第59章 魂の安息日
車窓から覗き込んだ先に見える光景は、ロトリア川の岸辺に集まる無数の人影であった。
この暑さが茹だる時間帯に何かイベントでもやっているのかと、不思議な想いに駆られながら遠目からであるがじっと目を凝らしてみる。
しかし、目は凝らしてみるものの取り囲むように集まる群衆の背中しか目に入らない。よって、囲む先にあるであろう状況など伝わってくるはずもない。
当然ながら車内の全員の頭上に『?』が幾ばかりか灯り始める。
「何だろう?・・・」
「何しているのかしら?・・・」
「子供たちが走り回ってるから深刻な問題じゃなさそうだなぁ~・・・何だろう?」
「お祭り?・・・じゃないですよねぇ~あぅ」
ソニアは顎に人さし指を当て右に首を傾げている。
「何、何?・・・お母さん、アレ何やってるの?」
サーシャは再び母親に催促するかのように目をキラキラさせながら訊ねる。
きっと好奇心の塊であるこの年頃の幼子にとっては、目に映る全てがその対象なんだろう。
けれど、飛び込んでくる景色が人の背中ばかりじゃアニーだけでなく誰にだって解るはずもない。
「女性や子供が多いですねぇ~~何か作ってるのかしら?・・・」
「ですねぇ~~どちらかと言えば楽しそうな感じですよね?」
アニーの言葉にサーシャを膝に抱えたマーゴットも外を眺めながら答える。
そんな推察も推理も儘ならぬ疑問だけが飛び交う空間に、御者たちもその光景を同じように横目で流していたのだろう。
車内から洩れくる疑問に・・・
「少し止まりましょうか?」
御者席からひとりの魔導士が背もたれの後ろにある小窓を開け声を掛けてきた。
きっとサーシャの好奇心に気を利かしたしんだろう。
魔導馬車は河原の人並みを流しながら次第に速度を落としてゆく。
「あぁ~~~きっと季節柄、燈篭流しの準備でもしているんじゃないですかね?」
片割れの御者が笑顔を浮かべて小窓から中を覗き込みながら説明をくれた。
参加した経験があったのか見知っていたのか判らないが・・・岸辺に集う群れに対しそう推察する。
「あぁ~~なるほど!」
その御者の言葉で何となくその光景の意味が俺には理解できた。
『この世界にもあるんだなぁ~~祖先を大切にする風習が・・・』
『次元間の文化の違いはあっても深層に流れる血の根源に対する敬意は同じなんだぁ~』
「知ってるのですか?・・・」
「何じゃそれは?・・・」
御者の推察に相槌を打つ俺にみんなが不思議そうな顔を向けて来る。
『燈篭流し』を知らない者にすれば当然だろう。
元の世界で言えば、お盆に帰ってきた死者の魂を現世からふたたびあの世へと送り出す行事ってなところだろうか。
転移者が始めたのか誰が始めたのか・・・この日本独自の風習が、どうもこの世界でも夏の風物詩として存在しているようである。
きっと花火大会などもあるのかなと想像してしまうと、やっぱり日本とこの世界はリンクしているのではないかと改めて思ってしまう。
「元の世界でもそんな行事があったよ。まぁ~俺はやった経験無いんだけどね~ははっ」
『燈篭流し』という風習は聞き知っている程度だけど、それに似たものなら知っている・・・
幼い頃に、お盆に先祖を迎える為にと、『きゅうりの馬』と『なすの牛』を割り箸を足替わりに作った記憶がほんわかと蘇る。
きっと先祖の霊が戻って来る時には『きゅうりの馬』に乗って一刻も早く家に帰って来てもらい、少しでも長くこの世にいてもらおう・・・そして帰る時には『なすの牛』に乗って景色を楽しみながら ゆっくりと帰ってもらいたい・・・そんな願いが込められていたんだろうと思う。
懐かしきひとコマが脳裏に浮かんでゆく。
俺は知っているだけの簡単な触りを頭に『?』を付けているみんなに説明をしてやった。
実際、田舎育ちの俺でさえ、地元に『燈篭流し』なんて風習があったのかどうかも知らない。
知らないというより、寧ろ知ろうとさえしなかったと言うのが正解だろう。その上、大学を卒業してからは、大都会の雑踏の中でルーティンワークのように只管流す日々に追いたくられ、そんな遠くもない昔を偲ぶことさえも忘れ去っていた。
今考えるとそんな自分が少し恥ずかしくもあるが・・・
「なるほどのぉ~~」
ディルクは腕組みをしながら俺の言葉に感心したように頷いた。
どんな誰にだってルーツがある。
脈々と祖先から受け継がれてきたものもあるだろう。
独自の文化であり、相伝の秘儀であったり、家伝の魔法であったり・・・血脈を越えたものもあるだろう。
伝えられたものだけでなく、伝えた者たちを偲ぶ日があったって良いはず。
日本人特有の考え方なのかどうかは知らないが、そうやってこの時期に所謂里帰りしてきた先祖の魂を大切にもてなす風習は人間形成上あるべき姿のように思えた。
人間誰しも一人で大きくなったわけではない。周りに支えられたからこそ今がある。
きっと、感謝や恭しさを抱き、それを忘れない為の行事なんだろう。
俺たちは街道脇に止めた馬車から河原へと下りてみた。
確かに御者のひとりが言ったように燈篭を作っている光景が広がっていた。
切り出された材木を製材した時の切れ端だろうか・・・
無骨ながら四角い板に燈篭を作っている子供たちやその母親たち、そして指導する年寄りたちの顔に暑い最中にも係わらず優しい笑みが溢れていた。
そんな姿を目の当たりにすると、作業を覗き込むこちらの顔までほころんでくる。
物珍しさも手伝ってか、うちの女性陣はその輪の中に溶け込んでゆく。
俺はただその光景に微笑んだまま僅かなら渡ってくる涼風を纏ってじっと見つめた。
きっと夕闇が迫る時間帯から流し始めるのだろう。
夜になれば下流の光景は灯った光が映し出す川面に優美で雄壮な景色と時が流れてゆくのであろう。
俺自身もなのだが・・・
旅先の経験として、サーシャには是非見せてやりたい。
陽が陰ったら繰り出してみよう。
・・・・・・・・
少し予定外の出来事に旅程は狂ったが、一刻を争う理由ではないのだから旅の気分を味わうのも悪くは無かろう。
今夜はアバディーン王国からロンバルディア皇国へと越境した最初の村・ナルビックで泊まることにした。
ここから首都ポートルースまでなら魔導馬車で1日半ほどあれば着く距離である。
大ローラン帝国の旧都ファーナムへの主要街道にある宿場町的な位置付けの村なんだろう。小さいながらも宿屋が数軒並んでいた。
野営設営地にテントを張って野宿するには事前準備も必要だし時間も要する・・・走り疲れた上に夕闇に包まれる時間帯だ、宿場町であるなら空き部屋を探す方が当然手間が省ける。
俺たちは尋ねた2軒目の宿屋でツイン部屋4室を確保できた。
俺とアニーとサーシャで1室、ルーカスとディルクの男性で1室、ソニアとマーゴットの女性で1室・・・そして御者2名で1室。
気分的にも、安堵感でホッとし胸を撫で下ろした。
本来、旅なんて、今夜の寝床を探すことから始まるもんだが、今までは訪れた先での好意でいろいろと手厚いもてなしを甘受させてもらってきただけに、久々に『今夜の寝床を探さないと・・・』と正直人数が人数なだけにそんな焦りが生じていた。
無ければ無いで、夏場だし野営地もあるわけだからそれはそれで焦る必要も無いのだが、できれば移動の疲れはベッドの上で癒したい。
贅沢と言えば贅沢な思い上がりなのかも知れないけれど・・・
俺たちは宿で旅装を解いたのち、闇に包まれ出したロトリア川の岸辺まで歩いてみた。
昼間目にした『燈篭流し』の準備がどういう風に形を成してゆくのかどうしても見届けてみたかった。
それは俺だけでなく全員がそう思っていたに違いない。
ナルビックという宿場町から街道まで、そしてロトリア河畔までは目と鼻の先にある。
「上手く流れてくるのかしら~」
「何か楽しみだなぁ~・・・」
そんな言葉を掛け合い微笑むマーゴットとソニアはどこかそわそわしているように見えた。
全員がそれとなく期待すような雑談を重ねながら街道より気持ち高い堤の上へと足を掛ける。
「あっ!」
「あぅ~!」
「こりゃ~~たまげたわい!」
誰彼となく驚きや溜息が洩れてゆく。
そこにはあまりにも幻想的な光景が漆黒の闇の中に広がっていた。
その光と闇のコントラストに身体ごと呑み込まれてしまいそうだった。
「あぁ~~~キレイ、キレイ!」
抱かえていたサーシャが目を輝かせながら川を指す。
闇の中に仄かな灯りを燈す燈篭が無数に流れゆく様は言葉で言い繕えないぐらい美しかった。
流れの中で揺れる温かい光が妙に心を擽りながら弾けてゆく。
装飾する言葉が思い浮かばない。
ただ絶句したまま沈黙と言う静寂を流すだけ・・・
誰もがその美しい光景を身動ぎもせずじっと見つめ続けた。
きっと岸辺に広がる水草の中から蛍も飛び交っていたのかも知れない。
大小の光が織りなす鮮やかなその光景は目に映した者にしか味わえない感動を抱かせた。
今夜は『魂の安息日』・・・
まるで心がやすらぎの中で洗われてゆくよう。
そんな感覚に浸れそうだった。
美しいと思う感情はひと様々である。
だから人間は面白いと思う。
それは『十人十色』『蓼食う虫も好き好き』なんて言葉で例えられることもある。
でも、美しいものは美しい・・・
捉え方がどうであれ、この幻想的な光景を美しくないと否定する者など誰もいないであろう。
そこには、故郷や遠い昔などを懐かしく感じ、それに心惹かれ、思いを馳せ、憧れや恋しさを抱くノスタルジックな感情を想起させるものがある。
それはきっと・・・この世界に転移したことで、自分の中に新しく見つけることのできた感情なのかも知れない。
そして、この美しい風習がこの世界に根付いていることが何より嬉しかった。
必然が偶然を装う森羅万象の理の中ですべてが流れてゆく時間軸に、魂という人間の根源を司る精神軸が静かに溶け込んでいった・・・
そんな気がする夜になった。