9.人造
ガラスの表面にそっと
指で触れる。
カグラはじっと
街を見つめる。
美しい世界。
「カグラ?」
カグラの顔を、マリアが不思議そうに覗きこむ。
「………泣いてるの?」
「え?」
そう言われて気がついたように、カグラは自分の頬に手を当てた。
──涙。
いつの間にかこぼれた涙が、頬を濡らしている。
それを指で軽くぬぐって、カグラは曖昧な笑みを浮かべた。
「あれ? どうしたんだろう?」
「ここの景色があんまりきれいで、感動した?」
「……かもしれない」
カグラの言葉にマリアはうれしそうに笑って
すっと指を上の方へ向けた。
「空!」
つられて
カグラも空を見上げる。
空。
穏やかな色の青空。
真っ白な綿菓子のような雲が
ゆるやかに流れている。
「あれね、実はドーム内の映像なの」
「映像……?」
「そう。だから、あれは本物の空じゃないの。
本物の『あおぞら』はね、もうどこにもないんだって。
外にあったものはみーんななくなっちゃった。
残されているのは、ここみたいな保護区の中で育てられた人工植物や
人工の食べ物だけ。
私はこのドームの外に出たことがないからわからないけど
外の世界は
もう死んでしまったんだって」
もう
世界は
死んでしまった。
マリアの口には相変わらず笑みが浮かんでいたが
その目は
笑っていない。
「マリア…………?」
「ねえ、カグラ」
カグラの手を握るマリアの手に
痛いほど
力が込められる。
「ずっと、ここにいて。
ずっと、私と一緒にいてね。
いなくなったり
しないでね。
どこかに行ったりしないでね。
ずうっとここにいて
私と
一緒にいてね。
約束だよ」
空を見上げたまま
呟くマリア。
カグラは困惑しながら、そんな彼女の横顔を見つめる。
「カグラ」
不意にうしろから声が掛けられた。
振り向くと、アダムが立っている。
「カグラ、エヴァ博士が君のことを呼んでいる。
ちょっと一緒に来てくれないか?」
「あ…………うん」
カグラは言って、それから自分の格好を見下ろした。
質素な白の病衣。
おまけに裸足だ。
「ねえ、アダム。私の着ていた服はどこ?
できたら元の服に着替えたいんだけど」
「君の服なら消毒に出してある。もうできあがってるだろう。
マリア、案内してやってくれ」
「うん、おにいちゃん!」
マリアはそう言って、にっこり笑う。
元のような無邪気な笑顔だ。
「じゃ、行こう、カグラ!」
「…………うん」
再びマリアに手をひかれて、歩き出す。
その手にはもう
先ほどのような力は込められていない。
「マリア」
「なあに?」
「エヴァ博士ってだれ?」
「私のママよ。すっごくすーっごく頭がいいの。
おにいちゃんのこともリリスのことも
ほかのアンドロイドのことも
みんなママが作ったのよ!すごいでしょ!?」
「アダムとリリスを…………?」
「それに、私のことも」
その言葉に
カグラの足が
止まる。
二人の手が
離れる。
「………………カグラ?」
振り向き、目をぱちくりとさせるマリア。
カグラは
何も言わず
両手を前に差し出し
彼女の真っ白な頬を
やさしく挟み込む。
あたたかい。
あたたかくて
やわらかい。
「だいじょうぶだよ」
マリアの言葉に、カグラはびくっと体を震わせる。
そして
マリアの頬を挟んでいた手を離す。
「だいじょうぶ。
………私は人間だよ。
あなたと同じ。
人間だから」
そう言って
まるで本物の聖母のように
マリアはほほ笑んだ。