聖痕の乙女 第7話 ①
オリヴァーが旅立つ、その前日。
「だーーっ! くっそっ!」
「タリア、口汚くなってるぞ」
「……ごめんなさーい」
昼過ぎのオリヴァー邸の庭。
手入れされた芝生の上に仰向けに横たわったタリアと、ガーデンベンチに腰掛けて資料に目を落としているオリヴァーの姿があった。
「だって、この体がっ! この体が剣一つ振るえないのが腹立ってっ」
「その剣はまだ早いって言ってるだろ」
横たわって息を切らしているタリアの傍には、一般兵に支給される諸刃の剣を模した木刀が転がっていた。
「だってー、せめてこれが使えないと。早く使いこなせるようになりたいし」
「無理じゃね?」
「無理じゃな……え?」
オリヴァーの声ではなかった。誰の声かと顔を上げたタリアは、その姿を確認して飛び起きた。
「ギル! お帰りなさい!」
「……あー、お前もオリヴァーの里子になったんだった」
「そうだよ、ギルがいない間にね」
立ち上がったタリアは改めてギルバートを見る。
(うん。まだ少年っぽい!可愛い! なーんか親近感湧く顔立ちしてるんだよねー)
一年ぶりに再会したギルバートは前より少しだけ背が伸びて、髪も伸びてしっかり結べるようになっていた。
(あー、十代が近くにいるって新鮮!)
タリアはこの一年、同年代との関わりはほとんどなかった。特殊魔法の適正がある同年代は養成学校に通っていたし、適正を持たない子供は一般の学校に行くか家業の手伝いをしているからだ。
「あ、そうだ! 養成学校主席で卒業したの? 聖騎士養成学校に入学が決まった?」
「まーな」
「すっごい! ねー、強くなったんでしょう? 勝負しようよ!」
「……は? 勝負って、お前と?」
「うん! 剣で!」
「無理だろ。さっきまで剣に振り回されて、そこに転がってたじゃねーか」
「大丈夫!」
「大丈夫なわけあるか!」
帰宅したギルバートはタリアの剣の訓練の一部始終を見ていた。
タリアは木の剣を一振りするたび、その遠心力に体ごと引っ張られて剣に振り回され、それに体力を奪われて、終いには地面に倒れこんで悪態をついた。
まともに剣を扱えないだけでなく、疲れ切ったタリアと剣の勝負なんてできるわけがなかった。
しかしタリアはギルバートとの勝負を望んで目を輝かせている。
「おっ、勝負か。面白い」
ベンチで資料を見ていたオリヴァーはギルバートの帰宅にいち早く気づき、軽く手を上げただけの挨拶は済ませていた。
一年ぶりの再会となったギルバートとタリアのやり取りを邪魔しないようにしていたのだが、勝負と聞いてやっと腰を上げた。
「丁度いい。タリアにはこれを」
「短刀?」
「ギルのは俺の部屋にあるから、後でな。リアムとユーゴには聖騎士養成学校に入学が決まった時に似たようなものをやったんだ」
その短刀は聖騎士団専属の、前の世界の記憶を持つ刀鍛冶に作って貰ったもので、オリヴァー家の紋章と細かな装飾が施されていた。
「タリアのは特別に軽くして貰ってる」
「本当に軽い! いつも使ってる木の棒と同じくらい!」
タリアが練習用の木刀をまともに扱えないので、オリヴァーが新しく木を削って小さめの木刀を作った。
それでも扱えなかったので、どんどん小さく削られていき、最終的には短刀になっていた。
けれど時間を見つけては通常の、練習用の木刀をタリアは使いたがる。今すぐは無理でも、練習していればいつか扱える日が来ると信じて。
「その軽さなら扱えるってわかってるしな。さて、防御魔法かけておいてやる」
「オリヴァー! 正気か! って、タリア……まだ自分に魔法使えねーのかよ!」
「どうせ自分には魔法使えないままですよーだっ」
オリヴァーはタリアに防御魔法と身体操作魔法をかけた。これでしばらくの間はある程度の防御力が上がるし、身体操作魔法で素早さが上がる。
「正気だぞ? これでよし。タリア、ギルに一泡吹かせてやれ」
「了解しました!」
オリヴァーに敬礼したタリアは、短刀を丁寧に鞘から抜く。
銀色に輝く刃を見つめて満足そうに微笑んだ後、鞘をオリヴァーに預けた。
「ギルには俺の短刀を貸してやる。本気でやれよ? 魔法はいくらでも使っていいからな」
「ギルが怪我しても、すぐに治癒魔法使うから大丈夫ですよ」
「……冗談だろっ」
「さ、始めましょう!」
意気揚々と剣先をギルバートに向けるタリア。
二人から少々距離を取って、意味ありげな笑みを浮かべるオリヴァー。
二人には何か秘策があるらしいと察知したギルバートだったがーー
「勝負なんてする意味あるのかよっ」
勝負は避けられないようだと理解し、背負っていた荷物をオリヴァーの足元に放り投げた。
渋々、といった様子で、オリヴァーの短刀を鞘から抜く。
「それでは、始め!」
オリヴァーの掛け声に、タリアが走り出す。
一撃、二撃、カウンターを挟んでの三撃。タリアは他の人より身体能力は劣るし持久力がないものの、瞬発力だけはあった。それに身体操作魔法が加わって、かなりの速度で攻撃を仕掛けていく。
しかしその攻撃は軽く、攻撃系魔法の身体強化と防御系魔法の身体操作を使わずとも、ギルバートにとっては躱すに容易い攻撃だった。
どうすればこの勝負を終わらせられるだろうか。
できることならタリアに怪我をさせないで終わりたい。
そんなことを思ったギルバートは、攻撃系の身体強化と防御系の身体操作の合わせ技でもある回避魔法を使い、タリアよりも速く動いた。
左手でタリアが短刀を持つ右腕を弾き、右手に持った短刀を持ち替えて振り下ろす。短刀の柄頭さえタリアに当てられたら、それで終わると思ったのだ。
ふと、ギルバートの目に、タリアの微笑が見えた。
「……え?」
次の瞬間にはギルバートの右手首を掴んで、真近でニッコリと微笑むタリアがいた。
「私の勝ち」
ギルバートの首には細く冷たいものが触れていた。
「やったー! ギルに勝ったー! オリヴァーさーん!」
飛び跳ねるようにギルバートの前を離れたタリアは、そのまま全速力でオリヴァーに飛びかかった。
「おお! よくやった! 完璧だった!」
飛びかかったタリアをそのまま抱きとめ、くるくる回りながら褒めちぎっているオリヴァー。
その様子をギルバートは呆然と見つめていた。
「騒がしいと思えば……ギルバート様、お帰りなさいませ」
屋敷から出てきたカーラが深々とお辞儀をする。
「お荷物は、洗濯物以外はお部屋にお持ちいたしますね。タリア様! まだそんな汚らしい格好で……オリヴァー様も! 昼食が済んだらお着替えをと、お願いしましたよね?」
「はい」
「すまん」
抱き合ったまま萎縮するオリヴァーとタリアの足元からギルバートの荷物を持ったカーラが、眼光鋭くギルバートに視線を向ける。
「ギルバート様も、今日は来賓の方々もいらっしゃいますので、きちんとした身なりにしていただきませんと」
「……はい」
「ではタリア様。お湯の準備はできてますので、体を洗ってからお着替えを」
「は、はい!」
オリヴァーから鞘を受け取ったタリアは剣を納め、カーラに付き従うように小走りで屋敷に入っていった。
残されたオリヴァーとギルバートはほっと息をつく。
「カーラ、相変わらず……というか、前より厳しくなったか?」
「タリアの教育係を任せたら活き活きし出してな。タリアも覚えが早くて」
「ふーん」
「あー、タリアが今着てた服な。お前が昔着てたやつ、勝手に使わせた」
タリアはいつも、聖騎士団の駐屯所に行く日以外は朝と夕方に訓練をしている。ただ、持っているのは貴族仕様のドレスが主で運動に向いていない。
どうせ汚すから新しいものはいらないとタリアが言うので、小さくなって着られなくなったギルバートのワイシャツとズボンを使っていた。
「別に構わねーけど……汚らしい格好って言われてたぞ。いいのか?」
「タリアは動きやすくて気に入って着てるんだが、カーラがヒラヒラしたのばっかり着せたがるんだ」
「ヒラヒラしたの、あいつ似合いそうだもんな」
「着飾ったらすごいぞ。うちの姫様は」
「それよりさっきの、なんだ」
「さっきの?」
「勝負の最後、何が起きたかわかんなかった」
「あれは……タリアの必殺技、かな」
早く着替えないとまたカーラに怒られるので、オリヴァーは手短に説明をする。
タリアは相変わらず自分自身に特殊魔法が使えない。
しかし防御系魔法の中でも『無効魔法』は敵に向かって使うものなので、その存在を知ってからのタリアは八ヶ月をかけて戦闘中に使えるように訓練を積み重ねた。
『無効魔法』は防御系魔法の使い手の中でも一部の人間にしか使うことは出来ない上に、戦闘中に使えるのはオリヴァーと聖騎士団第一部隊副隊長のぺニナのみという、かなり高度な技術を必要とした。
タリアは他のどんな魔法よりも『無効魔法』を戦闘中に使えるようになりたいと言って、そのための訓練ばかりをしたがった。
身体能力では劣るタリアであっても、身軽さを利用してどうにか戦えるように。と、オリヴァーもタリアのために試行錯誤を繰り返した。それが後にタリアのためになるとも思ったからだった。
敵はタリアの動きと攻撃の軽さに舐めてかかる。必ず隙を見せる。その隙を見逃さずに敵に触れ、『無効魔法』を仕掛ける。発動してるはずの魔法が急に消えると、相手は違和感を覚える。その一瞬を突く。
ただそれだけ。
ギルバートはタリアの力量を知っていて、剣を振りかざすこと以外の攻撃はないと踏んだ。
何度も降りかかる剣を避け、時に弾くだけだったところから、防御の姿勢を取った際にタリアに触れた。
その瞬間、急に発動していた魔法が消え去り、何が起こったのかと思った時には右の手首を掴まれて、喉元に短刀があった。
「まさかタリアに負けるとは」
「驚いただろう。お前には悪いが、タリアの力を知らない奴には通用するってわかったのは収穫だ」
「無効魔法。あれ、俺にも使えるかな」
「さーなー。聖騎士養成学校で教わるはずだ。今は必須になってたはずだし」
『無効魔法』は元々オリヴァーが編み出した、というか、戦闘中に偶発的に発動したものだった。それを防御系魔法研究所所長のドリスと共に研究し、実用化させた。
魔力が視えるタリアに言わせれば、『無効魔法』は本当に魔法を無効化している訳ではなく、魔法を発動させると作られる魔力の流れを少し乱すだけの魔法だった。
流れが乱れるので数秒間、その魔法の効果が途切れる。
体内の魔力の供給源は胸の中心あたりにあり、そこから全身を循環している。その中の一箇所を乱せば、全身が影響を受ける。ということらしい。
ただ、戦闘中において相手に触れた瞬間を狙って『無効魔法』を発動することは難しい。
攻撃系魔法の適正者で、しかも高等技術の部分障壁を使いこなせる者であれば『無効魔法』の発動に苦労はしないのかもしれない。
戦闘の最中、攻撃される瞬間に場所を特定してそこに小さな障壁を作る。そこに障壁が残っていると邪魔なのですぐに消す。それを繰り返し練習しているものならば。
しかしながら、特殊魔法の適正は基本的に一人に一つ。攻撃系魔法の適正者に防御系魔法の『無効魔法』の発動はできない。
「部分障壁、苦手だ。ってことは、無効魔法、俺、向いてないかも」
「あっはっは! たった一年で向きも不向きもあるか! 必要なのは慣れと経験。近道なんてないから焦るな。それより、タリアが終わったらお前も風呂入れ。最終試験が終わってすぐに来たんだろ?」
「……うん。早く知らせたくて。でも、もうタリアは知ってた。なんでだ」
「ははっ。ギルがもし昼過ぎに帰ってきたら嬉しい結果になった。もし夕食近くに帰ってきたら聖騎士養成学校に行けなかった。って、タリアに教えておいた」
「……」
「先に俺の部屋に寄っていけ」
屋敷の中に入った二人はそのまま応接室を通り抜けてオリヴァーの部屋へと入る。
デスクの上にはタリアの短刀よりも一回り大きな短刀があった。
「正直、これをいつギルに渡そうか悩んでたこともあった」
オリヴァー家の紋章の入った短刀。リアムとユーゴには聖騎士団養成学校に入学が決まった祝いとして渡したものと同じ。
しかし一年前までギルバートは特殊魔法はおろか、生活魔法すら使えなかった。
一般の学校に通わず兵士見習いとなったものの、若く、経験もない兵士見習いは剣や体術の訓練はするものの、与えられる仕事は町のゴミ拾い程度だった。
『生きる英雄』の里子で、兄達は聖騎士団に入隊。魔力を持たないギルバートは兄達と比較され、近くにオリヴァーがいることを僻む輩からの嫌がらせを受けてきた。
そんなギルバートにオリヴァー家の紋章の入った短刀を贈っても、持ち歩けないのではないか。そんな懸念もあった。
それでも、ギルバートが兄達の短刀を羨ましく見ていたことも知っていたので、オリヴァーは悩んでいたのだ。
「やっと、これを渡せる日がきたな」
デスクから短刀を取ったオリヴァーはそのままギルバートに差し出す。
両手でそれを受け取ったギルバートは、ただじっと短刀を見つめる。
「……俺、この家にいちゃいけないんじゃないかって、ずっと思ってた」
「……ああ、知ってる」
「俺のせいであんたが悪く言われるって、ずっと」
「知ってる。誰に何を言われようが、お前は俺の大切な息子だ。何も気にしちゃいなかった。でももう、それも過去の話だ」
ふと、タリアの笑い声が聞こえた。何を話しているのかまではわからないが、カーラの楽しそうな声も聞こえる。
その声に、やっとギルバートは顔を上げた。
「カーラのあんな声、初めて聞いた」
「ずっと、女の子がいなかったからな。孫みたいに可愛がってる。タリアも、怒られるのを怖がってはいるが、普段はあんな感じだ」
「一年ですっかり、この家の子供になってたんだな」
「だからこそ、みんな寂しがってる」
「……寂しがる?」
「あ、そういや……ギル、タリアをどう思ってる?」
「どうって……」
「その、恋愛対象として見てるか?」
「さー、考えたことなかった」
「そうか。あくまで形式的に、タリアは婚約することになった」
「へー、それはめでたいな」
「……反応うっすいな」
「あいつには感謝しても仕切れないとは思ってる。だけど、妹ってのも実感ねーし」
「可愛いなーとか思わないのか?」
「うーん……そう言うの、よくわかんねー。作り物みてーな顔だな、とは思うけど」
「そんなもん、か。ならいい。今夜、お前の卒業祝いでもあり、聖騎士養成学校の入学祝いでもあり、俺の送別会も兼ねての晩餐になる。その時、タリアの婚約について話すつもりだ。タリアが王城で暮らすことになるし」
「それで寂しがる、か。わかった」
「じゃ、夕食までゆっくり休んでおけ」
「ああ。これ、ありがと」
短刀を軽く掲げ、ギルバートは部屋を出る。
応接室を抜けると、タリアとカーラの声は一段と大きくなった。
「タリア様! そんなに乱暴に乾かしては絡まります!」
「あーもうっ、この作業が一番面倒くさい! 切りたい!」
「ダメです。って何度も申し上げてるじゃないですか」
「だってー」
「まったくもう。私がいないからって、髪が濡れたままで過ごしてはいけませんよ?」
「えーーっ」
「面倒だからと言って、髪を切ってもいけませんからね! ああ、こんなに綺麗な栗色の髪を切ってしまおうなんて、なんてもったいない」
「ふふっ、切りませんよ。こうしてカーラさんに髪を整えて貰うの好きですもん」
「……濡れたままで過ごさないとは、お約束いただけないんですね」
二人の笑い声を聞きながらギルバートは自室に入るとベッドに倒れ込んで、大きく息を吸い込んだ。
「はーー、落ち着く」
以前と変わらない家具の配置。洗い立てのシーツの匂い。
一年間の寮生活を経て、改めてここが自分の家なのだと実感する。
一年前までは静寂に満ちた屋敷だった。オリヴァーは騎士団長だったのでほとんど家に帰って来なかったし、執事のジェームズ一家とギルバートのみが暮らしていた。
こんなにも和やかな空気に包まれている屋敷は記憶にない。
しかし、それが心地よかった。
※ ※
夕暮れ前、休暇を取って自宅に帰っていたリアムとユーゴが家族を連れてやってきた。
来賓も参加する晩餐会とあって、全員が正装している。
屋敷の前には随分と前からオリヴァーが呼んだ写真屋が待機していて、リアム達の到着を待って写真を撮る。
「正装で全員集合なんて、滅多にない機会だからな」
そう言ったオリヴァーの要望で、孫達だけ、里子達だけ、など何パターンも撮り、最後には全員での集合写真を撮る。
その集合写真にはジェームズ一家も一緒に入った。
ジェームズ達は遠慮をしていたが、この屋敷に住む全員が俺の家族だから、と説得されて。
陽が完全に落ちた午後七時。オリヴァーの友人が三人ほど集まって、一緒に豪華な夕食を囲んだ。
その三人はタリアも初めて会う人たちで、オリヴァーは面倒だったのか、紹介は名前だけだった。
その日の晩餐はジェームズと息子のアランが精魂を込めて作った料理の数々が所狭しとテーブルに並べられていた。オリヴァーと、ギルバートと、タリアの好物ばかりだった。
いつもより人数が多いので立食形式。それぞれに好きなものを好きなだけ食べ、好きなように動き回れるように。
「たっだいまー! お腹すいたー!」
玄関から聞こえた声に、オリヴァーはため息。ドリスがやってきた。
ドリスはいつも夕食時にやってきてはご飯を食べて帰っていく。
いつもならば食事の時間に合わせてやってくるのだが、この日は一時間ほど遅れてやってきた。
「ほら、遠慮しないで入りなよー」
しかも、連れがいるようだった。
「よっ、お待たせー」
「誰も待ってない。誰もお前を呼んでない」
「そんな冷たいこと言わないでよっ。今日はオリヴァーが会いたがってた人を連れてきたんだから!」
ドリスの背後から現れた人物を見て、壁際に置かれた椅子に座っていたオリヴァーが勢いよく立ち上がった。ついでリアムとユーゴも姿勢を正し敬礼をする。
「ウィル! 久しぶりだな!」
「お久しぶり、でもないですよ。すみません、こんな大切な日に来てしまって」
「構わん! 来てくれて嬉しいぞ!」
ウィルと呼ばれた男性はリアムとユーゴに向かって頷くと、二人は敬礼をやめて席に座った。
(うっわ、まさかの父様超えっ! 誰?)
オリヴァーと親密そうに抱擁を交わすのは、短髪の銀髪で、瞳は透き通った青。タリアから見て超絶美形の父マティアスをも凌駕するほどの美貌の持ち主だった。
「紹介する。ウィリアムだ」
「聖騎士団第一部隊の副隊長兼、特殊魔法の研究員をしております。招待もされていないのに突然押しかけて申し訳ありません」
「いいっていいって! さ、ご飯食べよう! わー! 今日は一段と美味しそう!」
「物乞いに出す飯はねー! ウィル、ほらここ座れ。どうせ忙しさにかまけて飯食ってないんだろ」
「ちょっとオリヴァー、扱い違すぎでしょう! ウィルを連れて来たの誰だと思ってんの? アタシがどれだけ大変な思いしてウィルを引っ張って来たかわかる?」
「ウィルを連れてきた功績は認めてやろう。飯、食っていいから静かにしてろ」
「うっわ、冷たい! アタシ泣いちゃうよ?」
オリヴァーはテーブルの横に椅子を二つ持ってきて、そこにウィリアムを座らせる。そして自分も隣に座った。
最初から晩餐会に出席していたメンバーの食事はある程度済んでいたので、残り物ではあったが料理の全てを食べ尽くしても構わない状態だった。
オリヴァーはウィリアムの前にあれやこれやと料理を並べ、強引に食事をさせようと世話を焼いている。
一方でドリスは完全に無視されていたが、気にせず自分で椅子を持ってきて食事をし始めた。
(副団長で特殊魔法の研究員……どうりで会ったことないわけだ)
週に一度は聖騎士団の駐屯所に通っていたタリアだったが、ぺニナともう一人いるという副団長には会ったことがなかった。
団長は外に任務に向かう時と休日以外は国王の側にいると言われていたので、会う機会も少ないのは理解できたが、もう一人の副団長に会えない理由は聞いたことがなかった。
それが今になって、会えなかった理由を知る。
(すっごく綺麗な銀髪……もし女の人だったら、この人もスティグマータの乙女の可能性ありって言われていたのかも)
『スティグマータの乙女』は銀髪だと言われている。ウィリアムの髪は灰色に近いが銀髪は銀髪。
その上、聖騎士団第一部隊の副隊長になれる実力があるのだから、もし女性なら『スティグマータの乙女』の可能性があると言われていてもおかしくない。
(あ、やばっ。目が合っちゃった)
じっと観察していたタリアに気づき、ウィリアムが視線を向けた。
「あなたがタリアさんですね。ぺニナ副隊長から色々聞いてますよ」
「聖騎士団の皆様にはいつもお世話になっております」
「あ! そうだ! ウィルの研究のことさー、タリアちゃんに聞いてみなよ!」
「ドリー! 静かに食えって言ってんだろ! それに、ここに仕事の話は持ち込むな! 飯が不味くなる!」
「ふぁーい。あ、リアム、そこのお肉取ってよ」
ドリスの来訪で一層騒がしくなった晩餐。オリヴァーは本当に嬉しそうにウィリアムと談笑している。
「ねー、ギル。ウィリアムさんってどれだけ強いか知ってる?」
タリアは我慢できず、一人、壁に寄りかかって食事をしていたギルバートに小声で聞いた。
「もちろん知ってる。史上最年少で聖騎士団に入団した人だ」
「へーっ!」
「攻撃と防御の二種持ちで、まだ十代だったと思う」
「え? 十代で副隊長なの?」
「聖騎士団って実力主義だから。噂だけど、今の団長より強いって聞いたことある」
「うっわ、本当にすごい人なんだね」
「ああ。とりあえずのオレの目標」
「そっかー。同じ二種持ちだしね」
ウィリアムはどこかの貴族の生まれで、養成学校に通ったことはなく、いきなり聖騎士養成学校の入学試験を受けて合格。十六歳で聖騎士団に入団。その後すぐ、当時団長だったオリヴァーが副団長に任命したほどの実力の持ち主だった。
「聖騎士養成学校在学中でも、希望者は見習いと同じように実戦に参加出来る。それで実力を示せればそのまま聖騎士になれるって、最初に証明してくれた人でもあるんだ」
「実戦に参加って、どうやって?」
「今、クオーツはどことも戦争してねーけど、他は違う。常にどっかの国境付近で小競り合いしてるし、傭兵に紛れて戦闘に参加するらしい」
「……それって、かなり危険なんじゃ」
「当たり前だろ。戦争なんだから」
「そう、だけど……」
「おいそこ! なに暗くなってんだ!」
オリヴァーに一喝されて会話は中断。ギルバートは何事もなかったかのように、他の人たちとの会話に混ざった。
しかしタリアは他の人と会話する気にならず、それでも場の空気を濁さないようにとギルバートにくっついて行って、笑顔で相槌を打っていた。
戦争、という言葉が頭にこびりついて離れない。
これまで一度も、戦争を身近に感じたことなどなかったからだ。
前の世界でも日本という国で生まれ育ち、世界のどこかで戦争や紛争は起こっていたが、それをニュースで知る程度。
この世界でもクオーツは約二十年間戦争に参加していない。タリアがこの世界で目覚めてからは一度も戦争が起こっていない。国内は平和そのものでだった。
だからギルバートが他国の戦争に参加すると聞いて初めて、戦争を身近に感じた。
知っている人が戦争で死ぬかもしれない恐怖が、すぐ後ろまで迫って来るような感覚を抱いた。
(オリヴァーさんも、リアムもユーゴも戦争で生き残って、ここにいるんだ……)
約二十年前の戦争での立役者とも言えるオリヴァーはもちろん、今、ギルバートから聞かされた内容を考えると、リアムとユーゴも聖騎士団に入団する前に、どこかの戦争に参加し、その中で力を発揮できたからこそ、聖騎士になれたのだ。
(この世界で強くなりたいって、つまり……そういうことなんだ)
この世界には魔法がある。魔獣もいる。しかし魔王は存在しない。
この世界での戦闘は対人が主で、対魔獣は人を襲うか町に侵入したかで必要に応じて。
つまり、この世界で強くなるということは、戦争と言う名の殺し合いで生き残ることなのだと、その手で人を殺すのかもしれないのだと、タリアはこの時、初めて気づいた。
全員の食事が落ち着く頃を見計らって、テーブルに並んでいた料理がデザートへと変わった。
そのデザートも食べ終わり、徐にオリヴァーが立ち上る。
自然と全員の視線がオリヴァーに集まっていた。
「皆、今日は集まってくれて感謝する。ギル、一年間ご苦労だったな。だがこれからが本番だ。頑張れよ」
オリヴァーはギルバートを労い、一つ咳払いをする。
「まー、今日はしばらくレオを離れるからみんなの顔が見たくて呼んだんだが、もう一つ報告があって……タリア」
名前を呼ばれ、タリアが立ち上がる。
「タリアは明日から王城で生活することになった。というのは知っていると思う。明日以降に公式発表されるんだが、しばらくは騒ぎになる可能性があるんで、王城で保護される。というのが相応しい」
「王城で保護されるような騒ぎになるんですか?」
そう尋ねたのはユーゴだった。
「ああ。タリアが第二王子と婚約した」
「「はあーー??」」
オリヴァーとタリア以外の全員が一斉に声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って! タリアちゃんが? 第二王子となんだって?」
この声は立ち上がったドリス。ドンっと両手をテーブルに付き、身を乗り出して目を見開いている。
「第二王子と」
「婚約って言いました?」
この声はリアムとユーゴ。
「その話、もっと詳しく!」
「いつの間に第二王子と婚約なんて話に!」
「王子と、婚約?」
「タリアがお妃様になるってことですか?」
「しかも『婚約した』って言った? もうすでに第二王子の婚約者が目の前にいるってこと?」
「な? 身内でこの騒ぎだ。世間がどれだけ騒ぐかわからんからタリアは王城に住む」
壁際に立っていたカーラも卒倒しかけているし、他の面々はあんぐりと、開いた口が塞がらない。
ただ一人、オリヴァーの昔からの友人だと紹介された、帽子を脱ぎ、目が隠れるほど前髪を伸ばしたサンタクロースのような出で立ちの老人だけが、狼狽する面々を見て愉快そうに声を上げて笑っていた。
「第二王子の婚約者だし、タリアが外出するときには聖騎士団の護衛が付く。駐屯所までは自由に出入りするし、リアムとユーゴは度々顔を合わせることになるだろう。聖騎士見習いになったらギル、お前も。タリアが何か困っていたら助けてやってくれ」
名前を呼ばれた三人は、困惑しながらも頷いた。
「俺がレオに戻るまで、結婚とはならない。せめて、ここにいる者だけは、タリアを特別視しないでやってほしい」
王都レオに王族は多くいる。しかし国王の直系となると、第二王子と、第一王子の娘の二人のみ。
王位継承権第一位は第一王子の娘で、第二位は第二王子。もし、どちらかに何かあった場合、もしくは両方に何かあった場合、国王の直系が居なくなってしまう。
それを危惧し、国中の人間が第二王子の結婚を、世継ぎが生まれることを期待していた。
しかし第二王子は公の場に姿を表すことはなく、どんな生活をしているのかも一切公表されていない。
年齢だけは公表されているので、早く浮いた話の一つも聞きたいと国民は望んでいた。
その望みは叶うのだが、その婚約者が今、目の前にいるタリアだということに驚かずにはいられなかった。
明日、第二王子が婚約したと分かれば、その相手がオリヴァーの里子であると知られれば、その姿見たさにこの屋敷に人が集まるのは容易に想像できる事態だった。
「俺からの話は以上だ。留守の間、よろしく頼む。解散!」
解散の声がかかっても、しばらく誰も席を立たなかったが、オリヴァーが数名を応接室に呼んだことで、やっとみんなが席を立った。