12.偽り
生まれたくない。
生まれたくない。
生まれたくなんか――
カグラは自室のベッドに寝転がりながら
自分の叫んだ言葉について考えていた。
どうしてあんなことを言ったのだろう。
現にこうして生まれてきて
アダムとリリスのおかげでこの美しい街に保護され
何不自由なく暮らしているというのに。
どうして。
どうして。
頭の中で疑問がぐるぐると渦を巻く。
同じ所を行ったり来たり。
自分のことなのに
記憶が欠落しているせいで
理解できない。
(どうして…………)
そのとき
かすかな物音が入口から聞えてきた。
振り向くと、部屋の扉がほんの少し開いている。
その隙間に
宝石のような美しい瞳。
「マリア?」
カグラは起き上がって、呟いた。
「えへへへ」
扉を開いて、はにかみながらマリアが入ってくる。
そして昔からの親友みたいに気軽な調子で
カグラの隣にぽんっと腰を下ろす。
「…………どうしたの? 急に」
「ん~~~、カグラの顔が見たかったのぉ」
少女はそう言ってうなずき、きらきら光るブロンドの髪を揺らす。
「ねえ、カグラ。元気ないね。どうかしたの?」
「そんなことないよ」
「じゃあ、元気?」
「……うん」
「それなら!」
ぱっと跳ねるように立ち上がり
マリアは満面の笑みを浮かべて
カグラの手を取った。
はじめて会ったときと同じように。
「行こ!」
「行こって……どこに?」
「決まってるじゃない! 街に行くのよ。
気晴らしにぱーっとお買い物しましょ!」
「え……?」
マリアは戸惑うカグラの手をつかみ、立ち上がらせる。
「でも、エヴァ博士がまだ街に下りちゃいけないって…………」
「ふーん?
でも私が、ママの言うことを素直に聞く娘だと思う?
だいじょうぶ! 私、秘密の抜け道を知ってるんだから!
カグラだって、街を見たいでしょ?」
「それは…………」
カグラの中の好奇心がうずく。
美しい街。
滅びた世界に残された楽園。
それを、この目で。
「見たい」
カグラの言葉に
マリアは太陽のような笑みを浮かべた。
「ねえ、マリア」
「ん?」
「抜け道って、これなの……?」
「うん!」
どう見てもダストシュートにしか見えないそれを
カグラはげんなりしながら見つめた。
「だって、これ……危ないんじゃない?」
「危なくないよ。見てて!」
マリアはそう言うとダストシュートの蓋を開け
ひらりとその中に体を滑り込ませた。
「マリア!」
カグラは慌ててダストシュートの中を覗きこむ。
その中から、
「きゃははははははははーーーーー………」
という、マリアのいかにも楽しそうな、笑い声。
溜息をついて
カグラもまた、ダストシュートの入口に足をかける。
(私、何やってるんだろ?)
そんなことを心の中でつぶやきながら
覚悟を決めて
中へ入る。
「………うぁっ!?」
するり、と体が滑る。
摩擦がない。まったく。
あっという間にすさまじい速度で滑り落ちていく。
(やばっ……はやっ………!)
とにかく身を守ろうと体を縮め──
ぼすっ!
体が一瞬ふわりと浮き、
そして
やわらかなクッションのようなものに落下して、埋まった。
「…………うぅ………」
くらくらとする頭を抱えながら見ると
大量の枕やらシーツやらが積み重ねられている。
「ねっ!」
クッション材のそばで仁王立ちしたマリアが
自信満々の顔でVサインを掲げる。
カグラは苦笑して、軽くうなずいた。
同じ人間。
なのに
自分とマリアとでは、こんなにも違う。
それから狭い通路を抜け、外へ出た。
ふっと、風が額をなでる。
カグラは目を見開いた。
広い草原。
緑の匂いのする風。
あたたかな太陽のぬくもり。
花。
飛びまわる小さな虫たち。
美しい光景に、カグラの口元が思わずほころぶ。
「きれい…………」
「でしょ? でしょ?」
マリアはうれしそうに体を揺らして
再びカグラの手を取る。
「街はもーっと楽しいんだから! さあ、行こ!」
マリアに連れて行かれたのはファッション街だった。
色とりどりの洋服がずらりと並んでいる。
その間を、マリアが飛び跳ねるように駆け回る。
「これ、かわいい! これも! これも! あ、これ新作だ!」
マリアは美しいセルリアンブルーのワンピースを選び出し
立ち尽くすカグラのところに持ってきた。
「これなんてカグラに似合うんじゃないかな!?
ねえ、着てみたら?」
「え…………」
カグラは困惑しながら、ワンピースを受け取った。
手触りのよい生地。
とてもきれいだ。
でも。
「ごめん、マリア……。私、このままの服装がいいの。
せっかく選んでくれたのに、ごめんね」
「そっかぁ。残念」
しぶしぶといった感じで、マリアがワンピースを元の位置に戻す。
結局、マリアは数えきれないほどの洋服を購入した。
店をいくつかまるごと買い取るほどの勢いだ。
そしてその荷物をまとめて、自分の部屋に送ってくれるように店員に頼む。
支払いは、エヴァ博士のツケ。
(すごいなあ……)
カグラは呆然とその様子を見守る。
買ったばかりのひらひらした真っ白なワンピースに着替え、マリアが試着室から出てくる。
黄金の髪と相性がよく、はっとするほど愛らしい。
「どう? どう?」
「すごく似合ってる。お姫様みたい」
「ありがとう! カグラもさっきのワンピースを着たらお姫様だよ!」
ブティックを出て、次に向かったのは繁華街だ。
たくさんの露店が並んでいる。
野菜や果物。絨毯やアクセサリー。
ここで揃わないものは何もない、と言わんばかりの豊富さだ。
通りは買い物客でごった返している。
「人混み、すごいね」
「ねー。
何かほしいものがあったらいつでも言ってね。
ぜーんぶママのツケにするから!」
そう言い、鼻歌まじりにマリアが進んでいく。
と。
向こう側からはしゃいだ声がして
走って来た男の子が
勢いよく、マリアと衝突した。
どん!
二人ともその場に倒れ込む。
「マリア!?」
カグラは急いで駆け寄り、尻もちをついたマリアの顔を覗き込んだ。
それほど強く打ったわけではないらしく
あっけにとられた表情を浮かべている。
カグラはもう一方の男の子にも歩み寄り
うつぶせに倒れているのを抱き起した。
まだ5歳くらいの小さな男の子だ。
膝をすりむいたらしく、血が出ている。
「大丈夫? 痛い? 早く消毒しなきゃ………」
「大丈夫よ」
そう言ったのは
マリアだった。
とても無表情に
彼女は言い放った。
「カグラ、その子の傷口をよく見て」
言われるまま男の子の膝を見ると
血を流す傷口の奥に
金属の鈍い光がのぞいている。
(アンド………ロイド?)
すると男の子はぱっと顔を上げ
カグラとマリアに向ってにこりと笑った。
「ごめんね、おねえちゃん。僕はだいじょうぶ!」
そう言うと何事もなかったかのように立ち上がり
また市場通りを駆け去っていく。
カグラは地面に膝をついたまま
呆然と
あたりを見回した。
市場でものを売る商人。
楽しそうに買い物をする客。
そぞろ歩く通行人。
ふと、アダムとリリスの会話を思い出す。
新人類なら、首の後ろに番号が刻まれているはず。
見渡す限りの人の首に
番号は
ない。
「カグラ?」
マリアが正面に来て、しゃがみ込み、カグラの目を見つめる。
「マリア…………」
「お願い」
マリアは急に真剣な表情になると
カグラの手を握った。
「どこにもいかないで」
「マリア…………まさかこの街…………」
「お願い。どこにも行かないで。マリアと一緒にいて」
マリアの顔は今にも泣きそうになっている。
カグラは
それ以上何も言うことができなかった。
目の前にいるのは、無垢で天真爛漫な少女ではなく
孤独で孤独で仕方のない顔をした、か細い少女だった。
カグラはそっとマリアの手を引き、彼女の体を抱きしめた。
やわらかい。彼女の体。
そのやわらかな生命の感触を感じながら
カグラの頭の中は不思議なくらい、冷静だった。
【パンゲア】──
(この街は…………)
「どこにも行かないで」
必死に泣くのをこらえながら、かすれた声で、マリアが言う。
「行かないよ」
しっかりとした声で、カグラは答えた。
「どこにも行ったりしない」
そして、ある決意をもった目で空を見上げる。
偽物の空。
ここは
偽物の街だ。