死の森の魔女 第3話
ギルバートが去り、執務を終えて部屋に戻ったウィリアムは、悩んだ末にタリアにギルバートが目覚め、そして去ったことを伝えた。
タリアは「そう」とだけ言って、取り乱すことはなかったが、夜中に静かに泣いていた。
泣いている気配を感じつつも、ウィリアムはタリアの傍に行くことができなかった。
ウィリアムが動けば、近づけば、視たくもない魔力を視てしまうタリアは気づき、虚勢を張って泣き止む気がした。
タリアを泣かせたままにしておきたくない。
しかし、大切な人たちを亡くし、残った二人のうち一人が去ってしまった今、虚勢を張らせるよりは泣きたいだけ泣かせておいた方がいい気がした。
今、タリアが虚勢を張らずに素でいられるのはオリヴァーと二人きりの時だけだろう。
タリアの心はウィリアムを求めてはいない。
それが痛いほどにわかるから、ウィリアムはタリアに近づけないでいた。
翌朝、いつものようにタリアを連れてオリヴァーの病室へ行くと、空いているベッドにルドルフが眠っていた。
「タリア、ロルフに疲労回復魔法かけてやってくれないか?」
オリヴァーに言われ、タリアはルドルフに疲労回復魔法をかけた。
昨日、空いている病室に篭ってから寝ずに翻訳を続けていたらしく、その前から店を閉めて寝る間も惜しんで翻訳をしていたために、翻訳が終わって気が抜けたらしい。
「タリア……これ、ギルからだ」
ルドルフに魔法をかけ終わるのを見計らって、オリヴァーがギルバートからの預かりものをタリアに差し出した。
「お前にって」
それは乳白色の小さな石がチェーン状の金属の隙間に散りばめられたネックレスだった。
「……どうした?」
タリアは差し出されたオリヴァーの手に載っているネックレスを凝視したまま動かない。
「それ、少しも魔力がないんです。なんでだろ」
「少しもって」
「貴金属でもなんでも、少しは魔力が宿ってるものなんですけど」
タリアはオリヴァーからネックレスを受け取り、その手の中に収まっているネックレスとよくよく観察していた。
「ギルは、これをどうして私に」
「さぁ……母の形見だと言ってた。昨日、全部思い出して、もうギルには必要ないとも言ってはいたが」
それは村を人型魔獣に襲われ、唯一生き残ったギルバートの、唯一の所持品だった。
「そんな大切なもの、貰えません」
「そう言わずに……ほら、つけてやるからこっち来い」
ギルバートがどうしてそれをタリアに置いて行ったのかはわからないが、タリア以外に受け取る相手はいない。
オリヴァーが手招きして、タリアをベッドに座らせる。そしてタリアの首にそのネックレスをつけた。
するとタリアは、正面にいたウィリアムを目を見開いて凝視する。
「タリア?」
ウィリアムの声にも無反応で、タリアはただウィリアムを見つめていた。
「もしかして……私の顔、ちゃんと見えて……」
ウィリアムも目を見開いてタリアを見つめていた。
あの事件以降、タリアと目が合うことさえなかったのだ。タリアにはウィリアムが強烈な光を放つ魔力の塊にしか見えなかったのだから。
タリアは思い出したように目を瞑り、深く息を吐き出した。
「何もかも普通に見えるし、目を閉じれば何も……見えない」
「そのネックレス、つけたから……だよな?」
タリアはネックレスを外し、試しにウィリアムにネックレスをつけてもらう。
「そのネックレスをつけると、魔力が極度に制限されるみたいです。かなりの魔力が視えなくなりました」
ギルバートの母親の形見だと言っていたそのネックレスは、魔力を抑えるための品だった。
それがわかったので、タリアはウィリアムからネックレスを返してもらい、自分へと付け直した。
「ギルのお母様がこのネックレスをつけていたとしたら、魔力の多さに困っていたってことですよね」
「しかもタリアのように、魔力が視えていた可能性はないか? 他人の顔が判別できないほど」
勘弁してくれ。そんなつぶやきが聞こえ、ウィリアムとタリアの視線はオリヴァーに向かった。
ずっと黙っていたオリヴァーが背もたれにしていた枕に深く体を預け、天井を仰ぎ見、目元を手で覆っている。
「オリヴァーさん?」
「ロルフを起こしてくれないか?」
「嫌な可能性を思いついちまった。それしか考えられないほどに、強烈な」
オリヴァーの様子が急変した理由は教えてくれはしない。しかしその様子がただ事ではない気がして、ウィリアムはルドルフを起こした。
少し揺すっただけでルドルフは目覚め、疲れ切っていたはずなのに疲れを一切感じなかったことに驚いていたので、タリアが疲労回復魔法をかけたことを説明する。
そして、『クレメントの手記』の続きを話してもらった。
続きは、聖痕の乙女と呼ばれたアンの人生だった。
十七歳で生贄となってこの世界に来て、髪と目の色が銀色になった。背中には花弁のような形をした五つの紅いアザができていた。
言葉がまるでわからない中、少しずつ言葉を教わり、その中で最愛の人を見つけ、愛し合い、子供を授かった。
しかし、聖痕の力を求めて別の国が攻めて来て、アンは何度も戦場へと駆り出された。
そしてとうとう、アンが攫われる。その際、家族は全員殺されてしまう。
その際、枷に気づく。愛するものには一切の魔法が効かないのだと。
もっと力が欲しいと望む。愛するものたちを生き返らせたいと望む。
力は強くなった。しかし、枷はそのままだった。
失意のアンは自分の無力さを嘆き、大切な人を守れなかった自分を責めた。
自暴自棄になり、戦いの道具にされることに何も思わなくなっていた。
そしていつしか、この世界を恨んだ。戦争ばかりのこんな世界に来なければ。生贄にされた時、死んでおけばよかったと。
この世界を呪い続けるうちに、アンは死ねないし、年を取らないことに気づいた。
いつのまにか銀色だった髪と目は黒くなっていた。
これはこの世界を呪った罰か。この世界を呪ったから、この世界で生き続けることが罰なのだと思うようになった。
そして、ただ歩き回った。眠ることも出来ず、食べることをしなくても生きていられる体。
なにもかもがどうでもよかった。
そんな時、クレメントに拾われた。
クレメントが死ぬところを見たくない。長く止まり過ぎてしまった。
そう言って、アンの目が怪しい色に変わった。まるで魔獣のような目だった。
クレメントを眠らせてアンは去った。
起きたクレメントはアンを探したが、見つけることはできなかった。
そしてクレメントはこの手記を残した。
アンが本当に死ぬことの叶わない体なのだとしたら、この世界にたった一人。
クレメントには見つけられなかったが、いつか、彼女を救う手立てを見つけて欲しい。
そんな願いを込めて残した手記だった。
「俺は、ギルの故郷に行こうと思う」
『クレメントの手記』の全容を把握したオリヴァーから出た言葉だった。
「できるだけ早くに出発したい」
「私も行きたいです」
「はーい! オレもオレも! でもなんでギルバートの故郷なんだ?」
オリヴァーはルドルフが眠っていた間に起こったことを話した。
「え? ギルバートの母親がスティグマータの乙女だったかもしれないってことなんじゃ!」
ギルバートの母親の形見でタリアの魔力が抑えられたことから、ギルバートの母親もタリアのように、私生活に影響を及ぼすほどの魔力を所持していた可能性が浮上する。
それを抑えるためにネックレスを身につけていたと考えられた。
しかし『形見』というからには、すでに亡くなっているということでもあった。
「でも、もし本当にギルバートの母親がスティグマータの乙女だったのなら、亡くなっているとは考えにくいのでは?」
「ウィル、それはどう言う意味だ?」
オリヴァーに聞き返され、ウィリアムは「まずい」と思った。
覚醒したタリアは魔力が常時視えるという以外に、本人の意思とは関係なく『完全防御魔法』が発動し、怪我をすれば『完全治癒魔法』の強化版のような力が発動して瞬時に傷が治る。
それを知ったのはタリアが自害を試みたからでーーそれをオリヴァーには話していない。話すことはできないと思っていた。
「オリヴァーさん、ごめんなさい。私が自分で試したんです。何をしても、死ねないって」
「っ……ったく、なんてことしやがる」
「〜〜っ、ごめんなさいっ」
オリヴァーがタリアを引き寄せ、抱きしめる。タリアはオリヴァーにしがみついて、何度も謝っていた。
その光景を見て、ウィリアムは心底安心していた。タリアはもう二度と、自分自身を傷つけることはしないだろうと。
ルドルフがふーっと息を吐き出した。状況を察したようだ。
「スティグマータの乙女は簡単には死なない。つまり、ギルバートの母親も生きている可能性が出てきたってことか」
「それはわかりません」
ルドルフの言葉に、オリヴァーに抱きしめられながらタリアが答えた。
「覚醒前の私は、怪我をして勝手に治るなんてことはありませんでした」
「そうだな。以前、こいつは自分で腕をスッパリ切ってみたこともある。ユーゴの治癒魔法でも完治に数日かかっていた」
タリアの言葉を捕捉したオリヴァーが語ったのは、タリアを王都レオに連れて来る際、どんな魔法が使えるのかを調べている時の出来事だった。
『クレメントの手記』に登場したアンという女性が『スティグマータの乙女』で、世界を呪って年をとることもなく、死ねなくなり、髪と目が黒くなったという内容もあったことから、魔女と名乗った着物の女性がアンと同一人物である可能性は高まった。
『スティグマータの乙女』の覚醒に絶望が必要なのだとしたら、ギルバートの村を襲った人型魔獣も、オリヴァー邸に現れた状況と同じだったのかもしれない。あの魔女と名乗った着物の女性が『スティグマータの乙女』覚醒のために人型魔獣を使ったのかもしれない。そんな可能性も浮上する。
「覚醒したのなら生きている可能性はあるが、覚醒してなければ……話を聞くことは無理そう、か」
「でも、行く価値はある。何か残っている可能性もあるし」
「……準備は私が整えます。今度は私も、同行させてもらいます」
「ウィル、お前も?」
「ええ。サラのためとはいえ、私が行くべき任務をオリヴァーにお願いしたからこんなことに……これが償いになるとは思いませんが、戦力はあるに越したことないでしょうから」
「償いってお前。戦力はありがたいが、お前にはやることがあるだろ」
「予定より少し早いだけです。元々、私が勝手に手伝っていただけなので、欠けても何も変わりません」
オリヴァーの言う「ウィリアムのやるべきこと」とは、第二王子としての仕事だった。
しかし国王が不在になりがちなのは、代わりにウィリアムが仕事をしてくれるとわかっているからで、ウィリアムがいなくなれば王もきちんと仕事をするようになる。
そして二年後、サラが十四歳になるのを待って王位を継承することにもなる。
ウィリアムの言う通り、国政からウィリアムが欠けても何も問題はない。
「でもウィル、お前、聖騎士団の副隊長だぞ?」
「長期の任務に出たことにでもします。有事の際に帰って来れば、それで問題ないでしょう」
ウィリアムが、オリヴァー邸での事件に関わる任務だと言えば、誰もその任務に疑問を持たないことはわかっていた。
ギルバートの故郷へ同行するのは、本当にオリヴァー邸での事件に関わっていることに間違いはない。ただ、誰に命令されたわけでもないし、任務でもないが。
「オリヴァーが完治するのを待って、すぐに出発しましょう。目安は半月とします」
ウィリアムの立てた目安に異論はなく、全員が頷く。
「オリヴァー、体の調子は?」
「もう、立って歩けるほどに回復してる。びっくりするほど早いな」
「それならば……明後日に葬儀を」
「あのっ、みんなは……今、どこに? あれから何日も経ってて、明後日までにその、腐敗したり」
「龍脈だけで造った箱で保管してます」
「王族だけが使える棺桶、あれを使ってくれたのか」
「はい」
龍脈だけで作られた棺桶は、代々王族のみが使用してきた。国王が逝去した際など、遠方の国民も別れを惜しめるよう、特別に作られたものだった。
その中に入れたものは、腐敗が極度にゆっくりになるためだった。
今回の事件において、生き残ったのは三人のみ。オリヴァーとギルバートは死んでもおかしくない怪我を負い、タリアも丸二日眠ったまま、いつ目を覚ますかわからない状態だった。
その為、葬儀がいつ執り行えるのか検討がつかなかったので、亡くなった全員をその棺桶に保管することにしたのはウィリアムの独断だった。
「とはいえ、限界も近いことは確かなので、明後日には、必ず」
「わかった。全部、ウィルに任せる。タリア……明日、一緒に会いに行くか?」
オリヴァーに抱き寄せられてからずっと隣にいたタリアは、しっかりと頷いた。
「そうだ……タリア、ロルフの腕、治せないか?」
「腕? あ、ロルフさんが引退したのって、腕を怪我したからだったんですか? どこも悪そうに見えなかったから」
「え? 治るかもしれないの?」
「覚醒前でドリスの怪我も治したし、出来ることなら。と思って」
ルドルフの怪我は左腕の肘近くにあった。表面上では怪我など何もないように見える。動きはするが肘から先に力が入らず、物を持つときなど必要な時にだけ攻撃系魔法の身体強化と防御系魔法の身体操作を使っているとのことだった。
ただの兵士であれば引退するような怪我ではないが、戦闘ともなれば常に魔法を酷使することになり、左腕を魔法でカバーをしながら戦闘するとなると、聖騎士レベルでは通用しない。
タリアはネックレスを外し、ルドルフの肘に触れた。
そして『完全回復魔法』をかける。すると肘の内部の一箇所に魔力が集中していると、状況を説明した。
「んっ! 痺れが……痛みも……なくなった!」
「神経が切れていたのかもしれませんね」
「オレ、左利きで、スッゲー不便だったから、なんか感動したっ」
「この世界に人体の知識ってないから、神経が通ってることも知らないし……もしかすると、私に限らず他の治癒魔法の適正者も、神経の治療ができるのかもしれません」
「そうなったら、凄いな。戦争の後遺症で悩む奴らが減るってことだろ」
その後、ルドルフはしばらく店を閉めるための準備を始めると言って帰ろうとしたので、オリヴァーの当面の服の調達を頼む。
「ああ、金は俺が出すぞ?」
「でもオリヴァー、屋敷は、もう」
「屋敷には最低限の金しか置いてなかったから大丈夫だ」
「そう、なのか?」
「ウィル、場所教えるから、後でロルフに届けてやってくれないか?」
「わかった」
「服を調達する金くらい、オレが出してもいいのに」
「年下に金の面倒なんて見られて堪るか!」
男三人は顔を見合わせて笑ったあと、ルドルフは思い出したようにウィリアムに向き直った。
「副隊長殿、出発まで聖騎士団の訓練場を使う許可をもらえないだろうか」
「……いいですよ。明日から使えるように手配しておきます」
「助かる! 剣なんて何年も握ってないから、感を取りもどさないと」
「では、オリヴァーの金はその時にお渡しします」
「わかった!」
そしてルドルフは帰っていった。
「で、金の場所って?」
「ウィルにしか取りに行くのは不可能な場所だ」
そう前置きして明かしたオリヴァーの財産の在りかは、国王の部屋がある階の一室だった。
そこは以前、国王を警護するにあたりオリヴァーに与えられていた部屋だった。
「この国で一番、安全な場所だと思わないか?」
国王に許可をもらい、聖騎士を引退してからもその部屋を使わせてもらっていたオリヴァーはそこに財産を蓄えていた。
国王の住んでいる場所の近くであれば、警備が一番厚い場所とも言える。
引退するまでは屋敷を留守にしがちだったし、もし泥棒にでも入られたら屋敷を任せているジェームズが責任を感じてしまう。それが嫌で、屋敷に全財産を置いておきたくなかったのだ。
まさか、屋敷が全焼したことで役に立つとは思ってもいなかったが。
葬儀にかかる費用も全てそこから出して欲しいと言われ、ウィリアムは了承する。
「ウィル、私にも何か手伝えることはありませんか?」
そんなタリアの申し出に、ウィリアムは少々驚いた。しかし、ネックレスを入手したことで、タリアは事件前と変わらずに生活できるようになったのだ。
オリヴァーの傍にいなくても、部屋で空を見上げていなくても、無意識に魔力を視ることはなくなったのだ。
ウィリアムはタリアにできることはないかと考えた。
大切な人たちを亡くして間もない今は、何もすることがないと辛いのかもしれない。
思い出して、あの時何ができたのか。何をすればよかったのか。そんな後悔をしたくなくてもするものだから、やるべきことに追われている方が少しは気も紛れるだろう。
そう思ったウィリアムは、葬儀をタリアに任せることにした。
フィオナが一緒にいればタリアも困ることはないはずだから。
明後日まで日はないが、葬儀に関することの全てはタリアに任せることになった。
翌日、王宮に葬儀屋を呼び、ウィリアムが用意していた一室でタリアとフィオナが葬儀についての相談をした。
そして夕方には、しっかり歩けるようになったオリヴァーとタリアが、事件後、初めて家族と対面した。
その日、タリアがウィリアムの部屋に戻ることはなかった。
オリヴァーもまた、病室に戻ることはなかった。
また翌日、葬儀は行われた。
「タリア、アルフーを弾いてくれないか?」
オリヴァーのその言葉で、ウィリアムは持ってきていたタリアのアルフーを差し出す。
オリヴァーから、持ってきて欲しいと頼まれていたのだ。
アルフーは王城のタリアの部屋に置いたままになっていた。
「カーラが好きだっただろ。ジェームズもアランも、お前が練習を始めると仕事の手を止めて聴いていた。好きだったんだよ、お前の演奏が……だから最後に、聴かせてやってくれ」
タリアは少し戸惑いはしたものの、アルフーを受け取って演奏を始めた。
その鎮魂歌は悲しく哀しい音色だった。
今にも泣き出してしまいそうなタリアの代わりに泣いているような、そんな音だった。
※ ※
葬儀から約半月後の深夜。
聖騎士の駐屯所から静かに、馬車が出発した。
その馬車は明け方前に城下町を抜け、農村地帯へと入る。そこからまた数時間かけ、昼過ぎには王都レオを囲む壁に到着した。
「オリヴァーさん、操縦変わって!」
「はいはい。久々だからってはしゃぎすぎるなよ、二人とも」
手綱を引いていたルドルフが笑顔でオリヴァーに手綱を渡し、席を譲ると軽やかに馬車の左側に降りた。
そして右側にはウィリアムが降り立つ。
壁のすぐ外には魔獣が群がっていることが多いので、ウィリアムとルドルフは馬車と並走して魔獣を倒していくことになっている。
囲まれると厄介なので、馬車は全力疾走することになっているが、攻撃系魔法と防御系魔法の二種持ちの二人ならば、全力で走る馬にも負けない速度で走ることが可能だった。
ウィリアムの手には青龍。ルドルフの手には玄武が握られ、二人とも新しい武器を試してみたくて仕方なかった。
その上、二人とも王都レオの外に出ることも久しぶりだった為に、久々の魔獣戦を楽しみにしていたのだ。
「じゃ、行くぞ!」
オリヴァーが馬車を走らせる。その横を二人が並走する。
「うっわー、二人とも、イキイキしすぎじゃないですか?」
「ははっ、暴れたかったんだろ、二人とも。毎日魔力を持て余してたんだろうし」
オリヴァーの後ろから顔を出したタリアは、向かってくる魔獣を苦もなく倒して行く二人に頼もしさを感じつつも、呆れながらその様子を見ていた。
※ ※
ギルバートの故郷はこの世界の中心部にほど近い場所にあった。
四国の国境付近と言ってもいいが、クオーツの国境こそ川で隔てているのではっきりしているが、他の三国は領地争いの小競り合いが続いていて、国境は曖昧になっている。
ただ、ギルバートの故郷は東に位置するラズ側と言ってもいい場所にあるのでの国境の、曖昧な地域を突っ切ることになる。
この世界の中心は主に草木も生えない砂漠と、岩山。その周辺は人が住めない環境の為、数日間の野営を予定していた。
クオーツの国境まで三週間かけて進む。最初の十日は魔獣との戦闘があったものの、その後は龍脈から離れた為に魔獣との戦闘は皆無に近かった。
「あー! 暇だ! 暇だ暇だ暇だ!」
「ロルフ、うるせーぞ」
「だって暇すぎる! せっかく玄武の扱いに慣れてきたとこなのに!」
「仕方ねーだろ。龍脈から離れてってんだから」
旅は危なげなく進んでいた。間も無く、国境前の最後の街に入るところで、夕方には到着できるところまで来ていた。
しかし、ルドルフは「暇だ」と文句しか言わない。
いい加減にして欲しいとオリヴァーが注意したところで、また暫くすると「暇だ」と言い始める。そんなことを繰り返していた。
ここ四日、魔獣との遭遇が一切なくなってしまったので、身の危険を感じるようなヒリヒリとした刺激がなくなって、旅は平穏そのものだった。
この旅での主な戦闘要員はルドルフとウィリアムだった。手が足りないとオリヴァーも参戦はするが、怪我後のリハビリ程度。
タリアは、と言えばーー
「ぎゃ! タリア! 私で魔法を試すなと何度言えば!」
新たな魔法の実験をウィリアムで行なっていた。
「ビリっとしました?」
「した! 痛かった!」
「そうですか。今ので驚かせる程度……気絶させるにはもう少し電圧を上げて」
「デンアツってなんだ! ってか気絶させる気だったのか!」
馬車を留めて休憩中は実験の時間になっていた。
生活魔法の火魔法が火花放電を利用したものだと知ったので、上手く利用できればスタンガンの代わりに使えるのではないかとタリアは模索中。
こっそりウィリアムに近づいては勝手に魔法の実験をしていた。
タリアは青龍と玄武の使い方も進化させていて、雷を纏う青龍は攻撃系魔法の放出する性質を利用して刃先から強力な雷を正面にある遠方の敵に向けることができるようになった。
玄武も攻撃系魔法の放出する性質では小さな氷の粒を高速で飛ばす。その粒は飛んでいる間に空気中の水分を集めながら凍らせ、大きな氷の塊になって敵を潰せる。
ルーが作った日本刀は斬れ味も抜群なので、近距離と中距離の攻撃が可能な刀となっていた。
最後に完成した白虎は脇差し二本になって、オリヴァーが所持している。二刀を一度に使用することになるので、両方の手で刀を扱えることが必須になる。オリヴァーの利き手は右なのだが、右手が使えなくなった時でも戦えるように左手でも刀を扱えるように訓練していたので、二刀流も難なくこなしていた。
白虎はある程度予想していた通り、左に持っている刀から冷たい風が、右に持っている刀からは暖かい風が。両方を近づけると風が強くなる。
刀をクロスさせて勢いよく離すと、小さな竜巻を起こした。
「ウィル、この実験は人の命を助けるためのものですよ?」
「痛くて気絶するかもしれない代物が、か」
「人が死ぬ時、心臓が止まる……この世界でも脈を取ったり、胸の音を聞いたりするでしょう?」
「……まぁ、それはする」
「胸の中心に血を体内に循環させる場所があるんです。それが止まって間も無くなら、電気ショックでまた動き出すこともあるんですよ」
「へー。それも前の世界の知識か」
「ええ。ただ、使い方を間違えば簡単に人を殺せちゃうものでもありますけど」
「な! そんな実験を私で!」
「だって、気絶させるつもりだったのに殺しちゃってたら嫌じゃないですか」
にっこり笑うタリアに、ウィリアムは絶句した。
タリアの魔法はオリヴァーには使えないので、実験台にするにはウィリアムかルドルフの二択となる。そうなると面識の浅いルドルフは除外され、これまでもずっと実験台になっていたウィリアムを選ぶのは当然のことだった。
「……死ぬのも気絶も困る」
「それは分かってます。でも、一瞬意識が飛ぶ程度なら大丈夫ですよね?」
ウィリアムはまた絶句した。笑みを深めたタリアにはどんなに文句を言っても通じないと分かってしまったからだ。
「……しっかし、前の世界の記憶があるってのはいいな」
「そうですか?」
「羨ましいよ。この世界にない知識で、この世界にとっては新しいものを生み出せるんだから」
「そうかもしれませんね。だけど、怖い事でもあります」
「怖い?」
「言ったでしょ? 火魔法の応用でさえ、一歩間違えば簡単にひとを殺せてしまうって。生活魔法なんて誰にでも使える魔法で……これが広まれば、すれ違いざまに人が殺せてしまう。誰が殺したのかも、その人がなんで死んだのかも特定できない。人とすれ違うことも怖くなる。そう思いませんか?」
「……確かに」
「前の世界から知識を持ち込むことは悪いことばかりじゃないけど、知識を持っている側は、それを広めていいのかしっかり考えないと、この世界を滅ぼしかねない」
「滅ぼすようなことも知ってるってのか?」
「火魔法の応用だって、世界が滅ぶ引き金になるかもしれないって思うだけです。人との接触を恐れて外を歩けなくなったら、作物を作る人もいなくなる。ゆっくりではあるけど、人類は滅びに向かうでしょ? ただ、私以外は前の世界で十代で亡くなった人ばかりのようだし、その時期に兵器の開発なんてしてた人もいないだろうから……」
タリアは言葉の途中で何かを思いつき、それについて考察しだしたと分かったウィリアムは、タリアが言葉にできるほど考えがまとまるのを待った。
「前の世界の知識を持ってこの世界に来てるのは……この世界を壊す知識を持っていない人に限られてるのかも。だとしたら、誰かの故意」
「誰かに選ばれた人間だけが、前の世界の知識を持っていると?」
「そうとしか考えられなくなって来ました。もし、専門的な知識を持っている人がこの世界に来ていたら、この世界の文明はもっと発展してておかしくない」
「なんだ? 真面目な話か?」
神妙な面持ちのタリアに気づいたオリヴァーが寄ってきた。ルドルフも気になっていたのか、話の輪に混ざる。
タリアはこれまでの話を掻い摘んで説明した。
「確かに、この世界に車や電車があれば便利なのに、とは思うけど」
「車に電車、か。でも、車や電車の構造も、道路や線路の整備にエネルギー源。その辺りの知識を持ってる奴がいないと作れる気がしねーよな」
ルドルフも、オリヴァーも、この世界にあれば便利だと思う代物はいくらでも思いつく。しかし、それを生み出す知識を持っていない。
遠方に移動する際には車や電車が欲しいとは思うが、それ以外で生活に必要なものはこの世界にあるもので事足りているので不便には思っていない。
「故意で選ばれてる、か……ちょっと、聞いて欲しいことがある」
「なんだよ、オリヴァーさんまで神妙な顔しちゃって」
「ギルバートのことだ」
「ギルがどうしたんです?」
オリヴァーは話すことを戸惑うように眉を寄せていたが、言葉を選ぶように少し間を置いてから話し始めた。
「ギルは……俺の息子なんじゃないかって思ってる」
「……ん? 養子だから、息子なんじゃ」
「いや、そういう意味じゃなく……前の世界の」
「ええっと、前の世界の息子? ってどういう」
「そっくりなんだよ、前の世界の俺と」
「ギルバート君が?」
「ああ。小さい頃からなんとなく、前の世界の俺に似ている気はしてたんだが、この前、十七歳になったあいつを見て、鏡を見ているような気持ち悪さを感じた」
「いやいや、前の世界のオリヴァーさんと似てるからって、なんで息子かもって発想になるんだよ」
「ロルフが言ったんだろ。スティグマータの乙女はあの島で生贄にされた娘なんじゃないかって」
「え? え? それって」
「橘 雅という名前に覚えは?」
「なんで、その名前を……」
「生贄にされた娘の名前、か?」
「……ああ。俺が死ぬ、十年前に」
「やっぱり……」
オリヴァーとルドルフの会話をただ聞いていたタリアの様子が驚愕に変わった。
「オリヴァーさん、まさか……」
「橘 雅と俺は、俺が十八になって高校を卒業したら結婚をしようと約束をしていた。島を出ることは許されないと言っていたから、必ず連れ出すと約束していたんだ」
「まさか、オリヴァーさんが再会を約束してた相手って」
「タリア……そのまさかだ。約束をしたのは俺と雅が十七の夏。その年の九月に雅は生贄にされ、俺も病院で死んだってことだ」
「そん、な……」
「もし、こっちの世界に前の世界の記憶を持ったままきてる連中が誰かの故意で選ばれているんだとしたら、俺と雅がこの世界に揃うのも故意なのかな、と」
第3話 完




