第68章 生命学の権威
大学の正門を抜けると木々に雪を纏ったままの広い並木道が続く、名誉館長に紹介された研究室を探して敷地内を歩く。
研究室の室長は女性だと聞かされていたし、何かと女性同士の方が話もスムーズにいくかと・・・今日はアニーがひとりで訪ねることになった。
広い敷地内でようやくお目当ての研究室を見つけた。
研究員に連れられ室長の部屋へと通された。
「はじめまして、図書館の名誉館長さんのご紹介でお伺いさせて戴きましたアニー・ベルハートと申します」
「お待ちしていましたよ~さぁ、どうぞどうぞ!」
年の頃は40代後半か50代前半に見える女性が、捲りかけの書物をそのままに机から立ち上がり、アニーを応接セットへと手招きした。
彼女の机にはたくさんの書物が山積みになっている。如何にも研究室の研究者の机という感じがした。
自分にとって母親みたいに見える彼女は、黒ぶちのメガネに白衣がとてもよく似合っている。
「室長が生命学や薬草学の権威だと館長からお聞きしています」
「権威かどうかは分からないけど、長年やってるだけよぉ~!あっ、そうそう自己紹介まだだったわね~失礼しました。私はヤーナ・アディントンです。宜しくねアニーさん!」
「よろしくお願いします」
「まぁ~気楽にいきましょうよ~ふふっ」
メガネの奥の瞳が優しくアニーを見つめる。
研究者と言えば堅苦しく難しい人を想像していたが、まったく以って逆だった。
話を真摯に聞いて貰えそうで少し安心した。
「はい。今日はお訊ねしたいことが有って・・・」
「はいはい、聞いてますよ~見た目はエルフのお嬢さんにしか見えないけど、実はハイエルフだってことも・・・これは口が滑っても誰にも口外しませんから安心して下さいね!」
「お気遣いありがとうございます」
「『金の実』の話もリンデンバーグ先生から覗っています。事前に大まかには聞いていますので大体の事情は呑み込めているつもりです!」
ヤーナの口振りからも名誉館長から概ね話は伝わっているようだ。
「はい・・・」
「私に訊きたいことはどういうことかしら~ふふっ」
「わたしたちハイヒューマンとハイエルフは血脈を残せないと言われています。ところが『金の実』を授けてくれた精霊ヨトゥンさまが、不可能では無いとおっしゃりました。それは『この世界の理』を越えることになってしまいますが、君たちがそれを越えろと・・・」
「うんうん・・・誰も疑問にも思わなかったことを変えてみようとあなた方は考えたのね!」
「越えられるのかどうかも分かりません。けれど、もし可能なら彼の子供を授かりたいと・・・それでご相談に参りました」」
「まず最初に教えてちょーだい!アニーさんは彼と体を重ねたことはあるのかな?」
「いえ、まだ・・・ありません」
アニーは少し恥ずかしそうに頬を染めながら躊躇いがちに答えた。
「まあ、彼もけっこう律儀なのか真面目なのか・・・こんな美人に手を付けないなんて~うふふっ」
この世界は一夫多妻が認可されている為でも無いだろうが案外性分化に関しては鷹揚なんだろう。
ヤーナはそんな中で将来『番』になるべくふたりが意外にも純情なのが可笑しく思えた。
「彼は・・・私がいまだ封印状態なので精神的にも肉体的にも不安定なのを気遣ってくれているんだと思います。だから・・・わたしが我慢させているのかも知れません」
「なるほどねぇ~~でもね、アニーさんは彼に抱かれた方がきっと安定すると私は思います!女ってそんなものよぉ~ふふっ」
「そうなのでしょうか?~~何か恥ずかしいです。あはっ」
アニーの弁解のような説明に彼女は真逆の見解を示して笑った。
言われてみればそうかも知れないと思う自分が可笑しくなって笑えてしまう。
そんなアニーの表情を笑顔で見つめながら、ヤーナはもどかしいふたりの関係をズバッと言葉にした。
「まぁ~それは二人の問題だから私が兎や角言うことでもないけれど・・・思い切って抱かれちゃいなさいよ!」
「へっ?!・・・あぅ」
あまりにも呆気らかんと言われたその言葉にアニーは一瞬戸惑いを感じた。
けど、彼女が云うように・・・確かに抱きしめられるだけでも心が落ち着く。
でも恥ずかしくてショーヘイにそんな事を自分の口から言えない・・・アニーはそう思うと照れてしまい俯いてしまった。
「ホント可愛いわねぇ~あなたは!」
「・・・・」
「それはさて置き、専門的な用語を並べても解らないでしょうから、簡単に理解しやすいようにお話していきましょうかぁ~!」
ヤーナはアニーを先程までとは違う研究者の目で見つめ直した。
「はい!」
「まずね、『神の領域』的な話は置いておいて、医学的な見地から言うと『金の実』を使えば受胎することは可能だと思われます!」
「えっ!・・・」
アニーは彼女のその言葉に驚いた。
正直難しいと言われる確率の方が高いだろうと覚悟はしていた。
「あなたと彼の分泌液を調べたらもっと早く解るんだけど・・・今のあなたはいくら望んでも受胎しない体なの!」
「そうなのですか・・・」
「過去に記録がひとつだけあるのよ・・・私も知らない時代だけど、シフォーヌ様があなたと同じことで悩まれた時期があったみたいなの!」
「はい。子供が欲しかったと聞いています」
「その時の分泌液を調べた記録があるのよ・・・」
「はい・・・」
「結果から言うと、受胎は絶対できないようになっていたの!」
ヤーナは館長から話を聞いた時点から、わざわざこの日の為に時間を割いてまで資料を漁ってくれたんだろう。
「・・・・」
「それはねぇ~分泌液の中に精子と卵子がないの!・・・わかるかな?」
「はい・・・」
「たぶん『神の領域』的に言うと作れない体になっている・・・それは意図的に作らしたく無かったとも考えられます。人間だもの性的欲求はあって当たり前だし行為もできるけど・・・受胎する基が無い」
ヤーナは更に言葉を続ける。
「医学的見地から述べると精嚢も卵巣も一般人と同じく存在しているのにそれが正常に機能していないと言うこと・・・作られるべきものが作られない機能不全状態ね。その原因は不明ですが」
「それはわたしたちも同じ状態と言うことですか?」
「そう言えるでしょうね~」
ヤーナには神秘的な『神の領域』は理解できないが、医学的に今おかれている状態を判断することはできる。
でも考えたら何故そうなっているのか・・・不思議に思えた。
「あぅ・・・」
「でもあなたたちは可能性があるじゃない!『金の実』を授けられた・・・ここが大きく違う!」
「ジロータさまとシフォーヌさまは適齢期に『金の実』を手に入れる機会が無かったってことでしょうか?」
アニーはふと疑問に思った。
シフォーヌたちは何故『金の実』を授かれなかったのだろう。
「それは私には判らないわぁ~~でもそれが『理』なんじゃないの?・・・ところがあなたたちは手に入れてしまった。神がそれを許したってことでしょう?」
「そうなのでしょうか・・・」
「そうとしか考えられないじゃない!うふふっ」
「はい・・・」
ヤーナの言葉は真意に思えた。わたしたちが手に入れたことが『理』を越えろという暗示にさえ思えた。
でも今は考えても仕方ない。為るようにしか為らないんだから・・・アニーはそう思い直した。
「『金の実』が受胎効果がある理由は・・・精子と卵子を作り活性化させる効能があるからよ!わかる?」
「はい、理解できます!」
「まずは『金の実』を煎じて飲みなさい。続けることで体質が改善されて行く可能性があります。直ぐには無理でしょうけど継続することで変化していく筈です。何もやらないよりイイでしょう?」
「はい!」
「でもね・・・副作用もありますよ!」
ヤーナはそう言うとニヤッと笑ってアニーの顔を覗った。
「へ?・・・」
『性欲も増進されるから・・・どうする?うふふっ』




