死の森の魔女 第4話
前の世界でのオリヴァーの名は、橘 琢磨。
雅は幼い頃に事故で両親が他界し、祖父母がいたが高齢のため、橘家の養子として迎えられていた。
雅は橘家の離れで暮らしていて、学校以外での人との交流を禁止されていたのだが、琢磨だけはその離れに忍び込み、入り浸っていた。
その島は一周四キロメートルほどの小さな島で、娯楽といえば海遊びのみ。幼い頃はそれでも十分だったのだが、小学校高学年ともなればつまらない島だった。
そんな時に見つけた離れ。広い敷地の中、木々に隠されるようにあった離れは秘密基地のようで、小学生だった琢磨の心を掴むにはもってこいの場所でもあった。
そこに隠れるように暮らしていた同じ年の少女、雅。夏休み期間、そこから出ることさえ許されなかった雅を可哀想に思い、琢磨は度々その離れを訪ねるようになっていた。
中学生になって剣道部に入った琢磨は、夏休みのうちの一週間だけ島に滞在するようになった。
中学三年生の夏休みは部活も引退していたので、夏休み期間はずっと島にいた。初めてのキスはその夏だった。
高校生になった琢磨は部活に所属することはなく、放課後は父親が師範として教室を開いていた居合抜刀術にのめり込んでいた。
高校一年生の夏休みには食事時と就寝時間以外を雅のいる離れで過ごした。
島には中学校までしかなく、雅は島の外の高校に通うことを許されなかった為、一切外に出ることができなくなっていた。
本邸から雅の為の食事は運ばれる。しかし雅は「いないもの」として扱われていた。
雅がそんな不当な扱いを受けるのに納得できなかった琢磨だが、橘家本家の次男の息子。地位はないに等しく「雅に関わるな」と言われるばかりだった。
それでも琢磨はこっそり雅に会いに行った。
琢磨は携帯電話を持つようになっていたが、島に電波は届かない。雅は電話も手紙も取り次いでもらえない環境にあたので、雅と連絡を取ることは出来なかった。
雅に会いたい。そんな思いから、琢磨はバイトを始め、長期の休みには必ず雅に会いに行った。
そして高校二年生の夏休み。十七歳の夏。帰る一週間前に、次に来るのは来年の夏になると雅に告げた。夏休み以外の長期休みにバイトをしてお金を貯めたい。高校を卒業したら迎えに来るから、一緒に島を出よう、と。
琢磨が帰る前の一週間、何度も体を重ねた。
あと一年半、待たせることにはなるけれど、必ず迎えに来る。
来年の夏はこの島で過ごす最後の夏にする。
そう約束して、琢磨は島を後にした。
その二ヶ月後に琢磨は病室で死を覚悟しながらも、雅を想い続けていた。
約束は果たせそうにない。自分の死が雅に伝わることはあるのだろうか。知らされずにずっと琢磨を待ち続けるのではないだろうか、と。
この世界に来てからもオリヴァーはずっと雅を探し続けていた。
オリヴァーのいた世界と同じ世界の記憶を持つ人と出会うたびに、雅ではないかと期待した。
戦争ばかりのこんな世界にいて欲しくないと思いながら、
異世界に雅も来ているはずがないと思いながら、
雅にまた会いたい。約束を果たしたい。
そんな強い気持ちを持ち続けていた。
「悪いな、こんな話しして。時間食っちまった。明るいうちに町に入っておかないと……」
オリヴァーの前の世界での話に、誰も何も言えなかった。
オリヴァーも何か言って欲しくはなかったようで、話を切り上げてすぐに出発の準備に取り掛かった。
無言のまま四人は馬車へと乗り込み、無言のまま国境前、最後の町へと入った。
夜になって、雨が降りだした。
夕食を摂りながら「長くなりそうだな」とオリヴァーが呟いたその通り、雨は二日ほど降り続いた。
その二日間を四人は宿で過ごした。
こう雨が続いては馬車がぬかるみにはまってしまうし、国境の川も増水しているだろう。
長雨の中、先を急いでもいいことはないと開き直って、オリヴァーとルドルフは酒場に入り浸っていた。
タリアは雨の町を散策して、飽きたら宿に戻る。
ウィリアムは酒を飲んでも酔わないのに酔っ払いの相手をするのは嫌だと言って、タリアに付き添っていた。
町を散策するとは言え、龍脈から離れてるのでさほど大きくもない。
半日で飽きてしまったので、二日目はずっと宿に篭っていた。
ウィリアムは地図を広げてここから目的地までの経路を見始めた。
その地図を、タリアが覗き込む。
「あと何日くらいかかりそうです?」
「三日ってとこかな」
「往復だだけで六日か……数日滞在することも考えて食料と水を調達した方がいいですよね」
「そうだな。食料は野菜を中心に保存箱に入る分だけ。水も。ただ水は最悪魔法で集めればいいし、肉は道中で狩ればいい」
これまでの道のりで何度か野営はあった。多くても二日だったので食料の心配はなく、この先の道のりで食料が足りなくなる事態も考えておくべきかと思ったタリアだったが、その心配はなさそうだと安心する。
地図から顔を上げたタリアにウィリアムは手を延ばした。その頬に指先が触れる。
「まだ、嫌な夢を見るのか」
タリアのめのしたには薄っすらではあるがクマができていた。
「ちゃんと寝ないとオリヴァーが心配する……ってタリア、なんか冷たいぞ?」
「……そういえば、少し寒い気が」
ウィリアムは慌ててタリアをベッドに潜り込ませた。
「なんで昼過ぎからベッドに?」
「風邪でもひかれたら困る」
「風邪ひいたことないし……覚醒したから風邪なんて寄せ付けないんじゃないですか?」
「いいから、布団被っとけ」
「えーー」
「えー、じゃない。眠ってないせいで、体のどっかおかしくなってんじゃないのか?」
「……手足が冷たい、くらいですよ」
「じゃ、あったまるまでそうしてろ」
「あったかくなったら寝ちゃうじゃないですか」
「寝ろよ」
「……寝たくない」
「なんで」
タリアは不満そうな顔をして、ウィリアムに背を向けるように寝返りを打った。
「……起きた時、何が現実かわからなくなるから」
タリアは眠ると、必ず夢を見た。起きても鮮明に覚えている夢だ。
その夢は大抵、過去の夢。
故郷の両親と生活している時の夢。
オリヴァー邸でみんなと過ごしている時の夢。
オリヴァー邸での、あの事件の夢。
そのどれであっても、目覚めた時に鮮明に覚えていて、何が夢で何が現実なのかわからなくなる。
故郷での夢を見た後は、それが夢だったとわかった時、あの頃はまさかあんな出来事が起こるなんて思ってもいなかったと、現実から目を背けたくなる。
オリヴァー邸でみんなと過ごしている時の夢も同じく。
そして最悪なのは、オリヴァー邸での、あの事件の夢だ。目が醒めると、タリアはたった一人生き残ってしまったのだと錯覚してしまう。
オリヴァーもギルバートも生きていると知らなかった時に引き戻される。
自分のせいで大好きな人たちが全員死んでしまった。そんな絶望に支配される。
だからタリアはベッドで眠ることが怖かった。
ウィリアムは少しだけ考え、思い切って行動に移した。
「ちょっと! なんで入ってくるんですか!」
「タリアが起きたら、オリヴァーがいるって教えてやる」
「は?」
「お前が一番怖いのは、オリヴァーさえもいなくなったって勘違いすることだろ」
思いの外、タリアがあまり嫌がらないので、ウィリアムはタリアを背後から抱きしめるように寝る体勢を整えた。
「安心して寝てていい」
「安心? 堪え性のない人と同じベッドにいるのに?」
「手は出さない。私が何かしたら、遠慮なく気絶させればいい」
「……寝てる間に何かいたずらされたら?」
「それは……」
「ちょっと、そこはいたずらしないって断言しときましょうよ」
「あー、しないしない」
「全くもって信用ならない言い方!」
「そうか? って、足、冷たすぎだろ!」
「ウィルの体温が高すぎなんじゃないですか? 人間湯たんぽみたい」
「ユタンポってなんだよ」
「容器にお湯を入れて、布団を温める道具。足元ほかほかで眠れる」
「へー。まぁ、その道具と思ってくれていい」
「ふふっ、湯たんぽで、いいんだ……起きても、そこにいてくれる?」
「ああ」
「オリヴァーさんが生きてるって、ちゃんと……」
「教えるから、安心して眠れ」
タリアの口調がゆっくりになっていて、すぐにでも眠りに落ちそうな気配をウィリアムは感じ取っていた。
少し静かにしていただけで、タリアからは静かな寝息が聞こえてくる。
ちゃんと眠ったのだと安心した反面で、あの事件後、どれだけ体が睡眠を求めていたのかとも思った。
タリアが目覚めた時、少しでも穏やかな目覚めを迎えてくれたのならーー
少しはタリアが楽になるだろうか。
少しはタリアとの関係も改善されるだろうか。
そんなことを思いながら、ウィリアムは目を閉じた。
※ ※
「やっと起きたか」
目覚めてすぐにウィリアムの声が聞こえて、タリアは疑問に思った。
ベッドで寝ていたのに、どうして目覚めてすぐにウィリアムの声が聞こえるのか、と。
「嫌な夢、見たか?」
「夢……何も覚えてません」
「そうか」
急に体が締め付けられ、耳元で囁やくウィリアムにタリアは戸惑った。
どうして、ベッドの中でウィリアムに抱きしめられているのか、と。
そしてやっと寝る前のことを思い出し、状況を理解した。
「今、何時です?」
「多分、昼過ぎ。ちなみに、タリアが寝たのは昨日の昼過ぎな」
「……つまり、丸一日寝ていた、と?」
「そういうことだ」
タリアには途中覚醒した記憶もなく、二十四時間、飲まず食わず、トイレにも行かずに眠り続けていたということのになる。
「まさか、そんなに寝ていたなんて……ウィルも?」
「いや。昨日の夕食と今朝の朝食はオリヴァーが部屋に届けてくれて。飯にトイレに風呂に、何度もベッドから出た」
「それでも私、起きなかったんだ」
「それだけ体が眠りを欲してたってことだろ」
「……そう、なんでしょうね。オリヴァーさんたちは?」
「酒場だ」
「また?」
「雨はやんだがまだ出発はできないからって」
「そうですか」
タリアは昨日の昼から何も食べていないし、何か食べに行こうと、二人はベッドから抜け出した。
タリアは大きく伸びをしてから立ち上がり、カーテンを開け放つ。
外はとてもいい天気で、大きな水たまりに太陽の光が反射し、空よりも地面の方が眩しいくらいだった。
あまり空腹を感じていないタリアは先にお風呂に入り、それから町へと出かける。
頬を撫でるような柔らかな風も、雨上がりの匂いも、雲ひとつない青空も、とても清々しい。
(こんなにも穏やかな気分は久しぶりだ……レオを離れて正解だったかも)
ギルバートからネックレスを貰うまでは、目を閉じていても開いていても魔力の光しか視えなかった。
視界が普通になってからは何を見ても、失ってしまったものを思い出して悲しくなるばかりだった。
「どうした?」
「今更ですけど……よく、私もこの旅に参加するのを許されたなーっと」
王都レオでのタリアの活動範囲は狭かった。それはタリアに『スティグマータの乙女』の可能性があったから仕方のないことだった。
『スティグマータの乙女』ではないという確証があれば保護対象から外れるのだろうが、タリアは『覚醒』したらしく、魔力は格段に強くなっている。
元『スティグマータの乙女』だったと思われる着物を着た魔女と名乗った女性にお墨付きも貰いもした。
より一層『スティグマータの乙女の可能性』が強くなったにも関わらず、王都を出られたことを不思議に思った。
「今回は、まぁ特別かな。同行者が同行者だし」
「あぁ……最強の二種持ち、三人ですもんね」
特殊魔法において最強の組み合わせと言われている攻撃系魔法と防御系魔法。
オリヴァーも、ウィリアムも、ルドルフも、その最強の二種持ちだった。
その三人がいるからこそ、タリアは同行を許されていた。
酒場を通りがかると、昼間から何やら騒がしい。
オリヴァーとルドルフが周囲を巻き込んで楽しく酒を煽っているようだった。
「毎日毎日、よく飽きませんね」
「ロルフさんはただ、楽しく飲むのが好きなだけだろ。オリヴァーは……現実逃避の類いだと思う」
「現実逃避?」
「ここを出発したら、目的地まで一直線だ。ミヤビって人がこの世界にいるなら今すぐ逢いたい。だけど、すでに亡くなっている可能性もある。だから多分、怖いんだ」
オリヴァーがこの世界に生を受けてからずっと、前の世界での約束を忘れられずに生きてきた。これまで、結婚もせず。
想い続けてきた相手がこの世界にいるかもしれない。いるのなら早く逢いたいと思うのは当然だろう。
しかし、本当にギルバートの母親ならば、亡くなっている可能性が高い。
本当に『スティグマータの乙女』ならば、覚醒していれば生きている可能性は高くなる。
もし相手が本当に生贄にされてこの世界に来ているのだとしたら、相手は前の世界のままの姿。
しかし、オリヴァーは前の世界の記憶はあるが、体はこの世界で得たものだ。
今の姿を受け入れてもらえるのか、不安にもなっているのだろう。
前の世界で十代だったが、この世界ではもう四十代半ば。
相手は十七歳でこちらの世界に来ていたとして、ギルバートを産んだことも考えると二十代半ば。
同じ年だったのに、この世界では二十も歳が離れていることになる。
それも、オリヴァーを不安にさせる要因になっているだろう。
「……どうせ同じ世界に来るなら、せめて年齢くらい合わせてあげたらいいのに」
タリアは、この世界とは違う世界の記憶を持つ人間が故意に選ばれているとしか思えない。
だからこそ、縁の深い相手が同じ世界に来ているのなら、同時期に生きられるように故意を働かせて欲しかったと思ってしまった。
「みんな、過去に縛られてて……なんか遣る瀬無いです」
「みんな、なのか?」
「あー、それはわかりません。ただサンドラさんも……前の世界では恋はしちゃいけないって強く思ってたみたいで。こっちに来ても、それで悩んでたし」
前の世界で男性だったサンドラは、この世界の女性として生を受けていても、前の世界の記憶が邪魔をしてた。
魂に焼き付いているような前の世界での記憶。
サンドラは男性に恋をして、その気持ちを継続することに苦労していたし、オリヴァーは結婚を約束した相手を忘れることができなかった。
「タリアも、縛られるような過去があるのか?」
「私? 全くないです」
「なら、いい」
「だからこそ……呪みたいだなって思ってしまいます」
もし、サンドラの恋が上手くいかなかったら。
サンドラはこの世界で死ぬまで、前の世界でのことを引きずってしまうことになりかねない。あんなにも恋する乙女なのに。
もし、オリヴァーの相手がこの世界にいなかったら。
前とは違うこの世界で、死ぬまで彼女の面影を探し続けることになる。
それでも幸せに生きるのか、不幸だと思い生きるのかは本人次第なのだろうが、前の世界の記憶なんてものを持っているから、この世界でしか得られないであろう幸せを逃してしまうことと同意になる気がした。
「そういう考え方もあるんだな。私はただ、オリヴァーとミヤビが再会できたらいいな、としか思ってなかったから」
前の世界で結婚を約束して、若くして亡くなった者同士がこの世界で再会する。
そんな夢物語のようなことが起こるのであれば起きて欲しいと、ウィリアムは願っていた。
「それは、私も思ってますよ? オリヴァーさんが雅さんと再会できるのが一番良い。過去から解放されて、この世界で幸せになって欲しいです」
橘 雅と言う人がこの世界に来ていて、生きていてくれることが最低条件。
再会は果たせるのだから、その後のことは二人が決めることだ。
再会が果たせれば、前の世界ので記憶は呪いではなくなるのだから。
二人は食事を済ませ、宿に戻ろうとしていた。
「タリア」
「はい?」
「表情は変えずに……つけられてるみたいなので、このまま宿に戻るのはやめよう」
「つけられてる? 誰に」
「知るか。ひとまず、そこの路地に入って……」
ウィリアムは歩く速度は変えずにタリアの手を引き、近くの路地へと入った。
路地に人がいないことを確認して、タリアを抱えて民家の屋根に飛び上がった。
静かに様子を見ていると、二人を追うようにフードを目深に被ったマントの人物が路地に入り、辺りをキョロキョロと見回す。
「タリア、ここで待ってるか?」
タリアは首を振る。
「どうする気です?」
「話を聞く。一人のようだし、殺気もない。放置して宿まで追いかけられるよりは、追う理由を本人から直接聞いた方が早いし」
「わかりました」
タリアに、ウィリアムを一人で行かせる気はなかった。
いや、安全な場所に一人残されるのが嫌だった。ただ見ているだけしか出来ないことが嫌だった。
ウィリアムはタリアを抱き上げたまま、マントの人物の前に、少し距離を置いて降り立った。
降ろしたタリアを背中に隠すように、マントの人物を見据える。
「何かご用ですか?」
ウィリアムの問いに、マントの人物はなにも答えない。
逃げる様子もなく、ただ立っていた。
「答えていただけないのでしたら、少々手荒な真似をしてでも私たちをつけていた理由を伺いますが?」
突然、マントの人物がその場に膝をつき、その場に倒れこんだ。
「ウィル、なんか苦しそうですけど」
「タリアはここに。苦しんでるフリをして隙を窺っているだけかも」
ウィリアムは慎重にその人物に近づき、顔を見ようとフードに手をかけた。
「ウィル!」
その人物がウィリアムの腕を掴んだ。するとウィリアムが膝から崩れ落ち、倒れこんだ。
「ウィル! ウィル!」
「心配しなくて大丈夫。ちょっと眠ってもらっただけだから」
ウィリアムに駆け寄ったタリアに掛けられた声は、柔らかな女性の声だった。
確かに、ウィリアムはただ眠っているだけ。
「いきなりこんなことしてごめんなさい。どうしても、貴女に聞きたいことがあって」
女性は深々とおじぎをし、申し訳なさそうに眉を寄せながら顔を上げた。
「三日目、貴女たちがこの町に入った時から、貴女と話したかったんだけど、なかなか一人になってくれないから困っちゃって」
「私と、話を?」
「ええ。こんなことをして警戒させてしまって……それでも、答えてくれると嬉しいわ」
警戒しないわけがない。眠っているだけとは言えウィリアムを無力化させたのだから。
それに、着物を着た魔女と名乗った人も、殺気も悪意も感じさせることなく、タリアの大切な人たちを惨殺したのだから。
「貴女がしているそのネックレスを、どこで手に入れたのか。それが聞きたいだけなの」
「……これは、貰い物です」
「誰に? 誰に貰ったの?」
タリアはその問いになにも答えないことにした。
警戒している相手に、ギルバートのことも、タリアがこのネックレスを必要としている理由も、話すわけにはいかない。
(あれ? この目の色……)
「警戒させるようなことして本当にごめんなさい。でも、そのネックレスが……息子に渡したものと同じものに見えてしまって」
「……え?」
その女性はフードを外し、また深々と頭を下げる。
深い茶色の短い髪なのだが、その髪に、タリアは違和感を覚えた。
「……失礼ですけど、その髪、カツラですか?」
女性はビクッと体を震わせ、慌てた様子でフードをかぶり直した。
タリアはじっとその女性を観察した。
その目の色は銀色。眉は眉墨で髪と似た色にしているようだが、付け根あたりが白っぽい。
そしてカツラではないと否定するのではなく、髪を隠すようにフードをかぶり直した。
「このネックレスは……とても大切な人に貰いました。お母様の形見だと」
その女性はタリアの言葉を、瞬きもせずに聞いていた。
「同じ里親を持つ、兄なんです。髪も瞳も真っ黒で、少し吊り目で気が強そうで」
タリアの言葉に、女性の瞳が潤んだのをタリアは見逃さなかった。
「私たちは、彼のお母様を探して旅をしているんです。彼を保護して、里親になった人もいます。私たちと、話をしませんか」
タリアはその女性に、ギルバートの母親である可能性を見た。
しかし、もし本当にこの女性がギルバートの母親だったとしても、ギルバートという名前はオリヴァーが名付けたものなので母親が知るはずもない。
母親の中のギルバートは八歳のままだが、タリアは十五歳からのギルバートしか知らない。
この女性は、オリヴァーと話すべきだと思った。
「もし、私たちの話を聞いてくれるのであれば、夜に宿まで来てください。すぐにでもみんなに会わせたい気持ちはあるんですけど、夜にしか時間が作れないので」
オリヴァーが今、酒場で騒いでいることは言わないでおくことにした。
この女性が橘 雅という人だった場合、ウィリアムの言う通りオリヴァーが現実逃避のために酒を煽っているのだとしたら、そんな姿を見られたくはないだろうから。
「あの、この人、揺すったら起きます?」
「ええ。寝てるだけですから」
「わかりました。ウィルー、起きてー、ウィルー」
タリアはウィリアムを揺すり、頬を叩き、鼻をつまむ。
「……タリア、もう少し可愛らしく起こせませんか?」
「いいから起きて。この……ええっと、お名前を聞いても?」
「ナターシャです」
「ナターシャさん、このネックレスを息子さんに渡したんですって」
「は?」
ウィリアムは飛び起き、何度も瞬きを繰り返しながらタリアを、ナターシャを見た。
「話がしたいから、夜に宿に来てもらえるか、誘ってもいいですよね?」
「……いいと思う」
「ナターシャさん」
「はい」
「私はタリア。この人はウィリアムです。夜にまた、お会い出来ますか?」
「はい」
ナターシャはウィリアムに改めて非礼を詫び、「ではまた、夜に。必ず」と言って去った。
ウィリアムとタリアは、別の宿に泊まっているというナターシャが見えなくなるまで見送って、酒場に立ち寄る。
オリヴァーとルドルフを宿に連れ帰ろうとしたのだが、さっき飲み始めたばかりだと文句を言われ、ナターシャと会って話したことを教えると、二人とも一気に酔いが覚めたようだった。
オリヴァーは慌ただしく宿に戻り、バタバタと身支度を始めた。
風呂に入って、髪を整えて、髭を整えて。
「なー、タリア! 服は、服はどうしたらいいんだ? 正装か!」
「落ち着いてくださいっ! 服は普段着でいいです! なんで正装っていう選択肢が出たんですか!」
「そ、そうか?」
「ナターシャさんが来るのは夜です。まだ夕方にもなってないんだから、そんなに慌てなくていいですから」
「待て。夜って何時だ?」
「あー、詳しい時間、指定した方が良かったですね」
「つまり、いつ来るかわかんないってことじゃねーか! つか、飯は? 一緒に食うのか? 先に食っておくのがいいのか?」
「軽くつまめるものは用意しておきましょ? ナターシャさんも食べて来るかわからないですし。それは私が用意しておきます」
「頼む! あとはなんだ! 何を準備すれば……」
タリアは少々面倒に思いながらも、取り乱すオリヴァーを見るのが初めてだったので新鮮で面白く、早く夜になってナターシャと会わせたい。
そう思いつつ、オリヴァーの準備の手伝いをしていた。
第4話 完




