな問題もないわ。

  これは、とてもすばらしいこと。

  ………ただね」



 テーブルに片方の肘をつき、リリスは手のひらの上に白い頬を載せる。


 美しい銀髪がさらりと揺れる。



 「あの子の孤独は、きっと、とても根が深い」



 「それは、わかるの」



 コーヒーカップの取っ手を軽くいじりながら、カグラは言った。



 「マリアと一緒にあの街を見て

  博士から新人類の今の状況を聞いて

  そして私自身、記憶の中に残っていたもののことを考えて……」



 「いいえ。

  それでも、あなたにはわからない」




 カグラの言葉をさえぎって、リリスは鋭い口調で言った。




 「あの子に刻まれている孤独は、おそらく誰にもわからない。

  あの子はずっと、期待されてきたのよ。

  この13年間、新たに生れてきた新人類として。

  家族同然の私たちに囲まれながら、それでも……

  あの子はずっと感じ続けてきたでしょう。

  新人類のわずかな生き残りという重圧。疎外感。

  そして」




 そこで一旦言葉を切り、リリスは少しだけ目を細めた。




 「コーヒーは嫌い?」


 「あ、そんなことは……」




 言われて、カグラはあわててコーヒーに口をつけた。


 その様子にリリスはくすりとする。


 それからまた元の冷静な表情に戻り、再び口を開く。




 「知っているとは思うけれど、マリアには兄がいたのよ。

  誰のことだかわかるでしょう?」



 「アダム……でしょう? でも、もう亡くなってしまったって」



 「そう……いえ、正確には、この【パンゲア】を出て行ったのよ。

  マリアを残してね」



 「え………?」




 カグラは目を丸くして、リリスを見た。


 カップの中でコーヒーがゆらりと揺れる。




 「あなたを造ったコンドウ博士。

  そのことはもうエヴァ博士から聞いたのよね?」



 「ええ」



 「コンドウ博士はね、人類に関して特殊な研究をなさっていた方なの。

  亡くなってしまわれたのだけれど……

  保護区の崩壊の直前に、コンドウ博士から【パンゲア】へ通信があったのよ。

  『さらに新しい人類を創造する計画がある』と、ね」



 「さらに新しい……人類……?」



 「けれど、残念なことに保護区は崩壊してしまった。

  私は何度かあそこを訪れたけれど、生体反応はまったくなかったわ。

  保護区は完膚なきまでに破壊しつくされていた……。

  だから、コンドウ博士の言っていた計画も、

  おそらくはもう残っていないだろうと判断したの」




 そこまで話して、リリスはうつむき、目を閉じた。


 銀色の長い睫毛が揺れる。


 眉間に、ほんの少しだけしわが寄っていた。


 感情。


 その姿を見て


 エヴァ博士に感じたことをカグラはもう一度感じないわけにはいかなかった。




 アンドロイドの、感情。





 「私が甘かったのよ」





 吐き出すように



 絞り出すように



 リリスは苦い声を上げた。





 「気がついたら、彼はいなくなっていた。

  5年前のことよ。

  彼はコンドウ博士が残した研究に熱心な興味を示していた。

  だから、おそらく……ひとりで保護区跡に向かったのね。

  私たちに黙って、研究資料の残骸を探すために。

  もちろん、そんなこと私たちは反対したでしょうからね。

  私が……

  私がもっと気をつけていればよかったのよ。

  そうすれば──

  マリアはひとりにならずに済んだ」



 「……………」




 カグラはゆっくりとコーヒーカップを下ろし、ソーサーに載せた。


 カチャリ、とスプーンの音が鳴る。


 広い食堂の中で、その小さな音は奇妙なほどよく響いた。




 『どこにも行かないで』




 マリアの言った、言葉。


 その本当の意味をようやく理解して


 カグラは自分の胸がどくどくと音をたてているのを感じた。




 つまり、あの言葉は


 あれは


 あなたは


 あなただけは


 もうどこにもいかないで。


 そういう意味だったのだ。




 「博士はアダムに似せてアンドロイドを造ったわ。

  でもそれは、マリアにとっては<本物の兄>ではありえない。

  彼女はずっと、自分が「兄に置いていかれた」と思っている。

  そしてあんなに明るくふるまっているのは

  傷ついた自分を誰にも見せたくないからよ。

  特にアンドロイドには見せたくないのよ。

  彼女は心を閉ざしてしまった。

  兄を失い、たったひとりの人間として取り残されたことによって。

  だから時々、あんなふうに私たちを避けるときがあるの。

  ああいう時、彼女はベッドの中に潜り込んで

  ひらすら孤独に耐えている。

  自分の傷ついた心と戦っているのよ。

  それに対して私たちは何もできない。何ひとつ。

  無力だわ……」




 カグラは何も言えずに、じっとリリスの様子を見つめていた。


 途方にくれた、母親の姿。


 カグラはもうコーヒーを飲む気にはなれそうになかった。


 飲んだとしても、きっと味がしないだろう。


 味も。匂いも。


 今の状況だけを切り取るならば


 自分よりもリリスの方がよっぽど人間らしい。


 何とはなしに、カグラはそう思った。




 「もちろん、私はずっとアダム……人間のアダムよ。

  彼を探し続けた。

  彼だけじゃない。

  誰でもいい。とにかく生命の存在を探し続けた。

  でも、結局はこの5年、誰も探し出すことはできなかった。

  彼が生きている可能性が限りなく低いことはわかっていた。

  保護区の外で生き延びることは不可能だから。

  でも、彼は貴重な新人類のひとり。

  何よりも大切な息子だったから

  博士もあきらめがつかなかったのね。

  そんな中で私たちは……あなたを、見つけた。

  とても唐突に」



 カグラはうなずいた。


 あの電車の中の出来事をひとつひとつ思い返す。


 突然目覚めた、電車の中。


 漠然とした不安の中で聞こえてきた。


 知らない女の人の声。


 恐ろしい物音。


 そして──


 アダムに出会った。


 アンドロイドの、アダムに。




 「アダム………」




 気がつくと、カグラは彼の名前を口にしていた。


 そのことに自分でも驚いて、赤くなる。


 顔を上げると、リリスが不思議そうにこちらを見つめていた。




 「そういえば、あなた……。

  アダムに『会ったことがある気がする』と言ったらしいわね」



 「……ええ」



 「でも、記憶検索でそんなもの出てこなかったわよ。

  それなのに、なぜそんなことを?」



 「それは…………」




 カグラは言葉に詰まって、目を伏せた。


 確かに


 電車の中で出会うより以前


 アダムに会ったという記憶はない。




 けれど。




 「会ってる。私、きっとアダムに会ってる」



 「だから、どうして?」



 「わからない……。

  でも、会ってる。そう思う。感じるの。

  私は、私は、………」




 頭の中が渦のようなものに呑み込まれそうになり


 カグラは反射的に目をつぶって額を抑えた。


 強い眩暈。混乱。




 わからない。




 自分は、何を言っているのだろう?


 何が言いたいのだろう?








 「まさか」







 瞼の裏の暗闇に。




 リリスの声が、響く。







 「まさかあなた………

  人間のアダムを、知っているんじゃないでしょうね?」







 リリスの声が


 二重にも三重にもなり


 頭の中に響き渡る。






 (私は…………)






 わからない。


 自分は、ウソつきなのかもしれない。


 ただの勘違いなのかもしれない。


 確信なんて一体どこにあるのだろう。


 直感なんてどうして存在するのだろう。







 カグラは揺れる意識の中で




 名前を呼んだ。




 呼び続けた。





 アダム。

 アダム。

 アダム。





 頭の中のアダムはこれ以上にない無表情な顔で、自分を見下ろしていた。





 冷たい漆黒の瞳。





 カグラはそこに映る自分の姿を探し求めて


 ぐるぐる回る意識の中をさまよい続けた。









 アダム








 私は








 あなたに








 あなたに。






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