10.同じ顔の女
「はじめまして、カグラ。
私が【人類保護区・パンゲア】の最高管理責任者のエヴァよ。
新人類の研究、アンドロイド製造、彼らが共生するための生活システムや
都市設計のすべてを担当しています。
ようこそ【パンゲア】へ。歓迎するわ」
コンピュータデスクに備えつけられた椅子に腰かけたままそう話す
エヴァという女性に対し
カグラは複雑な表情でうなずいた。
エヴァ。
彼女もまた、美しい女性だ。
薄い栗色の髪をポニーテールにして
淡い水色のセーターの上に白衣をまとっている。
そして。
その隣にひかえるように立っているリリスの顔を見て
カグラは表情をけわしくした。
エヴァとリリス。
その顔が、瓜二つなのだ。
「………驚いたでしょう」
微笑を浮かべて、リリスが言う。
そのリリスをちらりと見て、エヴァもまったく同じ微笑を浮かべてうなずいた。
「リリスは私の人格をベースにして造ったアンドロイドよ」
カグラは黙って二人を見比べる。
同じ顔。同じ背格好。同じ声。同じ冷たい瞳。
どちらが人間でどちらがアンドロイドかと言われても、まったくわからない。
「それから、アダムは私の死んだ息子の人格をベースにしているの。
記録から構築したものだから人格プログラムにやや不足があるのだけれど
まあ無愛想な性格と言えなくもないでしょう?」
エヴァはそう言って苦笑する。
アダム。彼女の、死んだ息子。
カグラは自分の斜め後ろに立っているアダムの顔を見た。
彼は相変わらずの仏頂面で、直立不動のままだ。
彼の顔を数秒見つめてから、また正面に戻る。
「カグラ」
椅子の上で長い脚を組み、エヴァは少し首をかしげた。
「あなたの脳を解析させてもらったけれど、情報の抽出に失敗したわ。
もちろん人間の脳は機械とは比べ物にならないほど複雑なものだけれど……
ねえ、カグラ。
もしかして、あなたは何も覚えていないのではないかしら?
自分がどこでどう生まれて、誰に育てられ、
そして
どうして廃墟の地下鉄に乗っていたのか。
……違う?」
「………」
カグラは口をつぐんで、下を向く。
右腕には例の装置がはめられている。
【KAGURA】。
おそるおそる
カグラは自分の中の空虚さに触れようとして
恐ろしくなり
また引き返す。
何もない。
何もない。
(私には、何もない…………)
いや。
カグラはもう一度、アダムを見る。
アダムもちらりと視線をこちらに向ける。
(私は……………)
「記憶というものは」
すると、エヴァが口を開いた。
「人の記憶というものはある意味では単純よ。
脳の引き出しに収められている、その引き出しを開けてあげればいい。
そのために、引き出しの鍵となっているものを見つける必要があるの。
カグラ。
あなたにはここで暮らしながら精神治療を受けてもらいます。
時間はかかるかもしれないけれど
ここには、その「時間」があるわ。
機械におびえなくてもいい。ここなら」
そう言って、エヴァは笑う。
その口元がほんの少し、マリアに似ている。
「あなたが来てくれてうれしいわ。
娘のマリアはずっと、自分と同世代の友達が欲しかったのよ。
ここには、あの子と同い年くらいの人間はいないから。
たくさん遊んであげてね」
「あ……はい」
「それから、あなたについてのすべての検査が終わるまでは
街に出ることを許可することはできません。
他のことは、アダムやリリスが教えてくれるわ」
「…………はい」
「じゃあ、アダム。カグラを部屋に案内して」
「わかりました」
無感情な声で言って
アダムが部屋の出口に向かって歩き出す。
アダムのあとをついて歩きながら、カグラは一度振り返った。
同じ顔の二人の女性が
同じ微笑を浮かべて
こちらを見ている。
(ここが……………【パンゲア】)
マリアの言葉が、ふと頭によみがえる。
【パンゲア】。
人とアンドロイドの、暮らす街。
カグラにはすでに部屋が用意されていた。
先ほどの病室のような個室とは違う。
広々としたの部屋に大きなベッドがひとつ、クローゼットもひとつ。
化粧台。ソファー。大型モニター。
シンプルなモノクロ版画が壁に掛けられている。
奥にはバスルームとトイレ。
食堂は部屋を出て右手にあり
飲み物は備えつけのクーラーにいつでも用意されている。
部屋の掃除やベッドメイキングは専用のアンドロイドがしてくれるらしい。
淡々と説明するアダムの声を聞きながら、カグラはごろりとベッドに横になった。
ふかふかとしたやわらかいベッド。
天井だけはどこも一緒で、無機質に白い。
「壁紙は簡単な操作で自由に変えられる。好きなようにするといい」
「うん」
「他に知りたいことはあるか?」
「とりあえず今は………平気」
「そうか」
そう言うと、くるりとアダムが踵を返す。
カグラはベッドから跳ね起きて、彼の背中に向って声を上げた。
「ねえ、アダム」
「どうした?」
「私……」
そこまで言って
言葉が
つまる。
ぽっかりとした心の中で
何かが
本当にかすかな何かが
しこりのように残っている。
「うまく言えないんだけど……」
「ああ」
「思い過ごしかもしれないんだけど、私……」
「ああ」
無表情に相槌をうつ、アダム。
その彼の顔をじっと見つめる。
黒い瞳。
吸い込まれそうになるほどの漆黒。
カグラはそこに映った自分の姿を見ようとするようにぐっと身を乗り出し
けれど
消え入りそうな声で言った。
「あなたに、会ったことがある気がするの」