第60章 取捨選択
「ありがとう・・・おふた方に、心より感謝申し上げます」
そう言葉にすると、エリシアはロークとクロエに対し、見栄も体裁も無く深々と頭を下げた。
王族たるものがこうも気安く臣下に頭を下げて良いものかと逆にロークはその行為自体に戸惑ってしまい、どう声を掛けてよいのやらオロオロするばかりだった。
それを見かねたクロエがエリシアの手をそっと取った。
「妃殿下・・・妃殿下のお心が少しでもお安らぎになる手伝いができたことが嬉しゅうございます。顔をお上げになって下さい~~私共には勿体なさ過ぎます!」
「いえ、私はおふた方に気苦労掛けた事に対し何も報いることができません・・・お赦し下さい」
エリシアはクロエの手をギュッと握り返したまま溢れる涙を拭おうともしなかった。
クロエの頬にも熱い涙が伝ってゆく。
「勿体ない・・・そのお言葉だけで充分で御座います!」
ロークは片膝をつき、エリシアの御前に頭を垂れた。
たぶん、エリシアの抱える憂いの半分以上を占めていたであろう懸念・・・いや、それはほぼ全てだったのかも知れない。
残るは夫であり元第一王子であるロザーリオの身、そして己が身だろうが・・・きっとエリシアにすれば、それは時に身を委ねることしか術の無い事柄であることは理解できているであろう。
まして、良からぬ悪事を企むロザーリオの身に関しては、自分自身を顧みることができないなら救いの手は伸びて来ない。
愛する子供たちの安全が保証されるなら、後はどうなってもよい・・・そんな悶々とした日々をこれまでずっと流し続けてきたんだろう。
望んでも、望んでも、叶わないこともある。
でも意を汲んだ誰かがその道筋をつけてくれることもある。
そう信じてきた想いがここに実を結んだ。
それだけで嬉しかったに違いない。
・・・・・・・・
ロークとクロエは、ずっしりと肩に圧し掛かっていた重荷が一気に下りた感じがして、精神的にも少し重圧から解放されたような面持ちになっていた。
だからと言って、何も大仕事が終わった訳でもすべてが解決の方向へと向かった訳でもない。
ただ、好々爺が示してくれた策を持ち得ることで、僅かながらも一歩前進することができただけ・・・課題なんて山積されている。
だから、全ての歯車が上手く噛み合いだしたのではないかという自惚れや錯覚に陥ってしまってはいけない事など重々承知していた。
でも確実に言えることは・・・
エリシアの憂いをひとつ消し去ることができたのは間違いのない事実だろう。
「少しホッとしたなぁ~・・・」
「そうねぇ~・・・でも、まだ始まったばかりよね?」
ロークとクロエは遮るものが何ひとつない青々と広がる草原の中でしばし立ち止まった。
照り返す陽射しが眩しかったが・・・その眩しさが妙に心地よかった。
ふたりは手を額に翳し、遠景をぼうっと見つめながらそんな風に感じた。
「ああ・・・そうかもな」
「うん・・・そうなりよぉ~イヒッ」
『最初から最善策などあろうはずも無かろう。それは己の心の欺瞞がそう思わせる幻影じゃ!まずは可能な事、出来る事からやればそれで良いのじゃよ~』
潮の香りをいっぱいに含んだ海風が、好々爺のそんな言葉と一緒にふたりの心を擦り抜けていった。
「あっ、そうだった!アニーちゃんにもメール送らないと・・・きっと心配してるだろうし~」
「そうだったなぁ~・・・でもさぁ~人と人の繋がりって、ホント不思議だよな!」
「今さらなりか?・・・」
「ああ・・・特に今回はさ、そう思い知らされた気分だわぁ~」
「ええ・・・そうかもね」
青い空と蒼い海、そして広がる緑の絨毯の中の土煙上げる小径・・・
飛び込んでくる景色は相変わらず浮世離れした原色のままの美しい世界だった。
・・・・・・・・
『ジークランド卿、クロエ殿・・・本当によくやってくれた!』
『そしてホランド師・・・その助言に心より感謝申し上げます!』
誰もいない執務室でマリナは心の奥底から湧き上るような安堵感と共にそんな感謝の独り言を洩らした。
そしてテラスから吹き込んでくる風に髪を揺らしながら、誰にとはなくお辞儀をせずにいられなかった。
気持ちがそうさせたのか・・・
人としてあるべき姿がそうさせたのか・・
偽らざる彼女の本心からの自然なる行為だった。
今回思い切ってロークとクロエを向かわせたことが正解だったと実証されたことが何より嬉しい。
そしてふたりがこれ以上ない進言をくれたこと・・・
その過程でホランド・ベルハート師と巡り逢えたこと・・・
それが偶然だったのか必然だったのかは判らない。
けれど、『縁』が惹き寄せ合う波長が繋がり合ったことは紛れもない事実だろう。
この世界の理の不思議さを改めて再認識させられた気分だ。
そんなことを脳裏に浮かべながら・・・
マリナは深々とお辞儀をしたまま、風を纏いながらしばらく佇んだ。
執務机に戻ったマリナは、自身を実質の後見人に甥と姪を預かることを約束し、即座に手配へと取り掛かった。
ロザーリオにすれば、息子や娘が憎々しく思うマリナの世話になることすら面白くないであろう。
だから表面上の後見人は妻の実家であるパンティオン皇王とし、アドリア王国へ留学という形にしておいた。
もちろんアドリア王家の血筋が自国へ留学なんてことはどこからどう考えても不自然なのだが、波風を立てないように配慮するならばパンティオン皇国からの依頼とする方が何かにつけて差し障りが無い。
孫の身を気遣う隣国の皇王からの要請なら誰しも無碍にはできまい。
王太女としても肉親としてもそうすることが今の時点では最善策に思えた。
『学校か・・・抜かっておったわぁ~』
寧ろ、そう考え着くことが遅かったというきらいも無きにしも非ずなのだが・・・彼女にとっては、何を差し置いても敬愛するエリシアに対し、その策を持ち得ることで力になれることが嬉しかった。
『義姉上さま・・・もうしばらくのご辛抱を!』
・・・・・・・・
「大将、これからはどういう予定なんだ?」
ディルクは小瓶の酒をあおりながら俺を見つめ、そう問うてきた。
『燈篭流し』の幻想的までの美しさにいつまでも酔っているわけにもいかない。
現実はすぐ目の前にある。
「うん、ディルクさんにも道中で話したように、我々は極秘の任務を熟さなければならない・・・まずは、ポートルースの街を闇雲に動くなんて非効率的なことは避けたいので、みんなの意見も聞きながら予定を組んで行きたいと思ってる。どうかな?・・・」
俺はみんなの顔を見回しながらそう言葉にした。
誰もが沈黙の中で小さく頷いた。
我々は狭いながらもルーカスとディルクの部屋へと集まった。
小さなテーブルの二脚の椅子に俺とディルク、ルーカスは窓際の壁に立ったまま腕組みをし凭れ掛っていた。
ソニアとマーゴットは手前側のベッドに腰を下ろしている。
アニーはサーシャと先にお湯を戴いているようだ。
「シュトラウスの足跡を一から洗い直すってことか・・・」
それは雲をも掴むような話ではないのかと然も言いたげに、ディルクは難しそうな顔つきで天井を見上げた。
その視線に釣られるかのようにソニアとマーゴットも高くもない天井へと顔を向け首を少し傾げる。
そんな彼らに、俺は笑顔で言葉を繕った。
「いや、アドリア王国の賢人たちからもある程度の場所は絞ってもらっているんですけどねぇ~」
「おぉ~~それはスゴイな!」
俺の返答に視線を戻したディルクは、少し驚いたような表情をした。
それと同時に答えの解ってる任務なら簡単だろうというように肩を竦めて見せた。
確かにポイントは絞られている。
けど、それが正解なのかどうかなんて今の時点では全く以って不明である。
所在地もそうだろうが、『伝説の黙示録』自体が何なのか・・・
それが書編なのか石板なのか、はたまた木片なのか・・・それさえも判らない現状では語れることは多くない。
「ははっ、でも全くのお門違いかも知れないし・・・答えなんて誰にもわからないですよ!」
「なるほどのぉ~~そりゃそうじゃろうて!」
「はい。そういうことです!」
そう・・・誰にも解らない謎。
だから存在を知った者たちは躍起になって探そうとする。
「少し意見イイですか?・・・」
俺たちのやり取りを黙ったままじっと聞いていたルーカスが急に口を開いた。
そんな彼へと全員の視線が集まる。
「うん、何でも構わないよ~俺に解ることなら~ははっ」
「そもそも『伝説の黙示録』って一体何なんでしょう?・・・何でそれが世界を大きく変えてしまう代物なんでしょう?・・・全然呑み込めないんですがぁ~」
ルーカスは苦笑いを浮かべながら髪をゴシゴシと掻いた。
彼の思考回路を悩ます大きな疑問なんだろう。
俺だって正直なところ解らない。
「わたしもその辺りのことが知りたいかなぁ~・・・ふふっ」
「ですよねぇ~・・・わたしも!」
マーゴットもソニアもルーカスの疑問に同意するかのように頷いた。
理路整然としない蟠りがあるんだろう。
ディレクもどこか釈然としないような顔つきで小瓶の酒をグイッと口に含んだ。
疑問は疑問を呼ぶ・・・
「何で」と思い出すと全てが『?』になってゆく。
「そうだよねぇ~・・・これが解答になるかどうかは判らないけど・・・」
「ん?・・・」
「神がシュトラウスに託宣した言葉・・・それはこの世界に伝わる理なんだと言われているんだ」
「・・・・」
「そして、シュトラウスはその神託を『取捨選択』した・・・伝えて良いものと伝えない方が良いと思われるものと!」
「・・・・」
「伝えない方が良いと彼が考えた理・・・それが『伝説の黙示録』と思われているんだよ」
この部屋に居る誰もが息を潜めた。
そしてその沈黙の空間の中で、魅入られたように俺が放つ言葉という言葉を前のめりになって待っていた。
『この世界には「表の理」と「裏の理」があるってことさ・・・』