第8章 預言者の旅日記
部屋の窓からから見える外の世界は、風に吹かれた桜の花びらが、まるで吹雪が如く一面を舞っていた。
そんな一種幻想的な光景に一切気を囚われることもなく、二人の賢人はただ幼き時代に戻ったかのように意見交換に夢中になっていた。
「この令嬢をエレーナ・ヴァレンシアという。代々続く皇家の血筋を引く由緒ある公爵家の長女であり、それはそれは美人であったらしい~!」」
「うむ・・・そんな公爵令嬢にシュトラウスは恋に堕ちたのか?」
「そう言うことだ!マーロフ自身が従者としてシュトラウスに帯同しておったんじゃろうなぁ~・・・その辺りのことはけっこう詳しく記されていたが、他人の恋路ほど馬鹿らしく思えるものは無いので、肝心な部分だけで後は省略させてもうが・・・知りたきゃ文献を貸し出すぞ?ほほっほ」
「悲劇の恋物語とかなら目を通してみたいがのぉ~ふははっは」
「これを恋物語と呼べるのかどうかは私には判断できんが、結末は悲劇と言えば悲劇だった。シュトラウスはの~どうやら彼女にひとめ惚れしてしまったようなんだが・・・何せエレーナはその時点で皇太子に嫁ぐことがすでに決まっておったのじゃ!簡単に言ってしまえば横恋慕してしまったわけだ」
「・・・横恋慕以前に学者と公爵令嬢では釣り合いが取れんだろうが?」
「そうなんだが、彼は身分など考える暇さえ無いほど惚れてしまったんだろう・・・敢えて身分云々を言うなら預言者としての大層な肩書きは持っていたしのぉ~」
「なるほどのぉ~・・・」
「当時のシュトラウスの年齢は定かでは無いが、歴史学者としては20代前半から頭角を現していた奇才であったからして・・・出逢った頃は20代後半ぐらいか30代前半でなかったかと推測しておる。それとマーロフがすでにこの時点で『預言者』という言葉を使っておるし・・・数回と数年かけた旅ではあるが、今回の旅の前に『託宣』を授けられていた可能性もある」
「ふむ~~なるほど!『託宣』も『黙示録』の記載もないが『預言者』という記述にはなっているということか・・・まぁ~それはそうとしても名得手の優男としては油の乗ってる年代だのぉ~ほほっほ」
「そういう事だ。シュトラウスに関して言えば、言葉巧みと言えば聞こえが悪いが、それこそ公爵家に日参して、あの手この手と気を惹くような会話を重ねていったようでのぉ~~エレーナ自身もけっこう気を許していたような記述がある。勿論、シュトラウス自身独身であるからして、横恋慕しようがエレーナを伴侶として迎えたいぐらいの気持ちはあったであろうなぁ~」
「相思相愛の関係に近かったのか?」
「婚約者もいるご令嬢様だ。いくら世間知らずでもそんな想いにはならんだろうよ。だから気を許すと言ってもロマンチストな彼の話に惹かれただけで、一方的にシュトラウスが恋していただけじゃろうなぁ~~それも熱くな!まぁ、その辺りのことをマーロフが書き記している部分を抜粋しておいた。これじゃ~」
ジョスランはそう言うとBOXから走り書きされたメモ用紙を取り出してクロフォードに見せた。
『師は胸をときめかせておられた。四六時中エレーナ様のことしか頭に無いようで、それはまるで恋煩いに罹られたように溜息ばかり吐かれていた。これまで師が相手にされた数多くの女性に対する感情とはまるで異質のもののように感じられた。これほど師を夢中にさせる女性がこの世に存在することは驚きでしかない』
「ほぉ~これが『預言者の旅日記』に記されている一文かぁ~・・・」
クロフォードはジョスランから手渡されたそのメモ用紙を幾度となく読み返した。
そんなクロフォードを眺めながらジョスランはニヤリと薄ら笑いを浮かべてもう一通メモ用紙を渡した。
『今夜のお相手は娼婦であろう。すこしケバイ感じのする女性が師の部屋へと入って行った。師には好みとか無いのであろうか。自分を慰めてくれる者なら誰でも良いのであろうか。吾輩ならもう少し好みの女性を選ぶであろうが・・・つい先日も食堂の後家を浮わつくような言葉で口説かれていた。今だ以って師の嗜好が理解できない』
「マーロフが、シュトラウスが女性を連れ込んだ日を思い出して記した部分だ。どうだ面白いだろ?」
「なるほど、なるほど・・・2枚目を見れば手当たり次第に女を漁る好色男であったことが良く解るのぉ~ほほっほ」
「まぁ、日記の一部分だがな・・・マーロフの主観も交えているんだろうが、概ね客観的に捉えた書物になっておったわ!」
ジョスランは愉快満面な顔つきでクロフォードを見た。
クロフォードも納得したような表情を浮かべて頷いていた。
「先程の話に戻るが・・・エレーナ自身、優男の気持ちには気付いておったしその気持ちが満更でも無かったから日参することに拒絶することは無かったってことだな?」
「その通り!だが、嫁入り前の娘に悪い虫がつくことを嫌った公爵は、偉大な預言者であるだけに無碍にもできず・・・会う時は二人だけにしないように必ず供を同伴させたようだわい。ほほっほ」
「公爵とすれば変な噂が発つことだけは避けたいわの~何せ嫁ぎ先が嫁ぎ先じゃて・・・」
「ところが事態が一変したんじゃ!」
「どういう風に?・・・」
「エレーナが流行病で急死したのだ!」
「なんと?!」
今とは違ってこの当時では予防学的なものは皆無であったであろう。
増して流行だすと一気に広がってしまう。対処の仕方が不明なら当然ながら防ぎようもない・・・正にそんな時代だったのであろう。
「独りで過ごす時間が多かったんだろう・・・猫や犬をかなり可愛がっていたようだ。そういう動物たちを媒介として感染したのかも知れないのぉ~」
「ペストか?・・・」
「マーロフの記述には流行病としか書かれておらぬので詳しいことはわからぬが・・・シュトラウスには衝撃だったようで・・・」
「そりゃそうだろうよぉ~片想いにしろ憧れの君が何の前触れも無しに突如天に召されてしまったんではショックも大きかろう!」
「その辺りの話は割愛するが、シュトラウスはエレーナの葬儀に参列したのち、傷心を引き摺りながらポートルースを離れファーナムへ戻っているのじゃ!」
「ふむ・・・」
「それからの彼は人が変わったように塞ぎ込んでしまってなぁ~何かを思い詰めたように書斎に閉じ籠ったり、弟子たちに何も告げず家を何日も空けたり・・・奇行が目立ってきたと記されている」
「心情的には判らないでもないがのぉ~・・・この時に神の無慈悲さを嘆きながら『黙示録』を執筆したのかも知れんなぁ~」
「それも解らぬ・・・放心と言うより、逆に何かをせずには居られない気持ちになったのは確かだろうな。何かに没頭することで気持ちを紛らわすとかの・・・」
「ふむ・・・たぶんこの時期であろう。彼の深層にある心理などわからぬが、『黙示録』を記すことで気持ちを紛らわしたんだろうよ!そして何日も家を空け外出している・・・これは女遊びでは無く封印場所を探していたのやも知れぬのぉ~」
「お前もそう思うか?・・・」
「そう考えるのが妥当な気がするわい・・・」
「私もそう考えたのじゃ!そこでお前がシュトラウスならどこに封印する?」
「思い出の場所になるだろうなぁ~好色男が片想いしたエレーナに纏わる何処かに・・・」
「うむ。そこで思い付いたのがエレーナの墓周辺である・・・ロマンチックな言葉で女性を饒舌に口説くのを生き甲斐として感じていた裏の顔から、全く無関係などうでもいい場所には絶対に隠さないだろう!」
「そうじゃのぉ~~『これほど師を夢中にさせる女性がこの世に存在することは驚きでしかない』マーロフの記述から考えてもそこしか思い当たらんなぁ~」
「だから選定地をここに絞ってみたのじゃよ!ほほっほ」
「それがポートルースだったわけじゃな!ふほっほ」
それはあくまでも推測の域でしかないし、実際この地が正解なのかどうかは行ってみないことには分からない。
だが、真っ当な歴史学者のシュトラウスを正攻法で推察して行くならばこの地は候補にも挙がらなかったであろう。
文献を紐解くということは、そういうことなのだ。少し視点を変えるだけで見えてくる物が違ってくる。だから面白いのである。
最初から正解在りきと決めつけてしまう者には辿り着くことは出来ないであろう。
大切なのは発想の転換と柔軟性なのだ。
シュトラウスは、たぶん傷心を引き摺るこの時期に『黙示録』を記したんだろう。
再び狂ったように酒や女にと放蕩三昧を繰り返し数年後に若くしてこの世を去った。それはあたかも終生の一大事業を終えたという思いが彼をそうさせたのかも知れない。
誰にも語らず、欠片さえも残さず・・・その謎は謎のまま現在に至っている。
何故『神』は謹厳実直な者ではなく、このシュトラウスのような者に『託宣』を授けたのであろうか。考えれば考えるほど不思議な事である。
それは気まぐれだったのか悪戯心だったのかは解らない。
だが、このシュトラウスに授けた意味は何かあるのだろう。だから、それを推察してゆくのは後世の時代を生きる我々の仕事なんだとクロフォードもジョスランも感じ取った。
きっと、この地に『伝説の黙示録』が眠っている・・・そんな気がしてならない。




