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龍の愛し子 ー 聖痕の乙女と魔女 ー  作者: 月城 忍
第1章 聖痕の乙女
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聖痕の乙女 第4話 ②

 


 夕食が済み、応接室に移動してカーラにデザートとお茶を用意してもらう。

 あとは休んでいいと、使用人達に伝える。応接室にオリヴァー、タリア、ドリスだけになるのを待って、ドリスが切り出した。


「で、もう本題に入ってもいいよね」

「そのためにわざわざ来たんだろ」

「そう! だってまだタリアちゃんが王城にいると思って安心してたら、オリヴァーのところにいるって言うからさー。アタシが検査したかったのに!」


 タリアが王都に入った日。『スティグマータの乙女』の候補者が来ると聞き及んでいたドリスは、職場である研究所から王城に入って待機していた。

 到着が夕方だったため、検査は翌日以降にすると決まった直後、養成学校から「二種持ちが現れた」と連絡を受けた。


 数年ぶりに特殊魔法の適性を二種類持った学生が現れたと聞いて、本当に二種持ちなのか実際に確かめたくて我慢が出来なくなったドリスは、『スティグマータの乙女』の候補者は暫くは王城にいるだろうと判断し、養成学校へと向かった。

 まだ特殊魔法の適性ありと判断されたばかりの十三歳ならば、二種持ちの生徒の現状を把握してすぐに王城に戻ろうと思っていた。


 しかし、その二種持ちはオリヴァーが養子に迎えた、引き取った当初から知っていたギルバート。十五歳。特殊魔法の適性がないと知っていた。

 それが突然、特殊魔法の適性を二種類も引っさげて目の前にいて、何がどうしてこうなったのかも含めて興味の対象になった。

 事情を聞けば「詳しいことはオリヴァーに聞いて欲しい」と。

 しかもすでにいくつかの特殊魔法を使える状態にあったので、他にも使える魔法があるはずだと色々教えているうちに二週間も経過してしまった。


 慌てて王城に戻ってみると、『スティグマータの乙女』の候補者は既に検査を終えて、とりあえずオリヴァーに引き取られることになったと聞かされたのだという。


「検査内容と結果については確認して来たんだけど、アタシが知りたいのは『スティグマータの乙女』の可能性云々より、どんな魔法が使えるのかってとこで……」


 色々と試させて欲しい。そう言ったドリスに、タリアは頷いた。

 タリア本人も『スティグマータの乙女』の可能性云々より、自分にどんな魔法が使えるのか知りたいところだった。


「んじゃ、先ずは……報告書によると、魔力が視えるかもってことだったんだけど」


 タリアの目には魔力と思われるものが視える。しかしそれはタリアにしか分からないことなので、検査員も確かめようがなく、『魔力が視えている可能性がある』としか書けなかったようだ。


「ちょっとさ、アタシの魔力を視てもらえる?」


 言われるままにドリスに触れて、いつものように魔力を視ようと目を凝らす。


「今、視えてます」

「出来るだけ詳しく説明して欲しいな」

「はい。体の中心を首からお尻の辺りまでは太い流れがあって、そこから全身に広がるように、指先のせ先端まで魔力が循環しているように見えます」

「ふむ……魔力を視るって意識はそのまま、目を閉じてみて」

「え、目を、閉じちゃうんですか?」

「まー、やってみてよ」


 目を閉じたら視えなくなる。そうとしか思えなかったが、タリアは目を閉じた。


「わっ!」


 そして思わず目を開けて仰け反っていた。


「どうかした?」

「あ、あの……急に鮮明に視えました」

「やっぱり」

「いったいどうして」

「タリアちゃん、瞬きいっぱいしてたんだよね。でも、はっきりとは視えてないようだったから、もしかしたらって思って」


 タリアはもう一度、魔力を視ようと意識しながら目を閉じた。


「すごい。ぼんやりしか視えなかったのに……」

「特殊魔法にはね、目を閉じてこそ視えたり感じたり出来るものがあるんだ。魔力を視るのも、もしかすると同じようなものかなーと」

「色まではっきり視えます」

「色?」

「白っぽく発光しているものと、青っぽく発光している感じです」

「へー。それじゃ、オリヴァーも視てみてよ」


 タリアの手を取ったドリスは、その手をオリヴァーに触れさせる。


「どう?」

「オリヴァーさんは色が増えました。橙? 赤系の色です。あれ?」

「どうかした?」


 タリアは目を開けて姿勢を戻し、ドリスを見つめた。


「ドリーさん、もしかして……今、何か魔法を発動してます?」


 その言葉にドリスは目を見開き、オリヴァーに視線を投げた。


「オリヴァー、アタシのことタリアちゃんに話した?」

「いや」

「それなら、本当に魔力を視てるって確証になる」

「ドリーさん、どういう事でしょうか」

「まずは色の話だけど、特殊魔法の適性検査の時に水晶の光の色で魔法の種類を判別するのは知ってるね?」


 特殊魔法の適性検査の際に使われるのは無色透明な水晶。それに触れる事で特殊魔法の適性があれば発光し、その色で種類を判別する。

 攻撃系魔法の適性ならば赤系の色に。防御系魔法の適性ならば青系の色に。回復系魔法の適性ならば黄系の色に。


 タリアが視た色は防御系魔法の適性を持つドリスが青。そして攻撃系魔法と防御系魔法の二種持ちであるオリヴァーが赤と青。水晶の反応と同じだった。


「そしてタリアちゃんの言う通り、アタシは起きている時は常に防御系魔法を発動してる。どうしてわかったの?」

「えっと、ドリーさんの魔力を視たとき、体が青い光で縁取られていました。でも、オリヴァーさんは違った。魔力がただ体の中を循環しているだけに視えたんです」

「なるほど、面白いね。防御系魔法はその物体を覆う特性だし……オリヴァー、ちょっと腕にだけ強化魔法かけてみてよ」


 右手にだけ攻撃系魔法の一種、強化魔法をかけたオリヴァーに触れたタリアが魔力を視ると、今度は右腕に赤い光が集まっているのが視えた。


 ドリスはその結果を踏まえ、何の特殊魔法を所持しているか知らない状態で言い当てる事ができれば、タリアには実際に魔力が視えると証明されるだろう。と結論づけた。


「ドリスさんはどうして常に防御魔法を使ってるんですか?」

「使わないとベッドから起き上がれないのよねー。あははっ」


 まるで冗談を言っているような口ぶりで、ドリスは続ける。

 二十五年ほど前に出向いた戦争で、爆風に吹き飛ばされて大怪我を負った。

 その怪我は治癒魔法で治ったのだが、下半身が動かないし感覚もない状態になってしまった。


「治癒魔法で治らないものってあるんですね」

「時々あるよ。アタシみたいに体が動かなくなるって感じのがね。アタシはまだましな方。中には呼吸もままならなくなってそのまま亡くなっちゃう場合もあったし」

(脊椎損傷したのかな。ってことは、神経が傷ついたものには治癒魔法が効かないってことなのかも)


 続けて話を聞いていくとドリスのような半身麻痺だけでなく、片腕のみ、片足のみが動かないまま一生を終える人もいるという。どの場合であっても表面的な傷や骨折は治癒魔法で完治したように見える。


「あの、ドリーさん。腕が動きにくいとかはないんですよね」

「腕は平気」

「汚い話ですけど、排泄に支障をきたしたりは」

「え?」

「知らないうちに排泄したりはないですか?」

「う、ん。それはない、けど」


 タリアは必死に思い出していた。元の世界で身につけた知識を。

 変な質問をしたと思ったら急に黙り込んでしまったタリアを見て、オリヴァーとドリスは顔見合わせ首を傾げる。


(腰椎で中枢神経が完全に損傷してる。普通なら寝たきりになるんだろうけど、身体操作魔法で動き回れてるってことか)


 背骨と呼ばれる首からお尻の辺りまで繋がっている骨の中には、脳と直接繋がっている中枢神経が走っている。その神経は小指の太さほど。

 脊椎は脳からの運動命令や感覚情報を送っているので、そこを損傷すれば動かない、何も感じないという麻痺が起こる。

 その損傷箇所によって、上部なら呼吸ができなくなったり、下部なら排泄機能に問題が出たりするのだが、ドリスはそのどちらの症状もないため、上部と下部の間の腰椎で損傷していると思われた。


(完全治癒魔法で治ったりしないかな。もしくは別の方法を試させてもらえたら……)


 タリアの元の世界では、脊椎は損傷すると修復も再生もないと言われていた。

 しかし、この世界の治療の基本は魔法。元の世界でできなかったこともできるのではないかと思えたのだ。

 これまでにタリアが使えた回復系魔法は他の回復系魔法の適性者にも使える『治癒魔法』と『疲労回復魔法』、それとタリアにしか使えない『完全治癒魔法』の三つ。

『完全治癒魔法』に関しては、完治まで数日から数週間かかる深い傷や骨折であっても一日で完治するというものだった。


「ねえ、急にどうしちゃったの?」

「ドリーさんに完全治癒魔法を試させてもらえませんか?」

「アタシに? でも、二十五年も前の怪我が元だし、これまで何度も治癒魔法はかけてもらってダメだったよ?」

「試していいんじゃないか? 骨折が一日で治るなんて、これまでではあり得なかった結果を出してるんだ。もしかするとドリスにも効くかもしれない」


 タリアがクレアから王都レオに移動する際、まだ魔獣との戦いに慣れておらず、魔法を使った戦いも初めてだったギルバートは何度も怪我をした。

 それを治したのがタリアだったし、オリヴァーはその結果を知っていたので、タリアにしか使えない『完全治癒魔法』ならばドリスも治せる可能性があると思えた。


「ドリスの足が動くようになれば、本当の意味で完全治癒魔法って言ってもいいと思うしな」

「そうね。じゃ、お願いする!」


 試しとはいえ足が動くようになればそれに越したことはない。さらに、ドリスにとっては初めて見る『完全治癒魔法』に興味津々だった。


『治癒魔法』も『完全治癒魔法』も患部に触れて魔法を発動するのが一番手っとり早い。

 タリアはドリスにうつ伏せ寝転んでもらい、魔法発動中の魔力の動きを視たいと、一度ドリスの身体操作魔法を解除してもらった。


(魔法はイメージ……魔力を背骨に集中させて、腰椎の中心の神経の束を修復……)


 タリアはドリスの腰に手を当てて目を閉じた。


 タリアは自分の中に流れている魔力を視ることはできない。しかし目を閉じてドリスの魔力の流れを視ると、先程はドリスの中に視えなかった黄色に発光する魔力が視えた。その黄色の魔力こそ、ドリスに流れ込んだタリスの魔力だった。


(あ、一箇所に黄色が留まってる。ここが損傷箇所、かな)


 これまでタリアは回復系魔法を使っても、魔力がどのような動きをするのかまでは視たことがなかった。だからどのくらいの時間相手に触れて回復系魔法を発動すればいいのか分からず、かなり大雑把に「このくらいで治るかな?」と半信半疑のまま発動を解いていた。

 今日、より鮮明に視える術を教わったので、魔法解除のタイミングも掴みやすくなるかもしれない。そう思ったタリアは一度魔法を解いてみた。


(うん、魔力を送るのをやめても黄色の魔力は残ったままだし、様子を見させてもらお)

「もしかして、もう完全治癒魔法かけ終わったのか?」


 タリアがドリスから手を話したのを見て、オリヴァーが問う。


「はい。一応、私の黄色の魔力はドリーさんの中で留まったまま、そこで悪い部分を修復している最中かもしれないので、様子を見させてもらおうかと」

「様子を見る必要はないかもしれない」


 ソファーにうつ伏せになり、重ねた両手に顎を載せていたドリスが顔の向きを変えた。


「足がね、重たいの」

「は?」

「重たいって感じるのよ。今まで足の感覚なんて、なーんにも分からなかったのに」


 そう言って涙ぐむドリスに、タリアは試みが成功しつつあることを感じていた。


「足に触ってみてもいいですか?」


 タリアがドリスの足に触れる。ただ触れるだけでは分からないようだったが、強く押すと触れられている感覚があると言う。感覚はまだ鈍いものの、「足になにかが触れている」という情報がちゃんと脳に伝わっているという証拠だった。


「どのくらいの時間、私の魔力がドリーさんの中に留まって治癒を続けてくれるのかわかりませんが、感覚が少し戻ってきてくれたのであれば、時間はかかっても自由に足を動かせるようになる可能性はありそうですね」

「うん。本当にびっくりした」

「これまで身体操作魔法で足を動かしていたことですし、筋肉は衰えていないんじゃないかと思うんです。だけどしばらくは身体操作魔法を使いつつ、自分の意思で足を動かす練習をした方がいいでしょうね」


 ドリスは身体操作魔法を発動させて起き上がり、ソファーに腰をかけ直した。そして足を触り、その感触を確かめる。


「こんなことって、あるんだね。もう一生、身体操作魔法なしでは動かないって諦めてたのに……」


 ドリスの目からは涙が溢れ出し、頬を伝った雫は落ち、太ももを濡らす。


 二十五年前、歩けなくなったと理解したドリスは兵士を辞めざるを得なかった。このまま、ベッドからも出られない生活が続くかもしれないという恐怖に苛まれたが、せめて身の回りのことぐらいは自分でできるようになりたいと、身体操作魔法を駆使して、工夫をして、歩けるようになるまで三年の月日を費やした。

 元々、身体操作魔法は身体能力の補佐をするもので、全身の動作を速めるだけのものだった。例えば歩く速度を、走る速度を上げるためのものだった。

 その特性を生かし、魔力で足を動かすことができるのではないかと考えたドリスは魔力のみで右足を前に出し、踏み込んだら体重を移動して左足を前に出す。という独自の訓練をした。

 そして今では他の人と同じように歩くことができ、身体操作魔法の応用を自ら考案したことを評価され防御系魔法の研究所へ招かれることとなった。

 その後も他の防御系魔法の応用方法を見出し、研究所の署長になって十年が経過していた。

 しかし、ドリスは起きている間ずっと身体操作魔法を使い続けているため、他のことには一切魔力を使うことが出来ないでいた。

 新たに研究と実験をしてみたくても、誰かに代わりにやってもらうしか出来なかった。


「なんか、生まれ直したような気分だよ。タリアちゃんには本当に感謝しかないね。ありがと」

「お役に立てて、本当に嬉しいです」

「……ちょっといいか」


 微笑みを交わすドリスとタリア。気まずそうにオリヴァーが口を開く。


「ドリスが歩けるようになる可能性が出てきたのは喜ばしい。だが、なんなんだろうな、タリアの魔法は。回復系魔法、ついこの前、初めて使ったんじゃなかったか?」

「それはアタシも気になる。足が動かないのに、タリアちゃんが腰に治癒魔法をかけた理由も知りたい。それに……本当に十三歳なのかなって」

「そう。十三歳とは思えないんだよ。言動も、考え方も、知識も」

(まあ、不審がられて当然だよね)


 タリアがこの世界で初めて触れた魔法には、まだ分からないことが沢山ある。

 しかし元の世界で看護師をしていたタリアには、それなりの医学知識があった。

 看護師としての知識を十三歳が持っているのも、治療の全てを回復魔法で行なっているこの世界としても異質なものに間違いなかった。

 それをタリアは十分に理解していた。


「私は」

「こことは違う世界に生きていた記憶がある」


 タリアの言葉を遮って、タリアが口にしようとしていた言葉を代弁したオリヴァー。

 タリアは驚いて言葉を失い、オリヴァーを凝視するしかできなかった。


 ー こことは違う世界に生きていた記憶がある ー


 そんな言葉を口にしても、信じてくれる人などいないだろうと思い、その事実をひた隠しにし、両親に話すことさえなかったというのに。

 まさか他人の口からその言葉を聞くことになるとは思っていなかったのだ。


「ちょっとオリヴァー、いきなり何言ってんの? タリアちゃん、面食らっちゃってるじゃない」

「俺はあるぞ? 高校生までの記憶だが」

「高校生って……まさか!」

「え? なに? コウコウセイってなに? タリアちゃんにはわかるの?」


 タリアはただ頷いた。言葉が出なかった。

 自分の状況と同じ人間がいるとは思っていなかったのだ。


「そうか。そんな気はしていたんだが、確証がなかったから聞かないでおいたんだ」


 オリヴァーは、タリアと出会った当初から、十三歳とは思えない言動、思考に、もしかすると自分と異世界からの転生者ではないかと思っていた。

 しかし、もし違えば不審がられると思い、言えないでいたと言う。


「ちょっと! アタシにもわかるように、もっと詳しく説明して! 前世の記憶があるってことなの?」

「この世界のほとんどはこんな感じで興味本位で知りたがる奴と、全く信じない奴がほとんどだが、こことは違う世界の記憶を持っているのは、俺が知る限り、お前で十五人目だ」

「そんなにいるの? 誰? アタシも知ってる人?」

「お前はちょっと黙ってろ! あとでちゃんと説明はする!」

(私以外に十四人も……)


 異世界の記憶を持ってこの世界に生きている。そんな自分が特別であると信じて疑いもしなかったタリアは、オリヴァーに聞かされた事実に驚くしかなかった。


(だったらなんで……なんで私は……)


 タリアは唇を噛み締め、うつむき、拳を握りしめていた。


「タリア?」


 オリヴァーの声に顔を上げたタリアの顔からは悔しさが滲み出ている。そして思い切りよくテーブルに拳を叩きつける。


「不公平だ!」

「は?」

「どうせ生まれ変わるならオリヴァーさんみたいに強くなりたかった! 私も英雄って呼ばれたかった!」


 もう二回、力任せに拳をテーブルに打ち付けたのだが、たった三回で拳が痛んだのでやめた。


 タリアはただ悔しかった。


 同じ異世界の記憶を持っているオリヴァーは、国中の人が憧れる聖騎士団の団長も務め、それはつまり、少なくともこの国で一番強いということだ。二十年ほど前の戦争では二国に攻め込まれ、それを防いだ立役者となり「生きる英雄」とも呼ばれている。

 もしかするとこの世界中で強さを競えば三本の指に入るのかもしれない。

 それはオリヴァーが特殊魔法の二種持ちであること、二種持ちの中でも最強の組み合わせと言われる攻撃系魔法と防御系魔法を使えることは勿論だが、その肉体に備わる身体能力の高さも相まっているのだろう。


 オリヴァーと同じく異世界の記憶があると言うのに、タリアには戦いに向く素質が見当たらない。そのことが悔しくて仕方なかった。


 タリアは痛む拳をさすりながら一つ、深く息を吐き出す。


「取り乱してすみません。オリヴァーさんの言う通り、私にはこの世界とは違う世界で生きていた記憶があります。二十七歳で、看護師をしていました」

「看護師か。どうりで」

「カンゴシって?」

「病気や怪我を治す人の補佐をする人、です」

「自分が死んだ時の記憶はあるか?」

「いえ。仕事が終わって帰宅途中の電車の中までは覚えてますが、気がついたら四歳のタリアとしてこの世界にいました」


 タリアの中の前の世界で生きていた記憶は鮮明だった。この世界に来て九年が経過していても、色褪せる気配がない。


 最後の記憶は朝九時過ぎ。

 酷く疲れていた。都内の病院で看護師として働いていて、夜勤が明けたばかりだった。

 夜中に救急で運び込まれた患者が重篤だったために慌ただしく処置に追われはしたものの、なんとか山を越えてくれた。

 引き継ぎも無事に済ませ、安心してゆっくりと休める。と、落ち着いた気持ちで電車に乗り込んだ。

 平日の九時半近く。都心の電車はどの路線も混んでいた。しかし家の最寄駅が近づくにつれ、都心から離れるにつれ、電車内の人は少なくなっていった。

 目的の駅まであと三駅。空いた席に腰掛けた。

 差し込む日差しか暖かく、澄み渡った青空と、街並みの間を時々横切る淡い桜色。

 春の陽気に誘われるように目を閉じた。

 電車の走る振動も音も今は心地よく、このまま眠ってしまえたらどんなに気持ちいい眠りになるのだろう。そんな思いが頭をよぎったが、目的の駅まであと少し。ここで眠って寝過ごせば、電車を待ったり乗り換えたりしなければならず、眠ってしまったことを物凄く後悔することは目に見えていた。


 そして、寝過ごしたと思い焦って飛び起きるとこの世界にいて、美少女幼女になっていた。


「オリヴァーさんは、死んだ時の記憶ってあるんですか?」

「俺も死んだ時の記憶はない。だが、骨肉腫で入院してたし、見つかった時にはすでに転移もあった。それで死んじまったんだと思う」

「高校生で、骨肉腫、ですか」

「で、俺も気がついたら五歳のオリヴァーになってた。他の奴らも似たようなもんだ。若いうちに病気や事故で死んでる。二十歳以上はお前が初めてだがな」


 骨肉腫。原発性骨悪性腫瘍。骨にできる癌で、十歳から二十歳までに発症することが多く、若い故に腫瘍の成長も早い。

 腫瘍が一つのみなら五年生存率は五十パーセントと言われているが、オリヴァーのように、見つかった時すでに癌が転移していたとなると、余命数ヶ月。もしくは数週間と言われていてもおかしくない。


 痛みに、治療に苦しんでいた時の記憶が残ったまま、オリヴァーはこの世界で生きてきた。

 それを思うとタリアは何も言えなくなったし、オリヴァーがそれ以上話そうとしなかったことも理解できた。


「その、記憶のある人たちって、ほかに何か共通点があったりするんですか?」

「んー、特殊魔法持ちに多いってくらいか。だが全員ってわけでもない。特殊魔法の適正すらない奴もいるし」

「なら、どうして前世の記憶があるってわかるんです?」

「お前みたいに、言動が主かな。あとはこの世界になくて、前の世界にあったものを作ったりするから、その場合はすぐにわかる」


 ちょっと待ってろと言って、オリヴァーは応接室の奥の扉へと入って行き、戻って来た時にはその手に刀を持っていた。


「日本刀!」

「ああ、すげーだろ。前の世界でいう、一八六五年生まれの刀鍛冶がいるんだよ。明治維新後に廃刀令が出て、刀が作れなくなるからって海外に行こうとしたその船が難破して、この世界に来たんだと」

「は? 明治維新? 廃刀令? 幕末に生きてた人ってことですよね!」

「この世界じゃ今も健在だ。老いぼれだが」


 幕末に生きたその人は攻撃系魔法だけを持ち、今は聖騎士団専属の刀鍛冶として現在も活躍中らしい。

 以前は趣味で日本刀を作っていたのだが、オリヴァーと出会ったことで聖騎士団の専属刀鍛冶となった。

 オリヴァーは前の世界で、居合抜刀術の分家に生まれ、日本刀の扱いを幼い頃から教わっていたらしく、自ら扱えるだけでなく、聖騎士の希望者には使い方を教えていた。


「これを持ち歩いてると、日本刀だとわかる奴が話しかけてくる。それで、俺らと同じ世界にいた奴らがもっといるってわかったんだ。元日本人しか出会ったことねーけどな」


 幕末に生きた刀鍛冶が死んだのは一八七一年。オリヴァーが死んだのは二〇〇〇年だというし、タリアは二〇一八年。今のところ、それぞれが生きていた時期は一五三年もの開きがあるとわかる。


「それで、だ。俺らのこの状況が生まれ変わりなのかなんなのかはよくわからないが、この世界に来たのにはなんらかの意味がある。そう思ったことはないか?」

「そう思います」

「まー、こんな状況なら誰しも思うところだよな。俺も、この世界に来て四十年以上、ずっと考えてはいるが、何をするべきなのか全くわからない。自分を鍛えて、武功を挙げてはみたが、それが本当にこの世界に来た意味なのかと問われれば疑問だ」

「オリヴァーさんでも、わからないんですか」

「最近は、意味なんてないとさえ思う。前の世界で、生きたくても生きられなかったやつが、この世界で生きる場所を貰っただけかもしれないとも思う」

「そう、なんですかね」

「ただし、『スティグマータの乙女』だけは別物じゃないかと、俺は考えてる」

「別物、ですか」

「歴代の『スティグマータの乙女』はたぶん、俺らと同じだ」





 第四話 完

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