弐-拾陸
「姫様――朝ですよ。起きて下さいな!!」
朝の光と共に、部屋中に声が響きわたった。まだ夜が明けたばかりなので、空気は清々しく透き通っていた。
「んっんん静子さん?」
珍しく、千鶴じゃなくて静子が起こしに来た。
いつもより早く起こされ、澪菜の脳が覚醒するまでまだだった。
「今日は、東宮様とお出かけですよね?」
静子は布団をかたしながら、嬉しそうに笑っている。
「はいっ?」
さっぱり話についていけない間々、顔を濯がれくるくると着替えさせられた。
「昨日嬉しそうに言ってましたよ。姫様と明日はぷうる?とやらは無理だから、川にせめて避暑にでも行こうって。」
「………?」
「聞いてないんですか?あっもしかして、東宮様、姫には内緒で連れて行くつもりだったのかしらっ!!?」
静子は罰が悪そうしていたが、「もしそうだったら、聞かなかった事にしてあげてくださいね。」と開きなおった。
もしかして昨夜言う予定だったのかな?それを私が一人でプリプリしてたから。
着替えが終わると、朧が部屋に迎えにやってきた。
昨日の事があったから、何となく気まずかったけれど、朧はいつもと変わらない様子だった。
少しほっとした一面もあるが、いつもと変わらない朧の態度が、自分を余計に子供なんだなと思わせてなんか胸の奥のつっかかりは取れない。
「姫おはよう。」
「おはよう。」
してるつもりはないのに、自分だけぎくしゃくしてしまっているのがなんか嫌だ。廊下から聞こえる元気な足音と共に、千鶴が現れた。
千鶴は朧の姿を見ると、腰を落とし頭を下げた。
「時頼様は本日、帝のご用達で内裏に寄られてからいらっしゃるとの事なので、申し訳ございませんが、時間がかかると御伺い致しました。」
牛車の支度を終え、部屋へと戻ろうとした時、時頼の遣いに合った。
「時頼が来れないか。」
今日のお出掛けは中止になるのかなっと思っていたら、朧が思いもよらぬ事を言い出した。
「まぁいいか。姫、馬でいこうか?」
「へっ?」
「東宮様!!ご無礼を承知ながら、失礼します。護衛をつけず御出にならなれるなんて、危のう御座います!!」
千鶴が大慌てで止めたが、聞こえてないのか朧は聞く様子もなかった。
次の瞬間―――。
ふわっと、澪菜の体が宙に浮いた。
「ヒャアァッッッ!!」
「では、行こうか。」
朧は澪菜を抱き上げ歩き出す。
「ええええ」
「誰か!!誰か東宮様をお止めください」
引き止める女房達をすり抜け、ズンズン進んだ。従者達も加勢したが、相手は東宮。誰も強気で行ける者はおらず。
屋敷内は、騒然としている。
部屋を出ると、朧は抱きかかえた間々屋敷出した。
おもむろに、澪菜を馬に乗せると、朧も馬に乗る。
「おっおお朧下ろして!!」
「ほら、ちゃんと掴まってないと危ないよ。」
馬を走らせる。牛車とは違い、風を斬るように。
あっという間に屋敷を離れる。移り変わる景色が疾風のごとく、澪菜は必死に掴まっているのに精一杯で、見ている余裕が全くなかった。
「着いたよ。」
馬が止まったのを確認すると、澪菜はそっと目を開いた。
川のせせらぎと、涼しげに流れる水面。
そこは桂の川だった。
「川?」
「ぷうるは無理だけれど、川に涼みにでもと思ってね。海は遠くさすがに遠いから、また今度行こうか。」
抱き抱え、澪菜を馬から降ろす。
パタパタと川岸に近寄り、覗き込むと魚が生き生きと泳いでいた。
「覚えてたんだ。」
ちょっと感激しつつ、照れ隠しで、話しをそらした。
「でも、さっきのはみんなビックリしてたよ!」
「たまには、面白かっただろう?行き先は告げてあったから、すぐ時頼が来るだろう。」
そう言うと、朧は悪戯げな顔を見せた。
普段そんな表情をしないので、つい自然と笑みが零れ落ちた。
「だからって、あれは、、ふふ」
「やっと笑った。」
「え?」
「いいや。何でもないよ。船、川上に用意してあるから、川下りでもしようか?」
朧はいつも私の為にしてくれる。私も、朧の笑顔の為に何かしてあげたいとそう思う。
朧は、澪菜の手を取り、川上に向かい歩き出すと後方から、馬の足音が近付いて来た。
「澪菜さーまーッッッ」
振り返ると、すごい形相で馬を走らす千鶴の姿があった。
その他大勢の侍者も馬で追いかけてきていた。
「千鶴ちゃんっ!!?」
「澪菜様!!東宮様もご無事ですか!!?」
駆け寄る千鶴は半泣き状態。澪菜に怪我が無いのを確認すると、安心しぎゅっと抱きついた。
「東宮様お手討ち覚悟で失礼いたします。あまり無茶をなさらないでください。貴方様も女御様も大切な御身です。」
「あぁすまない。」
朧も千鶴の勢いに負けてしまう迫力。
「東宮様、時頼様もこちらに向かって頂いてますので、軽率な行動はお控え下さいまし。」
「わかったよ。」
これを見ると、屋敷はもっとすごい事になっているんだろうなと思う。
朧は勝手な事はもうしないからと侍者を半数くらいは帰らせ、
天気もよく、外出日和。川縁を歩くと、他にも避暑に来ているだろう人が多々みられる。小さな子供達も川辺で楽しそうに遊んでたりもし、そんな姿が癒される。
「東宮様ではございませんか?」
「ん…」
女性の声に呼び止められた。自分達と同じく、お忍びで来たのだろう貴族がいた。貴族のその中心にいた女性がこちらに近付いて来た。
「菫姫?」
「はい。この様な所でお会い出来るとは。」
菫姫と呼ばれた女性は、膝を落とすと、深々と頭を下げた。
「菫姫、今日は私もお忍びで来ているから、かしこまらなくていいよ。」
会話を聞いていると、顔見知りと伺える。
ここ平安の国では、格式のある姫君が男の人と話す事が好まれない世の中。ましてや、東宮相手に声をかける者など極わずかに限られている。
手入れの行き届いた美しい黒髪、色白な透き通る様な肌。
見た目もそうだが一番は、優雅で可憐な物腰が菫を上流貴族の姫君なのだろうと思わせる。
その姫君が朧と親しげに、しかも自分から話しかけるとは、かなり二人は親しい間柄なのだろう。
「お久しゅう御座います。」
「今日は?」
「父について参りました。皆おりますよ。」
嬉しそうに笑う菫を見ていると、なんだか気分が沈んできた。
「千鶴ちゃん、あのこは?」
ごくりと息を飲むと、千鶴は話し始めた。
「はい。お名前を聞くに、左大臣家末姫、菫様だと思います。」
「左大臣家。菫様、、。」
「はい、確か東宮様の第一正室候補だった御方です。」
正室候補―――?
「あっ!!!でも、私が女房勤めになる前の話しなので、もう正室候補ではないですよ。澪菜様もおりますし、お気になさらなくても」
「なんで、候補じゃなくなったの?」
可愛らしい姫。家柄も釣り合っているだろう。
なにより、朧とも仲良さげなのだから、申し分ないはずなのに。
「いえ、申し訳ないのですが直に聞いた訳ではございませんので、そこまでは私は存じ上げません。」
言わなければよかったと、千鶴は後悔した。菫がこちらをチラッと見ると、釘いるように澪菜の顔を魅入った。
「あの」
「ごめんなさい。初めてなのに、ジロジロ見てしまいまして。まるで吸い込まれそうな綺麗な、空色の瞳ですね。」
「ああありがとうございます。」
髪は鬢で隠していたけど、瞳までは隠しきれない。
普段誉められなれていないので、どう返していいか言葉に詰まった。
「姫様でいいかしら?菫と申します。」
「姫だなんて、澪菜でいいですよ!!!私、ただの居候ですし。」
ブンブン首と手を振り姫と呼ばれるのをお断りする。菫を見てると、自分が恥ずかしくなる。必要以上に卑下したくなる。女の自分から見ても本当に可愛らしい人だ。
「澪菜様?澪菜さん?澪菜ちゃんの方がいいかしら?」
『澪菜ちゃん』なんて初めて呼ばれた。なんか気恥ずかしい。
「菫の事も、菫と気軽に呼んでくださいまし。」
ギュッと澪菜の手を握ると、にっこり微笑んだ。ふわっと着物の裾から香の薫りが漂う。
私とは正反対。人懐っこい人だなぁ。それが菫に対しての率直な印象だった。
「澪菜様、ここは宣戦布告するべきです!」
千鶴が心配げに耳打ちをしてきた。
「えーなんで!!?」
「東宮様にその気はないと思いますが、邪魔な芽は早いうちに摘んでおかないと!」
「ななななに言ってるの!!」
二人の並んだ姿を見てるとすごくお似合いにみえる。
どっちかと言うと、私が邪魔者に思えて来る。
あっ駄目だ。なんか悲しくなって来た。
「澪菜様!あえて言うなら皐様くらいに、男女の理は強気で行った方がよいです。」
そういえば、皐ちゃんの事も…涼君の事もそのままなんだよね。この間々じゃいけないと思うのに考えたくないって逃げている。
そのくせ、朧と菫、二人の事が気になって仕方ない。
時折コッチをチラリと見ながら話す姿がすっごい気になるし、何の会話をしてるのかさっぱりわからないのが寂しい。
「菫姫は、この後は?一緒に行くか?」
「そんな、無粋な事は」
チラリと澪菜を見る。気を使っているのか、戸惑い気味な様子。
「アイツも来る事だし、いいのではないか?」
一緒に行くの?反射的に、後ずさりをしてしまった。
その動作に朧は驚いた顔をしていた。
「どうした?」
朧は澪菜の手を取り、優しく覗き込むように澪菜をみた。
澪菜は今芽生えているよくわからないこの気持ちを悟られたくなく、そっと手を離すと川下の方を指差す。
「あ、、二人で行って来ていいよ。あっちで待ってるから。」
「大丈夫勝手に遠くには行かないから!」と念を押し、返事は聞かず走り出した。
「澪菜様お待ち下さい。」
千鶴も慌てて追いかけた。




