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このままでは葛の葉の命が危ない。
彼女の小さな身体を抱える葉桜の周りにも水球が集まり、隙をうかがうように間合いを詰めてくる。
苦しそうな葛の葉の瞳が、一瞬金のきらめきを見せた。
自分で何とかするから!
強い意思が、爆ぜて葉桜の後押しをした。
涙をこらえる唇から、言葉を紡ぐ。
「我っ、汝を使役する者。
神刀紅桜の御名において。
九尾葛の葉。解っ」
獣の咆哮と共に、小さな葛の葉の身体から白い輝きがあふれ出す。
まぶしさに顔を覆い瞳を閉じた葉桜は、妖狐からあふれる強い霊力が放射状に身体を通り抜けていくのを感じた。
「まったく、死にかけたじゃないか」
憎々しく口を開いた葛の葉が大きく髪をかきあげた。
長い髪を下し、頭の上では狐の耳が辺りを警戒するようにピンと立っている。
「葛の葉っ……よかった」
安堵の息を漏らす葉桜の瞳に映る、色香をまとった妖狐葛の葉。
先程の霊力の開放に一掃されたのか、辺りを囲んでいた水球はその姿を完全に消している。
「女は?」
部屋の奥、佇む白装束の女は変わらずにそこに立っていた。
凛と立つ葛の葉の隣に、破魔札を構える葉桜の姿。
見つめる女の唇が、何事かを呟いた。
「来るよ!」
葛の葉の短い言葉に、部屋の四方から憎悪の塊が溢れ出す。
音を立てていくつもの水球が渦をまいた。
「退け!
忌まわしきもの」
葉桜の、袂から引き出す細い注連縄が意志を持ったかのように、ぐるりと2人を取り囲む。
渦巻く水が注連縄の手前で弾けて消えた。
「いい物あるんじゃないの」
「簡易結界よ。
長くは持たない」
印を結ぶ葉桜の額に大粒の汗が浮かんだ。
渦を巻き、波立つ水の壁は時に苦悶を浮かべる人の顔を形作っては、流れるように消えていく。
憎しみ、悲しみ、恨み、辛み。
結界の中にいても、ビリビリと肌を刺す。
「あたし、水とは相性が悪いのよ」
心底嫌そうに呟く葛の葉の瞳は、水の向こうの女を透かして睨みつける。
「相性?
陰陽五行か」
狐火。火は水に弱い。
「水が苦手なのは土」
「あたしは土とは合うのよ。
木は火をおこし、火は灰を作り、灰は土を豊かにする」
「そんな呑気な説法は要らないわよっ」
土、木、桜。何かないの?
結界がギシギシと歪み出す。
桜夜がいたんだ。
不意に、小さな葛の葉の可愛らしい声が聞こえた。
小さな手のひらから、大切そうに見せてくれたあの……。
「木札!」
懐から、黒くくすんだ古い木札を掴み出す。
「葛の葉、道を作るから全力で炎を吹いて!
一瞬でいい、彼女の所まで。
燃えないほうよ」
帯の隙間から護身用の懐剣を出し、右手の人差し指に傷を付けると、破魔札に血の五芒星をのせた。
軋む結界のなかで、大きく息を整える。
「失敗したら、畳の上で溺死だな」
葛の葉が鼻で笑う。
笑う。
葛の葉もまた、諦めてはいない。
「行くわよ」
印を切る葉桜の指先から、桜色の火花が踊り出た。