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龍の愛し子 ー 聖痕の乙女と魔女 ー  作者: 月城 忍
第2章 死の森の魔女
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死の森の魔女 第9話

 

(朝……いや、昼? 夕方?)


 目を開けて最初に飛び込んできたのは、カーテンの隙間から差し込む光だった。

 タリアは眠る直前を反芻し、それが早朝、窓の外が白み始めていたことを思い出した。


(相変わらず雨は降ってる。これでまた、足止めか)


 タリアは身じろぎして布団に潜り込む。

 窓の外から聞こえる雨音に、急いでみんなの元に帰る必要はないと思えた。

 頭はすっかり冴えていて、このまま眠ることは叶わない。

 しかしベッドを出る気は起きなかった。


(昨日が嘘みたいにスッキリしてる。怒ったり、泣いたりしたからかな……)


 ナターシャとの出逢いから昨日まで、タリアの頭を支配してい本物の『スティグマータの乙女』とタリアとの違い。

 悩み、憤り、無力感。そういったものの全てが和らいでいる。


(今なら……方向性は見つけられる気がする。思考が悪循環してた昨日までとは違う気がする)


 昨日までのタリアの思考は『こんな世界に来たくなかった』ということを中心に回っていた。

 こんな世界に来なければ。こんな中途半端な力を持っていなければ。


 いつかは元の世界に帰れるのだろうと思っていたタリアは、仮初めのこの世界で、どうしてこんなにも辛い目に遭わなければいけないのかと思っていた。


 しかしナターシャとの出逢いがあり、ナターシャがこの世界に転移する際、『声』はこの世界を『死後の世界のようなもの』だと言っていたと話した。

 それが本当ならば、タリア以外の転生者が皆、前の世界での『死』を自覚していたことに納得がいく。

 死んだ時の記憶がないのは、前の世界での強い記憶がこの世界にも持ち込まれてしまうからだと考えられる。

 オリヴァーが再会と結婚の約束をしたまま死んでしまったことを忘れられなかったようにーー

 サンドラの恋愛対象が同性だったことで深く傷つき、この世界でも恋愛に前向きになれなかったようにーー

 死ぬその瞬間を覚えているのなら、この世界で一生、その記憶に振り回されることになる。

 それを避けるために、死ぬ瞬間の記憶がないのではないか。

 もしそうならばタリアにも死の瞬間の記憶は無くて当然だった。



 この世界の転生者は、四歳や五歳で前の世界のことを思い出す。

 四、五歳になれば流暢に話せるようになる時期。相手の言葉を理解し、自分の考えを言葉にして発することができるようになる時期となる。


 前の世界の言葉と、この世界の言葉では発音というレベルではなく、双方が聞き取れないほどに違う言語。

 前の世界での『音の記憶』が曖昧なのは、この世界とは全く違うものだからではないだろうか。


 この世界で生まれ言葉を覚えていくその中で、四年から五年の歳月をかけ、前の世界の言葉をこの世界でも使えるように変換しているのではないか。


 前の世界での『あ』を、こちらの世界での『あ』にするように。


 だから『火花放電』も前の世界を知っている転生者には意味もちゃんと通じるし、この世界しか知らないウィリアムは意味はわからずとも『ヒバナホウデン』という言葉は聞き取れた。



 それらを踏まえ、タリアは間違いなく転生者なのだと思った。

 タリアの体は借り物なのではなく、この体に生まれ変わったのだと。


 それを理解するのと同時に、元の世界には帰れないと理解した。

 そして自らの身に起きた全てを受け止めなければならなくなった。


 元の世界に帰れるのならば、絶望も夢や幻の類いにすることが出来ただろう。

 悪い夢を見ていたのだと片付けられただろう。


 しかし、帰る世界はない。

 この世界が現実で、絶望は夢などではない。

 この絶望を抱え、この世界で生きていかなければならない。


 そう思うと、来たくもなかったこんな世界にどうして来てしまったのかと、思わずにはいられなかった。


(泣き言を言ったって、理不尽なのはどこの世界でも一緒だ。うんっ)


 タリアは勢いよく体を起こし、思いっきり伸びをした。


 もう、昨日までのタリアとは違う。


「……汚れてない。ウィルがお風呂に入れてくれた? のか?」


 今朝までのウィリアムとの色々を思い出しそうになり、タリアは頭を振って払拭。

 部屋の隅にタリアの荷物があったので着替えを取り出し、服を着込む。



 どの世界でも、世界は理不尽だ。

 不平等で、理不尽なのが人の生きる世界だ。


 人間はみな平等と誰かが言う。

 しかし平等であった試しなどないとタリアは思っている。


 人はそれぞれ違う容姿で生まれてくる。まず見た目が不平等なのだ。

 身体能力も、頭の良さも人それぞれ。

 どう努力しても覆らない差は必ずある。

 人の存在する世界とはそういうものだ。


 見た目の良し悪しも、身体能力の違いも、頭の良し悪しも、それぞれ違うからこそ、それが個性の一部となる。


(ないものを欲しがっても仕方ない。ないものはないんだから!)


 服を着たタリアは、ウィリアムは用意していたと思われる食事に手をつけた。


(まずはナターシャさんとみんなに謝らないと……それと、人型魔獣のことはみんなで話し合った方がいい。どうせ、みんなアレを見ちゃってるし。魔女のことは……話せない。それは自分でどうにか出来ないか、考えてから相談しよ)


 すぐにでもナターシャに謝りに行きたい気持ちはあった。

 しかし、昨日は衝動に任せた単独行動でみんなに心配をかけてしまった。

 それに、この宿とみんなのいる倉庫の位置関係も把握していないので、倉庫にたどり着くまでに時間がかかると予想される。

 その間にウィリアムが宿に戻ってきたら、また捜索させてしまうことにもなるだろう。


 そう思い、タリアは大人しくウィリアムを待つことにした。


 食べ終わった食器をまとめ終わる頃、ウィリアムが戻ってきた。


「起きてたのか……昨日までと顔つきが違う」


 入室するなり安心したように微笑んだウィリアムは、タリアに近づき、額にキスを落とした。

 その行動があまりにも自然だったので、一瞬、何をされたのか理解できなかったタリアだったが、何をされたのか理解した途端、驚いて固まってしまった。


 ウィリアムはタリアに構わず肩を抱き、窓際にあるソファーまで移動。

 タリアを座らせた横に自分も座り、足を組み、タリアの肩にあった手で髪を頬を撫でながら顔を寄せた。


「って、なんでこんなに近いんですか!」


 思わず、タリアは仰け反り、ウィリアムの顔を押し退けた。

 しかしその手を取られ、仰け反ったタリアを引き戻し、顔をまた寄せる。


「やることやったのに遠慮するのも馬鹿らしい。もう、思うままにタリアに触れようと思って」


 耳元で囁やくウィリアムの声に、タリアは言葉を詰まらせた。


 抱きたいと言われたあの日以降、タリアはオリヴァー邸で過ごし、事件に見舞われた。

 タリアの心境を考慮して、ウィリアムはタリアに触れたい衝動を抑えて接していたのだ。

 しかし、もうやることをやっているので遠慮の必要もない。


「あ、あの……みんなに、ナターシャさんに謝りに行きたいんですけど」

「明後日まで無理だな」

「なんで?」

「温泉に行った」

「温泉! この世界にもあるんだ!」

「そりゃ、ある」

「でも、寝場所は? みんなで泊まれる宿はいっぱいって話しでしょ?」

「最悪は場所だけ借りてテント張るって。馬車も持って行ったから寝場所くらいどうにでもなるってさ」


 この町の北側には山の一部が壁の中にある。何箇所か温泉の湧く場所があり、その温泉を魔獣に怯えることなく使えるように、あえて山の一部が町の一部になるよう、壁が設計されていた。


 温泉のある場所まで半日かがりの移動。倉庫には体を洗える場所もないので、温泉近くに移動することになったらしい。


「温泉! 行きたかった!」

「心配しなくても、明後日の夕方には温泉で合流することになってる」

「今から出発しましょうよ!」

「そんな勿体無いことするかっ」


 ウィリアムに伸し掛られ、必然的にタリアはソファーに横たわった。

 ウィリアムはその上に覆いかぶさる。


「何事も始めが肝心だと思うんだ」

「……へ、へー。何事も、って?」

「せっかくタリアを抱けるようになったわけだし、今のうちに色々と仕込んでおきたいじゃないですか」

「あ、はは。敬語が気持ち悪いですよ?」


 にっこり微笑むウィリアムに、タリアは引きつった笑みを返す。


「どうせタリア一人では合流できないし、明後日の朝までは二人きり。覚悟しろよ?」

「いや、あの……もう気持ちは切り替わったんで、気を紛らわす必要もないんですけど」

「それは良かった」

「だから、退いてくれません?」

「嫌だ。タリアには思い知ってもらわないと」

「……何を?」

「どうでもいいとか、誰でも良いとか二度と言わないように、私でなければダメだと」

(あーー、昨日言ったこと根に持ってるな、相当……)


 昨日、考えることから逃げるためにウィリアムを利用したのはタリア。

 ウィリアムをその気にさせるために挑発したのが仇となったらしい。

 ウィリアムはタリアが寝ている間にオリヴァーたちから離し、別行動を取る準備を済ませていた。


「そんなことより、昨日見たもの、気にまりませんか? オリヴァーさんもやばいもの見たって言ってたアレです」


 タリアは迫ってくるウィリアムを押しのけようとはしているが、抵抗にも構わずウィリアムはタリアに触れる。


「あんなの、気にならないわけがない。でも、後ででいい」

「でもっ」

「観念しろ。何を言っても止めないんだから」

「いや、ちょっ、待っ……」


 タリアの抵抗は虚しく、無意味に終わりーー






(体力無尽蔵かよっ! 調子に乗って好き勝手して! って、そのキッカケを与えちゃったのは私だけれどもっ!)


 タリアはベッドにぐったりと横たわりながら、声を出す気力も残っていなかったので心の中で悪態をついた。

 タリアの中に前の世界の記憶がなく、ただの十五歳だったなら、気晴らしのためにウィリアムに抱かれようなどとは思わなかっただろう。

 そもそもただの十五歳ならば、ウィリアムに口説かれた時点でお付き合いを始めていておかしくないし、悩みがあればすぐに相談していたのかもしれない。

 魔女に言われたことを隠したりもしなかったとさえ思われる。


「で、昨日見たあの、人型魔獣に襲われてる町や人。タリアはどう考えてるんだ?」

(今になってその話……ピロートークでする話じゃないでしょう!)


 疲れ切って横たわるタリアを抱き枕のようにして、ウィリアムは思い出したように話を切り出した。


「アレは未来か?」

「……多分。どうしてみんなにも見えたんでしょうかね」

「ナターシャさんは、あの時、タリアの魔力が溢れてたと言ってた。強い力同士がぶつかって、共鳴か、もしくは反発して、近くにいた者にも影響が出たのかもしれない」


 あの時、外に出たタリアを心配してナターシャが話をしに外に出た。

 同じようにタリアを心配していたオリヴァーとウィリアムが扉の近くで二人の会話を聞こうとしていて、ルドルフもデュランも気にして近くに来ていた。

 そして見てしまった、人型魔獣に町や人が襲われる光景。


 タリアが土砂降りの中に飛び出してしまったが、あまりにも酷い光景を見てしまったために戸惑い、判断が遅れてタリアを見失ってしまった。


 ウィリアムがタリアを見つけ、二人を宿に送り届けた後、倉庫では見たものについての考察が行われた。


 ナターシャはネックレスをしていたのも関わらず、大声を出し始めたタリアから溢れ出る魔力を視た。

 感情が荒れたことで魔力も乱れたのかもしれないと推測された。


 理由はどうあれ、その場周辺にいた全員が同じ光景が頭に流れてきた。

 幸いにも、少し離れた場所にいた子供達には悲惨な光景を見せずに済んだことに安心もできた。


 見たものが未来であるという確証はないが、もしこの先の未来に起こることならば対策を考えなければならない。

 人型魔獣が一体現れるだけでも厄介なのに、一箇所に数体、もしくは十数体同時に現れるとなると、間違いなくその町は壊滅するだろう。

 それを防ぐため、町や村に兵士を、人型魔獣を倒せるだけの力を持った兵士を集めるとなると、現実的に不可能だった。


 しかも、見えた未来は一つの町だけではない。

 龍脈のある都市もあったし、クオーツ以外の都市もあった。

 世界規模で起こる災厄の未来なのだと、全員が感じていた。


 人型魔獣を倒せるだけの力を持っているのは聖騎士のみだ。

 しかも一人ではまず倒せない。オリヴァーとリアムでも時間稼ぎしか出来なかった。


 聖騎士を増やし、各地に派遣するにしても、数に限りがある。

 それに、聖騎士を増やしたくても、相応しい力量を持った人材は少なく、名ばかりの聖騎士を増やしたところで人型魔獣を討伐できなければ、聖騎士を増やす意味はない。


「現状、人型魔獣が同時期に、色んな場所に現れてしまったら手の打ちようがないってこと、ですね」

「そうでもない。まぁ、この旅での収穫がなければお手上げだったとは思うけどな」

「収穫?」

「デュランたちの存在だ。そのネックレス、魔獣につけたらどうなるか、レオに着くまでに実験してみることになった」

「そうか。魔獣から魔力を奪えたら……」

「人型魔獣で実験したくても、いつどこに現れるかわからない。だけど魔獣に効くのなら、人型魔獣の力を抑えるくらいはできるかもしれないだろ?」


 デュランはナターシャ用に、複数の予備のネックレスを所持している。

 それを使わせて貰い、王都レオに到着するまでの道のりで遭遇する魔獣の魔力を減らせるか試す。

 常に大量の魔力を消費している魔獣から魔力を奪えたら、活動時間の短縮化。もしくは活動自体を停止させることが可能になる。


 もし、それに成功できたなら、人型魔獣用に魔力を吸い取る水晶を加工し、クオーツ国内全ての町や村に配布をすることになっていた。

 人型魔獣に触れるのは危険なので、ひも状にして人型魔獣に巻き付けたり、ネット状にして全身を覆ったりできるように加工する。

 それがあれば人型魔獣とある程度の距離を保って、その動きを止めることができる。


(ほんと……バカだな、私……無駄な時間を過ごしちゃった)


 タリアが魔女を止めなければ、この世界は人型魔獣によって滅ぼされてしまうと思っていた。

 この世界の命運はタリアの肩にかかっていると。


 しかしタリアには魔女を止める力がなく、どうすることもできないと思わずにはいられなかった。


(私なんかより、魔獣に詳しい人たちが傍にいるんだから、対策を考えてもらえばよかっただけなんだ)


 たとえ、魔女の言葉を秘密にしたままでも、人型魔獣に対抗する術を考えてもらうことができたのだ。

 今になってそれを知ったタリアは、重くのしかかっていた肩の荷が軽くなったことを感じた。


 もし、魔獣に対して魔力を吸い取る水晶の力が使えないとなれば、また別の策を考える。それでいい。

 現状、魔力を吸い取る水晶の力を考えれば、魔獣に対しても、人型魔獣に対しても効果はあるはずだった。

 実験をしてみなければ何もわからないが、十分に期待はできる。


(人型魔獣に対して打つ手があるから、温泉に行ったんだ……)


 あんな未来を垣間見ても、焦る必要はない。

 そう思えたからこそ、この町での足止めも楽しむ気になったのだろう。

 タリアはそう思った。


「タリアは、いつ、あれが起きると思う?」

「みんなはなんて?」

「それは全く。明日なのか、数年先なのか想像もつかない。タリアが見てきた未来も、翌日のことだったり、数年先だったりするんだろ?」


 タリアがこれまでに見てきた未来と思われる光景は二つ。


 初めてオリヴァーに対面し握手をした時。

 タリアの祖父はタリアを守るため、その存在を隠そうと、死んだことにしようとした。

 それが嘘だと知られ、国に対する領主の隠蔽、反逆行為だとみなされ、町ぐるみでの企みとも考えられるので、町の人全員が殺されるという未来を見た。

 それを阻止するため、タリアは祖父と両親を説得し、故郷クレアを後にしたのだ。


 そして二つ目はギルバートが聖騎士になるという未来。

 あの時のギルバートは聖騎士になりたいと強く望んでいて、タリアによって魔法を使えるようになったばかりだった。

 素質も特殊魔法の適正も十分に、数年後には聖騎士になることが可能だった。


 本人がまだ聖騎士になりたいと思っているのか不明な現状を考えると、その時に見たものがその通りになるかは不明だが。


 どちらを考慮しても、タリアの見る未来がいつ来るものなのかはわからない。


「あの未来が来るまでに準備する猶予はあるのか。それが分かればいいんだが……」

「……明確にはわかりませんけど、すぐではない、と思いたいですね」


 タリアが魔女から言われたことをそのまま口にすれば話は早い。

 ただ、魔女の気が変わって五年待ってくれない場合だってある。

 確実に五年は準備期間があると思っていて、実際にはもっと早かった場合、準備が間に合わずに甚大な被害が出ることも考えられるので、タリアは魔女の言葉を言わないことにした。

 言わないでおけた方が、誰も魔女に関わらなくていいから。という理由が一番強いが。


「タリアは、どうしたい?」

「……どう、って?」

「オリヴァーは、魔力を吸い取る水晶が魔獣に効果が出るとわかったら、デュランと魔獣討伐用の道具の開発をしたいと言ってた。協力はしつつ、全て任せようと思う」


 オリヴァーが中心となって魔獣、人型魔獣に対抗するための道具を作る。

 材料となる魔力を吸い取る水晶が発掘できる場所をクオーツ国内で見つけてあるので、ウィリアムは王都レオに到着次第、採掘のために必要な準備に取り掛かる。

 デュランには貴金属職人たちと鉱夫用のネックレスを量産するための準備に入る。

 オリヴァーはドリスに協力を仰ぎ、魔獣や人型魔獣の動きを止めるための紐やネットの素材の考案を始めることとなる。


「これまでタリアにばかり頼ってきたから、私としてはこの件に関わって欲しくないと思ってる」

「私、頼られるような何かしましたっけ?」

「……凄いことをしてきたって、自覚ないんだな」

「凄いことなんて、なにも」


 ウィリアムは呆れたようにため息を漏らしたが、タリアには呆れられる理由がわからなかった。


「薬酒のこともそうだし、ナターシャさんと会えたのも、クオーツ国内での水晶の入手ができるのも全て、タリアがいてこそ、だろ」


 ウィリアムが着手し、行き詰まっていた特殊魔法を間接的に付与する研究。特殊魔法を実体化させて、持ち歩いて、必要な時に使えるようにしたいという思いから始まったその研究にタリアが加わることで完成し、実用化。


 ナターシャがタリアに接触したのはネックレスを所持していたからで、タリアがこの旅に同行していなければ真っ直ぐに、元々のギルバートの故郷に向かい、誰もいない村の跡地でなにも発見できず、途方に暮れていたはずだった。


 ナターシャとの接触がなければ魔力を吸い取る水晶に出会うこともなく、タリアがいなければクオーツ国内で水晶を発掘できなかった。

 今後、魔獣、人型魔獣対策のために大量に必要になるその水晶を、いちいち国境を越えて運ばなくてはならなかった。ラズにそれを知られれば外交問題に発展する。

 そんな心配をすることなく水晶を入手できる環境になった。


 もし本当に、人型魔獣が大量に現れ世界規模の災厄が起きるのなら、タリアがいたことでそれを防ぐための手立てを手に入れることができた。ということになる。


「タリアは、こんな世界になど来たくなかったと、こんな力欲しくなかったと言ったが……タリアがいることでどれだけの人間が救われるのか、考えたことあったか?」

(そんな風に、考えたことなんてなかった……)

「魔女は、オリヴァーは死んでタリアが覚醒する未来を見たと言っていたんだろ? でもオリヴァーは死ななかった。そう未来を変えたのはタリアだ」


 一年ほど前、オリヴァーと接触をした魔女が見た未来。

 その頃はまだ、龍脈の粉を使った小瓶の中身に魔力を付与する方法が見つかっていなかった。

 その後、タリアが薬酒を入手し、ウィリアムが古い文献から龍脈が魔力の影響を受けないことを見つけた。


「スティグマータの乙女が見る未来は絶対じゃない。変えることができる未来なんだと、証明したのはタリアだ。だからこそ、あんな悲惨な未来を見ても、誰も悲観しなかった」


 タリアの目からは自然と涙が溢れ出していた。


 自分の無力さを、非力さを嘆くばかりだった日々。

 救えなかった大切な人たちを想ってばかりいて、オリヴァーとギルバートを救えたという実感は乏しかった。


 静かに語りかけるウィリアムの言葉に、やっと自分の存在を、自分自身が受け入れられた。


「ウィル……私はこれから、どうすればいいんだろう。なにをしたらいいんだろう」


 これまでのタリアは、ただ状況に流されるままに生きてきた。

 王都への招集も、最重要保護対象としての扱いも、不満を感じつつも流されるままに受け入れてきた。

 ウィリアムの研究への協力は面白そうな暇つぶし程度にしか考えていなかったし、それで誰かを救いたいなどという目的すらなかった。

 この旅への同行も、ギルバートの母親に『スティグマータの乙女』の可能性を見て、『スティグマータの乙女』について知れるなら知りたいと思っただけ。

 それが世界規模で現れる人型魔獣への対策の足がかりになるとは思ってもいなかった。


 確かに、タリアは守られるばかりの存在で、誰かを、大切な人を守れる力を持ち合わせてはいない。

 しかし、大切な人以外を救う力は持っている。

 それを使ってなにを、どうすべきなのか、タリアにはわからない。


「別に、なにもしなくていんじゃないか?」

「なにもって……人より力は持ってるのに」

「無理に義務を作らなくてもいい。なにもやりたいことがないなら、なにもしなくていい」

「でも……それじゃあ、私を守ってくれたリアムとユーゴに申し訳なくて」

「タリアがなにもしなければ、二人が無駄死にしたことになる、と?」

「はい……」

「二人は、タリアの力を守るために死んだのか。それとも、タリアに生きて欲しくて死んだのか」

「それはっ……」

「私から見ても、お互いに大切にし合ってた。あの二人が、タリアの力だけを守るために死んだとは思えない。そうだろ?」


 ウィリアムの言う通りだと、タリアは思った。

 リアムとユーゴはタリアを本当の妹のように、大切にしてくれていた。

 それはタリア自身がよく知っている。


「生きていれば、そのうちやりたいことも自然と見つかる。それまでは、ただ生きるために生きればいい」

「生きるために、生きる……」

「私はそうした。喪失感でなにをしたらいいのかも分からなくて、目の前にあることをただこなすだけの毎日を繰り返して。そうしているうちに聖騎士団の副団長になって、どうにか私の魔法を他人に付与できないかと考え始めた」

「ウィルもって……あ、お兄さん?」

「ええ。事故死になってるが、その事故は仕組まれたものだった」


 ウィリアムの兄。第一王子だった兄は王位を継承し、国王となった。

 王城でじっとしている国王ではなく、王になって最初にしたのは国内の全ての町や村を見て回ることだった。

 ウィリアムはそれに同行していた。

 大雨での土砂崩れと落石。異変に気付いてその場から逃げようとしたものの間に合わず。

 兄はウィリアムを落石から守って亡くなった。


 崖の上に人影を見たウィリアムはすぐに動き、辺りを調べ、事故ではないと突き止めた。

 そして周囲を捜索していると、黒づくめの集団に囲まれた。

 返り討ちにはしたが、黒づくめの集団の所持品からはどこの国の手の者なのか分からず。

 兄を、クオーツの国王を誰が殺したのかは未だに不明のままだった。


 ウィリアムは、どうして兄に助けられたのは理解ができなかった。

 兄を助けるべきは自分で、国王になった兄がウィリアムを助けるなど、絶対にあってはならないとも思った。


 しかし、現実は変わらない。兄は戻らない。


 ウィリアムはサラが王位を継承するまでは兄の代わりを務めようと、ただただ職務をこなした。

 自己嫌悪と後悔から、無理な訓練を繰り返した。

 ウィリアムに暇な時間を与えると体を酷使しすぎるからと、聖騎士団への入隊を勧めたのはオリヴァーだった。

 入隊試験を受け、見習いで赴いた戦地。

 そこで自分の力を誰にも付与できないことへの不便さを痛感し、回復魔法を持ち歩くことができれば救える命が増えると思ったウィリアムは研究に没頭し始めた。


 そうしているうちに喪失感は薄れ、兄は国王としてではなく、ただ兄として弟を守ろうとしただけなのだと思えるようになっていた。


(ウィルも……守られて、失って、それでも生きてきたんだ……)


 ウィリアムだけではない。きっとこの世界には、大切な人に守られ、その人を亡くし、それでも生きている人たちが沢山いる。


(ほんと恥ずかしい……自分のことばかり考えて、自分が一番不幸だなんて思い込んで……この世界に来た意味を考えて来たけど、そんなこと考える必要もなかったのかも)


 タリアは前の世界の記憶を持ってこの世界に来た意味を、ずっと考えていた。

 どこかで使命感のような、この世界に来たからにはなにかを成さなければいけないと思っていた。

 けれど、この世界が死後の世界のようなものだとするなら、タリアはただ人より少し強い魔力を持って生まれ変わっただけ。

 もしそうであるなら、この世界ですべき使命など初めからないのかもしれない。

 そんなことを思った。


「生きるために生きる、か」


 ウィリアムに言われた言葉を反芻し、口に出していた。

 生きるために生きる。生きるためには衣食住が必要となる。衣食住にはある程度のお金が必要で、お金は使えばなくなってしまう。

 お金は何か仕事をしなければ手に入れることはできない。


 ウィリアムのように仕事に追われていれば、いつかタリアの焦燥感も、なにもできなかった罪悪感も薄れるかもしれない。

 そう思えた。


「まぁ、タリアの場合……これまでのことを考えれば、何かしようと思わなくても、結果として誰かを救ってそうだ」


 これまでもそうだったように。そう言ってウィリアムが笑う。


「少なくとも私は……前の世界の記憶を持って、タリアがこの世界に生まれてくれたことに感謝してる。こうしてタリアが腕の中にいてくれることで、こんなにも穏やかな気持ちになって、幸せだと感じるし、生きててよかったと心底思う」





 第9話 完


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