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「一番最初に奥さまの部屋に入ったときに、どんな気配がしてか覚えている?」
番頭を先頭に、長い廊下を急ぐ葉桜が葛の葉に問いかける。
「えと、ざわざわしていて、もしゃもしゃしていて、なんだか気持ち悪かった」
「うん。
あの感じ、一人じゃないと思うんだ」
本日二度目、再びこの部屋の前に立つ。
先程外れた障子は元通りはめ込まれて、何事もなかったかのように元の形を保っているが、部屋の中からは凍えるほどの悪意や恐れが漂ってくる。
「番頭さんは下がってください」
声をかけた葉桜に、足元の葛の葉が袴を引いた。
「葉桜。あたいはいつでも大丈夫だから。
あたいも葉桜と一緒に戦うからね」
おばあ様が封印するにとどめた相手。
倒さなかったのか、
倒せなかったのか。
さっきは土砂に巻き込ませたくないあまりに解放したけれど、出来れば葛の葉を巻き込みたくはない。
「葉桜。
一人にしないでね」
一生懸命に見上げてくる葛の葉が愛おしく、葉桜はその小さな頭にそっと手を置いた。
「うん。
私もこんなところで負けられないよ。
一緒にやろう」
懐から引き抜く破魔札に念を込める。
葛の葉に目で合図を送り、葉桜は障子戸を一気に引き開けた。
部屋の中はあまりに静かだった。
布団に伏せる女当主の枕元に白装束の人影を確認した葉桜はゆっくりと口を開く。
「やめなさい。
悲しい思いをしたでしょうけど、その人は関係ないわ。
これ以上、あなたを貶めないで」
言葉も終わらぬそのうちに、こちらを向いた人影は右腕を大きく振るった。
いくつも生まれた頭程の大きさのぶよぶよとしたそれは、重なり合い大きさを増していく。
「破邪、急急如律令」
やっぱり交戦は避けられないか。
指先から、霊力が札へと流れ込む。
体勢低く、跳び来る物体にめがけて宙を滑るように行く破魔札がチリチリと桜色の火花を散らすと、吸い込まれるように張り付いた。
水分の蒸発するような音。
水が弾けたように分裂した破片が、さらに宙を行く。
水。
そうだ葛の葉の覗いた記憶でも、雨が降っていた。
「散っ」
懐から撒いた札が意思を持ったかのように踊り、水球に張り付いては蒸発させていく。
数が多いし、彼女まで札が届かない。
札の残りも気になるところ。
葉桜の視線が白装束の女を追った。
表情はなく生気もない。
話を理解する事ができるのか。
葉桜の中で疑問が頭をもたげる。
「ぷわぁっ。
葉ざっ」
慌てるような葛の葉の声に、葉桜の集中が切れた。
振り返る瞳に映るのは、小さな顔を水球に覆われた葛の葉。
取り除こうともがく指は、水を素通りしてしまう。
「止めて!
息ができない」
葉桜の悲痛の声も、苦悶を浮かべる葛の葉の姿も、彼女の感情を動かすことはない。