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第一話


 物語の始まりは冬のとある寒い日。一人の赤ん坊が孤児院の表玄関に捨てられていました。


 捨てられた理由は分かりません。貴族と平民のご落胤(らくいん)だったのか、それとも子だくさんの貧民が養いきれずに捨てたか、はたまた別の余人には分からぬ理由か。

 赤ん坊を入れた籠も、かけられた毛布も、身分を証明できるものはありませんでした。


 しかしそれはどうでもよいのです。赤ん坊の出自はこの物語には関係がないのです。


 捨てられた赤ん坊は、孤児院に拾われました。見つけた養母さんたちは大変驚いたそうです。なにせ雪も降っていましたし、まだ体の弱い赤ん坊。寒い外に捨て置かれて、凍え死んでもおかしくないのに、顔を真っ赤にして、必死になって赤ん坊は泣いていたそうです。


 赤ん坊が――幼い私が伸ばした小さな手を、養母さんは温かな手で掴み取ってくれました。時が経った今でも、その温もりは忘れられそうにありません。この手に温もりの記憶はまだ残っています。


 私は拾われ、孤児院に引き取られました。

 心優しい人々の寄付と、国から与えられる雀の涙の運営費。孤児たちが内職で生み出すわずかばかりのお金。長い戦争のさなか、孤児が増える一方で、孤児院にも余裕があるわけではありませんでした。

 でも孤児院は私を引き取ってくれました。雪の降るあの場所で、生きて泣き声を上げていたことにはきっと意味がある。だから無理を承知で引き取るのだと。


 感謝です。私を生かしてくれた養母さん。育ててくれた孤児院。共に成長した友達。……親友。寒さの辛い冬で、毎年寒さと栄養不足で死ぬ子どもが出ていたとしても、あの日々は私にとって温かでした。


 でも、でもと思ってしまうのです。あの日、あの時、養母さんはどうして私を見捨ててくれなかったのかと。もし私を見捨てていれば、あの()()はなかっただろうにと。



 そうそう、申し遅れました。私の名前はレスト・ヴァンシュミット。北国にあるヴァンシュミット孤児院に拾われた一人の孤児で、一応、国を救った英雄となるのでしょうか。

 ですが思い違いはしないでください。この物語は煌びやかに飾られた英雄譚などではありません。


 一人の愚かな女が国を救おうとして空回りを続けただけのお話です。


 一人ではとうてい背負いきれぬ”才能”を背負われた、とびきり幸福で、誰よりも不幸な女の物語です。


 ”才能”しかなかった女が空回りをし続けてどうなったのか。それはこれから語りましょう。どうかこの独白を、寝物語にでもお聞きください。



 誰一人として幸せになれない、救いのない話ではあるのですけれど。



   ***   ***



   ***   ***



 カタカタ、カタカタと肌を切り裂く冷たい風に打たれて、孤児院の薄いガラスが音を立てました。まだ幼い子どもたちはついつい、音のする方向へ目を向けてしまいましたが、年長の子どもたちは見向きもせずに一心に祈りを捧げています。


 冷たい床の上に両膝をつき、手を胸の前に組んで目をつむる。聞こえてくるのは神父様の語る“謳い”。この世を作った神様が残したと言われる聖句の一つです。

 じんわりと床が私から温もりを奪っていきますが、床にも私の温もりが伝わる。冬に祈りを捧げることは辛いですが、昔からこの感覚だけは不思議と好きでした。



 遠い国から私は発った



 幾多の国をこの目に収め



 数多の悲劇を本に(つづ)った



 綴りし本は身の丈より厚く



 刻まれし言の葉の全てを私は()



 悲劇を私は見たくない



 旅に疲れた私は願う



 一時の寄る辺がほしいと――



「今日はここまでにしましょう」


 パタンと、神父様が聖書を閉じました。本をしまうのを合図に、私たちは祈るのを止めてぐぐっと伸びをしました。薄い上着をかきよせて身を包みながら体を温め、おしゃべりが始まります。


「あー疲れた」

 私の隣にいたマキュリが体をほぐすように動かしながら言いました。


「そう言わないですよ。ヴァンシュミット孤児院は神様のご加護あって成り立っているんですから」

 真面目に私が答えると、マキュリは呆れた顔をしました。


「そう言ったってねぇ。あたしにご飯を食べさせてくれるのは養母さんたちだし、その養母さんたちが食べていけるのは寄付と国のお金があるからだし」


「その寄付は神様を信じる心優しい人たちからいただいたものじゃないですか。ならそれは神様のご加護と同じです」


「かーっ。レストは相変わらず馬鹿真面目だねぇ。そんなの孤児院や神殿の言う建前でしかないっての。試しに養母さんたちに聞いてみなよ。皆苦笑いだよ」


「確かに以前聞いた時は苦笑いされていましたけど」


「聞いたんだ……」


 マキュリはやれやれというように肩をすくめました。でもその顔は楽しそうで。

 褐色の肌に青みがかった銀髪。気の強さを思わせる整った顔立ち。服装は私と同じ古ぼけた裾の短い灰色の服一枚ですが、マキュリが笑うとそれだけで心がほっとなって、元気が湧いてきます。


 マキュリは冷たい床についていた真赤に膝をさすりました。床はつるつるの石でできていますから、ずっと膝をついていると真赤になってしまいます。私の膝も真っ赤になっていることでしょう。


「神様にお祈りしたところで、どうにかなるとは思わないけどね。ま、習慣だからやるけど。姿も知らない神様のお恵みよりも、形の見えるお金とか、分かりやすい力の方があたしは欲しいね」

「またそんなこと言って……」

「違うかな」

 マキュリは透き通った蒼の瞳で私を見つめました。マキュリには齢不相応な聡明さがあります。孤児院育ちの私にはないものです。


 赤ん坊の頃に孤児院に捨てられて、ずっと孤児院で生きてきた私と違って、マキュリは二年前まで町のスラムで過ごしていました。だからでしょうか。マキュリは時々大人顔負けのことを言います。そんな時私は、マキュリはこれまでどんな風に生きてきたのだろうかと思うのです。


「孤児院からろくに出たこともないレストは知らないかもしれないけどさ。この北国は今も戦争をしてるんだよ? もし本当に神様がいるならどうしてあたしたちを助けてくれないのさ」

「それは……」


 マキュリの言葉に私は返す言葉を失いました。マキュリと比べると私はどうしても世間知らずです。聖句を間違えずに言うことはできても、お金の計算一つまともにすることができません。年下の子たちに「こらっ」と叱ることはできても、拳を握って殴ることはできないのです。

 暴力は嫌いですけど、暴力があることは知っています。それが必要とされていることも。


「だからあたしは――」


「ほらほら。レストもマキュリもいつまでも話をしてないで。祈りが終わった次はお仕事ですよ」


「あいた!」


「す、すみません!」


 言葉を続けようとしたマキュリの頭を、後ろから歩いてきた養母さんが軽く叩きました。マキュリが恨めし気に養母さんをにらみましたが、養母さんはふんと鼻を鳴らしました。

 十歳の私たちが見上げるほど大きな背丈をした養母さん。名前は知りません。皆彼女のことを養母さんと言います。私たち孤児の面倒を見てくれる養母さんは彼女の他にもいはするのですが、他の人は皆名前で呼びます。

 養母さんは孤児院長でもあるので、院長と呼ぶ人もたまにいます。マキュリがそうです。


「痛いよ院長」


「レストは筋金入りの箱入り娘なんだから、そう言って追いつめないでよ」


「分かってるよ。でもさ」


「お黙り」


 なおも言葉を言い募ろうとしたマキュリをもう一度養母さんはにらみました。そして養母さんは大きな腕でがっとマキュリの肩を抱くと、小さな声で言いました。


「友達を言いこめてどうするの。あの子にとって信仰が心のよりどころなんだから。レストには特別な“才能”も、頭の良さもないんだ。たとえ“忌み子”でも自分に自信をもってるあんたと一緒にするなよ」


「分かったよ。ってか“忌み子”って言うな。気分わりぃ」


「悪かったね」


 どうして二人は内緒話のようにしているのでしょうか。私の耳には二人の会話が届いています。


 私は別に信仰をよりどころにしているわけではないのですが……私にとって信仰とは隣にあって当たり前のもので、すがるものではないのです。

「そら。話は終わりだ。二人とも内職をしなさい。手先が器用なマキュリと、ずっとやってて得意なレストだけが頼りなんだから」


 行った行ったと養母さんに背中を押され、私たちは礼拝堂を後にしました。


 扉をくぐる時、ちらりと礼拝堂を振り返りました。神父様はすでに出ていったので、そこにはもう誰もいません。がらんどうの大部屋と、奥にある本を象った小さな銅像。質素です。

 礼拝堂はどこも無機質でもの寂しい場所なのだと、以前神父様は私に教えてくれました。


   *


 廊下を通って、食堂に入ると温かい空気とにぎやかさが私たちを包みました。中では孤児院に住んでいる私たち以外の全員がそこにいて、縄やザルみたいな日用品を作ったり、小さな装飾品を作ったりしていました。

 孤児院の子どもたちは私たちを含めて三十二人。最年長は十才の私とマキュリ。後は八歳の男の子が二人と、七歳の女の子が一人だけで、残りは五歳より下の子どもだけです。


 幼い分、手つきも危ないし、作る速さも遅い。おまけにすぐにさぼろうとするから大変です。風邪をひかないようにと暖炉の近く座らせているせいか、コクコクと眠りそうな子もいます。

 院長以外の養母さんたちは年下の子たちを見るので精一杯で、内職する余裕はありません。だから院長さんも私たちが頼りだと言ったのです。


「ここ座るよ」

 マキュリは入り口のすぐ近く、つまり暖炉から一番遠いところに座るとささっと籠を編み始めました。その手つきは長年内職をやってきた私から見ても無駄がなくて、ほれぼれする手つきです。


「レストもちゃちゃっとやっちゃいな。納期が近いんだから」

「は、はい」


 私がマキュリの手さばきに見とれていると、咎めるようにマキュリが言いました。それで私も糸でブローチを作り始めます。


「……」


「……」

 私とマキュリの間にしばしの沈黙が訪れました。作業する音だけが耳に入ってきます。部屋の中には子どもたちの遊ぶ声も聞こえてくるのですが、不思議と気になりません。建てつけの悪い家の隙間から入ってくる冷気や、それに負けじと燃える薪のパチパチと燃える音が自然と聞こえてきます。

 食べるものに困っている孤児院ですが、暖炉の火を絶やすことだけはありません。もし絶やしてしまえば私たちは皆寒さで死んでしまうでしょう。そうでなくとも、弱った子は寒さにやられて死んでしまうのです。


「あたしたちもあと二年か」


 心地の良い沈黙を破ったのはマキュリでした。手は動かしたまま、私に話しかけてきました。

「そうですね」


 私も作りかけのブローチに目を落としたまま答えます。ヴァンシュミット孤児院は子どもを十二才まで育てます。ですが十三才になると、働きに出されることになるのです。他の孤児院では成人とされる十五才までのところもあるようですが、貧しいヴァンシュミット孤児院に、そこまでの余裕はありません。


「二年後。あたしたちはどうなってるんだろうね」


「どうでしょう。さっぱり分かりません。でもマキュリはどこに行っても上手くやれる気がします」


「それは孤児院の中だからだよ。それにあたしは“忌み子”だぜ? どこも雇ってくれないだろうさ」


 マキュリの言葉には皮肉が混じっていました。


「そんなことありませんよ。マキュリは悪魔なんかじゃありません。私の大事な友達で、その……親友、です」

 私のこぼした一言にマキュリは手を止めました。つられて私も手を止めてマキュリを見ます。マキュリは嬉しそうな、馬鹿にするような、何とも言えないような顔をしていました。


「親友、か。ははっ。はじめて言われたよ。そんなこと」


「私も初めて言いました。でも嘘じゃないですよ」


「分かってるさ。レストは嘘をつけるような人間じゃないもんな」

 マキュリは顔をほころばせました。


「あんたにそう言われると嬉しいよ。なんていうか、頑張ろうって思える」

「あ、ありがとうございます?」

 何と言えばいいか分からなくて、私はあいまいに頭を下げました。


「でも世の中レストみたいな善人ばっかりじゃないからさ。“忌み子”を隠して春を売るか、じゃなけりゃ兵士にでもなるか。どっちかだろうね」


 春を売る。その意味を私は知りませんでしたが、何となく嫌なものを感じました。それと兵士。その言葉に私の顔は曇ります。

「兵士だなんて、それじゃマキュリが死んでしまうかもしれないじゃないですか」

「当然だろ。兵士なんて死ぬのが仕事みたいなもんさ。それなら“忌み子”のあたしに丁度いい……ああっもう! そんな顔すんなよ」

「ですけどっ!」


 私の目に浮かんだ涙。マキュリが身を乗り出して手を涙をぬぐってきます。

 冷たい手の奥にある温もりが、私には分かりました。


「あたしのことはいいんだよ。それに兵士になったとしても、あたしを“忌み子”たらしめる憎たらしい“才能”が、あたしを生き延びさせてくれるだろうさ。そ、れ、で! レストは孤児院を出たらどうすんの」

 話を無理矢理変えるようにマキュリが一言一言区切るみたいに言いました。


「私は神父様から孤児院を出たら神殿に来ないかと言われました。始めは見習いだけど、信心深い私なら、巫女になれるだろうって」


「なるほどねぇ。巫女見習いか。熱心に祈ってるレストらしいや。それにあの神父なら安心かな。クソ真面目だって、皆が言ってるし」


 ヴァンシュミット孤児院に毎日聖句を唱えにやってくる神父様は、町にある神殿の神官様でもあります。私たちの住む町は北国の中でも大きな町で、神殿も色々なお仕事があるはずなのに、神父様は毎日欠かさずやってきてくれます。


 体は細いのにがっちりしていて、いつもしかめっ面だから、小さな子たちからは人気がないけれど、いつも真剣で、私の拙い聖句についての質問にも真剣に答えてくれる立派な人です。


「ふーん。そっか」

 マキュリは灰色の空に北風の吹く窓の外を眺めて、ため息をつきました。


「あたしは娼婦か兵士。レストは巫女見習い。どうしてもあたしたちは二年後には離れ離れになっちゃうね」

「そう、なんですね」

 マキュリと離れ離れになる。突きつけられた現実に、私は冷たいナイフを首に押し付けられた気持ちになりました。マキュリは私の大事な……親友です。できれば離れたくはない。


「でもしょうがないよね」


「そんな言い方……っ」


「親友ならさ」


 あっさりと「しょうがない」と言ったマキュリに言い返そうとした私でしたが、後の言葉に私は言葉を無くしました。


「離れてても親友のままだろ?」

 マキュリは穏やかな顏で微笑んでいました。彼女がそういう風に笑うのを見るのは初めてで、私はポカンとしてしまいました。そしてはっと正気に返ると、強く頷きました。


「もちろんです! 聖句にもあります。“例え国を違えてしまっても、友情は永遠だ”と」


「くくっ。相変わらずレストは。でもだからこそレストだね。うん。ありがと。これからもよろしく」


「私も誓います。私、レスト・ヴァンシュミットはずっとマキュリ・ヴァンシュミットの親友であることを」


「あたしもだよ。マキュリ・ヴァンシュミットはレスト・ヴァンシュミットとずっと親友だって誓う」


 差し出してきたマキュリの手を、私は握り返しました。私の手は痩せていても年相応に柔らかい手。マキュリの手は乾いていて、積み重ねた苦労が見える手。

 でも私の手もマキュリの手も確かな温もりを感じることができました。



   ***   ***



   ***   ***



 この頃の私は知りませんでした。マキュリもその時の私には大人に見えても、やっぱり子どもでした。

 この世に“永遠”なんてものはない。ましてや永遠の友情なんて。


 人の心は清らかなものだけでできているわけではないのです。清らかな心と、澱んだ心と、その二つが合わさって初めて人は人になりうる。

 澱んだ心だけでは、清らかな心だけでは人は成り立たないのです。そして人の愚かさを知り、その心の美しさを同時に知ることで初めて、人は誰かに優しくできる。


 私がそれを知ったのは、もっとずっと後のことでしたけれど。



第一話 親友との誓い  終わり


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