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まだ午前中だと言うのに部屋の中は異様な気配に支配され、それが独特の雰囲気を持って部屋を、強いては屋敷の全体を暗く貶めている。
葉桜の瞳が素早く部屋を見回し、先程の気配の元を探すが異変は見られない。
葛の葉の小さな手が、葉桜の朱色袴をより強く握りしめた。
番頭の話には「奥さま」は、当主亡き後の家を切り盛りする芯の強い女性と聞いていたが、今部屋の中央で布団の上に仰向けになる彼女は、蒼白い肌に血走った瞳は瞳孔が大きく開き、その唇は何事かを呟いている。
「昨夜お休みになられるまでは、いつもと変わらぬご様子でした。
しかし、今朝なかなか起きていらっしゃらない奥さまをお迎えに上がった時には、既にこの状態。
声をかけても反応もありません」
番頭の声を聞きながら、葛の葉を伴った葉桜が枕元に歩を進めた。
「どう思う?」
葉桜の質問に、葛の葉はその小さな左手の平を女当主の額の上にかざす。
大きく息を吸い、ゆっくりと瞳を閉じた葛の葉の小さな唇から、一言一言確認するかのように言葉が漏れた。
「山の斜面が見える……。
小さな、格子の隙間。そこから見える……空、雨。
紙垂」
「紙垂?」
紙垂とはしめ縄と共に飾る白い和紙で出来た飾り。
葉桜は驚く番頭に目で合図を送り、葛の葉の手を引くと部屋を後にした。
「この辺りに神社はございますか?」
「ええ、案内致します。
しかし、不思議なわらしですね」
葛の葉を見下ろす番頭を、彼女は睨み返す。
「わらしじゃない!」
頬を膨らませて憤る姿はどう見てもわらしそのもの。
ふたつに結った髪が、大きく揺れた。
「葉桜っ」
不意に飛ぶ鋭い葛の葉の声に、障子の向こうからは物の怪の気配が膨れ上がり、あふれ出す。
「番頭さんを!」
葉桜の声に、葛の葉は番頭の手を引くと目の前の中庭に飛び出した。
葉桜は懐から札をひきだすと、その指先に意識を集中する。
熱い霊力の流れが指先から札へと流れ込んでいくのを感じた。
大きな音を立てて障子戸が弾け飛ぶと、ぶよぶよとした粘膜のような物に包まれた女当主がこちらに目を向けた。
「破邪、急急如律令」
葉桜の鋭い声と共に、宙を滑るかのように札が舞う。
番頭の引きつるような悲鳴からして、常人の眼にも映ったのか、札に触れ、水分が蒸発するかのようにじゅわじゅわと音を上げた物体は人のものとは思えない、不快な叫びを残してぐにぐにと形を変える。
「奥さまっ」
吐き出された彼女を捨てて、それは宙に舞い上がった。
廊下に伏す彼女に駆け寄り、葉桜はその安否を確認する。
呼吸は浅いが、体温もある。
何より、先程の禍々しいまでの気配がない。
「憑き物は落ちたようです。
後は頼みます。
葛の葉」
走ってきた番頭に彼女を託し、声をかけた葛の葉が背中に飛びついてくる。
小さく可愛らしい鼻が、空気の中の残り香をかぎ分けた。
「あっちだ」
小さな手の指す北東に向かい、葉桜が大地を蹴った。
北東
丑寅は鬼門と言われ、縁起の悪い方角です。