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龍の愛し子 ー 聖痕の乙女と魔女 ー  作者: 月城 忍
第2章 死の森の魔女
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死の森の魔女 第14話

 

(疲、れた……)


 カルヴァン伯爵がタリアのために用意しておいてくれた辻馬車に乗り込み、柵の門まで移動をしていた。

 その馬車の中、タリアは座席で脱力。背もたれに体を預け、半目で放心状態。


「ははっ、お姫様は気疲れか」

「すみません、あまり動いてもいないのに」

「いやいや、今日だけで三件も依頼が入ったんだ。よく頑張ったよ」

「ありがとうございます。そちらは成果があったんですか?」

「面白い話が色々聞けた。カミールが食いつきそうなやつ」

「それは何よりです」


 社交界が始まってからのタリアはずっと貴族の相手をしていたため、気が滅入るほどに疲れていた。

 出番前もそうだが、出番が終了した後の方が大勢に取り囲まれる形となり、質問ぜめに遭い、ウォルターに助け舟を出してもらいながらも、見事次の仕事をもぎ取った。


「しっかし、こういうの、ドーラさんの方がよほど上手そうですよねー。なんで私だったんだろ」

「ドーラの歌は大衆向けだからなー。貴族様には下品に見えるらしい」

「えー、あんなに格好いいのに」


 ドーラは客の扱いが非常に上手く、タリアはいつも手本にさせてもらっている。

 貴族に囲まれても悠然としていそうだし、タリアよりも役割を上手くこなしそうだと思ったのだが、貴族に気に入られそうな歌は庶民受けしないのかもしれない。


 ノーヴァは元々、市民から情報を得るための場所だったこともあり、ドーラはそこでの役割をしっかりとこなしているので、今更貴族向けにするわけにはいかなかった。


「今日の成果、聞くか?」

「情報の?」

「ああ。気になるかと思って」

「うーん……聞かないでおきます。貴族の事情に興味はないですし。ただ、私が聞いたことに関してはお教えしておきます」


 タリアは覚えている限り、貴族が目の前で話していた雑談のような噂話をウォルターに伝えた。

 どこの子息がどこの令嬢に好意を寄せているとか、あの令嬢は実は誰に振られたとか、あの家は借金まみれで資金繰りに苦労しているとか。

 タリアが貴族と関わりのない、柵の外から来た部外者だということもあって、「あの殿方、どこかで拝見したことが」とか、「とてもお綺麗な方が」と遠くにいる貴族の話題を持ちかけると、その人物についてペラペラと教えてくれた。


「へー、そんなこと話してたのか」

「話題に困って、苦肉の策で」

「いやいや、次からもお願いしたくらいだ」


 タリアは疲れて怠慢になりながらもしっかりと頷いた。

 ここでもドーラ直伝の「知らないフリ」が大いに役立っている。

 さも「私の知らない、色々なことを知っていて凄い」というリアクションで話を聞いていると、調子に乗ってどんどん口が軽くなっていく男性もいるのだ。


 一晩で一ヶ月分の報酬が発生する。

 演奏に関わることだけをしていてその報酬は高すぎると思ってしまうので、役に立つのはどうかはわからないが、タリアが知り得た情報くらいは提供しても構わなかった。



 柵の門の前で馬車を降り、そこからは徒歩でノーヴァに向かう。

 営業時間はとっくに過ぎ、店が閉まっている。

 護衛四人に裏口まで見送られたタリアには報酬が手渡され、四人は集めた情報の精査のために用心棒紹介所へと向かっていった。




  ※ ※




 タリアがアリーズに入って間もなく三ヶ月が過ぎようとしていた。

 ドーラがそわそわとし出し、理由を聞けば「そろそろカミールが来る頃だから」と。

 カミールはきっちり三ヶ月で世界を一周しているわけではない。天候に日程は影響されるし、気になる情報があれば長居することも頻繁にあるからだ。

 けれどドーラはカミールがアリーズを発って三ヶ月が近くなると、どうしても待ちわびてしまうのだとか。


(いい加減、私も何かしないと……)


 この三ヶ月、タリアは自分の役割を果たすことを中心に動いていた。

 しかし、そんな中でも他に考えていることがあった。


 魔女のことだ。


 ウォルターやドーラから、知り得た新しい魔女の情報を貰えることにはなっている。

 けれどこの三ヶ月、何も動きがない。

 魔女は決して姿を見せず、一緒にいる男は毎週決まった曜日にアリーズの市場に現れ、魔獣の皮やツノを売り、そのお金で食料品や日用雑貨を購入する。

 それしかわかっていない。


 アリーズに来て三ヶ月。カミールとの約束の試用期間が終わろうとしている。

 貴族の屋敷への演奏の依頼は、この三ヶ月目以降は全て保留にしてあった。

 継続するか否かはタリア本人の意思だけではなく、雇用主であるカミールときちんと話してから決めることだからだ。


 これまでの二ヶ月で、貴族からの依頼は全部で八件受けた。保留の依頼もあるので、タリアさえ継続するといえば継続するのは簡単だが、タリアには思いついたことがあってーー


 それを実行するとなると、最悪の場合は命を落とす。


 最悪の事態を想定すると、仕事の継続をしてもカミールやノーヴァの人たちに迷惑をかけるだけだった。


「よし、決行しますかっ」


 その早朝、決心を固めたタリアはマントを羽織り、こっそりとノーヴァの寮を抜け出すと足早に市場へと向かった。


 まだ早朝と言うこともあって人通りは少ない。

 夜は女性にとって危険な町だが、日が出ている間、人通りのある場所ならば一人で歩いても平気だった。


 タリアは実際にその男を見ていない。

 いや、見たのかもしれないが動きが速過ぎて一瞬しか視界にいなかったので覚えていない。

 だからウォルターたちからもたらされた情報の中の男しか知らなかった。


(おっ、あの人っぽい……ってか、あの人だわ、絶対)


 その男は顔の下半分をいつも隠し、長い黒髪を低い位置で束ねて肩から前に垂らしている。


 という情報通りの人物がタリアの視界の中にいた。


 その男に近づくと、タリアの視線に気づいた男がタリアを見た。

 数秒間、タリアの動向を探るように視線を向けた後、何事もなかったかのように買い物を続けている。


 タリアは男の横に立ち、男が見ている商品を覗き込む。


「魔女さんに会って話しがしたいんですが、どうすれば会えますか?」

「会って、話し?」

「ええ。連れて行ってもらえるととても助かります」

「……いいだろう」

「買い物が終わってからで構いませんよ?」

「これで終わりだ」


 野菜や果物が山積みにされている中から選んだものを店主に渡し、袋に入れてもらいお金を手渡すのを待ち、歩き出した男と並んでタリアも歩く。


「あの、できればいつもと違う道で」

「見張りをまけばいいのか?」

「……はい」


 男は近くの路地に入り、タリアに荷物を押し付けてタリアを抱え上げた。

 そして空気を踏みつけるように民家の屋根へと駆け上がり、風のように屋根から屋根へと移動していく。


(ウィルにしか出来ないやつだ、これ……)


 程なくアリーズを囲む壁が目前に迫り、また空気を踏みつけるように壁の上へ。

 そこから森の上空を通って森の中心部へと空を走った。


 以前、ウィリアムが見せた、攻撃系魔法の部分障壁の応用。

 予想はしていたが、この男は少なくとも攻撃系魔法の適正者と言うことになる。



 男が降り立ったのは、建設途中で放棄されたと思われる、石造りの大きな建物の前だった。

 建物の横は湖となっており、その周囲だけ森が開けて光が差し込んでいる。

 しかしその周囲を取り囲む森は深く、木々の隙間から奥は光が差し込まないようだ。


 タリアを下ろした男は、タリアに預けていた荷物を受け取って建物の中へと進んでいく。

 タリアは黙ってその後に続いた。


(え? これって……龍脈? クオーツのと色が違う……)


 玄関と思われる扉を潜ると、吹き抜けの広い空間に出た。その中央で存在感を発している半透明の黒のような、いぶし銀にも見える巨大な塊。


 触れて魔力を視ると、クオーツで馴染みのある黄色のような魔力が視えた。

 クオーツの龍脈は半透明の蒼い水晶のようだったので、触れて見なければ龍脈とは気づかなかっただろう。


 龍脈の前で驚いて立ち止まっていたタリアだったが、男は構わず奥へと進んでいくので慌てて追いかけた。


「姫、客人を連れてまいりました」


 男を追いかけ、入った部屋。

 ロッキングチェアに揺られながら縫い物をしている女性がいた。

 一切の歪みのない長い黒髪に着物姿の、紛れもなく、魔女と名乗った女性だった。


「思ったより随分と早い。魔獣達が美味そうだと騒いでいたのでもしやとは思っておったが……」


 顔をあげてタリアを見た魔女はにっこりと微笑み、横のテーブルに縫い掛けの布を置いて立ち上がった。


「さて、場所を変えるとするか」

「あ、あの!」


 タリアの手が小刻みに震えていた。

 魔女を前にして緊張をしないはずがない。怖くないはずがない。

 決心を固めて、考えていたことを実行に移したとはいえ、憎むべき相手を前にして平常心でいられるはずがなかった。


「殺し合いをしに来たわけではありません! 話しを、しに来たんです」

「話し? 何を話すことがある。我が憎くて憎くてしかたのぅてここに来たんじゃろう」

「全く憎くない、とは言えません。だけどっ……」


 タリアは緊張と恐怖で胸がつまり、声が上手く出せなかった。


「貴女が、私の思う人物像であるなら、ただ貴女を憎むことはできない」

「ほう……」

「そう思って、貴女を知りたくて来ました」

「うむ。どういうことかさっぱり分からん!」

「……ええっと、だから」

「姫、この子は姫を殺すほど憎めてはいないようです」

「なに! なんでじゃ!」

「それを話しに来たようですよ」

「よし、わかった! 聞こう! ならば茶の準備じゃな! 少し待っておれ」


 呆然と立ち尽くすタリアの横を通り過ぎ、部屋を飛び出していった魔女。

 ため息が聞こえて、タリアは顔をため息をした方に向ける。


「姫は予想外のことにすこぶる弱い。お前が殺しに来るとばかり思っていたから、話しがしたいと言われ、殺したいほど憎めていないと知り、混乱したんだと思う」

「混乱……」

「お前、本当に……姫を殺しに来たのではないのだな。俺はてっきり……」

「……本当に、話しをしに来ただけです」

「そうか……」

(この人……安心、してる……警戒を解いたの、わかる……)


 タリアは魔女についても、この男についても何も知らない。

 ただ、魔女を「姫」と呼び、主従関係になるのではないかと思われた。


 オリヴァー邸での事件においてのこの男の役割は実行。リアムとユーゴを手にかけたのはこの男で間違いはないだろう。

 もしかすると裏口にいた全員を手にかけたのもこの男かもしれない。

 つまり、魔女の命令を確実に遂行するのがこの男の役目。


 だとすると、魔女が自らの死を望むのなら、この男はそれに従う。

 タリアをこの場に連れて来たのも、魔女がタリアとの殺し合いを望んでいるからだ。


 しかし殺し合いを望まないタリアに、男は安堵した。

 少なくともこの男は、魔女とタリアの殺し合いを望んでいない。


 そのことにタリアは驚いていた。


「貴方は……私の大切な人を、何人殺しましたか?」

「……十人。オリヴァーという男も含めるなら、十一人だ」


 真っ直ぐにタリアを見つめるその眼差しに、タリアは真っ直ぐな視線を返す。


 男の目には後悔も、謝罪の色もない。

 それはこの男にとって、魔女の望みを叶えた結果の惨殺だったからだろう。

 悪いと思っていなから、後悔もないし、誰に謝ることでもないのだろう。


「怒りも、喚きもしないんだな」

「……いっそ、清々しいなと思って」

「清々しい?」

「なんでもないです」


 タリアは深く息を吐き出し、男から視線を逸らせた。


 魔女も男も、オリヴァーとギルバートの生存には気付いていない。

 それが分かり、今のところ二人が再び狙われることはないと安心できた。


「……まぁいい。移動するとしよう」


 男に連れられ、タリアはダイニングと思われる部屋に入った。大きな部屋に似つかわしくない小さなテーブルと椅子しかない、殺風景な部屋だった。


「もしやこれはっ……緑茶では?」


 タリアは出されたお茶に過剰に反応した。


「おおっ、わかるのか!」

「わかります! って、この体じゃ香りで懐かしめない! 悔しい!」

「紅茶になる前の茶葉を扱う店が少なくて入手するのも一苦労なんじゃ」

「え? 緑茶と紅茶って元は同じなんですか?」

「おいっ、そんな話しするために来たのか?」

「あっ……」


 目的も忘れ、出されたお茶に食いついてしまったタリアは、男の声で我に返った。


「よかろう、少しくらい」

「目的を忘れるのは良くありません」

(なんだろ、調子狂うなぁー。友達夫婦の家に遊びに来た、みたいな感じする……)


 先ほどまで確かにあった緊張感も恐怖心も、今はすっかりなくなってることに、タリアは違和感を覚える。

 大切な人たちを惨殺した二人を前にしているのに、だ。


「あの、魔女、さんにいくつか聞きたいことがあるのですが」

「うむ。なんでも答えよう」

「ありがとうございます。では……」


 タリアは何から聞こうかと少し考え、『クレメントの手記』に登場するアンと魔女が同一人物なのか確認することから始めることにした。


「クレメント、という男性に覚えはありますか?」

「ない」


 躊躇いもない即答。手記に登場するアンと同一人物だと思っていたので、タリアの当ては完全に外れたことになる。


「貴女は、スティグマータの乙女と呼ばれていたことがあるんですよね?」

「うむ」

「それは何年前の話ですか?」

「覚えておらぬ」

「……では、何年、この世界にいるのかも分からない、ということでしょうか?」

「正確には分からぬ」

「姫に過去の話しを聞くのは無駄だぞ?」

「え? なんで」

「覚えていられるのが五年間だけだからだ」

「五年?」

「我の覚えていることは、ここ五年のこと。ここに来たばかりの頃のこと。そして」

「この世界に来る前のこと、ですか?」

「っ、そうじゃ。何故、それを」

「スティグマータの乙女が皆、こことは違う世界にある島で生まれ育ち、十七歳の誕生日にこの世界に来た。それを知っているし、私も……その世界から生まれ変わってこの世界に来たからです」


 タリアは『クレメントの手記』の内容と、島の出身者の話しを照らし合わせ、その手記に登場するアンという女性が魔女である可能性があると思い、それを確かめるためにここに来たことを話した。


「クレメント……その名に覚えはない。しかし、そのアンは……我であるのだろうな」

「どうして、そう思うんです?」

「我がこの世界に来た時は確かに、十二国での争いの真っ只中。我が攫われた時、目の前で家族が殺された。それからは死ぬことも出来ず、ほれ……」


 急に、魔女の目の色が変わった。白目が黒く、黒目が赤く怪しげに光る。

 それは魔獣と同じ目だった。


『クレメントの手記』にも、アンが去り際、クレメントを眠らせる際に魔獣のような目になったという記述があった。


「こんな目になる者が他におるとは思えん」

(五年しか記憶できないから、クレメントの名前に覚えがなかっただけか……)


 やはり、魔女はアンだった。思っていた通りだった。


「つまり、貴女は五百年以上、この世界で生きているということになる。いや、閉じ込められていると言ってもいい。だからこそ、貴女は死にたいのですね」

「その通り。だからこその殺し合いじゃ!」


 意気揚々と立ち上がった魔女に、タリアは眉を潜める。


「申し訳ないですが、私に貴女を殺すことはできません」

「なんでじゃ!」


 強く拳をテーブルに打ち付けた魔女に、タリアは続ける。


「だって……貴女の言っていた通り、私は中途半端で……ちゃんとしたスティグマータの乙女が二人、貴女を殺そうとして失敗しているんでしょう? 中途半端な私に、彼女たちのできなかったことができるとは思えません」

「やってみなければわかるまい! 何もせずに諦めるのは嫌じゃ!」

「そうでしょうね。少しですが、死にたくても死ねない気持ちはわかります」


 眉を潜めたまま、タリアは微笑む。


 魔女は死にたくても死ねず、この世界を呪ったまま五百年以上の時を過ごして来た。

 タリアが自害を試みた時、大切な人たちを自分のせいで死なせてしまった絶望感より、どうやっても死ぬことができないことに、より絶望をした。


 こんな世界に一秒だっていたくない。けれどそれが許されないという絶望。

 そんな絶望を魔女は、五百年以上も抱えて生きるしかなく、ほかの『スティグマータの乙女』に殺されようとしたが失敗し、終わりの見えない絶望の中、現れたタリアに縋ったのだ。


「やっぱり、貴女を憎むことはできません」

「それはダメじゃ! 憎めと言ったであろう! 我を殺しておくれと言ったであろう!」


 今にも泣き出しそうな顔で叫ぶ魔女に、タリアは微笑みならが首を振る。


「だって貴女は……私と同じ。一歩間違えば私も、貴女と同じになっていたはずだから」

「同じなわけなかろう!」

「うん、私はギリギリのところで踏みとどまれた」


 タリアはポケットからネックレスを取り出し、テーブルの上に乗せる。


「私に貴女を殺すことはできない。だけど、貴女が解放されるために、一緒に考えることはできます」


 そのネックレスは、予備にとデュランから買ったものだった。

 タリアのしているネックレスと同じものだった。


 タリアは身につけているネックレスを外した。


「なんじゃ……瞳の色が……」

「このネックレスは、魔力を吸い取るみたいなんです。私の場合、常に全ての魔力が視えるんですが、このネックレスをつけていると視えなくなるし、魔力が抑えられて力が弱まるんです」

「なんと面妖な!」

「このネックレスと同じものを魔獣につけると、数分で息絶えました」

「誠か! なんと素晴らしい首輪じゃ! では我も!」

「それはわかりません。でも、試す価値はあるかと思って」


 魔女は素早くネックレスを持ち、いそいそと首に装着した。

 タリアはネックレスを外したまま、魔女の魔力の変化を観察する。


「ん? なにやら、意識が……」


 魔女はゆっくりとテーブルに頭を預け、ゆっくりと瞬きを繰り返す。

 そして目を閉じたと思ったら、静かな寝息を立てた。


「魔力は少し落ち着いたけど……寝てるだけっぽいですね」

「……そうだな。寝てるだけ、だな。よほど魔力を使わない限り、眠ることなどなかったんだが」


 魔女の魔力は猛烈な勢いで体中を巡っていた。

 ネックレスをしたことで、その流れが少し穏やかにはなった。

 しかし、魔獣に取り付けた時には魔力の流れが停止し、数分で死に至ったことを考えると、ネックレスで魔力を抑えることは出来るが効力が足りないと考えられる。


 それは魔力を吸い取る水晶の量の問題か。それとも水晶では問題解決にならないのか。

 現段階ではどちらとも言えない。


 眠ったままでは話しにならないのでネックレスを外してみたが、最初よりも魔力が少ない。

 もしかすると活動するのに十分な魔力が補われるまでは眠り続けるのかもしれないと、魔女が自然に起きるのを待つことにした。


「なんか……すみません。ご飯までご馳走になっちゃって」


 魔女が起きるまで、タリアは魔女の日記を読ませて貰っていた。

 魔女の記憶が五年しかもたないので、過去の自分がなにをしたのか知るために日記をつけているのだ。

 しかし魔女は自分で見返した試しがなく、ただ量を増やしているだけらしい。

 読んでも文句は言われないので、タリアが読んでも構わないはずだと男に言われ、他人の日記を読むことに躊躇いを感じつつもーー

 魔女の過去には非常に興味があるので読ませてもらうことにした。


 しかし、部分的にほんの少しをやっと読み解ける程度。

 頻繁に見慣れない文字が登場し、見慣れた文字が所々にある。文法も違うのか、読める単語だけを追っても文章として読み解けない代物だった。




 そうしているうちに、男が食事を用意してくれたのだ。


「ん! 美味しい!」

「そ、そうか……良かった」

「料理上手なんですね! これは魔女さんも喜ぶでしょう」

「いや、あの人は水分しか口にしないから」

「あ、そっか……こんなに美味しいのに、食べられないなんて」

「出会った時からそうだからな。人に食べさせたのは初めてだ」

「そうなんですか? すっごく美味しいです! 本当に!」

「……ん」

(あ、嬉しそう……)


 タリアに料理を褒められ、微妙にだが、男は確かに微笑んだ。


(もうっ……どうやったって憎めないよ……)


 料理の美味しさにても口も止まらない。

 食べ続けながらもタリアは困っていた。


 もし、魔女も男も人間性に欠陥があり、人と虫けらのように殺すような人種だったら憎めたのだろう。

 しかし二人ともそうではないと知ってしまった。


(だって、わかっちゃうもん……同じ力を持つ人にしか自分を殺せないんじゃないかって、私でもそう考えてしまうから)


 理由があって、仕方なくその道を選ぶしかない状況にあった。

 タリアを覚醒させるため、絶望させるため、『スティグマータの乙女』の枷に該当する人物を全員殺す。

 本物の『スティグマータの乙女』ならば覚醒後、力が増大するだけでなく、三種の特殊魔法を使えるようになるはずだから。


 魔女も、中途半端だと知りながらタリアを覚醒させた。覚醒後、ほかの『スティグマータの乙女』と同じになるのを期待していたのかもしれない。


「あの、魔女さんはまた、私の大切な人を殺すと思いますか?」

「いや。必要ないはずだ」

「それは、私が覚醒したから?」

「そうだ」

「でも、殺せなければ人型魔獣を世界に放つようなことも言っていたんですが、それはただの脅しでしょうか?」

「……脅しではない。自分が死ねないのなら、世界を滅ぼす」

「ああ、そういうことか」

「理解、出来るのか?」

「自暴自棄も極限になれば、そうなるかなーっと」


 ご馳走様でした。綺麗に出された食事を完食したタリアは、満足そうに両手を合わせた。


「そういえば、貴方の名前は?」

「……ない」

「ないって……魔女さんにはなんて呼ばれているんです?」

「名は呼ばれない」

「ええっ、じゃあ、なんて呼べばいいですか?」

「名など呼ぶ必要はない」


 急に冷たい態度になった男は、ベッドに移動させた魔女を起こしに向かった。


「起こすんですか?」

「揺すって起きないなら、今日は諦めろ。帰らないと心配するやつもいるだろ」

「……確かに」


 男が魔女を揺すると、眠そうに目を擦りながら魔女が目を覚ました。


「我は……眠っていたのか」

「ええ。それはもうぐっすりと」

「死ねなんだか。しかし、いつぶりか……感動すら覚えるのぉ」

「この子を、そろそろ帰してやらねばなりません」

「そう、か」

「また来ます。って、また連れてきて貰わないと来れないんですけど」

「そうだな。買い出しの日にするか」

「ちょっと待て……あれが使えるなら……」


 まだ眠いのか、開け切らない瞼を何度も上下させ、魔女はベッドの横にある棚からケースを取った。


「これをつけてみよ」

「これって、どれです?」


 ケースの中には三つの指輪が入っていた。指輪にはそれぞれ宝石がはめ込まれ、黒、赤、青く輝いている。


「三つとも試せ。試せばわかる」


 言われるまま、タリアは一つづつ、指輪をはめてみた。

 しかし、ただ緩い指輪。という感想しか生まれなかった。


「ふむ。使えんか」

「あの、この指輪はなんなんです?」

「こういうものじゃ」


 魔女は黒い宝石の埋め込まれた指輪を身につけ、タリアの手を取った。


「ん?」

「見えるか?」

「目の前に、亀? いや、もしかして……玄武?」

「ほう、その名を知っているのなら話しは早い」


 タリアの目の前には大きな亀のようなものが見えていた。

 亀のような甲羅。しかし顔は龍のようで、尻尾は蛇。

 オブシディアンの紋章でもあり、刀鍛冶のルーが手がけた玄武にも彫り込まれたものに酷似していた。


「我はこの世界に来た時、この指輪をしておった。これに乗れば人に見られることなく、この世界のどこにでもいける」

「なにそれ、便利!」

「これが使えればいつでも来られると思ったんじゃが」

(ナターシャさんはこんな便利アイテムがあるなんて一言も言ってなかったけど?)


 魔女がこの世界に来た時に指輪を持っていたのなら、ナターシャも持っていておかしくない。

 ナターシャのことだ。持っていれば言っただろう。つまり持っていないと考えたほうがいい。


「でも、なんで三つもあるんです?」

「乙女を二人殺したからのぉ。死体に持たせておくのももったいなかろう」

(そんなに軽く言わないでほしい……)


 ともかく、タリアにその指輪は使えそうにないので、週に一度、男が買い物にアリーズを訪ねるその時に送り迎えをしてもらうことになった。


 聞けば、毎週同じ曜日に買い物に出ていたのにはわけがあった。

 アリーズに入る随分前から何者かに監視されていることには気付いていた。

 その監視する何者かからタリアに居場所の情報が回ることを予測し、接触しやすいようにしていたのだ。


「それじゃ、また来週」

「楽しみに待っておるぞ」

(楽しみにって……)


 今後、タリアは魔女とともに、魔女を解放するための方法を探る。

 それはつまり、魔女を殺す方法を考えるということだ。

 それを楽しみに待つという魔女に苦笑する。


「そういえば、名は何というんじゃ?」

「……エステル」

「エステル、か」

「貴女は?」

「忘れた。魔女で良い」

「ふふっ、わかりました」

「……のぅ、エステル」


 魔女に呼び止められたタリアが振り返ると、魔女の目の色が怪しく変わっていた。


「やはり、間違いなさそうじゃ」

「なにが、ですか?」


 その後、魔女が口にした言葉に驚愕し、タリアはその場に膝をついた。





 第14話 完

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