死の森の魔女 第13話
タリアがアリーズに入って一ヶ月が経過していた。
ノーヴァを中心としたアリーズでの暮らしにも随分と慣れ、少しずつ周囲に目を配れるようにもなっていた。
ノーヴァには寮がある。しかしそれを利用しているのは、アリーズ以外の出身者に限られている。しかも寮に住むのは全員が演者。カミールがアリーズに連れてきた者しかいなかった。
他は全員通いの従業員で、酒場を任されているのはアリーズ出身の元兵士のラングという長身の男。
酒場の売り上げや従業員の教育、給料の支払いなどはラングが行い、演者を取り仕切っているのはウォルターという役割分担になっていた。
ノーヴァの隣の建物は用心棒紹介所になっていて、タリアを含む、女性演者はに月に二度は無料で用心棒を雇えることになっていた。それ以上は実費になるが、価格の設定が貴族に合わせてあるので非常に高額な為、誰も実費での利用はしていなかった。
寮に住んでる者は寮費を給料から引かれている。その中には食費も含まれているので、毎食賄いが振舞われる。仕事に使う衣装や小物は貸し出してくれるので、外に買いに行かなくても日常生活に困ることはなかった。
(寮費があるから、手元に残るのはほんの少し、か……)
この日、タリアはこの世界にきて初めて給料を手渡された。
(ここにいる限り生活に困ることはないからいいんだけど、もしもの時の為にお金は貯めておきたいな)
その額の少なさに少々驚く。この一ヶ月分のチップの方がよほど多いからだ。
タリアは初日に一番人気のドーラに紹介されたということもあり、一気に知名度を得た。
それに加えてその容姿と演奏も認められたので、演奏すればチップを貰えるようになっていた。
客の顔も覚え、話をするようにもなっている。
ただ、タリアの出演は週に二度だけと決められていた。
それは初日の演奏を聴いてからアリーズを去ったカミールが決めたこと。
タリアの演奏に付加価値をつける為、く来れば毎回タリアに会えるし、毎日タリアの演奏が聴けるのではなく、週に二回、客に曜日は教えず、毎日通えば週に二回聴けるかもしれないが、たまにしか来ないのなら運が悪ければ数回通っても聴けない。
たまにしか来ない客の来店回数を増やすため、タリアの出演を少なくしたのだ。
たまにしか来ない客。その中には貴族も含まれている。
貴族が庶民の町に酒を飲みに来るのは、よほどのことだった。
貴族は庶民を見下すことが多いし、庶民も裕福な暮らしをする貴族を疎み、嫌っている。
貴族がわざわざ庶民の町で酒を飲むのは、物珍しさか、よほどの物好きか。
なんにせよ、頻繁に柵の外に出ることはないので、まずは物好きな貴族にタリアの存在を知ってもらうことが必要だった。
ほかの客が「今日、エステルは出るのか?」と話題に出すだけでもいい。それを聞き、興味を持ってくれれば週に二回しか出演しないことを知り、来店回数が増えるかもしれない。
偶然にも来店の際にタリアの演奏を聴いたのなら、また聴きたくて通うのは明白だというカミールの見込みだった。
その見込みは正しく、既にタリア目当ての貴族は数人いる。
庶民の町に紛れ込んでいるため身なりは庶民に合わせているので一見するとわからないが、来店の際、会員証を提示するとバッチが貸し出される。
そのバッチにはいくつもの種類があり、住んでいる場所や職業によって色や形状が違う。
初回の来店の際に記入して貰う個人情報。初回の退店の際、住んでいる場所に間違いはないか、客を追いかけ調べている。
嘘の個人情報を提示したことで出入り禁止にはならないし、内密に調査しているのを客に知られたくはないので、嘘を記入したことを責めることもしない。
ただ、バッチの色は変わる。
それは従業員が「この客は身元不明、要注意」と見分けるためのものでもあった。
だからタリアも、ターゲットとしている貴族はバッチで判別し、その客を贔屓するようにしていた。ただし、店内のみにおいて。
タリアがノーヴァで働くようになって一ヶ月。
カミールが「貴族のパーティに呼ばれる程度に仲良くなって欲しい」と、タリアに望んでいることは十分に理解している。
しかしまだ、何をどうすれば仲良く慣れるのか模索中だった。
「ねー、エステルちゃん、もっと働きたくない?」
給料を貰い自室に戻ろうとしていると、酒場の店長であるラングに声をかけられた。
「給料に不満なんでしょ? いやさ、給料が少ないって文句言う子が多くって」
「……そう、なんですか?」
「オレさー、もっと働きたい子には働いて欲しいし、営業時間伸ばせばもっと売り上げも上がって支払える給料増えるってオーナーに直訴してんだけど、なかなか聞き入れてもらえなくてさ」
「……そうなんですか。それで?」
タリアはラングという男が苦手だった。
まだ一ヶ月しか付き合いはないし、酒場の従業員と演者は雇用形態が違うしリーダーも違うので関わりが少ない。
けれどその少ない関わりだけで苦手意識を持ってしまうのは、タリアの嫌いなタイプの男だからだろう。
「エステルちゃんはオーナーのお気に入りだろ?」
「そういうつもりはないです。仮にお気に入りだったとして、それがなんだって言うんです?」
「はーー、ほんと、愛想ないなー。同じ職場の人間なんだからもっとさー、仲良くなる努力をしてくれてもいいんじゃない?」
ヘラヘラと笑いながら話すラングに、タリアは遠慮もなく怪訝な顔を見せた。
(あーー、苦手というより、ほんと嫌いだわ。ムカついてきた)
オーナーへの直訴がうまく行かないから、オーナーに気に入られているタリアからなら聞き入れてもらえるのではないか。
ラングの並べた言葉から下心を読み取ってしまったタリアは、ラングに一層の嫌悪を抱いた。
更に、お気に入りならなんだ、というタリアの質問に対し、仲良くなる努力をしたら? と話をして変えたことにも腹が立った。
話を変えたと言うより、タリアの同情を引いてカミールに話をして欲しくて、タリアの口から「オーナーに話してみます」と言わせたかったのだろう。
しかしタリアはラングの思い通りにならなかったので、もっと仲良くなってからオーナーに話して貰おうと思ったのかもしれない。
どちらにせよ、直訴が通らない時点で自分の力不足だと言うのに、タリアを利用してどうこうしようと思ったその人間性を疑う。
「あなたと仲良くなってどうするんです? 何かメリットがあるんですか?」
「メリットって」
「あなたに何か不満を漏らして改善するとは思えません。決定権、何も持っていないですよね? 例えば、私の出勤回数をあなたの権限で増やすことはできますか? できませんよね。給料が少ないと文句を言っているのは従業員じゃなく、あなただけなんじゃないですか?」
ノーヴァの営業時間は確かに短い。夕方五時半から九時までの三時間半しか営業していないのだ。
だから日中、ほかの仕事をして、終わってから出勤する従業員や演者は多い。
給与面についてはほかの酒場よりも多いと聞いているし、副業にするのなら申し分ない職場のはずだった。
従業員の出勤回数は週に四日と決められているらしく、それぞれ稼ぎたい事情はあるだろうが、全員が公平に働けるよう、カミールが決めたことだと聞いている。
シフトを管理しているラングの好みで、勤務日数を変えさせないためなんじゃないだろうかとさえ思えてくる。
ラングの好みで勤務日数が変わるのなら、従業員はラングに媚を売るようになるだろう。勤務日数が多くなる者もいれば、少なくなる者もいる。それこそ不満が生まれ、従業員同士の諍いが起こる。
それを防ぐため、ラングは店長という肩書きだけ持った存在なのだと、タリアは認識していた。
「はーい、そこまで」
ラングとタリアの会話に割って入ったのはドーラだった。
「ラング、あなた売り上げあげたいのはわかるけど、エステルにどうにかして貰おうって考えは甘すぎるんじゃないの?」
「別に、そんなことは」
「思ってたでしょ? エステルの勤務日数もオーナーが決めた。ちゃんと考えがあってのことよ? そんなことより、あと二ヶ月でメニューの考案しなきゃいけないんでしょう? さっさと決めちゃいなさいよ」
「そんなこと、言われなくてもわかってる!」
憤慨した様子で厨房に向かっていくラングに、タリアは心底ホッとしていた。
「エステルって意外とハッキリものを言うのね。びっくりしちゃった」
「すみません。あの人が嫌いなんです」
「あははっ、ハッキリ言いすぎ! ま、アタシもだけど」
場所を変えて話そうと言われ、タリアはドーラの部屋に招かれた。
「ごめん、適当に座って?」
初めて入るドーラの部屋は、物で溢れかえっていた。
「これ、プレゼントですか?」
「そう、客からのね。服とか貴金属とかは一度使って売っちゃうんだけど、消費しきれなくって溜まっちゃうの」
ドーラは週に五日、ステージに立っている。他にも日中は隣の用心棒紹介所で働いていた。
もらったプレゼントは、それをくれた客が来店の際に身につけ、身につけられないものはすぐに売っていた。
カミールに預けておくとアリーズ以外で売りさばいてくれるので、ドーラにはお金になって返ってくるということだった。
「エステルも、プレゼントに困ったらカミールに渡すといいわ」
「……私は、こんな風にプレゼントを貰えるかもわかりません」
「そう? ま、そのうち困るようになるわよー」
ドーラはお茶を淹れたカップをタリアに差し出し、タリアはそれを受け取った。
「ラング、売り上げがどうとか、営業時間がどうとか言ってなかった?」
「言ってました。給料に不満のある子が多い、とかも」
「やっぱり。アタシにも言ってきたことあるのよねー。大して努力もしないで成果をあげようとする姿勢がムカつくのよ」
「ほんと、その通りです」
顔を見合わせ、ふふっと笑い合う。
「最初はさ、あんなやつ、クビにしちゃえばいいのに! って思ったんだけど」
「クビにはならないんですか?」
ラングの給料は売り上げによって変動する。売り上げが多ければラングの給料は増え、売り上げが落ちれば給料も減る。
だからこそラングは給料を上げようと、売り上げを上げようと必死になっている。
営業時間を長くすれば、その分、一日の売り上げが増える。
もっと働きたい従業員を働かせることも出来る。
一見すれば確かに売り上げは上がる。
しかし、営業時間を長くしたとして、夕方より前の時間に客が来るとは思えない。来ても数人だろう。
夜九時以降の時間は、翌日の早朝から仕事がある人がほとんどの中、どれだけの客が残るのか。
夜九時以降は酒しか頼む客がいなくなると見込まれるし、本当に売り上げに繋がるのかは微妙だった。
酒のみの売り上げで従業員の給料を賄えるのか。
ラングは人件費にまで考えが及んでいないので、単に営業時間を伸ばせば売り上げも伸びると思い込んでいるのだ。
「都合いいのよ、あいつ。こっちの目的に気づかないから。って、そうなるように、カミールが最初から仕組んでたんだけどね」
ラングが売り上げにだけ執着してくれているうちは、本来の目的である情報集めにまで注意が向かない。
従業員も演者も、勤務が終了すると勤務報告書を提出するようになっている。
名目上は「お客様の事情や要望を聞き、より良い店にしていくため」となっていて、客との会話、客同士の会話を報告する。
会員制にして客の素性を調査するのも、他の客や従業員と諍いを起こすような人物が来る店だと思われれば、客足が減るのでそれを防ぐため。ということになっている。
店長であるラングには本当の目的に気づかれたくないので、売り上げにだけ注意を向かせるようにしてあったのだ。
「エステルを連れて来た時にもね、カミールに散々説教されてたのよ」
「説教、ですか」
「規約があるでしょ? 女の子に触るなって。あれをなくしたいって言い出して」
「は?」
「お金出せば気に入った女の子を抱ける店にした方が絶対に売り上げが上がるって言い出してさー」
「カミールさん、その手の店はいっぱいあるから作る必要ないって言ってましたけど」
「そう! うちの女の子たち、好きでもない男に抱かれなくていいからって、うちの店に来てるのに! あいつ、売り上げどうこうより女の子紹介料で儲けるつもりなの丸わかりでさー」
「……ますます嫌いになりました」
にっこり笑って「嫌いだ」というタリアに、ドーラは面白そうに吹き出した。
「いいわ、エステルいいわ! 純粋培養のお姫様って感じがしてたけど……気に入った! お姉さんが男を騙すテクニックを伝授しちゃう!」
「あははっ、騙すって」
「それも、今だけよ。そのうちきっと、ノーヴァにはそれも必要なくなる」
男性客をうまく取り込むために、女性の力を借りはする。
けれどたった一人の女性だけに頼った営業は非常に危険。
女性は結婚や妊娠で働けなくなる時期が必ずある。
一人の女性の人気に頼り切った営業方法では、その女性がなんらかの理由で働けなくなった場合、その後の売り上げにかなり影響する。
だから人気が一人に集中するようなことにならないようにするべきだし、女性の存在に頼り切った営業をするべきではない。
ラングには新しいメニューの考案を任せたのも、ノーヴァに来る客の目的が女の子に集中しすぎないよう、目的の女の子がいなくても食べたいものがあるから来た。と、言ってもらえるような、ノーヴァにしかない、ノーヴァでしか食べられないものを作って欲しいからだ。
後々は演者に接客をさせる営業もやめたいとカミールは思っていて、ただ美味しい酒と美味しい料理、それに心地よい音楽が楽しめる店にしたいらしい。
「カミールさんって、女性に対してすごく……優しいというか、気を使ってくれているというか」
「でしょう? 女なんて男に媚売ってりゃいいって男が多い中……カミールに出会った時、本当に衝撃的だったわ」
(ほんと、信頼してるんだなー)
ドーラと話していて感じる、カミールへの信頼感。
知り合ったのは二年ほど前なのだそうだが、ドーラはカミールの人柄に惚れ込んで強引に旅に同行し、半年前に作られたここノーヴァで働くようになったとのことだった。
その後、ドーラに「男を騙すテクニック」を伝授され、タリアは早速、次の出勤日から実践してみることになった。
(しっかし、生きるために生きるってのも大変だわ……知ってたけど、すっかり忘れてたなー)
生きるために生きる。
生きるために必要な衣食住を確保するためには、仕事をしなければならない。
その仕事が客商売ということもあり、それぞれの客に合わせた対応が要求される。
(どこにでもいるもんだな、いけ好かない上司。嫌いでも仕事上は付き合っていかなきゃいけないってのも忘れてた)
タリアがこの世界に来て十五年。いや、永峰 茉莉子という前の世界での記憶を四歳で取り戻してから十一年と言うべきかもしれない。その間、タリアの周囲には良い人しかいなかった。
だからすっかり忘れていた。生きるために生きるということの大変さも、仕事上の付き合いの面倒臭さも。
この仕事を放棄すれば無職だし、嫌いな上司がいるからと言って簡単に辞められるわけでもない。
仕事に関して、タリアは頑張ると決めている。使える武器は全部使って。
いけ好かない上司に関しては、謂わば部署違い。直接の上司ではない。
出来るだけ関わらずにいられたら、そんなにストレスを感じなくてすむはずだ。
(うん、よしっ! なんとかなる!)
タリアは心を新たに、より一層仕事に打ち込むことに決めた。
※ ※
タリアがアリーズに入って二ヶ月後。
(うん、給料は変わらない。けど……)
先月とは違い、タリアは微々たる給料でもなんの不満もなかった。
(チップって最高かよ。カミールさんがくればプレゼントも換金できるし……)
この一ヶ月でのタリアの成長は目覚ましく、給料自体は変わらなくても他で稼げるようになっていた。
(ドーラ様様っ! もう、ほんと大好き!)
ドーラはタリアの見た目も考慮して、純粋培養の清楚なキャラを通すようにと助言をした。
純粋培養なので、物事を知らない。知らないフリをするようにと。
男性にわざと隙を見せるのにも「知らないフリ」は有効で、「なんだ、そんなことも知らないのか、仕方ないなー、俺が教えてやるよ」と言わせれば会話に困ることも防げるし、「俺が色々教えてやらないと」とも思わせることができれば、その後も率先して色々と教えてくれるようにもなる。
その中にカミールの知りたがるような内容があるかもしれない。
それを実践していくうちに、タリアに話しかけてくる客が多くなり、会話に困ることもなくなっていった。
「エステル……ちょっといいか?」
ウォルターに呼ばれ、給料を握りしめたまま、タリアはステージ脇の控え室へと入った。
そこは演者しか出入りが許されていない場所だった。
「この間の話、正式に依頼が来た」
「本当ですか!」
「ああ、やったな。ひとまず、目標達成だ」
「よかった! 口約束だけにならなくて!」
先日、タリアはとある貴族から「店以外で演奏することは可能か」と聞かれた。
詳しく話を聞くと、社交界でタリアに演奏して欲しいとのこと。
それは紛れもなく、カミールが最初に描いた、ノーヴァでのタリアの役割に違いなかった。
貴族からその手の話が来た場合、交渉はタリア本人ではなくウォルターに任せることになっていたので、その貴族にはウォルターから交渉をしてもらっていた。
それが正式な依頼となったと聞かされ、タリアは喜ばずにいられない。
「報酬に関してはカミールから言われた通りにしてある。確認してくれ」
ウォルターに渡された紙には、社交界で演奏する場合の貴族に請求する金額から用心棒四人への報酬や、その他の経費を差し引いた金額が明記されていた。
「え? これが私の報酬? って、必要経費以外、全部?」
「不満か?」
「いやいや! 多すぎてびっくりしてるんです!」
「ははっ、妥当だと思うぞ?」
「でも、これじゃ、カミールさんの儲けにならないんじゃ」
「あの人、情報を得るのにかかる費用には興味がないんだよ。いつも、売るときに法外な値段で取引するから」
「あ、そうですか」
タリアへの報酬は、寮費を引かれる前のタリアの一ヶ月分の給料より少し多いくらいだった。
たった一日で、一ヶ月分以上を稼げることになる。
(やばっ、貯金し放題だ!)
これが月に数回、十数回と増えていけば、一気に手持ちのお金が増えることになる。
「社交界は一週間後。俺も護衛兼エステルの補佐として同行する」
「それは本当に心強いです!」
「当日までに衣装を準備しよう。一晩だけだが、前日に会場の下見もさせて貰える。当日は向こうの音楽隊と音合わせ。忙しくなるぞ」
「はい!」
知らない場所に、知らない用心棒だけが護衛に着くのかと思っていたが、ウォルターも一緒に来てくれるのなら安心できた。
タリアは社交界で演奏するだけ。話しかけられれば応えるし、次に繋げておきたいところ。何らかの情報を得られたらそれで良し。
主な情報収集はカミールの事情を知る護衛がやってくれることもあり、裏の仕事は護衛に任せることになりそうだった。
※ ※
そして、社交界前日。
「うっひょー! なにこの可愛い子! こんな子、ノーヴァにいたの! オレが借金に苦しんでる間に!」
「……こいつはジャーヴィス。ノーヴァの常連で、これでもSランクの用心棒だ」
「エ、エステルです。よろしくお願いします」
「よろしく! いやー、可愛い子の護衛、いいね! 守りがいありすぎ!」
(テンション、高いなー)
今回の護衛のリーダーとなるジャーヴィスは、用心棒紹介所での最高ランク、Sを持った三人の中の一人だった。
Sランクは攻撃系魔法と防御系魔法の適正を持っていて、カミールの目的を知っている数少ない用心棒だという。
ただ、表向きには攻撃系魔法しか持たないAランク扱いで依頼を受けているということだった。
どこの国でも特殊魔法の二種持ちは重宝されているし、特殊な事情があって用心棒紹介所に登録している場合が多い。
そのため、Sランクの存在が外に漏れないようにするための配慮でもあった。
「二種持ちなのに、用心棒なんですか?」
攻撃系魔法と防御系魔法の二種持ちといえば、オリヴァーとウィリアムと同じ。クオーツで言えば聖騎士団の団長、副団長クラスだということになる。
それがなぜ、軍に所属せず用心棒をしているのか。
「ああ、オレね、元ラズの特殊部隊の出身でクオーツに潜入捜査してたの!」
「それであんまりにもクオーツが豊かなんで、亡命と言う名の寝返りをしたんだよ」
「……寝返り」
「一番給料貰えるっていうからから仕方なく兵士になったけどさー! すっごい安かったわけ! 愛国心もなーんにもなかったところにクオーツに行かされて、比べるなって方が無理だろ! クオーツ最高!」
「は、ははっ……」
「こんな奴だから、またいつ寝返るかも分からないし、クオーツでも持て余されてな。カミールが拾って、お試し期間中なんだ。期間内、きっちり仕事したら推薦状出すって」
「目指せ! クオーツ永住! ってことで、仕事は真面目にやるから安心しろよな!」
用心棒Aランク以上の報酬も高い。
しかし、ジャーヴィスは賭博にハマって大損。
ノーヴァの常連でもありドーラの熱狂的なファンでもあるのだが、最近は借金の返済に追われ、ノーヴァとは疎遠になっていたのでタリアと遭遇する機会もなかった。
ほかの二人も紹介され、どちらもAランク、攻撃系魔法の適正者。やはりカミールに拾われ、事情を知っているメンバーで構成されているようだった。
ウォルターも用心棒紹介所のランク分けで言うならAランクだが、ノーヴァがあるので用心棒の仕事はせず、紹介所の裏方に回っている。
一行は社交界の会場となる貴族の屋敷の下見へと向かった。
貴族の区画と一般市民の区画を分ける堅牢な柵。その一角にある門から、通行許可証を見せて中へと進む。
(町が綺麗……柵の外とは大違いだな)
貴族の区画は白い建物が多い。庭の芝生は手入れが行き届き、花壇には花が咲き誇る。
アリーズ市民の町はいつ見ても汚かった。
率先して掃除する人などいないし、ゴミが散乱している。
窓が割れていても直すお金がないのか放置。
花壇があっても土は乾ききり、枯れ果てている。
砂埃が舞っていない日はない。
本当に同じ町の中なのかと目を疑うくらい、なにもかもが違って見えた。
暫く歩いていると、ウォルターが立ち止まった。
「え? もしかしてここが……」
「社交界の会場でもある、カルヴァン伯爵の屋敷、だな」
タリアはその屋敷の全貌に絶句。大通りから長く舗装された道が続き、その両脇は整った芝生と手入れされた木々。その道の先には噴水があり、その噴水を一周するように道が続いていて、数段の広い階段があり、その上に宮殿のような建物があった。
「こんなお屋敷の主人がノーヴァに来ていたなんて……」
「全くだ」
舗装された道を歩いて行き、噴水に差し掛かる頃、建物から人が出てきた。
執事と、ノーヴァの常連でもあるカルヴァン伯爵本人だった。
カルヴァン伯爵はノーヴァでよく着ている、庶民と変わらない服装ではなく、貴族らしい装い。
カルヴァン伯爵と仲良くしていたタリアであっても、知らない紳士と見間違えるほどに別人のようだった。
「エステル、よく来てくれたね。迷わなかったかい?」
「はい。お屋敷が大きくて驚いてしまいました。それに、カルヴァンさ……伯爵もいつもとは別人のようで」
「はっはっは、本当はこんな堅苦しいのは苦手なんだ。だからノーヴァは気晴らしでね」
早速、会場となるホールを案内してくれるというので、タリアはカルヴァン伯爵のエスコートで建物の中へと向かう。
「護衛の皆様は私がご案内します。主人より、ついでに屋敷の警護もお願いできないかと」
「構いませんよ。何もないに越したことはないですが、何かあった時のために避難経路などを把握したいので見取り図をいただけないでしょうか」
タリアの背後で執事とジャーヴィスが話をしている。ジャーヴィスは非常に真面目に受け答えをしていて、さっきタリアと初めて会った時とはまるで別人だった。
癖は強いが頼りになるのだと思い、安心して進む。
社交界の会場となるホールは広く、ダンスフロアーがあり、吹き抜けとなっている。ダンスフロアーを二階から見下ろせるようになっていた。
タリアは早速、椅子を借りてアルフーを取り出し、チューニングをし、音の響きを確認する。
ほかのメンバーの下調べが終わるまで、時間稼ぎをするのがタリアの役割だ。
「カルヴァン伯爵、曲のリクエストはありますか?」
「明日の、かい? それとも今の、かな」
「ふふっ、両方でも構いませんよ?」
「では、今、最初の晩に聴いた鎮魂歌を」
「……初めての夜にもいらしてくれていたんですね。あの日はこれしか弾けなくて」
広いホールにはタリアとカルヴァン伯爵の二人しかいない。
タリアが曲を奏で出すと、伯爵は目を閉じ、音を噛みしめるように聴き入っていた。
そしてとても悲しそうな、涙を流す。
鎮魂歌を弾き終えたタリアは、続けて子守唄を奏で、歌う。
カルヴァン伯爵の事情も、悲しい涙の訳も分からない。
けれど悲しい気持ちのままでいて欲しくなくて、少しでも心が穏やかになってくれればと願いながら。
子守唄を聞くカルヴァン伯爵は穏やかな表情へと変わり、目を閉じたまま微笑み、優しい涙を流した。
「本当に、エステルの演奏は素晴らしいな。独り占めできて、最高に幸せだ。それに歌も、天使の歌声のようだったよ」
楽しみにしていた明日の本番よりも、ほかに誰もいないホールでタリアの演奏を堪能できたことの方がいいのかもしれない。
これは主催者の特権だな。と言ってカルヴァン伯爵は笑う。
その笑顔にはもう、悲しみの色は混ざっていなかった。
タリアは下調べしている護衛チームと合流し、執事と明日のスケジュールの確認をしてノーヴァへと帰る。
社交界当日。朝からカルヴァン邸に入り、タリアは音楽隊との打ち合わせや音合わせを進めていた。
夕方近くになると続々と貴族が集まり始め、屋敷前の園庭は馬車で埋め尽くされていく。
ダンスフロアーの隣の広間では食事が振舞われ、貴族たちは世間話など近況を話ながら食事を楽しんだり、ダンスに興じたり好きなように過ごしている。
タリアの出番は終盤。タリアの独奏から始まり、数曲を音楽隊と合わせ、締めくくりにラストダンスの曲を演奏して終了の予定だった。
それまでは控え室にいてもいいし、会場内を見学していてもいいとのことだったので、初めて見る社交界を見学していた。
クオーツにいる時には結局、一度も行くことのなかった社交界だが、興味はあったのだ。
若い男女はダンスに興じ、年配者は話すことがメインのようだ。
社交界は貴族同士の子息の男女の出会いの場でもあり、お互いの情報交換の場でもある。
(あそこ……カミールさんが好きそうな話しでもしてそう……)
会場の隅で話す、三人の男性。
後ろ暗い話でもしているのか、周囲を気にしながら密談をしているようだ。
タリアは、貴族の交友関係を洗い出したいカミールが貴族のパーティに来たがった理由を垣間見た気がした。
(ま、私はこの場に来るのをセッティングするまでが仕事だったみたいだし、後のことは任せちゃっていいんだよね?)
会場内の隅で目立たないように見学をしていたタリアだったが、ちらちらとタリアを気にしている男性が数人いる。
(演奏の前に話しておくのもありかな……次に繋げやすくなるかもしれないし)
タリアは目があった男性ににっこりと微笑んだ。
すると、タリアに話しかけてもいいのだと思ったのか、男性が近づいてくる。
「こんばんは。君は……どこかの家のご令嬢かな」
「いいえ、今日はカルヴァン伯爵様に呼んで頂いて、楽器の演奏に」
男性はタリアの話に食いつき、他にもタリアを遠巻きに見ていた男性たちが集まって来ていた。
タリアは笑顔を絶やさず、貴族の令嬢のような振る舞いで男性陣との会話を広げる。
まずはタリアの容姿で集まって来た人に、タリアの演奏にも興味を持ってもらい、演奏後に次の誘いでもあれば申し分ない。
タリアは興味を持って近づいてくる貴族たちと話をしながら過ごし、出番を迎えた。
第13話 完




