不可能の証明 第9話
子供達を寝かしつけたウィリアムとタリアはこっそりベッドを抜け出し、魔女たちのくつろぐダイニングへと向かった。
「えっ! ご飯、用意しててくれたんですか?」
「子供達の時間に合わせてたら、夕食食べる暇がなかったかと思ってな」
「大正解! やった! 久しぶりのじぃじご飯!」
大人四人分の食事が並ぶテーブルに飛びついて一通り眺めた後、自分の食事も当たり前のように用意されてるようだが、そこで一緒に食べていいものかと悩み、遠慮がちに佇んでいるウィリアムを強引に座らせてから、タリアも席に着いた。
タリアはパンっ! と軽快な音を立てて両手を合わせ、いただきます! と言ってから食べ始める。
じぃじとばぁばも静かに手を合わせて、いただきますと口にしてから食事に手をつけたので、ウィリアムもそれに倣う。
「……美味いっ」
「だから言ったでしょ? じぃじのご飯は美味しいの!」
「ほっほ、良かったのぉ、じぃじ」
「見た目も味も完璧っ! これは真似出来ない!」
「エステルは大雑把なだけだ。ほんの一つの気遣いで見た目も味も変わる。菓子のように気を使えばいいというのに」
「だって、料理って大雑把にしても大失敗はしないけど、お菓子はひどいことになるもん。順番一つ間違えただけでケーキが茶色くてブヨブヨの噛み切るのも大変な物体になるんだよ?」
「見た目はアレだが、そこそこうまかったがのぉー」
「ばぁばしか食べなかったじゃない。ヘレンもリュカも手を出さなかったのに」
「最初はクッキーも酷かったな。小麦粉が混ざりきらなくて」
「最初に小麦粉をボウルに投入しただけであんな代物になるとは」
「見た目はアレだが、うまかったぞ?」
三人が談笑する中、ウィリアムは遠慮も忘れて黙々と料理を口に運んでいた。
一番に皿を空にしてふと我に返ったウィリアムは、食卓を見渡して気づいた。
四人全員が食事をしていると。
「タリア……魔女も食事をするんだな」
タリアを小突き、耳打ちをする。
『クレメントの手記』の内容から、魔女は食事をしなくても生きていけるのではないかと記されていた。ウィリアムはそれを覚えていたのだ。
「前は食べてませんでしたよ? ばぁばが一緒にご飯食べるようになったのって、いつからだっけ?」
「覚えておらん!」
「エステルが来て間も無く。お前があんまり美味そうに食べるから食べたくなったと」
「あー、そんなこと言ってた気がしてきた」
「そんなこともあったのー。思い出したわ」
エステルがこの家に来るまで、食事を必要としない魔女は水分だけを口にしていた。それは男が知る限りずっとそんな食生活だったという。
「今でも我に食事は必要ないんだろうが、皆でご飯を囲むのは楽しくて、除け者にされるのは嫌じゃ」
「除け者って。手間増やされてるのはじぃじじゃない」
「姫が喜ぶことに俺が手間を惜しむと?」
「……そうですね」
その後も食卓で会話が尽きることはなく、穏やかに時間は過ぎた。
食後、エステルがじぃじと食器を洗い、ウィリアムは魔女と何か話しをしていた。
「あの男、一人にしておいていいのか? 洗い物など一人でも」
「大丈夫よ、ウィルだもん。それに多分、二人で話したかったんじゃない?」
「……そうか」
ウィリアムにとってこの家は子供達の存在を知った日と、今日の子供達の送り迎え、そして今しか滞在したことがない。
初対面で魔女に平手をされて以来、まともに魔女と話す機会はなかった。
気まずくて居心地が悪く、一人にされるのを嫌がるのではないかという懸念はあるが、タリアは何も心配していなかった。
ウィリアムは魔女に平手をされた時に言われたことを気にしていた。
怒られたのだ。叩き出されても仕方ないと思っていたのかもしれないが、こうして一緒に楽しく食事をした。
改めて魔女に謝罪をしたいのかもしれないとタリアは思っていた。
「しっかし、ウィルがこの家にいるって、まだ実感薄いなー」
「こっちはただ、驚いた。あの子達の父親を連れてくることはないと思ってたから」
「私も、その気は無かったよ。再会の予定もなかったし。でも連れてきてみたらさ、あっさり受け入れてくれて嬉しくはあるんだけど、あっさりしすぎというか」
「揉めなくてよかったじゃないか。姫はもう魔獣達にあの男を襲うなと命を出したし、いつ来てくれても構わん」
「それ、多分喜ぶよ。自由に行ける場所なら入り浸る自信があるって」
「ははっ、子供好きで良かったな」
「早く懐かれたいんだって」
「いいことじゃないか。姫もそれを望んでる」
「……うん」
洗い物が終わり、ダイニングを覗くと、ウィリアムと魔女は談笑していた。
重要な話しは終わったのだと思って近づくと、二人の話題はタリアだった。
ウィリアムがタリアに好意を持ってから、タリアがいかにウィリアムに興味がなかったか。という話しを魔女が気に入ったらしく盛り上がってる。
「エステル! 先ほどこやつの年齢を知ったのは誠か!」
「……そうだけど」
「あっははっ! 婚約してて、結婚の申し込みをされて、子供もいてそれはひどいのぉー!」
「それは本当に申し訳ないと思ってるよ! でもばぁばだってじぃじの名前も歳も知らないじゃない!」
「我はじぃじに興味津々じゃ。しかし、じぃじが言いたがらないので仕方なかろう」
「うぐっ……」
「聞いてください。せっかく想いが通じあったというのに」
「ぎゃ! 近い!」
「……ずっとこんなです」
ウィリアムがタリアの肩を引き寄せただけ。タリアは反射的に手で顔をガード。至近距離でウィリアムを見ることを拒んでいた。
「ほっほっ、男前が女に苦労するのは見てて面白いのぉー」
「面白がらないでいただきたい……」
「はーなーしーてー!」
「そうじゃ、エステル。月夜の晩で魔獣達がそわそわしておるぞ?」
「え? ああ……じゃ、ちょっと行ってくる。ウィルも来ます?」
「……どこに?」
魔獣達がそわそわしてる。そんな時にタリアはどこに行こうというのか。不安を感じつつもウィリアムはタリアについていくことにした。
一度部屋に戻ったタリアはアルフーを手にする。
「あっ、そうだ! ウィルもいるし!」
ウィリアムにはリュートを持たせる。
「練習しに行くのか?」
「毎日触ってないと指が動かなくなるし。晴れた夜は外でやってたら、魔獣に気に入られちゃって」
「気に入るって、魔獣が?」
「音楽好きが多くて私もびっくりしました。長生きしてる子は知性を持つし、子作りもするんですよ?」
「……魔獣が?」
「ここでは魔力が枯渇することないから」
魔獣は魔力が暴走状態にあり、魔力が枯渇するが故に魔力を欲している。
しかしここは龍脈の森。この森にいて魔力が枯渇するということはない。ここにいる限り自ら魔力を欲して動くことはなくなるので魔獣は落ち着いていく。
ここは魔獣にとっての安住の地。人間が足を踏み入れれば侵略の糸口になりかねないので排除するが、人間が侵入さえしなければ襲うことはしない。
二千年以上、人間に放棄されてきたこの森では、魔獣が独自の進化を遂げている。一部ではあるが、知性を持っている魔獣が存在していた。
魔獣から産まれた子供は魔獣として生を受ける。普通の動物から魔獣になったものとは比べものにならないほどの大きさと力を持っているし長生きもする。そういう魔獣に知性は宿っていた。
タリアは建物の外に出て、湖のほとりの大きな岩の上に腰かけた。ウィリアムにも隣の岩に腰掛けるよう促す。
「……魔獣が近くにいて落ち着かないんだが」
湖周辺は森が拓けて月の光が差し込んでいて明るい。しかし周囲の森は深く、真っ暗闇の中に魔獣の赤く光る目だけがいくつもこちらに向けられている。
しかもタリアの姿を見てなのか、暗がりの中から月明かりの下に出てきた魔獣もいた。
「ばぁばがウィルも殺しちゃダメな人だって伝達したから襲ってきませんよ?」
「ん? ばぁばが、なんだって?」
「この森の長はばぁばで、魔獣はその命令に従うんです」
「すげーな、ばぁば!」
「だからウィル一人でもこの森に出入り自由だって」
月明かりの下に出てきた魔獣はゆっくりとした足取りで近づきはするものの、二人とは一定の距離を保って寛ぎ始めた。
その様子を見て、本当に襲ってこないのだとウィリアムは安心して、やっと岩に腰かけた。
タリアがアルフーで曲を奏で始めると、それに合わせてウィリアムはリュートを奏でる。
「あの夜、以来だな」
「……そうでしたね。これが二度目、かぁ」
前に一度、二人は今夜と同じようにアルフーとリュートで演奏したことがあった。
クオーツの王都レオ。その王城内のタリアの部屋から行ける屋上で、篝火で灯される大庭園を目下に。
ウィリアムは初めて演奏が楽しいものだと知り、何度も屋上でまた演奏がしたいとタリアを誘っていた。
しかしあの時、タリアの部屋に婚約者である第二王子が来ていたのだと噂になっていた。一応婚約中の身であったタリアは異性を二度と部屋に入れないと決めたので、二度目はなかった。
ウィリアムにとっては、タリアに対する想いが変わった夜。今までに接してきたどの女性とも違う反応を見せるタリアへの単なる興味から、この先もずっと一番近くで見ていたいと願いようになった。
ただ、前と決定的に違うのはーー
演奏中、ウィリアムとタリアは視線が絡む。
そしてタリアはその度に少し恥ずかしそうに、嬉しそうに笑うのだ。
そんなタリアを初めて見たウィリアムは、楽器を放り投げてタリアを抱きしめたい衝動に駆られた。
しかしこの時間を失くしたくないと思い衝動を抑え、また目が合うと抱きしめたい衝動に駆られ、抑えのを繰り返した。
演奏が終わって岩から降りるタリアに手を差し延べると、遠慮がちにウィリアムの手を取った。
「やっぱり、ウィル誘って良かった。楽しかったですね」
そう言ってタリアが微笑みを深めるので、ウィリアムは硬直する。
タリアと想いは通じあったとは言え、散々拒絶を味わってきた。
またウィリアムがしたいように動けば拒絶され、このとてもいい雰囲気がぶち壊しになる自信がある。
けれどタリアがウィリアムにただ微笑みかけるなどなかったため、飛びつきたい衝動をどうしていいか分からず、固まるしかなかった。
「ごめんね、ウィル。今はこれが精一杯……慣れるまでもう少し待ってて」
そう言ってタリアはウィリアムの手を取ったまま、家の中へと進む。
「……辛抱強くはないから、早めに頼む」
「善処します」
※ ※
翌朝、ウィリアムとタリアは子供達に起こされ、ベッドから出た。
用意されていた朝食を六人で食べ、子供達を魔女と男に預けてウィリアムとタリアは出発する。
「二人とも遅い! 待ちくたびれちゃったよ! すぐにアリーズに帰りたいから送って! その後、二人にはサラのところに行って欲しいんだよ。二、三日中にはルーヴィに移動したいし、それまでに色々片付けないと!」
古城のカミールが滞在していた部屋に着くなり、挨拶もなくカミールは喋り続けた。
早朝に他の三人は先にアリーズに戻ったらしく、古城にはカミール一人が残ってウィリアムとタリアが来るのを待っていた。
ギルバートからの報告書に目を通し、今後どう動くのかを一晩中考えていたらしかった。
ばたばたと荷物をまとめているカミールの姿に、ウィリアムとタリアは顔を見合わせて笑みを交わし、カミールの準備が整うまで古城に忘れ物がないかを確認した。
そしてアリーズの用心棒紹介所にカミールを送った後、カミールが用意していた書状を持ってクオーツのサラの元へと向かう。
「うっそ……タリア様とウィルが一緒に……」
「サラ……いや、女王陛下」
「そんな呼び方は嫌です」
「ふふっ……サラ、久しぶり」
「タリア様!」
ウィリアムの案内でサラの執務室に入ったタリアの姿を見て立ち上がっていたサラは、ドレスの裾に足を取られながらもタリアに駆け寄って抱きついた。
「お元気そうなお姿を見られて安心しました! どれほど心配したか!」
「ごめんね、連絡もせずに。サラも元気そうで安心した。急で申し訳ないんだけど」
「タリア様ならいつでも大歓迎です!」
「ありがとう。サラってば、本当に綺麗になって……」
「タリア様こそ、髪が短くなって綺麗な顔立ちがより際立って素敵です」
最後にサラとあったのはタリアが十五歳、サラが十三歳の時だった。もうすぐ十七歳になろうとしているサラは少し大人びた顔つきに変わったものの、まだ少女のような幼さと瑞々しさも残している。
タリアはサラの頬に触れ、うっとりとサラを見つめていた。
「久々の再会を堪能しているとこ悪いが、これ、カミールからだ」
「……もうっ。もう少し堪能させてくださいませんか? ウィリアムお、じ、さ、まっ」
「サラ、お前……タリアが絡むと性格悪くなるの相変わらずかっ」
(そういえば、前はウィルのこと、おにいさまって呼んでたっけ……)
ウィリアムからカミールの書状を受け取るサラを見ながら、以前はウィリアムもサラも王族であることをタリアに隠していたため、兄妹ということになっていたことをタリアは思い出した。
サラはフレデリックの娘なので、ウィリアムとカミールの姪ということになる。
「言われた通り、ファーガス公爵も、首謀者だったジェイコブも殺さず生かしたぞ」
「……ありがとうございます。私の我儘を聞いてくれて」
(あ、そっか……ジェイコブさんってサラにとってはお父さんを殺した人なんだ……)
「これをオブシディアン国王陛下に」
「用意してたのか」
「ええ。お二人が失敗するとは考えておりませんでしたから」
「……書状の件をどうするかは、これをオブシディアンに届けた後で報告に来た時までに頼む」
「厄介ごとですか?」
「ああ。かなりの。でもまぁ、お前の望みを叶えるためには好都合だろう」
「まぁ、それは楽しみです。報告の際はまたタリア様もご一緒ですか?」
「そうなる。世界中のどこでも、移動が一瞬なんだ」
「それは素敵です。頻繁にタリア様にお目にかかれますね。ウィル、少しお話しする時間はありますか?」
「……わかった。タリア、少し、隣のサラの部屋で待っててくれないか」
ウィリアムとサラは二人きりで何か話しがしたいようで、タリアは言われた通りにすることにした。
十五分ほどでタリアの待つ部屋にウィリアムがやってきたので、カミールの元へと戻る。
カミールにサラから預かった、クオーツ女王からオブシディアン国王への書状を見せると、ウィリアムと同じ反応をした。
「え? まさか用意してあったの?」
「私たちが失敗するとは考えてなかったんだと」
「サラ、末恐ろしいねー。明日、謁見の時間を貰えたからその時にウィルから渡すのがいいでしょ」
「正装か。面倒だな」
「仕方ないよ。クオーツの代表として行くんだから。それまではエステルと、ギルの手紙の件を出来るだけ片付けてくれると助かるな」
「わかった。タリア……」
振り返ったウィリアムにタリアは頷く。
「まずはギルの宝物の奪還、ですね」
「危険はないだろうけど、二人とも気をつけてね」
ウィリアムとタリアはカミールの言葉に深く頷き、白虎のカケラで移動をする。
移動先はルーヴィの王都リーブラにある、チャニング公爵の屋敷だ。
ギルバートからタリアに宛てられた手紙の内容は、ギルバートからの頼みごとが書かれていた。
一つはオリヴァーから貰った短刀と朱雀の奪還。屋敷内部の宝物庫にあるかもしれないので探して預かっていて欲しいという内容だった。
「屋敷の中、本当に人がいませんね」
「戻る気はないのかもしれないな」
もう一つは、ギルバート本人の捜索だ。
チャニング公爵はリーブラを去った。ギルバートはその護衛のためここに戻らないつもりで荷物をまとめさせられ、チャニング公爵の荷造りの手伝いもさせられた。
行き先はラズのアクアリウスという龍脈都市だとしかわからないので、アクアリウスでギルバートを探して欲しいとのことだった。
アクアリウスはラズの国土の中でも世界の中心部に一番近い龍脈都市で、ルーヴィからラズに入れば一番近くにある龍脈都市となる。
ルーヴィの王都リーブラから移動を開始したのが三日前。スティグマータの乙女のみが使用できる手段以外、どんな移動手段を使っても、三週間から一ヶ月かかるほどの距離だ。
「アクアリウスに到着してからはカミールの仲間に追ってもらうのも可能だろうし、タリアはギルバートとの接触担当ってことになるんだろうな」
「でしょうね。カミールさんがやる気で安心しました」
「そうだな。食いついてくれて安心したよ」
ともあれ屋敷は無人になっている。
ウィリアムとタリアは念のため白虎のカケラに乗ったままで屋敷の中に侵入し、ギルバートの手紙にあった宝物庫へと入った。
大きな暖炉の奥に隠し扉が付いていて、以前、屋敷を捜索した時には見つけられなかった場所だった。
「って、何も残ってないじゃないですかっ」
「……更に隠し扉がある、とかか?」
宝物庫の中は棚や台など宝を保管してあった形跡はあるものの、宝は何一つ残されていなかった。
しかし、ギルバートはチャニング公爵の荷造りも手伝わされている。この部屋に何も残していないことはギルバートも知っている上で、ここを探して欲しいとタリアに頼んでいるのならばーー
「ここ、レンガが外せそうだ」
ウィリアムが壁に違和感を感じ、レンガを数個取り外す。
「わ、あった! よく気づきましたね!」
「ここだけ少し隙間があったからな」
腰の高さほどの場所の小さな隙間。形の違うレンガが積み上げられて壁を成している中、ウィリアムは小さな違和感を見逃さなかった。
数個のレンガを取り外すと奥行きのある横穴になっていて、そこにギルバートの刀が収まっていた。
「奥が広い……何かあるな」
短刀と朱雀を取り出したウィリアムは横穴の中に肩まで手を入れ、少し苦労して奥にあったものを取り出した。
「紙?」
「……タリアが探していたものの一部じゃないか? これ」
タリアはその紙に書かれた内容に絶句する。
ー よって、一体の例外を除く他の全ての被験体において、絶望を与えることで確実に魔獣化することが確認された。ー
「このラザラスってのが署名と考えれば、報告書の最期の一枚なのかもしれない。大丈夫か?」
タリアは眉を寄せ、口元を手で押さえて紙に書かれた文字を見ながら小さく頷いた。
『被験体』『魔獣化』『絶望』
それらはここで行われていた危険な研究が、人工的に人型魔獣を生み出すためのものだったことを容易く想像させるものだった。
チャニング公爵はコロシアムで公開処刑をし、その中で逃亡しようとしたルーヴィの兵士の家族だけを処刑していた。
それは絶望を与えるためだった。
確実に魔獣化させるため、逃げた本人ではなく家族を処刑していたのはそのためだった。
ここの研究には魔女が深く関わっている。
だからこの研究は『魔女の血を使い、人工的に人型魔獣を生み出す研究』だ。
オブシディアンでも同じことが行われていたが途中で頓挫し、ジェイコブが知っていたのは『命の危険が迫っていると魔獣化しやすいのかもしれない』という曖昧な内容だった。
しかし、この報告書の最後のページと思われる内容は断定されている。
オブシディアンよりもルーヴィの方が魔女の血の研究がかなり進んでいるということを意味していた。
この一年で出現率が大幅に上がっている、しかも龍脈都市にしか現れていない人型魔獣の元凶。
それは確実に人を魔獣化する方法を確立し、故意に人に絶望を与えることをしてきたルーヴィに間違いない。
「これは、チャニング公爵の独断? それとも……」
「今のところはなんとも。独断だと思いたいけどな」
チャニング公爵は何のためにラズの龍脈都市に向かっているのか。
ギルバートからの報告書の内容には、チャニング公爵が引越しとも思える行動に出た理由はまだ不明とされていた。
二人は他に隠されているものがないか、念入りに壁を調べたが何も出なかったので、ギルバートの宝物と報告書と思われる紙をカミールの元へと持ち帰った。
「これは……至急、アクアリウスに誰か送って準備をしないと」
宝物庫で見つけた報告書の最後の一枚と思われる紙をカミールに見せると、ウィリアムとタリアが思ったことと同様のことをカミールも考えたようだ。
アクアリウスにも用心棒紹介所がある。これまでのカミールは四国の王都を周り、その他の都市の情報は報告書で確認するだけだった。
「ウィルは、チャニング公爵の動きをどう考えてるの?」
「……亡命、はまずないだろうな。人型魔獣を使ってラズを落とす、というのもチャニング公爵がルーヴィを出る理由にはならない気がする」
なぜ公爵は長年敵対し続けてきたラズの、ただの龍脈都市に入るのか。
ウィリアムの考えはこうだ。
まずは亡命の線。亡命をするのならただの龍脈都市ではなく、まずは王都を目指すのではないか。それに敵対しているラズにわざわざ亡命しなくても、オブシディアンなりクオーツの方が亡命先に相応しい。
人工的に人型魔獣を生み出す術を手に入れているということを加味すれば、戦争を仕掛けることも考えられる。一気に何体も都市に放てば、そこを警備する戦力の大部分に大きな損害を与えられるだろう。
しかし、アクアリウスで人型魔獣を放てばチャニング公爵も危険な目に合う。
「やっぱり、情報が少なすぎるよね。エステル、リーブラの用心棒紹介所に連れて行って貰えるかな」
手持ちの情報だけで考えてもチャニング公爵の目的が分からない。
ギルバートからの情報だけでは不十分なので。リーブラにいる仲間が他に何か情報を掴んでいないかを確認しに行くことにした。
しかし行ってみると、リーブラの用心棒紹介所は無人だった。
ただ、カミールに宛てた報告書が残されていたのでそれを確認してみる。三日前に書かれたものだった。
「あーー、なんかやっばいことが起こるってことだけはわかる」
「……アクアリウスを落とす気、なんだな」
事の起こりは八日前。コロシアムに捕らえられていた家族を処刑された兵士がどこかに移送されるので、数名で尾行を開始した。
たどり着いた先には三万人程のの兵士が集まっており、一斉に移動を開始。
そして三日前、チャニング公爵を含む有力貴族が十数名、従者や私兵を連れ立ってアクアリウスへと移動を開始したので、その動きを追うために用心棒紹介所に待機していた全員が出払ってしまっていた。
「アクアリウスを落とすって、戦争をしに向かったって事ですか?」
「三万の兵を連れて行ってるし、これまでの小競り合いとはわけが違う」
「でも、今はどこも龍脈都市に兵を集めて守りは堅いはず。三万で足りる?」
「人型魔獣もそこに含まれているなら、どうだろうな」
どこの国であっても各国の情勢を知るための諜報部隊を送り込んでいるはずで、ルーヴィからラズに向かって兵が動いたとなればラズもそれを知っていると思われる。
ラズの反応も気になるので、少し様子を探りにアクアリウスに行ってみることにした。
タリアもアクアリウスに行くのは初めてではあったが、目的地は龍脈都市。白虎のカケラにそれを告げただけで目的地に到着した。
そして三人は絶句する。
アクアリウスは水源が豊富な水の都。美しい都市だった。三つの階層に分かれた最上部、龍脈の南側には元は王城だった要塞があり、その下は貴族の街、最下部は農村部と庶民の街に区別されていた。
その最上部と中層部の貴族の街が壊滅状態だったのだ。
「すでに始まってたか」
「そうみたいだね」
「……あの、これは一体、どうなって」
「人型魔獣を使い、この街を仕切る人達と主力の兵を一掃したんだろう」
「都市としての機能は残しつつ、無力化したんだね。チャニング公爵とそれに従う貴族たちが、この街を乗っ取るために」
チャニング公爵は人型魔獣を上層部と中層部にだけ放った。そしてこの街を任されている貴族たちと、それを守る兵士を大幅に削った。
そこに三万の兵士を送り込めば、簡単に大都市を制圧出来る。
そして数日遅れでチャニング公爵を含む貴族たちが到着し、全てを掌握する。
最下部の街は無傷なので都市機能は損なわれることはない。
「アクアリウスは手始めだろうな。チャニング公爵の最終的な目標は最悪……」
「世界の統一、かな。それが出来る力を持っちゃったんだもん」
「魔女の血さえあれば、襲った都市で絶望した人間を量産して次の都市に使える」
「最初にラズの都市を狙ったのはやっぱり、積年の敵対関係、かねぇ。明日まで待ってる余裕がなくなっちゃったね。すぐにオブシディアン国王のところに行こうか」
「それがいい。タリア、アリーズに戻ってくれ」
(この人たち、なんでこんなに余裕あるの!)
惨状を目の前にして、ウィリアムとカミールはまるで世間話でもしているように落ち着いた口調で話していた。
タリアは目にしているものがあまりにも残酷で、信じたくないというのに。
いたるところから煙が上がり、そこら中にある遺体の数々。
無事な建物はそれなりにあり、そこには生存者も確認できるが無傷ではない。
その顔は恐怖と絶望の色が濃く、生気を失い呆然と座り込んでいる。
ここにチャニング公爵の息のかかった三万の兵が入ってくる。抵抗する気力も残ってはいないだろう。
そしてこれからまた別の都市が狙われるのだろうとウィリアムもカミールもわかっていて、それでも平静でいることも、タリアには信じられなかった。
「二人はなんで平然としていられるんですか」
「……焦ってはいる」
「急がないと被害が増えるばかりだし」
「……急がないとってことは、被害を抑える策があるってことですか?」
タリアがそう聞くと、ウィリアムはカミールに何か耳打ちをした。それを受け、なるほど、と言いながらカミールは微笑む。
「策はあるよ」
「サラの策が、な」
「……サラの?」
「女王さまのお考えだもん、おいそれと言うわけにはいかないんだ」
「そう、ですか」
「これは世界を巻き込む事態だ。こういう大きな問題はサラに任せておけばいい。タリアはタリアのすべき事があるだろ」
「私のすべき事……」
タリアは、これ以上深入りするなと言われているのだと思った。
「……わかりました。戻りましょうか、アリーズに」
「うん、何も話せなくてごめん」
「いえ」
確かに二人の言う通り、チャニング公爵の目的が世界の統一なのだとしたら、タリアが深入りしたところで何をすればいいのかも、何ができるのかもわからない。
ウィリアムでさえ、サラに任せておけばいいと言う。言い換えるのなら、一国の女王であるサラにしかどうにも出来ないと言っている気さえした。
「ただ、手伝える事があればなんでも言ってください」
タリアはタリアにしか解決できない問題を抱えている。
魔女の希望を叶えなければ、今、目の前にある惨状が同時期に世界規模で起こり得るのだ。
自分には何もできないことに首を突っ込むより、自分にしか解決できない問題に集中するべきだと思ったタリアは、二人を連れてアリーズの用心棒紹介所へと戻る。
二人はすぐに準備をして王城へと向かうと言うので、タリアは少し時間を置いて気分を変えてから帰宅をすることにした。
第9話 完




