外伝2話 王女の決意
部屋からバルコニーに出てみる。
遠くない先に見える海から遮るものが無いままに海風が小高いに丘に建つ王宮へと吹き抜けてゆく。
陽射しを遮るように手を額に翳し空を見上げる。
初夏のよく晴れた空にふわふわのわた雲が浮かんではゆっくりと流れて行く。
その光景には煩わしさも柵も忘れさせる空間と時間だけがただ漂っていた。
マリナ・デルフィナーレ・アドリアは、王位継承権としては8番目に位置するアドリア王国の第二王女ではあるが、男系が主として継承していくこの国に置いて、その継承順位は将来嫁いで行くはずのマリナにとってはどうでもよい無意味なものに感じられた。
兄たちが継承していけば何ら問題の無いことで、自分にその責務が課せられることは到底考えられないことだった。
ただ豪奢な遊びと好色に耽る兄たちに比べ、為政者としての風格はマリナが兄弟の中でも一番だと評判に上がりもするが、如何せん女性であるが故に本人も周りも王位継承には無関心であった。
それはそれで良いのかも知れない。資質のある者が国を継がないということは不幸な事かも知れないが、序列を飛び越えて争いの種になることは本人にとっても王国にとっても更に不幸極まりない事である。
その事はよく理解できている。だから王の娘として生まれたからには否応が無く外交政略として嫁がねばならない身であることは覚悟できているつもりである。
それが故、マリナにとって、それまでの時間を如何に有意義に過ごすかそれが全てだった。
「街に出てみようかなぁ~」
初夏の風に髪を揺らしながらそんなことを考えてしまう。
この宮殿にいる限り、毎日同じように繰り返されるルーティンワークのような習い事や王室教師による小言を聞かされねばならない。
そんな代り映えのしない日常に辟易としていた。
自由の定義は判らないが、今流してる環境と時間の中には見い出すことはでき無い・・・だからそれを少し模索してみたいという好奇心だけは旺盛である。
『刺激の無いところに進化は有り得ない』
自念の理として拘りたい言葉だった。
自分が王族だからということではなく、ひとりの人間として成長していく為には常に何かを求め続ける自分でありたいと思ってきた。
『籠の中の鳥』として扱われるその日は遠くない。
だから許される時間を有効に使いたい、管理されない時間を自由奔放に流してみたいという想いが日々強まる。
「妾はこれから街に出る。着替えを持て!」
マリナはお忍び用の服装に着替える為に侍女たちへと申しつける。
傍らに控えた侍女たちはマリナの言葉に慌てふためく。
「姫さま、侍従長さまのお許しを戴かないと私どもがお叱りを受けます」
「なりません!勝手な行動はなりません姫さま~!」
勝気で突拍子のない言動にいつも振り回されてはいたが、それでも突然の思いつきのような行動には程々対処に困る。
そんな泣きっ面の侍女たちの顔へとマリナは意地悪な笑顔を振り撒く。
「あははっ、大丈夫じゃ!すぐに戻る故!!」
「姫さまが居られないとなると、私たちには言い繕いができません!」
「そうです。侍従長に何と申し上げてよいやら~・・・」
オロオロするばかりで手伝わぬ侍女たちを傍目にクローゼットへと入り、適当な服を見繕うとさっさと自分で着替えを始める。
「姫さま達の勝手な行動を許さぬよう侍従長からキツク申し付かっています!」
「ん?・・・姉上は、イスリーナ姉上はこんなことはせぬのか?」
「イスリーナさまは常に穏やかで、そしておしとやかな振る舞いで姫さまのように勝手気儘な行動はされません!」
「そうか・・・母が違えば性格も真逆になるようじゃなぁ~あははっ」
「笑い事ではありません。姉上さまをお見習い下さいませ!」
イスリーナ・ブルゴーニュ・アドリアはマリナとは1歳違いの異母姉にあたるこの国の第一王女である。
すでに隣国ラマディール王国の王太子に嫁ぐ話は決まっており、あとは吉日を選んでの日取り調整をしているような現況であった。
その調整に侍従長のナスターシャも大臣と共に参席しており、数日はこの王宮には不在なわけで侍女たちの監視の目がいつにも増して厳しくなっているのは理解できている。
姉は20歳で婚姻話が舞い込む・・・これの意味するところは、この国は『平和』であり、且つまた『強国』であるという証でもある。
過っては15歳の成人を待つまでも無く嫁いでいく姫たちが数多くいたと聞き知っている。
外交的に婚姻による同盟が必要な時代もあったわけだ。ところが今や、向こうから兄たちへの婚姻話は多々あるが、姫たちに急ぎまとめる話など数少ないと言うことである。
だが・・・姉が嫁ぐとなると次は自分の番になる。
遠くない未来に自分が見知らぬ誰かのところへ嫁ぐ日が刻々と迫って来ていることは感じ取れた。
それはもう時間の問題なのであろう。
「よい!ナスターシャは数日は戻らぬじゃろ?・・・だったら帥達も知らぬ存ぜぬで構わないではないかぁ~あはっ」
「ご不在の時こそ肝心なのです。姫さま~~~お待ちを!」
町娘のような風体に着替え終えたマリナは、袖を引き縋る彼女たちを振り解きソソクサと部屋を後にしようと歩き始める。
そして扉の前で侍女たちへと振り返った。
「そんなに心配であるなら帥達も同行せよ!それで良いじゃろ?」
「えっ?私どもがですか?」
「そうじゃ!年の頃は変わらぬのじゃから友として同行せよ!!」
・・・・・・・・
王都バサラッドは東南に外国との貿易港を持ち、また東西南北の城門からは多種多様な種族の商人たちが流動するこの世界でも最大の交易都市だ。
マリナは異国情緒漂うこの街が好きだった。
侍女を従え商館が建ち並ぶ商業区を抜け、屋台が所狭しと犇めき合う通りへと向かう。
この風景を見れば・・・行き交う人の顔、漲る活気を肌で感じれば、この国の今の政策的状況が垣間見えることは何となく判っていた。
今日も笑い声が絶えない活況さが覗える。
今のところ施策に大きな問題は無いようだ。
「いい匂いがするなぁ~」
「あれはモロコシを焼く匂いでしょうか?・・・食をそそりますね!」
マリナの言葉に侍女のひとりが答えた。
この国の発明なのか製造方法を転移者が伝えたのか『醤油』の香ばしい匂いが辺り一面に漂う。
「買って参りましょうか?」
「いや、妾が買ってくる。帥達はそこで待っておれ!あはっ」
好奇心旺盛なマリナはポシェットから財布を取り出し庶民の真似事をしてみる。
「3本いただけるか?」
「へい、いらっしゃい!3本ね~!!」
「美味しそうじゃなぁ~」
「当たり前でさぁ~~よく塩茹でしてから醤油をたっぷり漬け込んで焼いているからね!」
「そうか・・・楽しみじゃ!」
「はいよぉ~、お待ちどうさま!」
屋台の店主にお金を払い品物を受け取る。
こんな世間では日常的な行為でさえマリナには何か新鮮に思えてしまう。
3人は通りの至る所に点在する食する為のベンチのひとつに腰掛け焼き立てのトウモロコシを齧り始めた。
王宮では味わえない開放感と醍醐味である。
侍女たちの顔もほころんでゆく。
「このシャキシャキ感がたまらないですねぇ~美味しいです!」
「そうじゃの~醤油に漬け込んだこの塩加減が絶妙じゃのぉ~あはっ」
「今日は姫さまに着いてきて幸運でした!」
「うむ。たまにはハメを外すのも良いもんじゃて!」
「姫さまは外し過ぎで困りますけれど・・・」
「あははっ~それが妾じゃ!」
そう言っては笑うマリナをふたりの侍女は眩しさを感じながら見つめていた。
身分の違いなど鼻にもかけぬ、そして旺盛な探究心が故のこんな破天荒な行動も型に嵌らない彼女の魅力なのかも知れない。
報告を聞くばかりではなく、自分の目と肌で感じ取る。為政者にはこんな行動力も必要であろう。
きっと男性ならこの国の行く末はこの方の双肩に掛かっているであろうと容易に想像できてしまう。
聡明さばかりが全てではない。瞬時の判断力と決断力、そして理解力・・・どの王子よりも優れている。これは紛れもない事実だ。
「今日は散々だったなぁ~・・・うぅ」
「舐めすぎてたわぁ・・・」
「イノシシ怖いなり~あぅ」
ベンチに腰掛ける3人の目の前をボロボロになった5人の冒険者が肩を落としながら通り過ぎていくのが目に留まった。
「あの者たちは何故あのように肩を落として歩いておるのじゃ?」
「きっと討伐クエストなどをやっていたのではないでしょうか?」
「ふむ~そうか冒険者なのかぁ~・・・」
「たぶん、まだ駆け出しなのでしょう」
「なるほど・・・」
冒険者という職業がどういうものなのかイマイチ判らなかったが、日銭を稼ぐために依頼をこなしていることは理解できていた。
一歩間違えれば『命』にも係わる一大事になり兼ねない職業。
『命』と『報酬』が等価なのかどうかは知らないが、好奇心旺盛なマリナにはそれが魅力的なものに映った。
けれど自分があの者たちと同じように冒険者になれるはずもない。
姉の嫁ぎ話がまとまれば否応が無く次は自分だ。
もう少し今のままの自分で時間を流し続けるには何か責務を担うことしかない。
あの者たちと同じように真剣に『命』を見つめるやり取りをする術はひとつしかない。
個人と国家という立場は違え、そうすることで自分の中でも何かが弾けるだろうと思う。
マリナは心を決めたようにトウモロコシを齧る手を休め空をひとしきり見上げた。
『軍籍に身を置いてみるかぁ~・・・きっと自分の中で何かが変わる気がする』
何も突拍子もなく思い立ったわけではない。退屈しのぎにやってみようと考えたわけでもない。刺激と充実感が欲しいだけ・・・それは今のルーティンワークの中では見い出せない。
『縁談話』から逃げるのかと言われればそうかも知れない。しかし今はもう少しいろんな自分の可能性を確かめたいとも思う。
やり残したと後悔するより、結果はどうあれ挑戦することから始めることが大切な気がする。
『刺激の無いところに進化は有り得ない』
「お前たち・・・」
「はい?・・・」
「妾は軍に身を置いてみようと思う。だから明日から軍宿舎へ入る!」
「へっ?・・・」
「あははっ~」
呆気に取られる侍女たちの耳にはマリナの弾けた笑い声だけが響く。
初夏の風はどこか清々しく通りを喧騒とともに吹き抜けていった。




