不可能の証明 第1話
(まだあった……良かったんだか、悪かったんだか……)
この日、タリアはノーヴァの前にいた。
およそ三年半ぶりに見るノーヴァは以前と変わった様子はない。隣の用心棒紹介所も変わらずそこにある。
ノーヴァはまだ営業開始時間まで数時間あるので、店内には誰もいないようだった。
タリアは用心棒紹介所へと足を進め、入り口からこっそり中を盗み見る。
以前、ノーヴァに勤めてはいたが、用心棒紹介所に足を踏み入れたことはなく、内部を全く知らない。
玄関を入ると広間になっていて、奥の大きな掲示板に目が行く。その隣にはカウンターがあり、広間はいくつものソファーとテーブルが置かれていた。
(誰もいない……どうしよ)
ここなら誰かはいると思っていたのだが、完全に無人。
タリアはカミールと会いたくて来たのだが、世界中を飛び回っているのを知っているので、今度いつカミールがアリーズに立ち寄るのか聞きたかったのだ。
入り口は開いていたし、休業しているわけではないはずだ。
「お、お邪魔しまーす」
カウンター横にある扉。もしかするとその奥には人がいるかもしれない。
そう思い、タリアは恐る恐る紹介所の奥へと進んだ。
(あ、人の声……ってこの声は……)
懐かしさを感じるその声に、タリアは扉をノックした。
「はーい。今、そっちに行きまーす」
タリアは数歩下がって扉が開くのを待った。
そして扉が開き、そこから姿を表した人物が思っていた通りの人物だったことに、タリアは笑顔になった。
「お久しぶりです、ドーラさん」
「え……エステル! エステルなのね!」
ドーラはタリアの姿を視線に捉えた瞬間に驚いて固まり、タリアがにっこりと笑いかけて挨拶をすると、勢いよく飛びかかって抱きついた。
「エステル! 前髪どうしたの! って、今までどこで何してたのよ! 急にいなくなっちゃって!」
「すみません。この通り、元気ですよ。前髪が白かったのはあの時だけです」
「そう。心配してたんだから! 背が伸びた? 顔つきもすっかり大人っぽくなったわ」
「もう十八です」
「ねー、今、エステルって言った?」
ドーラに抱きつかれて見えなくなった室内からの声。
「ええ。見てよカミール! 十八になったんだって!」
やっとタリアを解放したドーラは、見せびらかすようにタリアを抱き直し、カミールの前に突き出す。
「お、お久しぶりです、カミールさん」
「う、うん、久しぶり」
思いがけず近い位置での再会になったカミールとタリア。
「こんなところで話もなんだし、中で話しましょ! カミール、いいわよね?」
「う、うん。もちろん」
「さ、エステル。遠慮しないで中にどうぞ?」
ドーラに背後から押し込まれるようにタリアは部屋の中へと入った。
「おっ! 本当にエステルだ! 久しぶりだな!」
「ウォルターさん! お久しぶりです」
「うっひょー! しばらく見ないうちに美人に拍車がかかったな!」
「ジャーヴィスさんも相変わらずなようで」
部屋の中にはウォルターのジャーヴィス、そして貴族の装いにプレートアーマーの兜だけを身につけている人物がいた。
「すみません、突然来てしまって」
「エステルならいつだって大歓迎よ!」
「カミールさんがいてくれて助かりました」
「ホント? それは嬉しいなー。もう二度と会えないことも覚悟してたから」
ウィリアムと関わりのある可能性があるカミールとは関わりたくない。
そう言って去っていたため、ここに来ることにかなりの躊躇いがあったタリアは、カミールの言葉に心底安心した。
「それで、俺に何か頼みがあって来たって期待しちゃうんだけど」
「その通りです。色んな町で良くない噂を聞いて……人型魔獣のことです」
「そっか……それはちょうど良かった。今まさに、その話をしてたとこなんだ」
「そう、なんですか?」
「今、各国の用心棒紹介所が新たに依頼を受けられない感じになってて、ここにいるメンバーにも手伝って貰って、各国の状況をまとめてたんだよねー」
聞けば、用心棒紹介所が依頼を受けにくくなったのは一年ほど前からだった。
カミールはオブシディアンの王都アリーズだけではなく、クオーツ以外の三国、龍脈のある都市全てに用心棒紹介所を作っていた。
その形態はどこも同じ、徴兵待ちの兵士への仕事の斡旋だったのだが、この一年、徴兵待ちの兵士達が居なくなってしまったのだ。
「え? 大きな戦争でもあったんですか?」
「いやいや。国境近くの小競り合いさえなくなってるよ。さっき、エステルも噂に聞いた、人型魔獣への対策でね。動ける兵士はみんな、龍脈の都市警護に駆り出されてるんだ」
「……つまり、人型魔獣が龍脈都市にしか現れていないんですか?」
「あ、そこまでは知らなかったのか。その通りだよ」
最近、タリアはどの町に行っても人型魔獣の話を耳にするので、カミールなら色んな情報を集めてて知っていると思い、ここに来ていた。
しかしまさか、龍脈のある都市にしか現れていないという状況に驚く。
これまで、人型魔獣が出現するのは数年に一度程度だったものが、最近一年間で十回を超えた。
しかも現れる場所は龍脈のある都市に限られ、人型魔獣が現れた都市は甚大な被害を受けている。
龍脈のない町や村には一切現れていない。各国はこぞって兵士を龍脈のある都市に集めているので、小競り合いに人を割く余裕はなかった。
「あ、クオーツに関しては安心して? 人型魔獣は他国同様に現れてるけど、人的被害は皆無に等しいから」
「それはなによりです。準備、終わってたんですね」
クオーツの被害は最小限、怪我人程度。死者はいない。
それはまさしく、対人型魔獣の道具が完成し、クオーツ国内に配布され、使い方も伝授し訓練も行なっていたからに他ならない。
「そ。だから、これからが大変だよ。女王さまが就任してまだ二年だって言うのに、各国から技術提供のお誘いやらなんやらで」
(あ、そっか……サラ、女王さまになったんだ……)
この三年、タリアは世間から遠い場所で生活をして来た。
世間の情報を入手するのは買い出しの時くらい。
自分の生活に精一杯で、世間のことなど気にする余裕がなかった。
サラは予定通り、十四歳を待って王位を継承したらしい。
(つまり、今度はウィルが王位継承権一位になった、ってこと? でもあの人、サラが王位を継承したらどっか行くような話、だった気がしてきた)
タリアと第二王子が婚約するという話になった時、第二王子はサラが王位を継承したら国を出るという話だったので、タリアは婚約の話を受けた経緯がある。
つまりはウィリアムが国を出るということだ。
王位継承権第一位のサラが王位を継承したということは、継承権第二位のウィリアムが繰り上がって第一位になったことを意味する。
今後、サラに子供が生まれればその子供が第一位となり、ウィリアムは繰り下がって第二位になる。
(今更だけど、王位継承権の一位を持ってて国を出るなんてできるものなのかな……)
「さて、エステルに話せる内容って噂をまとめた程度になるんだけど」
カミールの声に、タリアは我に帰った。完全に話題と違う内容を考え出してしまっていた。
「これ以上、情報が欲しいなら対価を、ってことですね」
にっこり笑うカミールに、タリアは持っていた荷物から一冊の本を取り出す。
「もし、人型魔獣の出現に誰かが関わっていると知っているのなら、これと交換で教えて欲しいです」
「それは?」
「……魔女の日記、第一巻」
その場に居合わせた誰もが、タリアの発した言葉と、その本に驚いた。
「初めに言っておきます。今回の人型魔獣の件に魔女は関与していません。それは私が保証します」
「それって……もう魔女はいない、とか?」
「いいえ。魔女はいます。だけど今のところ、危険ではないし、ここ三年は全く動いていないことを知ってるんです。それ以上のことは言えません」
「危険ではないってなんでわかるの! って、言わないつもりか」
タリアはにっこりと笑い、カミールの言葉を肯定した。
「この日記は五百年以上前のものだと思います。偶然、保管場所を見つけたんですけど」
本を開き、文字の書かれたページを開くと、その場にいた全員が本を覗き込んだ。
「読めない、な」
「読めないわ」
「たまに読める単語はあるけど」
ウォルター、ドーラ、ジャーヴィスは、タリアが初めてこの日記を目にした時と同じ感想を述べた。
しかしカミールはその本のページを捲り、捲る。
物凄い速さでそのページを読み、次のページへと移動していった。
「この第一巻の内容をまとめると、魔女がどうすれば世界を滅ぼすことができるのかと考えた結果、人同士を争わせてみようって考えに至ったってことが書いてある」
カミールが一冊を読み終わる頃には、カミールは内容をきちんと読み取れるのだということは全員が理解し、読み終えるのを待っていた。
「続きが気になるんだけど……」
本から顔をあげるカミールに、タリアは呆れたように笑った。
「人型魔獣の出現に誰がが関与しているのか、知ってるなら教えてほしいってことと、できればまた仕事を紹介してほしい、その二点をどうにかしてくれたら、続きも全部提供します」
カミールは困り顔で唸り、本を閉じてテーブルの上に置いた。
「仕事はいくらでも紹介できる。というか、復帰してくれると有難いよ。未だに、エステルに来てほしい貴族が多いからね。ただ、人型魔獣の件に関しては……」
「まだ、何もわかっていないってことですか?」
「正直、魔女の関与を疑ってた。それをエステルに否定されて、ほかに誰も思いつかないんだよね」
ここ一年、龍脈都市にだけ出現している人型魔獣。
それ以前は一度の例外を除いて、龍脈都市の外でしか確認されたことはなかった。
その一度の例外とは、オリヴァー邸でのあの事件。
あの事件においての人型魔獣には魔女が関与していたし、この一年の人型魔獣に関しても関与している可能性が高いと睨んでいた。
「ただ、龍脈都市にしか現れないあたり、誰かの意図は確実にあると思う。しかもどこかの国だけ集中してるわけでもないから、どこにでも移動できる人物、というか組織が関わってるんだろうね」
タリアはまたノーヴァで働きながら、随時情報を貰うことで合意した。
今回、寮には入らず、通いになる。週に二回、ノーヴァで演奏し、貴族の依頼を受けることになった。
「カルヴァン伯爵が喜ぶよ。エステルのこと、心配してたから。そうだ! オリヴァーさんにも無事を報告しても?」
「あ、それには及びません。今から行ってきます」
「今、から?」
「はい。ねこちゃん、姿を見せていいよ?」
そんなタリアの言葉の直後、ジャーヴィスはドーラを庇うように、ウォルターと鉄仮面の男はカミールを庇うように警戒態勢を取った。
「こんにちわ! ボクはねこちゃんです!」
「あ、危険はないので大丈夫ですよ?」
タリアの足元には、小型の白い虎がちょこんと座っていた。
「危険はないって、突然現れたし、虎の子供にしか見えないんだけど」
「スティグマータの乙女の移動手段、ってところでしょうか。カミールさんがくれたこの指輪をつけるとこの子が現れるんです」
「それ! え? 移動手段? スティグマータの乙女の?」
「はい。ねこちゃん、元の姿に戻って?」
「うん!」
「って、消えた……」
「ここにはいます。みんな、手を繋いで貰えますか?」
子虎が急に現れたり、消えたり。戸惑いながらも、一同はタリアの言葉に従って手を繋いだ。
全員が手を繋いで繋がったので、タリアはドーラの手を取る。
「みんな、ボクが見えてる?」
「……見えてる。急に大人になったね」
「これが本当のボクです!」
「って、また消えた! ってか、見えなくなった?」
「エステルがいないわ!」
子虎が急に現れて、消えて。今度は大人の虎が見えて、消えて。ついでにタリアの姿も消えたので、その場は混乱を極めていた。
「すみません。驚かせて」
姿を現したタリアの足元には、また子虎の姿があった。
「ねこちゃんの本来の姿に触れている間、私に触れている人も姿は見えなくなる。私はこの子の力を借りて、どこにでも行けるんですよ」
「なにそれ便利!」
「残念ながら、スティグマータの乙女にしか使えないんです。あ、同行はできますけど。私が今からオリヴァーさんに会いに行ける理由、ご納得いただけましたか?」
「納得できないのでオリヴァーさんのところに同行したいでーす!」
元気よく手を挙げたのはカミールだった。
タリアが姿を消せるのはわかった。しかし、その虎で移動できるか。ということには納得できないと。
それもそうかと思い、タリアはカミールと共にオリヴァーの元へ行くことにした。
ただ、危険かもしれないので護衛をつけてほしいとカミールにも、ほかのメンバーにも言われ、鉄仮面の男も同行することになった。
「出発の前に……オリヴァーさんって今、どこに住んでるんですか?」
「何事もなければ、家で隠居生活してるよ」
「家、って?」
「魔獣対策の道具を作ってる時は王城に住んでたんだけど、今は……双子の聖騎士の屋敷に」
「そっか……じゃ、行きましょうか!」
これ以上話すとカミールからオリヴァーの近況の全てを聞いてしまいそうだった。
それはオリヴァーから直接聞きたいと思ったタリアは、白虎のカケラに元の姿に戻ってもらい、カミールと鉄仮面の男にも白虎のカケラの背に乗ってもらった。
「それじゃ、目を閉じてくださいね。目を開けたままだと気持ち悪くなるだけなんで」
「え? なにが起こるか見てたいんだけど」
「止めはしません。じゃ、ねこちゃん、お願い」
「はーい!」
目を閉じ、目を開ける。
すると目の前には、広い麦畑の先に大きな屋敷が見えた。
「移動できるって確認もできたことだし……って、本当に目を開けたままだったんですね」
「やばい、吐きそう」
背後にいる二人を見れば、カミールは顔面蒼白で口元を手で押さえ、鉄仮面の男は顔色こそ見えないがみぞおち辺りを押さえうな垂れていた。
白虎のカケラでの移動は転送と言うべきか、転移と言うべきか。体感的には一瞬だが、ものすごい速さで移動する。その一瞬の間に移動中の景色が凝縮されるので、目で捉えたものを脳が処理しきれず気分が悪くなる。
本当に移動できるのは確認できたので、タリアはそのままアリーズの用心棒紹介所の一室に二人を送り届け、オリヴァーの元へは一人で行くことになった。
「それじゃ、改めて行ってきます。二人をよろしくお願いします」
残っていたウォルター、ドーラ、ジャーヴィスの三人に二人を預け、具合の悪くなった事情についてはカミールから聞くように。そしてオリヴァーとの話が終わったら戻ってくると伝え、タリアは再びオリヴァーのいる屋敷へと向かった。
麦畑の間に通る、一本道。
その奥にある大きな屋敷は、リアムとユーゴの家だった。
その景色に、タリアの近くにはリアムとユーゴがいて、屋敷の前で家族が待っていてくれるように錯覚してしまう。
三年半以上前の記憶が鮮明に蘇ってくる。景色も、風の匂いも、全てがあの頃のままのような気がした。
タリアは白虎のカケラの力を使って、屋敷のすぐ目の前に移動することもできた。
しかしそれをしなかったのは、時間をかけ、歩きたかったからだった。
カミールに会うためにノーヴァへと赴いた。しかし、今日の今日で会えるとは思っていなかった。
カミールに会うということは、近いうちにオリヴァーにも情報が回ることが予想された。
他人の口からタリアの近況を聞かせるくらいならば、これを機にオリヴァーに会いたい。会って直接話したいと思っていた。
思ってはいたが、今日の今日で会いに来ることになるとは考えていなかったのだ。
何から話せばいいものか。
オリヴァーには本当に世話になったというのに、自分勝手な理由で去ったことへの謝罪を。
心配をかけていた分、叱られる覚悟も出来ている。
オリヴァーの気がすむまで叱られて、思いつくままにこれまでの三年半を話そう。
そしてオリヴァーの三年半を聞こう。
そんなことを思っていると、正面から走って来る人影が見えた。
屋敷を飛び出してきたその人影は、物凄い速度でタリアに近づいている。
タリアの足は止まっていた。
近づいて来るその姿に、近づくほどに見える切羽詰まったような、泣き出しそうなオリヴァーの表情に、申し訳なさと、懐かしさと、嬉しさがこみ上げてきて、タリアの視界を滲ませた。
※ ※
ノーヴァに復帰してからのタリアは、出番でのみ舞台に上がり、接客は一切しないことになっていた。
それは貴族が人型魔獣の出現に怯え、貴族の区画を囲う柵の内側から出なくなったためだ。
その代わり、貴族の区画内のどこかで夜な夜な行われている社交界や晩餐会で演奏することが多くなっていた。
そんなある日、カミールから呼び出されたタリアは、用心棒紹介所の一室にいた。
(なんか……嫌な感じ……私、何かミスったのかな……)
タリアを呼んだ張本人、カミールは資料を睨みつけたまま。
タリアを座らせるまでは普通に会話もしていたのだが、急に黙り込んでそのままだった。
カミールの後ろには鉄仮面の男が、ただ立っている。
彼に関しては詳しく聞いたわけではないが、用心棒紹介所のSランク三人のうちの一人。
Sランクといえば攻撃系魔法と防御系魔法の二種持ちで、しかもなんらかの事情がある。ラズから亡命をしてクオーツに永住したがっているジャーヴィスのように。
鉄仮面の男にも事情はあるだろうが、戦場で頭から首まで酷い火傷を負い、それを隠すために常に鉄仮面を身につけているという話だった。首まで火傷を負って以来、声を出すこともできなくなったので、彼が意見を述べる時は筆談に限られていた。
「あの、お話ってなんでしょう」
三人もいて誰も話さない状況に居た堪れなくなり、やっとタリアは切り出した。
「あ、ごめん……ちょっと考え事してて……」
やっと資料から視線を上げたカミールは、いつものような柔和な笑顔をタリアに向けた。
「最近、依頼をこなす量が増えてきてるけど大丈夫?」
「ええ。直帰させて貰ってますし、そんなに苦にはなってません」
「ははっ、ちょっとは苦になってるってことだよね?」
「仕事なんだから苦になることぐらいありますよ。最初から、楽して稼ごうとは思ってないので気にしないでください」
「そう言って貰えると助かるよ。で、今日呼んだ理由なんだけど……」
カミールは先ほどまで睨みつけていた資料をタリアに差し出し、それを受け取ったタリアは内容に目を通した。
「依頼を受ける前の身辺調査、ですか?」
「うん。依頼主は問題ないんだけど、問題なのは会場を提供してくれてる方」
「オブシディアン国王の、弟、ですか」
「数年前にクーデターを起こした疑惑があるんだけど、決定的な証拠が出ず。それ以降、山の上の古城に住んでるんだ」
アリーズの真横には死の森と呼ばれる龍脈の森がある。それは山の頂でもあり、アリーズが国として設立した頃、山頂に要塞が建設された。
そこはもしもの時の籠城場所。地下通路を作り、有事の際には住民が全員移動出来る施設になる予定だったが、地下通路が完成する前に周辺三国をまとめ上げてオブシディアンとなったので、作りかけで放置されていた。
要塞はすでに出来上がっていたのだが、山の上のためか水源が乏しく、使い勝手が悪いので放置されていた。
そこにオブシディアン国王の弟が移住し、年に一度、三日間に渡り貴族たちが招待される晩餐会が開かれる。
そこにタリアも演奏者としてきて欲しいという依頼が舞い込んだのだ。
「その依頼を受けるとなると、最低でも三日は閉じ込められるってことですね」
「それもあるんだけど……」
カミールの顔が急に険しくなった。
「毎年、若い従者の行方不明者が出るんだ。そういう噂を耳にしたから調べてみて」
「噂は本当だった、と?」
「……うん。毎年、少なくても二人。十代後半の男女。決まって一人で行動していなくなってる。要塞の外は魔獣もいるし、探しても見つからないから魔獣に襲われたんじゃないかって」
重々しく語るカミールに、タリアは首を傾げた。
「もし、私や護衛の人たちが行方不明になると懸念してるだけであれば、そんなに心配することじゃないですよね?」
今の話だけだと、「要塞のすぐ外は危険なので出ないように」と注意すればいいだけの話で、わざわざタリアを個別に呼び出さなくてもいいと思ったのだ。
「カミールさんの懸念は、もっと別の理由を知ったからじゃないんですか?」
カミールは眉を寄せ、苦しそうに目を閉じた。
「これ以上は現場にでも行かない限り情報収集は無理。だから現段階での可能性の高い二つだけ言うよ」
「はい」
「一つは、国王の弟への献上。周囲に何もないのでさぞ退屈でしょう。好きに使ってくださいって感じ?」
「……もう一つは?」
「人型魔獣の研究、もしくは実験」
「……え?」
「魔女の日記、預かった分はまだ読み終わってないんだけどね。気になる記述があって……」
今度は魔女の日記を取り出し、カミールはページを捲る。
その日記はタリアが魔女の家から持ち出したものに他ならないが、魔女がきちんと管理していた試しはなく、一室にただ山積みにされていた。というか、一冊書き終えると部屋の中に投げ込むだけだったようだ。
タリアはその中から第一巻と思われるものを見つけ出したものの、それだけでも数ヶ月かかった。
第一巻を見つけるにあたり、まずは百年置きの山を作った。年代の一番若い山に関しては最初から順番に並べようとしてはいたので、カミールにはその山の全てを託していた。
「魔女はこの世界を滅ぼしたくて仕方なかった。で、手始めに人同士で殺し合いをさせようとしたんだ。多分だけど、五百年前に十二国が四国にまとまった、この世界で最も大きな戦争の引き金を引いたのは魔女みたいだ」
「……魔女が、そんなことを?」
「戦略とか戦況とか何も考えずに、とにかく兵士が拠点としてるところに行って全滅させたみたい。敵国に攻め込まれたと勘違いして、勝手に戦争が大きくなっていった感じだね」
それから魔女は手近にあったアリーズ国の兵士に混ざって戦地に行き、周辺の人間を殺しまくった。そうしているうちにアリーズ国は周辺二国と合体してオブシディアンという国になった。
一つ、大きな国家ができたことで戦況は加速した。
「そこまでは魔女の狙い通りだったんだけど、戦地で魔女は大怪我をした。それはすぐに治ったんだけど、魔女の血を浴びた数人が魔獣化した」
タリアは絶句し、カミールの話に聞き入っていた。
「その時に魔女と呼ばれるようになったみたいだよ。何年経っても見た目が変わらないのも魔女だからだって。その後、何十年も魔女は……山の上の要塞に閉じ込められて」
魔女の血を浴びた人間が魔獣化。
魔女は人工的に魔獣を生み出せるのだろうと思ってはいたが、その方法を魔女に聞いても答えてくれることはなかった。
魔女の日記さえ読み解くことができれば知れると思ってはいたが、実際に知ってみると驚かずにはいられなかった。
沢山の人がいる場所で魔女が血を浴びせれば、それだけで人型魔獣が溢れ出すということだ。
魔女にはタリアと同じ、移動手段がある。一瞬にしてどこにでも行くことが出来る。
魔女が本気になれば、本当に世界から人が消えてしまうということになる。
「魔女は拷問や処刑で死ねるのではないかと期待してたけどダメだった。そんな時、血を提供すれば解放してくれると言われ、魔女はそれに従ったそうだよ。ま、約束が破られてまた閉じ込められそうになったんで、皆殺しにしたらしいけど」
「……でも、それっていつの話です? 最近の話ではないはずだし、その血の効力だってとっくになくなっているって可能性も」
「そう思いたいところなんだけど、つい数年前、オブシディアンで人工的に人型魔獣を生み出そうとする計画があったみたいなんだ」
「っ……最悪っ」
「本当にね。その計画の発端に魔女の血があったとしたら、アリーズの壁の中以外の、俺の入り込んでいない場所にきっとある」
タリアは目を伏せ、深くため息を吐き出した。
カミールがタリアを個別に呼び、依頼を受ける前の身辺調査の段階の話を聞かせている理由がわかったのだ。
「俺も招待客に混ざって参加はする。ただ、従者一人、護衛二人までと決められているんだよ」
この依頼を受ければ、一番危険なのはタリアになるとカミールは考えている。
これまでに行方不明になったのが十代後半であることもタリアに当てはまるし、カミールの仲間で十代後半はタリアしかいないからだ。
それはわかっていても、カミールはこの依頼を受けたいと思っている。
カミールも立ち入ったことのない場所に秘密が隠されているからだ。
しかし、カミールを含めて四人では心許ない。
タリアの護衛に何人付けられるかはわからないが、確実に頭数が増える。
「私、この世界でしぶとく生き抜いてやろうって決めたので、危険に足を突っ込むのは嫌です」
「……そっか」
「でも、魔女と人型魔獣に関わっているかもしれないのなら、行きます」
「え? 行くの?」
「何もしないで、滅び行く世界で生き抜くなんて嫌です。人型魔獣に怯えることのない未来にしたいから、魔女と人型魔獣についてならなんでも知りたいんです」
カミールは断られるとばかり思っていたのか、タリアの言葉に何度も素早い瞬きを繰り返していた。
しかしタリアの決意を理解し、しっかりと頷いた。
「危険がないよう、最大限の努力をするって約束する。本当に危険だと思ったら、ねこちゃんで離脱してくれて構わないから」
「あ、隙があればねこちゃんで潜入捜査できますよ」
「それはっ……使わせてくださいっ!」
まだ依頼を受けてはいないが、国王の弟の住んでいる要塞での晩餐会まで二ヶ月以上ある。
依頼はすぐに受けるが、例年の晩餐会の様子や出席者などを細かく調べることは止めない。
調べはカミールに任せ、タリアは自分に出来ることをこなすことだけに集中した。
第1話 完




