死の森の魔女 第12話
「髪、切ったんですね。とてもお似合いですよ」
「……ありがとうございます。そこでずっと待っていたんですか?」
「いえいえ。いつでも出迎えられるように、部下を一人、宿を見張って貰ってまして。タリア様が出たと報告を受けて待ってた次第で」
「そうでしたか」
「パトゥサを出たら髪を揃えましょう。では、早速ですが出発します。あ、馬には乗れます?」
「はい」
ノーヴァの入り口から入って直ぐの場所で出迎えたカミールに連れられ、すぐにネーヴェを出る。
演芸場の向かいの路地に二頭の馬が待機していて、カミールとタリアは馬に乗って移動を開始。
カミールの案内で暗闇の町を馬で駆け抜け、明るくなった頃にパトゥサを囲む壁に到着した。
門の手前にはワイバーンの馬車が待機していて、客車と幌馬車が連結している。その幌馬車から四人の男が出てきた。
「ワイバーン……聖騎士団しか所持していないと思ってました」
「結構手広くやってる商人から買い取ったんです。この首輪さえあれば飼い慣らせないこともないので、ワイバーンの子供がたまに市場に出回っるんですよ」
「この首輪……どういう原理なんでしょうか」
「さぁ。ずっと昔にルーヴィで開発されたものが、各国で応用されてるとしか」
今はタリアの疑問を追求するより、一刻も早くパトゥサから離れる必要があった。
馬車から降りてきた四人のうち、一人は残るようでカミールとタリアの乗っていた馬を預け、二人は客車へと乗り込んだ。
一人は馬車の操縦、もう二人は魔獣から馬車を守る役割のようだ。
程なく馬車は動き出し、門を潜って町の外へと走り出す。
「この先ですが、出来るだけ馬車を止めずに進もうと思います。ワイバーンの餌を与える時間だけ休憩になる、と思っておいてください」
カミールの言葉に、タリアはしっかりと頷いた。
オブシディアンの王都アリーズまでは二週間を予定していた。ワイバーンでなければ一ヶ月以上を要する道のりだ。
「あの、どこかで楽器を調達したいんです。カミールさんがお聴きになったのは多分、珍しい楽器で」
「ああ、それなら心配いりません」
そう言って、カミールは客車の中に積み込まれていた荷物の中からタリアの見慣れたケースを取り出した。
「なんで、それを……」
それは間違いなく、タリアのアルフーだった。しかもリュートもある。
「ははっ、すみません。すでに入手済みでした」
聞けば、タリアがレオを出発した直後、レオの王城に入り込んでタリアを調べるついでにタリアの部屋から持ち出したということだった。
その際、侍女フィオナに「旅先で必要になったらしく、タリアの代わりに取りにきた」と偽って。
タリアに仕事の話を断られたら、その場で返すつもりだったとも話した。
(用意周到な……ってか、王城に出入り出来るんだ……何者なんだろ、この人)
クオーツの王都レオの王城は厳しく出入りが管理されている。
そこに出入り出来るとなると、クオーツ内である程度信頼されている必要がある。
警備されているとはいえ、王様の住んでいる場所でもあるのだ。
クオーツで人気の演芸場を管理運営しているから。という理由では絶対に入ることはできないはずだった。
「情報を色々と持っているので、各国の王城へ入れるくらいのコネがあるんですよ」
じっとりとした視線を送っていたタリアの心の中を読んだような言葉だった。
(……まぁ、いいや。掘り下げてもキリがなさそうだし)
その若さで、各国にコネがある。一体何をすれば王城へ入れるほどのコネが作れるのか。
絶対に真っ当な理由ではないはずで、それを掘り下げたところでカミールへの恐怖心しか芽生えない気がした。
「それで、タリア様の新しい名前なんですが、手続き上、こちらで決めさせていただきました」
「構いませんよ? タリアという名前じゃなければ」
タリアにとって、『タリア』は沢山の人に愛された人物の名前だった。
その名前を捨てるわけではない。
しかしもう、誰も愛さないと決めたタリアにとって、名前を変えて生きるのなら『タリア』という名前は心の奥底で大切にしたい名前だった。
「名前はエステル。オブシディアン最北の町、コーダ近くの村の出身で、家族はいない。奏者を夢見て商人に同行、その中で私と知り合い、店で働くことになった、という設定もあります」
カミールは地図を広げ、オブシディアンの王都アリーズとコーダの位置関係を指差す。
「エステルですね。設定もありがたいです。この先、必要になるでしょうから」
「……本当に、十五歳とは思えないですね」
「よく言われます。私の事情をどこまで把握しているかわかりませんが、色々とありましたので」
「子供のままではいられなかった、と思うことにします。それで、オブシディアンに入る前に着るものの調達をしましょう」
「田舎の子が貴族の服を着てるわけにいきませんもんね」
「はい。それと……オブシディアンに入る前に、覚悟はしておいてください」
「覚悟、ですか?」
「クオーツがどれだけ平和だったか身に沁みますよ?」
クオーツは二十数年、戦争から縁遠い。他国の戦争に混ざることもあるが、国内は平和そのものだった。
しかし、他の三国は違う。国境付近での小競り合いが続き、徴兵が止むことはない。
これまでの戦争で失った戦力を補い、蓄えつつ、次の大きな戦争に備えてもいる。
国が戦争への準備を最優先としているので、税は高く、農民は作物を搾り取られ、人々は貧しく、その心は荒んでいる。
「その割に、貴族は潤ってるんですよねー」
「そんな状態じゃ、不満も多いでしょう。反発する人たちも多いのでは?」
「クオーツに亡命する人が後を絶たない時期もありました。ただ、亡命できるのは壁の外の人たちだけ。壁の中の人は逃げられず、反発すれば惨殺、準備もなしに逃げれば魔獣の餌食です」
タリアはそんな壁の内側へ行こうとしている。
規制が多いとは聞いていたが、その規制は歌劇などに限らないのだと痛感した。
「だから、酒に逃げる人が多いんですよ。ヤケになってか、女性に暴行する輩も多い。だからこそ、タリア様に……っと、エステルさんに護衛をつけても怪しまれないんですが」
「呼び捨てでいいですよ。雇い主さん」
「それもそうですね。エステルには安全な生活を保障しますから、安心してください」
「そこはあまり心配してません。でも、護衛って……徴兵はされないんですか?」
「ここ二十年、小競り合い程度ですからね。兵士は、徴兵されない限り仕事が無くて無収入になる。そこで、用心棒の斡旋を始めてみました」
「始めてみましたって、そんな簡単に言いますけど、店の経営以外にも手を出してるってことですか」
「はい。用心棒を必要としているのは貴族です。まぁ、商人もいますけど」
壁に囲まれた町から出る際には必ず、魔獣対策をする必要がある。
それにクオーツ以外の国では一般市民が貧しい生活を強いられているが、貴族は違う。
強盗や略奪に常に怯えていると言ってもいい。
そんな貴族と、仕事を欲している兵士を繋ぐ役割を担っているのが、用心棒紹介所だ。
用心棒は力量によってランク分けされている。
その貴族の状況を調べ、相応の費用を請求し、必要な人材を派遣する。
紹介所は貴族から信頼される必要があり、派遣する兵士の力量だけでは無く、人間性や素行も把握する。
「堂々とその貴族を調べることもできますし、紹介料も頂戴できるので……我ながら名案だったと自負してます」
「あの、私が貴族に接触する意味がわからなくなりました」
「あははっ、意味はありますよ。用心棒はその貴族だけの情報しか入手できない。だけど貴族同士で行われるパーティに行くことが出来れば、誰と誰が懇意なのか、不仲なのかわかるでしょう? 悪口なんて聞けたら最高です」
ニコニコと楽しそうに話すカミールに、情報にしか興味を持てない人なのかもしれないとタリアは思った。
事業を立ち上げ、成功させるのに必要な才能をカミールは持っている。
その才能は自分が儲けるためでは無く、すべて情報を集めるために使っているようにしか見えないのだ。
とはいえ、タリアの護衛はその用心棒が担うことになるのだと理解できた。
「あ、そうそう。その短剣、決して誰にも見せないように隠しておいたほうがいいですよ?」
「これを? なんで? 護身用じゃダメなんですか?」
カミールはタリアの腰にある短刀に視線を投げた。
それはレオを出た時から必ず腰につけていた、オリヴァーに貰った短刀だった。
「ダメなのは、その紋章です。クオーツでオリヴァー様は英雄と呼ばれていますが、他国から見れば真逆です。悪魔とか死神とか呼ばれて恐れられてますから、その関係者と見てわかるものを所持していればどうなるか想像付きます?」
戦争において、オリヴァーは聖騎士の鎧を纏っていた。聖騎士の鎧は個々の特殊魔法や得意な能力によって形状や機能を変えるため、唯一無二。ナイト貴族になった際に与えられる個々の紋章が鎧に彫り込まれてた。
オリヴァーが『生きる英雄』と呼ばれるようになった二十数年前の戦争以前から、オリヴァーは聖騎士団長として戦地に赴いていた。
オブシディアンはクオーツに助けを求める側だったので、敵としてのオリヴァーとは対峙していない。
しかしその強さから、決して喧嘩を売ってはいけない相手だと恐れられていた。
オブシディアンにいるオリヴァーと同年代の男性は皆、当時の戦争の生き残り。オリヴァーに近づいてはいけないと、その紋章を見たらその場から離れなければと、そんな認識をしている。
そんな紋章の入った短刀を持ち歩いていれば、タリアがオリヴァーの関係者であると見てわかるし、エステルの設定が台無しになることになる。
タリアは短刀を荷物の中にしまい、護身用の短剣は道中で購入することにした。
馬車は昼夜を問わず、ワイバーンの食事休憩以外はずっと走り続けた。
魔獣に襲われる心配のある区域を三日で抜け、馬車を守る必要がなくなったので操縦者以外は幌馬車で仮眠を取る。
カミールは夜になると幌馬車に移動して眠るが、昼間の間は暇を持て余し、タリアの客車に来ては色々な話をした。
タリアはカミールに多くの質問をした。
カミールはタリアの信頼を得るため、答えられることには全て答えた。
カミールはタリアの事情のほとんどを知っていた。
タリアの力もそう。『スティグマータの乙女』の可能性があるとしてクオーツの最重要保護対象として、クレアの町から王都レオに移住したことも、タリアにどんな力があるのかも知っていた。
それは研究施設に行って、タリアの資料を盗み見たとのことだった。
そしてオリヴァー邸での事件については、偶然、というか必然的に現場を見ていた。
カミールは以前から魔女を追っていたのだ。
初めて魔女の存在を知ったのは五年ほど前。
当時のカミールは商人の元で修行をしながら各国を周っていた。当時から知りたいことは徹底的に調べる癖があり、知り得た情報がお金になるのだと理解し始めた時期でもあったという。
ルーヴィの王都に滞在していた際、偶然見かけた魔女の、その服装に目がいった。見たことのない服装が気になった。
研究施設に出入りしていた女性が『魔女』と名乗っていたことも大いに興味を持った。
魔女の周囲を調べてみたが、不明なことが多すぎた。
ただ、何かまでは掴めなかったが、危険な研究の手伝いをしていることだけは分かった。
何者なのか全く分からないまま時は過ぎ、魔女は姿を消してしまった。
すると今度はオブシディアンでその姿を発見。
何をしにオブシディアンに来たのかと動向を探っていると、しばらくしてクオーツに向かった。
それを追いかけた先で、オリヴァー邸での事件を目撃することとなった。
カミールはそのままクオーツに残り、魔女が話していたタリアを調べ、仲間に魔女を追わせた。
「魔女は、死の森と呼ばれている場所を拠点にしているみたいなんだ」
「死の森?」
「正式には、龍脈の森。アリーズは龍脈を所持しているとは言え、町の中に龍脈があるわけじゃないんだ」
オブシディアンへの移動。その間、話し相手はお互いしかいない。
タリアとカミールは必然的に打ち解けた仲になっていた。
「アリーズの龍脈は発見された時から人が近づけなかったらしい。でも、近くだったら龍脈の恩恵は受けられるから、その森の隣にアリーズは建設された」
龍脈の所在は初代の『スティグマータの乙女』によってもたらされた。
歴史を遡ると『スティグマータの乙女』が最初に人々に伝えた龍脈と言われてはいるのだが、アリーズに町が建設されたのは、十二都市の中で一番最後。
世界中を旅して龍脈と魔法の存在を知らせた初代『スティグマータの乙女』の知名度が全くなかった旅の始め。周辺に住む人々は『スティグマータの乙女』の言葉を信じなかった。
もともと森の中に龍脈があったのか、その森は龍脈を隠すほどに成長し、森の中は魔獣の巣窟となっていた。
その森の中の魔獣は龍脈の影響を間近で受け、そこらの魔獣とは比べものにならないほどの力を持っている。
そんな森に都市を築くことは不可能だった。
その森は龍脈の森と呼ばれていたが、龍脈の恩恵は目に見えるものではない。
そのため、人が立ち入れない、立ち入れば間違いなく死んでしまう印象の方が強くなり、死の森と呼ばれるようになっていた。
「魔女はなかなか森から出てこない。だけど一緒にいる男は週に一度、アリーズで食料を調達していくし、物を売りに来たりもする。一体、どうやってあの森で生活できるのか非常に気になりはするけど、絶対に立ち入れないから、それ以上の情報はないんだけど」
「私からすれば、居場所だけでも十分です」
「そう言って貰えてホッとした。交渉材料にしては情報が少なすぎると思ってたから」
「カミールさんが情報をくれなきゃ、居場所をしれないままだったかもしれない。私が知ってる情報は欲しいですか?」
「……何か、掴んではいたの?」
「彼女の過去と思われるものは」
「なにそれ! って、俺には対価がぁぁ!」
頭を抱えて悔しがるカミール。カミールが自分を「俺」と表現するときは、完全に気を許している時だった。
「対価なんて必要ありません。私は情報を売っているわけではないんですから」
「……いいの?」
タリアは頷き、知り得る情報を話した。『クレメントの手記』の内容に始まり、五百年以上生きている可能性のある、元『スティグマータの乙女』であること。
『クレメントの手記』に登場するアンという女性と魔女が同一人物であるなら、『スティグマータの乙女』の枷が原因で世界を呪い、食事をすることも、眠ることも、死ぬことも出来なくなったのかもしれないことも。
前の世界のことや生贄のことまで話す必要はないので、あくまでも『クレメントの手記』を基とした内容を話した。
「エステルとオリヴァー様、それに聖騎士団の副団長と、元聖騎士。随分と豪華な面子で旅をしてた理由は、魔女を調べるためだったってわけか……」
(違うけど、いいか。ナターシャさんの話はできないし……)
ナターシャは現存する『スティグマータの乙女』で、タリアとは違い、確実にクオーツの最重要保護対象だ。その存在を公にすることはないだろう。そんな存在をカミールに話すわけにはいかない。
カミールは勝手にタリアたちの旅の目的を推測してくれたので、それに便乗しておくことにした。
「せっかくの旅が無駄に終わったし、保護してあげなきゃいけない人たちもいて、魔女の居場所はわからないけどレオに帰らなきゃいけなくなった。って、そんなとこか」
「今後も魔女の動向を探っていくつもりですか?」
「もちろん。危険な研究に、エステルにしたこと……近づけないにしても、放置は出来ない。あ、エステルが店で働いててくれる限り、魔女の新しい情報はあげるつもりでいた」
「それが試用期間後も働く対価?」
「そう、試用期間の話をした時に、続けて働いて貰うためには必要な条件になるかなーと」
カミールは基本、各国の王都を転々として情報を集めている。情報は王都に集まるので、王都だけ周っていれば十分なのだとか。
一国あたり、二、三週間の滞在をして移動をする。約三ヶ月で一周することになる。
タリアをアリーズまで送り届けたらすぐにクオーツに向かう。
そこからルーヴィ、ラズを周ってオブシディアンに戻るのは三ヶ月後。
アリーズに滞在している間にタリアが仕事を継続するかどうかを確認し、継続不可だった場合には次に向かうクオーツまで送り届ける流れができる。
何か掘り下げて調べたいことがないかぎり、その周期に変更はない。
そんなカミールの事情もあり、使用期間は三ヶ月となっていた。
「つくづく、私に都合のいい条件ばかりですね」
「そう? エステルの演奏を聴いた瞬間に衝撃が走ったんだよね。これは! って」
オブシディアンでの情報収集のために持っている酒場と用心棒紹介所。
酒場は市民の、貴族の愚痴から情報を集める場として作ったものだった。
タリアの演奏を聴いた時、酒場はもっと深い情報を集められる場所になると閃いてしまった。
用心棒よりも貴族の深い場所まで潜り込めるようになると確信した。
だからこそ、絶対にタリアを口説き落とさなければいけないと思い、カミールは相応の条件を用意したのだ。
「あれ? カミールさんが私について調べたのって、あの事件後でしょう? 演奏したっけ?」
「したよ。葬儀で」
「あっ……そうでした」
「音楽は人の心を動かすってのはわかってたから演芸場を作ったし、酒場に人を集めるために演奏者を雇ってもいた。だけど……エステルの演奏で自然と泣けた。俺自身が音楽で心を動かされたのは初めてだった」
「……そう」
「これからは、演奏を褒められるのに慣れてね」
「努力はします」
一行は予定通り二週間でオブシディアンの王都アリーズへと到着した。
途中、雨は降ったものの、雨で数日動けなくなる可能性も考量しての日程だったようだ。
アリーズはカミールに教わっていた通り、大きな森の隣にあった。クオーツと同じように壁に囲まれた町だった。
町の中心部には要塞のような王城があり、その周囲は堀で囲まれている。
王城を囲むように立ち並んでいるのが貴族の屋敷。
貴族の屋敷が立ち並ぶ区画と、一般市民の住む区画の間には柵が張り巡らされていた。
(昼間なのに、外に出てる人が少ないな……)
壁の中に入ると、まずは農村地帯が広がっている。そこはレオと同じだった。
次第に民家が増え始め、市街地になっていく。
クオーツの壁のある町との最大の違いは、活気のなさにあった。
洗濯物が干されていたり、人は確実に生活している。しかし、留守宅が多いようで、家の外で活動している人が少ない。
市街地を進み、貴族の区画との境目でもある柵が見えてきた頃、馬車は止まった。
「さ、到着だ。ようこそ、ノーヴァへ」
先に馬車を降りたカミールに差し出された手を取って馬車を降りたタリアは、目の前の建物を見上げた。
周囲に比べて大きな建物は三階建て。築三百年を超える石造りの建物だった。
「ここは元々準貴族の屋敷でさー。一階に広いホールが二つ隣合わせにあるから、改装して使ってる」
「準貴族の……なんで柵の外側に?」
「以前は柵の中は爵位貴族の区画だった。柵の外、柵の近くには準貴族しか住めないってことだったみたいだけど、貴族が減ってるから柵の内側だけで事足りるようになったんじゃない?」
「貴族が減る?」
「貴族も武功が欲しいから戦地にも行くんだけど、オブシディアンは負けが続く時期があってね」
貴族には国内の土地を所有している。その土地に住む人々から税を徴収し、兵力も集める。兵を鍛えるのも貴族の役割だった。
実際にはその土地の領主に全てを任せ、貴族は龍脈のある都市で悠々と生活しているが。
オブシディアンはこの世界で一番の国土を持ち、一番の戦力を持っている国だと言われている。
五百年前に十二国から四国にまでまとまった世界規模の戦争において、より早く三国をまとめて体制を整えたのもオブシディアンだった。
しかしここ百年ほどはラズとルーヴィに攻め込まれることが多く、クオーツに助けを求めるほどの弱体化を見せている。
そんな中、武功を欲する準貴族の士気を高めるため、勝てば武功、負ければ取り潰しという政策を取った時期もあったのだという。
そんな政策もあって、オブシディアンから準貴族が減ったのだ。
建物の正面にある大きな扉。中へと入ると、酒場らしい光景が広がっていた。
テーブル席が等間隔で並び、正面奥にはバーカウンター。
右隣のホールとの境にあった壁はぶち抜いたようで、右奥にはステージが設けられていた。
中央のホールの左隣は元はダイニング。今は大きな厨房になっていた。
ホールの奥は客が立ち入れないようになっていて、浴室などはそこにあるという。
建物の二階は男子寮。三階は女子寮として使われているとのことだった。
タリアはバーカウンター前で待たされ、カミールは仲間を呼んでくると言って厨房のある方へと消えた。
そしてしばらくして、二人の男女を連れて戻ってきた。
「紹介するよ。俺の仲間のウォルターとドーラ。俺の本業を知ってるのはこの二人だけだから、何かあればこの二人に相談して」
「エステルです。よろしくお願いします」
ウォルターは体が大きく、いかにも元兵士だと見てわかる男性で、年齢的にはオリヴァーと変わらないくらいだと思われた。
ドーラは二十代半ばだろうか。美しく、妖艶な雰囲気を持った大人の女性だった。
「すっごく可愛い子ね。どこで拾って来たのよ」
「秘密。魔女について知りたい子だから、何か情報掴んだら一番に教えてあげて?」
ウォルターとドーラは、常に各国を周っているカミールの代わりに情報収集を行い、カミールに報告をする役割を担っていた。
「事情は聞かないわ。まぁ、お互いに、ね」
(うわぁ、これまでいなかったタイプのお姉様っ! 色気が溢れ出ていらっしゃる!)
「ここの生活に慣れるまではドーラにくっついてるといい。ウォルター、エステルについてなんだけど……あ、先に音をきいてもらった方がいいかな。エステル、何か弾いてくれる?」
(まじか!)
急に演奏を要求され、タリアは焦った。
しかし、ここで演奏するために来たのだ。
おずおずと頷いたタリアはアルフー手を延ばした。
(緊張する……けど、ここで弾けなきゃ意味がない!)
守ってくれる人のいる、居心地の良い場所から逃げるようにオブシディアンに来た。環境を変えたくて来た。
「あの、何を弾けばいいんでしょうか?」
「そうだなー……あれでいいよ。俺が聴いたことあるやつ」
タリアは頷き、葬儀の際に弾いた曲を奏でた。
その後、タリアはドーラに案内されて三階へ。いくつか空いている部屋の一つがタリアの部屋になった。
酒場が開くのは夕方までは部屋で待機。
今日は一曲のみ客前で披露することに決まり、それまでは見学をして店の雰囲気を確認する。
夕方になり、ドーラが部屋に迎えに来てくれて、タリアは一階のステージ裏で様子を伺う。
日中は閑散としていた町も、夕方になると人が溢れていた。
市街地は居住区と工場などの区画に分かれてるらしく、日中は働きに出ているので居住区は閑散としてしまうが、仕事が終わる時間になると人が戻ってくるのだ。
この店は会員制の酒場になっていた。とはいえ、初めて来店した際に個人情報を記入してもらい、以降の入店の際には会員券を提示して入店してもらうことになっている。
情報さえ開示すれば入店はできるが、同時に規約に合意してもらうことになっていた。
その規約とは、店員の女性に触らないとか、喧嘩をしない、面倒ごとを起こさない。といった内容になっている。
この世界の主な酒場には女性の店員がいて、男性客に性的なサービスをする場合がある。『ノーヴァ』においてはその一切を禁止していた。女性との性的な関係を求めるのなら他所へ行って構わない、という姿勢を崩すことはないので、それを入店の際に理解してもらえるようになっている。
ただし、従業員の女性自ら店の外で客と関係を持つのは例外。店の外での出来事は女性の自己責任ということにもなっている。
そんな規約もあってか、店の中の雰囲気は悪くない。
日頃の不満から酒に逃げる人が多いと聞いていたので、もっと酒に呑まれ、荒れる人が多いと思っていたが、みんな楽しく酒を煽っているだけのようだった。
規約を守らなかった場合、その場で退店。以降、出入り禁止になるので、酒癖の悪い人は淘汰されていく。
ステージ裏から店内を覗いているタリアは全体を見つつ、その視線は自然とドーラに向いていた。
ドーラは歌手。この店のには何人かの歌手がいて、その中で一番人気。ドーラ目当ての客が多い。出番以外の時間は客に呼ばれ、話し相手になり、出番が来るとステージへと上がるようだ。
ウォルターはウッドベースの奏者で、店が営業している間はほとんど演奏をし続けていた。
「さて、そろそろ出番だけど……緊張してる?」
ステージ裏へとやってきたドーラに声をかけられ、タリアは素直に頷いた。
誰でも初めての時は仕方ない、と笑い、タリアの手を握る。
「自分を信じられないのなら、カミールを信じて。あの子は若いけど、目も耳も確かよ? 私も、カミールに誘われてここに来たけど、まさか自分がこんなに稼げるだなんて思っていなかったもの」
そう言って指差したドーラの胸元には、チップと思われるお金が詰まっていた。
「それじゃ、呼んだら来てね」
ドーラはステージへと向かい、喝采に包まれた。
(ドーラさんっ……歌、うっま! カッコいい! 惚れるっ!)
ステージで歌うドーラの美しさはより一層際立ち、その歌声は力強くもあり、繊細でもある。
続けて三曲を披露し、一呼吸置いて話し始める。
「最後の曲の前に、紹介したい人がいるの」
ドーラの手招きでタリアはステージへと上がった。
「新人のエステル。今日が初めての舞台なの。可愛いでしょ?」
ドーラの言葉に、客席は一気に盛り上がる。
その熱に、圧に負けないよう、タリアは勢いよく、深々と頭を下げた。
(やってやる……この顔も、演奏も、武器になるならなんだってやってやるっ!)
ドーラはステージの中央に椅子を持ってきて、タリアを座らせた。
「さ、みんなの度肝を抜いておやりなさい。可愛いだけじゃないってとこ、見せてやって」
ドーラは肩を叩き、ステージ横にはけていく。
たった一人になったステージで静かに深呼吸をしたタリアは、アルフーの弦に弓を滑らせた。
第12話 完




