死の森の魔女 第5話
三階建ての宿の一階部分には広々とした食堂と、風呂やトイレといった共用スペースがあった。
入り口付近には窓の横に応接セットのある場所があり、夕食を済ませたウィリアムとタリアはそこでナターシャを待っていた。
四人はそれぞれ一人用の個室で寝泊まりしていたのだが、オリヴァーだけ最上階の宿で一番大きな部屋を借り直した。
ナターシャとの話をするにあたり、全員が入れる部屋で、なおかつ他者に話を聞かれる心配のない場所が欲しかったためだ。
最上階の部屋は広く、ベッドが二台置かれているベッドルームが二つあった。最初からその部屋に泊まっても良かったのだが、男三人と同じ部屋ではタリアが可哀想だとなり、部屋割りを気にしなくていいように全員がそれぞれに部屋を借りていた。
オリヴァー一人にその部屋はもったいないと、大きい部屋の方が良いと言ったルドルフがベッドルームの片方を使うことにもなった。
現在、オリヴァーとルドルフが部屋で待機をしている。
オリヴァーは食事が喉を通らないほどに緊張していたし、ルドルフにオリヴァーの相手を任せた。
ナターシャを出迎えるにあたり、ナターシャがまだ話したことのない人を出迎えに加えて警戒させることもしたくなっかった。
午後八時。窓の外を見ていたウィリアムが立ち上がった。
タリアも立ち上がり、二人は並んで宿の入口へと向かう。
ナターシャは昼間と変わらず、マントを纏い、目深にフードを被っていた。
「お待ちしてました」
「すみません、遅くなってしまって」
「いえ、時間を指定していた訳ではないので……ご案内します」
ウィリアムが先導し、タリアはナターシャと並んで進む。
「ナターシャさんはこの町に住んでいるんですか?」
「いいえ。食料の調達に、時々来る程度です。ただ、雨で帰れなくなってしまって」
「雨で立ち往生は私たちと同じですね」
ナターシャが変に警戒しないようにと、タリアは出来るだけ世間話で気を紛らわせるように話しかけていた。
ナターシャはタリアに聞きたいことがあった。しかし男性三人と行動を共にし、常に一人は傍に居たために強硬手段とも言える行動をしてタリアに接触した。
そのことを踏まえ、四人全員で話をするのに警戒しないわけがないと、タリアは考えたのだ。
「この部屋です」
オリヴァーの部屋の前で立ち止まったウィリアムが、扉を開ける。
するとナターシャがフードを外した。
「あ、カツラ……してないんですね」
「……やっぱり、驚かないのね」
現れた白銀の髪。
タリアの反応に、ナターシャは優しい笑みをこぼした。
「タリアさんはきっと、私と同じなんだと思っていたの」
「同じ、ではないと思います。ただ、似ているんです、多分」
タリアは白くなってしまった前髪と、ネックレスを順に指差す。
ナターシャはマントの留め具を外し、首元を露わにした。
その首元には形は違えど、タリアのしているネックレスと同じ、乳白色の石が散りばめられているネックレスがあった。
「さ、中へ。もう二人も、ナターシャさんの話が聞きたくて待ちわびていますので」
ナターシャの白銀の髪と目。タリアが当たり前の日常生活を送るのに必要不可欠になっているネックレスと似ているネックレス。
それはナターシャが『スティグマータの乙女』であることを示しているのだとタリアは思う。
また、自分と同じ、もしくは似ているタリアの旅の同行者は『スティグマータの乙女』に一定の理解があるのだろうと、ナターシャは髪を隠すことをやめた。
「こちらはルドルフさん。そしてこちらが、私と、私にネックレスをくれた男の子の里親、オリヴァーさんです」
そうタリアが紹介すると、二人は軽く会釈をした。
「お会いできて光栄です。タリアから話を聞いた時は驚きました」
「ナターシャと申します。タリアさんとウィリアムさんにした非礼、改めてお詫びいたします」
「いえいえ、お気になさらず。どうぞこちらへ。食事は召し上がりましたか?」
オリヴァーが落ち着いていて普段通りになっていたので、タリアは安心して人数分のお茶を準備した。
ベッドルームの間にある部屋は一番広く、ダイニングテーブルと椅子。ソファーが二つ向かい合わせになっていて、その間にローテーブルがあった。
ローテーブルを挟んだソファーにナターシャを座らせ、その向かいにオリヴァーとタリア。
ルドルフはダイニングの椅子を窓辺に移動させて座り、ウィリアムは扉に寄りかかるように立っていた。
「さて、何から話せば良いのか悩んでいるところなんですが……タリアが、まずは私が保護した少年のこから話して欲しいと」
「そうですね。私の息子なのか確かめることが、お互いのためかもしれませんね」
ナターシャの息子だった場合はこのまま話を進められるが、違った場合、ナターシャは『スティグマータの乙女』ではあるが、オリヴァーの探している人ではないということになる。話がややこしくなる。
まずは、ギルバートがナターシャの息子であるかどうか。
それを確かめなければいけなかった。
「もう九年ほど前になります。私はクオーツの兵士で、当時、国境付近で他国が小競り合いを。残党がクオーツに侵入することもあるので、たまたま国境近くに」
九年ほど前。
当時から聖騎士団長だったオリヴァーは、国王の傍にばかりいることに飽きてていた。
リアムとユーゴが十三歳になり、特殊魔法の適正があるとなって養成学校での寮生活が始まったことをきっかけに、理由をつけては遠征に出かけるようになっていた。
その時でさえ十数年、クオーツは戦争に参加してはいない。
しかし戦場での戦い方は進化していくもの。いざ、攻め込まれた時に知らない戦術や魔法に対処できない。などということにならないよう、情報収集は念入りに行なっていた。
その一環でオリヴァーも他国同士の戦場に足を運び、国境警備をしつつ見物をしていたのだ。
そんな時、オブシディアンの兵士が一人、瀕死の状態で助けを求めに来た。
その兵士は戦場から逃げ出し、小さな村を見つけた。食べ物を恵んでもらうために立ち寄ると、快く迎えてくれた。
しかし、突然人型魔獣に村が襲われた。
その兵士はオブシディアンの出身ではあるが、戦場から逃げて来たので帰ることは出来ない。
けれど村の人達は助けたい。
そんな思いでクオーツに助けを求めにやって来ていた。
クオーツは弱者に助けを求められれば助けに行くお国柄だと、その兵士は知っていたのだ。
オリヴァーは迷うことなくすぐに出発した。オブシディアンに勝手に侵入することも厭わず、オブシディアンの問題だと邪険にすることもなく。
しかしすでに村は壊滅状態だった。至る所から火の手が上がり、村人の遺体が至る所に転がっている。
そこで、唯一の生存者を見つけた。
活動を停止した人型魔獣を見下ろすように立ち尽くしている少年だった。
放心状態で、喋ることも出来ず。
少年以外が全滅した村に残して、少年が生き延びられる筈もないので、オリヴァーが保護することにした。
「名前も歳も分からなかったので、ギルバートと名付けました。背格好から八歳くらいかと」
人型魔獣に襲われた村。その言葉が出た時からナターシャは両手で口元を押さえ、眉を寄せ、必死に涙を堪えていた。
その行動で、ナターシャがギルバートの母親であることは確信していたが、オリヴァーは話を続けていた。
「ギルバートは記憶を失くしていました。生活魔法さえ使えない子で、それでも人型魔獣を倒せるようになりたいという強い想いで生きていました。今は魔法も使えるし、記憶も取り戻し、やるべきことがあると言ってどこかに行ってしまいましたが」
完全に泣き出してしまったナターシャは顔を両手で多い、顔を伏せながらも何度も大きく頷いていた。
「ナターシャさん……」
タリアはナターシャの横に移動して座り、慰めるように肩を抱く。そしてハンカチを差し出した。
ありがとう。と言ってハンカチで涙を拭った後、ナターシャは姿勢を正す。
「息子に間違いなさそうです。貴方達はその、ギルバートのお母様を探して旅をされているとか」
「はい。色々と聞きたいこともありまして」
「私のことをお話しします。その上で、私がギルバートの母だと信じることが出来たのなら、なんでも聞いてください」
一方的にオリヴァーが話した内容で、ナターシャはギルバートが息子であると確信した。
しかしナターシャが本当にギルバートの母親であるのかどうか。それはナターシャの話とすり合わせをしなければ、オリヴァーもルドルフもウィリアムもタリアも確信は出来ない。
「私はずっと、とある村の人達のお世話になっていました。その村の人達は全員、魔法が使えないのです。生まれた時に魔法を使えないように術をかける。そんな村でした」
「生まれた時に? そんな術を、なぜ」
「私のためです。ご察しかと思いますが、私はスティグマータの乙女と呼ばれています。最初の頃は魔力が強すぎて制御が効かず、この石が沢山ある洞窟から出ることができませんでした。そんな私を世話するため、その村は存在しているのだと教わりました」
ネックレスに散りばめられている乳白色の石は、その洞窟にあった石と同じものだった。
その石は触れているものの魔力を奪う性質を持っている。
『スティグマータの乙女』にとってその洞窟はとても楽な空間だったが、普通の人間が入れば五分と持たずに気絶し、そのままいれば死んでしまう空間でもあった。
魔力を持たなければ普通の人間であっても死ぬことはない。しかしこの世界の人間にはもれなく魔力が備わっている。
魔力が微弱ならばその洞窟で二時間ほどの活動が可能なため、その村人は全員、魔力を極限までに抑えるために術をかけていた。
その村は、『スティグマータの乙女』を保護するための村。魔法を一切使わずに『スティグマータの乙女』の世話ができるように生活環境を整えていた。
その村は龍脈から離れすぎているため、作物が育ちにくく、主な収入源は貴金属を作って売ること。近くの鉱山で採掘した上質な金属を加工していた。
ナターシャの目は、洞窟の外では人の顔も分からないほど魔力しか視えなくなってしまうので、ネックレスは村の人達がナターシャのために作ってくれたものだった。
「息子が産まれる頃になってやっと外に出られるようになっていましたが、一日に数時間程度。産まれてきた息子にも魔力があったので、洞窟に出入りできるようにと、魔力を抑える術をかけて貰いました。私がもう少し外で活動できる時間が増えたら術を解いてもらうことにはなっていたのですが、その前に人型魔獣が……」
人柄魔獣が村を襲った日。
ナターシャのいる洞窟に子供達が避難してきた。一番大きな子で十五歳。一番小さな子で生まれたばかり。
その中にはナターシャの息子も含まれてはいたが、村の人達を助けると言い張り、制止の声も聞かずに一人飛び出して行ってしまった。
不安と恐怖に苛まれている子供達を置いて息子を追うことはできず、洞窟にナターシャ以外が長居することができないので鉱山に場所を移した。そこならば鉱石の採取のために村人が数週間滞在することの出来る小屋があると、最年長の子供に教えてもらって。
ナターシャはただ、息子の無事を祈った。
翌朝、十五歳の子供と二人で村の様子を見に行くと、村は壊滅状態。
何人かの兵士が村の中にいて、村人を弔ってくれていた。
息子の安否を聞きに行きたかったが、ナターシャが『スティグマータの乙女』である以上、姿を晒せば拉致される。村人にそうずっと聞かされていたので、拉致されては息子の安否を知っても二度と会えなくなるかもしれないと思ってやめた。
数日後、兵士がいなくなった村に入ると、村人のために作ってくれたお墓があった。
ただ、お墓の数が一つ足りなかった。
「今日まで、息子は無事だと信じて生きてきました。生きててくれたとわかって、本当に良かった」
ルドルフも、ウィリアムも、タリアも、じっとオリヴァーを見つめていた。
ナターシャが本当にギルバートの母親であるかどうか。話を聞かなくてもオリヴァーには分かったはずなのだ。
三人の視線を受け、オリヴァーが誰に、ともなく頷く。
「はーー、本物かー。良かったー」
それを見たルドルフは椅子に座ったまま脱力。
タリアはナターシャの横で脱力。
立ちっぱなしだったウィリアムはオリヴァーの横に座った。
「皆さんも、緊張していたんですね」
「はい。ギルが、このネックレスを母の形見だと言っていたので、ご存命かもわからないまま旅をしてきましたから」
「そうですか。ふふっ、あの子、私と一緒で言葉を覚えるのが遅くって、喋るのが面倒臭そうで、いつも言葉足らずだったんですよ」
「ギルは貴女が生きていると知っていたはず。それなのに形見なんて表現をしたのは、私の教育不足でしょう」
部屋の空気が一気に軽くなっていた。
「それで、貴女の本当の名前は橘 雅さんで間違い無いんですよね?」
そう切り出したのはルドルフだった。
「……すみません。今、なんて?」
「貴女の本当の名前です。ナターシャじゃないでしょう?」
「……はい。本当の名前は別にありますが」
「それが、橘 雅さんじゃないかって」
「ごめんなさい。聞き取れなくて」
「聞き取れないって……」
(そうだった。ここは異世界なんだった……)
タリアは深く息を吐き出し、気持ちを落ち着かせるためにゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと目を開けた。
「話に割り込んですみません。ロルフさん、その話の前に確認したいことがあるんですが、いいですか?」
「あ、ああ……」
「ナターシャさんはここではない世界から来た、と私たちは考えています。それは私たちに、この世界とは違う世界で生きていた記憶があるからです。あ、ウィルにはそんな記憶はないですけど」
「それ、いま言わなくてもいいだろ!」
「多分ですけど、ナターシャさんと私たちは違う方法でこの世界に来ている。だとすると、こちらに来て暫くは、言葉に困ったんじゃないですか?」
ウィリアムの文句を無視して続けたタリアの言葉に、ナターシャは深く頷いた。
「タリアさんの言う通りよ? この世界の言葉が全く分からなかった」
「あーー、転生者と転移者の違いかー。タリア、ごめん。失念してた上に焦って話を進めようとしちゃってた」
「いえいえ」
タリアは立ち上がり、ダイニングテーブルの椅子に移動した。
この先の話は、オリヴァーとルドルフに任せたかったからだ。
「ロルフ、転生者と転移者の違いって?」
「転生者はオレらみたいに、記憶だけ持ってこの世界に来た。だけど転移者はナターシャさんみたいに、体ごとこの世界に来てる。オレらは生まれた時からこの世界にいるから言葉も当たり前に覚えたけど、ナターシャさんは違う。世界が違えば言語が違うってこと」
「ああ。そういう……って、さっき名前を聞き取れないって言ってたのに、どうやって橘 雅だって確認すりゃいいんだ!」
「まぁ、一から順に話すしかないんじゃない? お互いに名乗れたら話は早かったけど」
「あ! オリヴァーさん、紙とペンを出してください!」
「いいが、急にどうした?」
「日本語を書けばいいんです。ロルフさんがドイツ語を翻訳できたみたいに、目で見た記憶は使えるはず!」
「そうか、前の世界の言葉を喋ることはできなくても、書くことはできるんだな」
早速、紙とペンを用意したオリヴァーは「橘 雅」と紙に書いた。
「どうして……私の名前を……」
オリヴァーは微笑み、続けて紙に名前を書いた。
「これが、前の世界での俺の名前だ」
「こんなことって……」
「ギルが、あまりにも前の世界の俺に似てるから、もしかして、と思って」
静かに、ルドルフが立ち上がった。
歩きながらウィリアムの肩を叩き、振り返ったウィリアムに手招きをする。
タリアの傍にやってきて、「出よう」と言った。
二人きりでゆっくりと話をさせてあげよう。そんなルドルフの気配りだった。
三人は静かに部屋を出る。
「ナターシャさんに聞きたいことは山ほどあるけど。今日は解散して明日にしよう」
ルドルフは飲みに行くと言い、ウィリアムとタリアは自分の部屋に戻ることにする。
階段でルドルフと別れた二人は、自分の部屋へと向かって歩いていた。無言だった。
「タリア」
「はい?」
「何か、気づいたことでもあるのか?」
ウィリアムの質問に、タリアは少し考えた後、首を傾げた。
「気づいたこと? って?」
「何かは分からない。だけど途中から、変な顔してたから」
「そう?」
「オリヴァーに紙とペンを用意したあたりからだ」
「……よく、見てますね」
「何に気づいたんだ?」
「気づいたというか。やっぱりか……って感じです。音の記憶はあてにならない気がするって程度に思ってたんですけど、それが事実なんだって証明されたってだけで」
以前タリアは、前の世界で好きだった曲を再現しようと思って上手くいかなかった。ただ、音階を文字で覚えたものはそのまま再現できたことを話した。
「記憶があるもの同士は普通に前の世界の話ができちゃうから気づかなかったけど、ウィルを交えるようになって、ウィルには通じない言葉があるでしょう?」
「あー、デンキとか、ヒバナホウデンとかか」
「そう、この世界にはない言葉だったから、意味は通じない。でも、聞き取れる」
「ナターシャさんは、自分の名前も聞き取れなかったな」
「うん……」
「タリア? また変な顔になった」
タリアは「そう?」と笑って、自分の部屋の扉を開けた。
「一人で大丈夫か?」
「うーん……もし眠れなかったら、添い寝のお願いに行きます」
「いつでもどうぞ。あ、夜這いも大歓迎だ」
「ふふっ、バカっ」
笑みを深めて、タリアは部屋へと入っていった。
ウィリアムは短く息を吐き出し、隣の自分の部屋へと入ってすぐ、扉に寄りかかった。
「少しは進展……したか?」
タリアが眠れない時に頼る相手くらいにはなれただろうか。
そんな小さな期待が胸に広がっていた。
※ ※
翌朝、馬車に詰めるだけの大量の食料を買い込んだ。
ナターシャは荷馬車を持っていたので、それにも詰めるだけ食料を積み込んだ。
ナターシャは壊滅した村を捨て、国境付近での戦争がないクオーツに移住してきていた。
馬車で半日ほどの場所にあると言うし、食料の調達にこの町に来ていたが長雨で立ち往生。
その上、オリヴァー達と話すために四日も村を離れていることになる。
村には十三人いて、食料を持って早く帰りたいという話しでもあったので、それならば村に滞在しながらゆっくり話を聞かせてもらおうとオリヴァーが言い出したのだ。
オリヴァーの決定に異存はなく、ナターシャに聞きたいことは村についてから。ということになった。
「あーらら。オリヴァーさんってば顔緩みっぱなしだー」
「ロルフさん、ジロジロ見たらダメですよ」
「だってさー、聖騎士団長様のあんな顔、見たことないし」
「確かに。聖騎士団のみんなに見せたら誰でも驚きそうですね」
「ウィルまで……まぁ、確かにあんなに幸せそうなオリヴァーさんは初めて見ましたけど」
オリヴァーはナターシャと、ナターシャの荷馬車に乗り込んでいた。
その馬車と少し距離を保って並走している馬車を操縦するのはウィリアム。客車部分を食料に占領されているので、タリアを挟み、三人は並んで狭い操縦席にいた。
「しっかし、この九年、大変だっただろーなー」
「ナターシャさん?」
「そ。自分の子供は生死不明。他に十三人も子供抱えて、さ」
「想像も出来ないくらい、大変そう」
「な。住む場所も無くなって、移住して……戦争に巻き込まれることはなかったんだろうけど、波乱万丈すぎるよなー」
「ええ、本当に」
「その上、言葉の壁だろ? オレ、転生者で本当に良かったってしみじみ思っちった」
「そうですね。でもナターシャさん、普通に喋れてましたよね? だから言葉の壁なんて最初は感じなかったし」
「それな! 聞き取れないって言われて本当にびっくりだった」
空は晴れていて、一昨日までの長雨の影響もなく、日が沈んで間も無くの頃に目的の村へと到着した。
ナターシャと子供達だけが暮らす、小さな小さな村。
人に捨てられた村の跡の一部の建物を修復して、雨風を凌ぐのがやっとな生活空間を維持しているだけの粗末なものだった。
子供達は陽が傾くと寝る準備をしてしまうらしく、ナターシャの帰宅に気づいて出迎えてくれたのは一人だけだった。
出迎えた最年長のデュランは、二十四歳の成人男性。
ほかに年長組は二名いるそうで、二十歳を超えていて、すでにナターシャ以外が子供だけとは言えなくなっていた。
「やっぱり一人で行かせるんじゃなかった」
「ごめんごめんっ。雨は私も想定外で」
「それもですが、こんなボロ屋に客人なんて……なんで連れて来ちゃったんですか!」
「えーー、だって寝る場所さえあればそれでいいって言ってくれたから」
「そんなの社交辞令ですよ!」
帰ってくるなり、ナターシャはデュランに怒られている。
「せっかく来ていただいたのに、こんな寂れた村ですみません」
「いや、デュランと言ったか? 俺たちは野営にも慣れてるし、何も気にしなくていいぞ?」
「本当にすみません。ナターシャさん、世間知らずも度が過ぎてて、本当は一人で買い出しにも行かせたくなかったんですが……今回は絶対にと言い切られてしまって止めきれませんでした」
四人に深々と頭を下げたデュランは、この世界では珍しい金髪に近い茶色の髪で、目の色は青い。
「俺はオリヴァー。ナターシャとは、もともといた世界が同じなんだ」
「デュラン、あれよ。私が結婚を約束した人! コーキのお父さん!」
「え? あの話、本当だったんですか? ナターシャさんの妄想かと」
「何度も本当の話だって言ったじゃない!」
「今、信じました」
「今? 嘘でしょ?」
「だって貴女がする別の世界の話って、全部嘘に聞こえるから」
「全部?」
「火がなくても鍋を温められるとか、火を灯さなくても夜に部屋で本が読めるとか」
「嘘じゃないのに!」
オリヴァー、ルドルフ、タリアの三人は「IHか」とか「電気のことか」と思える会話だったが、この世界を知らない者からしたら有り得ないことだと思っても仕方のないことだった。
ナターシャがいくら懇切丁寧な説明をしたとしても、嘘や妄想の類だと思われても仕方ない。
だからこそ、前の世界の記憶を持つ人間は、それを公言しないようにしているのだから。
「あの……」
デュランがじっとタリアを見た。
「そのネックレス……もしかして貴女もナターシャさんと同じなんでしょうか」
その質問に、四人は顔を見合わせた。
「どうやら、デュランは賢いな」
「ですね」
オリヴァーとルドルフが賞賛する。
タリアのネックレスを見ただけで『スティグマータの乙女』だと判断しての質問だった。
そのネックレスはデュランの村の大人の誰かが作った物に間違いなく、デュランも見覚えがあったのだろう。
そのネックレスの持っている力も理解しているので、タリアの前髪も考慮し、ただの装飾品として使っているのではないとも判断した。
「思っている通りだ」
オリヴァーがそう言うと、全てを理解したかのようにデュランは深く頷いた。
「では、そちらの方も見た目より長く生きていらっしゃるんですね」
「……ん?」
「違うんですか? ナターシャさんはこう見えて、百年近く生きているので」
「はぁ?」
「デュラン。その話、してなかったのに……」
「あ、そうなんですか。すみません」
「ちょっと待ってくれ……百年近くってどういう」
「ボクの祖母が幼い時に目覚めたと聞いてます」
「ええっと……順を追って説明して欲しい」
頭を抱えたオリヴァーに変わり、タリアは自分の年齢が十五歳であること。ナターシャと似た力は持っているが、最大の違いは転生者と転移者であることも説明した。
「あ、なるほど。わかりました。ナターシャさんが以前、引きこもっていた洞窟は時間の流れというものが存在しないんです。だから引きこもっていた間、全く年をとることがなくて」
「はーー、そんな洞窟だったのか」
「ボク達の村では、そこを魔力の墓場と呼んでいました。スティグマータの乙女と呼ばれる人達がみんな、そのような環境で生活しているわけではないんですね」
「デュランは村の事情にも詳しそうだな。話を聞かせて貰えるか? って、さっき会ったばかりの人間に軽々しく話せる事でもない、か」
「……いえ。ナターシャさんにも話しておきたいことがあるので、一緒に聞いていただく方がいいかと」
「え? 私に話しておきたいことって、なに?」
「あとで話します。お客様の寝場所の確保が先です」
デュランは賢い。そうオリヴァーが言ったように、デュランは全てを言わなくても状況を理解していた。
その状況とは、ナターシャがオリヴァーと共にこの村を離れる可能性があるということだ。
ナターシャはオリヴァーを「結婚を約束した人」だと言った。
前の世界でした約束を果たすのなら、この世界で結婚をするのだろう。
そうなればナターシャはオリヴァーの元へ行く。
そうなった場合、今までナターシャには話さなかった、デュランだけが知る事実を話しておくべきだ。
そう判断したのだ。
オリヴァー、ルドルフ、ウィリアムの三人は急ぎ野営を張り、夕食がまだだったのでタリアは携帯食と飲み物を準備した。
そしてテントの中で六人は聞きたいこと、知っていることの全てを話すこととなった。
第5話 完




