死の森の魔女 第2話
オリヴァー邸での事件から四日目。
タリアを連れてオリヴァーの病室へと向かったウィリアムは、オリヴァーにタリアを預けて王城を出た。
そして貴族の区画にほど近い場所にあるアクエルドという店を訪ねた。
昨日のオリヴァーの話にあった『クレメントの手記』の翻訳状況を聞くためだったのだが、店は閉まっていた。
店の入り口の扉にはしばらく休むと記されていたが、住居も兼ねている店のようなので裏手に回って玄関の扉を叩く。
返答はなかったが諦めて帰るわけにもいかず、しばらく扉を叩き続けると中で人が動く気配がしたので少し待ってみると、玄関の扉が開かれ、不機嫌そうな男が顔を出した。
「ロルフ、さん?」
「あんたは、確か……」
「聖騎士団副団長のウィリアムと申します。以前、見習いの時に少しお世話になったことが」
「ああ……で、あんたが何の用で?」
「オリヴァーさんが意識を取り戻して、貴方に託した手記の話を」
「オリヴァーさん、生きて……ちょっと待ってろ!」
ウィリアムとルドルフは面識があった。ルドルフは元聖騎士。少しだけ関わりがあったのだが、引退後、店をやっているとは知らなかったウィリアムは驚いた。
この人にも、こことは違う世界の記憶があるのか、と。
ルドルフは出かける準備を整えているのか、家の奥で慌ただしく動き回っている音がしていた。
「すまん、待たせた。行くぞ」
「行くって……今日は翻訳の進捗を伺いに」
「それはもうすぐ終わる。オリヴァーさんが生きてるんなら、直接話したい」
そう言って玄関先に立っていたウィリアムを押し退け、扉を閉めて鍵をかけた。
「オリヴァーさん、話せるんだろ? 連れて行ってくれ」
真剣な眼差しを向けられ、急ぎ知らせたい何かが『クレメントの手記』にあったのだろう。そう思えたウィリアムはルドルフを連れて急いで王城へと向かった。
ルドルフと一緒に王城に直接入ると手続きが面倒なので、聖騎士団の駐屯所を経由して。
オリヴァーの病室ではオリヴァーと、添い寝しているタリアがいた。
ギルバートはすでに隣の病室へと移された後だった。
「タリアはまた寝てるのか」
「うたた寝程度だったようだ」
ウィリアムとオリヴァーの声に、タリアは起き上がった。
「ウィルと、もうお一人はどなたです?」
「ロルフだ」
タリアはウィリアムの声で起きたというより、近づいてくる二つの大きな魔力の塊が気になって起きた。
「オリヴァーさん、今度こそ死んだかと」
「はっはっは、まーた生き延びちまった」
「ご家族は残念でしたが、生存者がいて皆喜びます」
オリヴァー邸での事件に関しては緘口令が引かれ、民衆の間ではオリヴァー邸の全員が死亡したのではないかと噂されていた。人型魔獣が現れたことと、オリヴァー邸が全焼したことだけが瞬く間に広まって、それ以外の情報がないため、最悪の噂が広まってしまったのは仕方のないことだった。
「タリアも無事でよかった。可哀想に……こんな髪になっちまって」
そう言ってタリアの前髪に触れるルドルフから、触らせているタリアから、ウィリアムは目を背けた。
ここにいるのは、ウィリアムを除いて全員がこことは違う世界の記憶を持っていて、ウィリアムの知らないところで交流があった。疎外感が拭えなかった。
「オリヴァーさんが生きててくれて本当に良かった。聞きたいこともあったし」
今朝までのルドルフは噂を信じるしかなく、翻訳をする意味がなくなったのかもしれないと思ってはいた。
しかしその内容が内容だっただけに、店を閉め、寝る間も惜しんで翻訳を続けていた。
「まだ、全部翻訳できたわけじゃない。だけど……」
そう前置きしてルドルフは今日までに翻訳できた部分を掻い摘んで説明する。
クレメントは助けてくれた女性との生活を続けていた。
名前を言いたがらないので、クレメントはアンとその女性を呼ぶことにした。
アンはあまり話したがらないが、片言で、会話が苦手だっただけだと気づいたのは、一緒に生活をし始めて数ヶ月後だった。
そして数年が過ぎ、いくつかの違和感に気づく。
アンは眠らない。クレメントが夜中に目を覚ますと寝たふりをしている気がした。しばらく気づかれないように観察していると、全く眠らないのではないかと思えた。
アンは少食なのだと思っていた。クレメントが魔獣の皮を売りに数日小屋を留守にする際、食料を置いて行くのだがいつも手付かずに残されていた。食べなくても生きていけるのではないかと思えた。
そして更に数年が過ぎ、クレメントは少しずつ年を取るが、アンは少しも年を取らないことに気づき始める。
それでもクレメントはアンになにも聞かなかった。聞いてしまえば、アンは去ってしまうと確信していた。
クレメントはアンを愛するようになっていた。
しかし、別れの時はやってくる。
突然、アンが自分のことを話し始めたのだ。
聞きたくないと拒んだが、アンは話し続けた。
『スティグマータの乙女』と呼ばれ、色々あって逃亡中だったこと。
アンが別の世界からやってきたこと。
前の世界ではとある島で生まれ育ち、そして生贄にされたこと。
「この続きは明日までになんとかするが……オリヴァーさん、これをどこで手に入れたんだ?」
「ジェミニの農村部だ」
オリヴァーはオブシディアンの大都市から周る予定で、最初は王都アリーズに行った。その次に入った街がジェミニだった。
「だた、その手記をくれた爺さんも内容が全くわからないし、どういう経緯で先祖から伝わったのかもわかってなかった」
「そう、か……オレが気になったのは、スティグマータの乙女が前の世界で生贄にされたってとこだ」
「生贄、かー。なんかぴんと来ない話しなんだが」
「そうでもない。オレの生まれ育った島にも、そんな因習があったくらいだし」
「ロルフのいた島に? お前実は江戸時代の生まれとかか?」
「いいや。平成生まれ」
「まじかよ! って、ちょっとその話は置いておこう。ロルフ、お前が生きてた時代にも生贄が行われてたって言い伝えでもあったっていうのか」
「いや、実際に行われてた。まー、島が全滅したんで、その因習も途切れたとは思う」
「……は? 全滅?」
「治療法のない疫病が流行って島は封鎖。手の施しようもなくみんな死んだ」
「……なにが、話す価値もないほど平凡、だ」
「話し辛いだろ、こんなの。そんなことより因習の話だ」
「そんなことって……」
「その島は全滅した。それだけの話だ。ただ、その島には独自の掟が色々あって、その掟とアンって女が話した内容っていうのも酷似してるんだ」
先程は大まかな内容を掻い摘んだだけだったが、ルドルフは前の世界で生まれ育った島の掟と、アンの話す島の掟の共通点を話した。
ルドルフの生まれ育った島では九月に行われる祭りの最後に、島の神社の神主が的に向かって白羽の矢を放つ。その的には集落の地図が貼り付けられていた。
白羽の矢が刺さった家は一年間、島の守り神に守られると言われていた。
しかし、五十年に一度だけ、その意味が変わる。幼い女の子のいる家の一覧が的に貼られ、白羽の矢が刺さった家の娘が十七歳になった時、島の守り神への生贄に捧げることになっていた。
「ちょっと待て……待ってくれ」
ルドルフの話を中断させたのはオリヴァーだった。
「その島……俺も知ってる。生贄なんて話は聞いたことないが、夏休みには必ず行ってた島に、そんな祭りがあると聞かされていた」
「オリヴァーさん、もしかして、その家の長子以外の息子だったんじゃ」
「そうだ。その島には十八歳以上は長子しか住めない掟があって、俺の父は次男だったから島を出た。だけどジジババに顔を見せに、夏休みの間だけ」
「まさか……あの島と関わりのある人だったとは……」
続けていいか? というルドルフの問いにオリヴァーが頷いた。
生贄に選ばれた娘は戸籍から抹消される。周囲の子供達に怪しまれないよう、学校にも通うし病院にも行ける。ただし、学校に関しては義務教育まで。戸籍がなくても全て島内で受ける教育や治療なので、大人が暗黙の了解で情報を操作していた。
そして十七歳の誕生日の夜、儀式は行われる。誕生日会が盛大に行われた後、娘は眠らされ、神社の境内に隠されている龍穴と呼ばれる縦穴の深い洞窟の中へと放り込まれる。
「ロルフ、お前、儀式に詳しいな。手記にそこまで書いてあったのか?」
「いや。アンは誕生日を祝われた後から記憶が欠如していて、この世界にやってきてからスティグマータの乙女と呼ばれるようになったと」
「だったら、なんでそんなに儀式に詳しいんだ」
「その神社の長男だったんだよ。親父が死ぬ直前、全部聞いた」
「死ぬ直前って、ドイツに留学してたんじゃ」
「疫病が流行りだしたって聞いて、生贄を捧げたのに無意味だったって聞いて、生贄がなんなのか分からなくて、嫌な予感しかしなくて島に戻ったんだ。ははっ、死ぬために帰ったって感じか」
軽口でも叩くようにルドルフは笑いながら話すが、決して笑える内容などではなかった。
「オレさ、死ぬ前に歴代の生贄になった子達の墓を暴いたんだよ」
「は?」
「深い穴に落とすんだ。わざわざ死体を取りに行くとは思えなかった。生贄が墓に埋葬されてるはずないし、発病してたからどうせ死ぬのに祟りも呪いもあるか! って思って。で、やっぱりなにもなかった」
その島は前の世界のルドルフが死んだ二〇一八年であっても、土葬だった。
生贄にされた娘達は表向きは病死や事故死とされていたから、本当に病死や事故死なら、骨くらい残っていてもおかしくはない。
しかし、疫病が流行りだしてすぐに病死したことになっている娘の墓も、五十年周期の習わしにしたがって十年前に生贄にされた娘の墓も、どれだけ掘っても土しかなかった。
生贄などという因習がその島で行われていたことを否定したくて墓を暴いたルドルフは、なにもない墓に愕然とした。
そして自ら、病に冒される前に龍穴の中に入っていった。
「龍穴の底で、オレがなにを見たと思う?」
「なにって」
「なにもなかったんだ。そこにも。一ヶ月前に生贄にされた娘の遺体も、骨もなかった」
「なにが言いたい」
「ずっと疑問だったんだ。生贄にされた娘達の遺体はどこに行ったのか。この手記の内容も含めて、生贄にされた娘はアンに限らず、その体のまま、この世界に来てるんじゃないかって……で、スティグマータの乙女としてこの世界に生きた」
「姿に関してはどう説明する?」
「銀の髪と目、か。生贄の娘がスティグマータの乙女になったかも、ってのは可能性の話だし、その辺りも含めて調べたいと思ってる」
「ロルフが?」
「できれば。オリヴァーさんはスティグマータの乙女について調べてたんだろ? こんな腕じゃ役に立たないかもしれないが……あの島で生贄になった娘がこの世界に来てるのか、この目で確かめたい」
「確かめたいって言われてもな……」
ルドルフの申し出に、オリヴァーは悩んだ。その島で生贄にされた娘が本当にこの世界に来ていたとして、それがいつで、どこに出現したのかわからない。一番最近の『スティグマータの乙女』でさえ、確認されたのが五百年以上前で、オリヴァーも任務で一年間『スティグマータの乙女』について調べ、探してやっと入手した手記なのだ。
これ以上、どこをどう探せばいいかも検討がつかないし、怪我が元で聖騎士ではいられなくなったルドルフを危険な旅に同行させて良いものかも分からなかった。
「任務を続行するか、ルドルフさんも任務に同行するか決めるのは、手記の続きを読んでから決めても遅くないのでは?」
そう言ったウィリアムの言葉で、ルドルフは急ぎ続きを翻訳したいと言い、空いている病室を使用することになった。
「タリア……どうした?」
オリヴァーに覗き込まれたタリアはニッコリと微笑んでなんでもありません、と答えた。
「なんだか、情報過多で混乱しちゃってます」
「だなー。生贄だとか、俺らの生きてた時代にも行われてたとか、信じられん」
「ですよね。本当に前の世界で生贄にされて、こっちではスティグマータの乙女になっていたんだとしたら……酷すぎます」
「……そうだな」
タリアもオリヴァーも、黙り込んで何かを考えていた。
この世界での記憶しかないウィリアムには、二人がどんなことを考えているかも分からないし、この世界とは違う世界の話を聞いていても、何一つ信じられずにいた。
病室の扉を叩く音がして、ウィリアムを呼ぶ声がした。立ち上がったウィリアムは扉の近くに行き、少しだけ開けた隙間から廊下を見る。そこには兵士が一人いて、小声でウィリアムに報告をする。
「オリヴァー、刀鍛冶のルーが面会を求めてるって」
「面会? あの爺さんが外に出たってのか?」
「そうらしい。タリア、あの件じゃ」
「あっ、そうかも」
「あの件って?」
鍛冶屋のルーは基本的に鍛冶場兼自宅から出ることはない。外に出る時間を割くより刀と向き合っていたいからだ。そんなルーがわざわざ出向いたことには、オリヴァーもウィリアムも驚いた。
ウィリアムとタリアにはルーが面会を求める理由がわかった。しかし違っているかもしれないので、直接会って話を聞いた方がいい。
オリヴァーに疲れはなさそうなので、兵士にはそのままルーを連れてくるようにと頼んだ。
病室に現れたルーはオリヴァーとタリアに深々と頭を下げ、家族の冥福を祈った。
「本当なら、こんな形で渡したくはなかった」
そう言って、弟子に持たせていた荷物をベッド脇の机に載せた。弟子には外で待つようにと言って、ウィリアムが用意した椅子に腰掛ける。
「それは?」
「お前さんと、その息子達のために」
ルーが持ち込んだのは三振りの日本刀だった。
以前、タリアからヒントを得て作り始めたものが完成したのだ。
「これはまた……使うのがもったいないな。このまま飾っておきたいほどに綺麗だ」
それはルーが刀鍛冶としての集大成として、この世界と、この世界に日本刀の使い方を伝えてくれたオリヴァーへの感謝を込めて作られたものだった。
オリヴァーが刀を鞘から抜いてしばらくその美しさを眺めている時、タリアが眉を寄せ、顔を背ける素振りをしたのにウィリアムが気づいた。
「どうした?」
「魔力が強すぎて眩しいんです」
「あの刀の?」
「凝縮された塊みたい」
「……オリヴァー。悪いが鞘に納めてくれないか?」
そう言ったウィリアムの意図が分からずにいたオリヴァーだったが、すぐに刀を鞘に納め、タリアはホッと息をついた。
「ルー爺様、その刀はタリアの助言通り、龍脈の粉を混ぜて作ったのですか?」
「そうじゃ」
ルーの言葉を聞いたウィリアムは、タリアが視たものをオリヴァーに耳打ちする。
「ああ、そういうことか。爺さんにはタリアのこと、話しても構わないと思う」
ルーもこことは違う世界の記憶があると言われたウィリアムは、またか、と思いながらもタリアに魔力が視えること、その刀に魔力が多いことを説明した。
するとルーは「どうりで」と言い、もう一度剣を鞘から抜いてもいいかとタリアに確認し、オリヴァーに剣を鞘から抜かせた。
「その刀は青龍。その刀身に触れながら火魔法を使ってみなされ」
「は? この刀を燃やせってのか?」
「いいからやってみなされ」
「刀に火魔法って……って、どうなってるんだ、これ!」
その場にいたルー以外の三人は、オリヴァーの持っている刀を見て目を見開く。
刀身から無数の小さな雷が放出していた。
「鞘に納めれば治るぞ?」
オリヴァーは慌てて刀を鞘に納めた。
「朱雀を作っている時、熱した玉鋼をいくら鍛錬しても火がおさまらんでな。朱雀が一番苦労したわい」
朱雀は炎を纏う性質を持った刀になった。朱雀は不死鳥、火の鳥だ。その名に相応わしい性質を持った刀になった。
この世界の南に位置する龍脈の粉を使った刀が炎を纏うのならば、ほかの地域の龍脈の粉を使った刀は別の性質を持ているかもしれない。
そう思ったルーは、他の刀に生活魔法をかけて確認をした。
先程オリヴァーが試した青龍は東に位置する龍脈の粉を使い、雷を纏う性質を持った。
玄武は北に位置する龍脈の粉を使い、水魔法をかけると刀身が極度に冷たくなる性質を持っていた。そのためか、一振りしただけで刀身が氷を纏う。
「ただ、白虎だけがどのような刀かわかんのじゃ。まだ試作の段階で止まっておる」
「ちょっと待ってくれ。龍脈の粉で刀に魔力が宿って? 水や火の魔法を纏うところまでは理解できる。でもなんで青龍は雷なんだ? 雷を生み出す魔法なんて聞いたことないぞ」
そう言ったオリヴァーの疑問はその場にいた全員にもあった。それぞれに改めて生活魔法について考える。
火魔法は体から直接火が出るわけではない。火種となる燃えやすいものに指先を近づけると火が起こる。
水魔法は空気中の水分を集める。
風魔法は両手を合わせ、少しずつ離して行くと手の間に風が起こる。というものだった。
「ウィル、ちょっと生活魔法を使ってみてくれませんか?」
「いいが……なにをするつもりだ?」
「生活魔法を使っている人の魔力、視たことなかったなーと思って」
言われるまま、ウィリアムは生活魔法を使ってみることにした。
まずは火魔法。病室で何かを燃やすことはしたくないので、火種は用意しない。指先に火魔法を発動すれば、その際の魔力の様子がタリアには視えるはずだった。
「……ああ、なるほど」
「今のだけでわかったのか?」
「人間の体内には微弱ですけど電気が流れているんです」
「デンキ?」
「ええっと……乾燥しているところで、服を着る時バチバチってなるときありません? あれは人間の体に電気が流れているからで……小さな雷を飼ってるとでも思ってくれた方がわかりやすいかも」
タリアは試しに、両手の人差し指を向かい合わせ、そこで火魔法を発動した。
すると指の間に小さな稲光が走るのが見えた。
「たぶん、火魔法は放電による火花を利用して火種に着火してたんだと思います」
この世界の特殊魔法に関して言えば、攻撃系魔法も防御系魔法も回復系魔法も、もともと人体に備わる機能を強化するものが含まれている。
攻撃系魔法の身体強化、防御系魔法の身体操作。回復系魔法に限って言えば、その全てにおいて人体にもともと備わっている自己治癒機能を手助けするものだ。
それを踏まえて考えれば、生活魔法ももともと体に備わる何かを利用しているのではないかと考えられる。
火魔法に関して言えば、人体に微弱に流れている電気を使用した火花放電。
だとすれば、青龍はその電気を蓄え、放電するもので、朱雀は火花放電により着火し炎を纏っていることになる。
「そう考えると、水と風は人体ではなく、自然現象とか、空気中にもともと在るものを利用してるのかもな」
そう言ったのはオリヴァーだった。
「風が生まれるのって確か、気圧の関係だったような」
「暖かい空気と冷たい空気、でしたっけ。ウィル、今度は風魔法、お願いします」
二人の話に全くついてはいけないが、ウィリアムは言われた通りに風魔法を発動した。
「あ、左右で魔力の流れが違う……」
タリアはウィリアムの手に触れた。
「左右で掌の温度も違くなるんだ……気づかなかった」
「風魔法ってのは、体温のちょっとした差でも風を起こせるほどのものにしちまうってことか。それなら……ルー爺、白虎はふた振りにするってのはどうだ? 上手くすれば風を生み出す刀になるかも」
「なにやら面妖な話についていけなんだが、ふた振りで白虎か。それも面白い」
早速制作に入りたいと言ったルーは、これからのオリヴァーの予定を聞いた。
一時帰国で二、三週間だけの滞在予定ではあったが、事件のお陰で動けない。ギルバートもまだ目覚めていないし、家族の弔いもきちんとしたい。
任務の続きに出かけるかどうかも、今ははっきりしていない。
しばらくの間はレオを離れることはないだろうと言うと、ルーは安堵し、半月ほど時間が欲しいと言った。
オリヴァーは、また出かけるにしても白虎の完成を待ってからにすると約束し、ルーは帰っていった。
「魔力を纏う刀、か……二人は知ってたんだな」
「この世界にしかない刀を作りたいって話を聞いて、龍脈を使ってはどうかと提案しただけです」
「タリアが相談を受けて。面白そうだから協力はしたが、まさか本当に魔力を纏うことになるとは」
触っても? そんなタリアの言葉に、オリヴァーは笑顔で頷いた。
「この魔力の量……普通の鉄とか鉱石にはこんなに魔力は含まれてないはずなのに」
龍脈の粉にも魔力はもちろん含まれているが、こんなにも魔力が増えるのは不思議だとタリアは言う。
「日本刀の製法のせいかもな。鉄を何度も小槌で打つのは知ってるだろ。あれを何度も繰り返すことを鍛えるとも言うが、余分なものをそぎ落とす作業でもあるんだ。十kgの鉄が二kgくらいになるまで何十回も。そうすることで、折れない、曲がらない刀になる」
「刀一本に、かなりの手間暇がかかるんですねでも、少なくとも魔力の量は五倍になるんだ」
「これと見比べてみては?」
ウィリアムは部屋の隅に置いてあったオリヴァーの装備品の中から日本刀を手に取った。
鞘から刀身を少しだけ出してタリアに見せると、そこに魔力は少ししか視えないという。
「魔力が増えた理由を特定するのは難しそうだが、元々は同じ地中にあったものだし、相性がいいのかもな」
立て続けに二名の来客があったので、オリヴァーを休ませるため、タリアは部屋に戻ることになった。
ついでに執務を片付けてしまおうと、ウィリアムはタリアを部屋まで送り、同じ階にある執務室で仕事を始める。
しかし程なく、サラがいなくなったという知らせを受けて、ウィリアムは執務室を飛び出す羽目になった。
来賓区画の中庭におらず、他に行きそうな場所も探してはみたが見つからない。
二時間ほど探していただろうか。オリヴァーの病室近くで怪しい人物を捕まえたという報告を受け、まさかと思いながらもウィリアムはサラの世話係を連れてオリヴァーの病室へと向かった。
オリヴァーの病室近くにいた怪しい人物はマントで身を隠し、決して顔を見せまいと被っているフードを両手でしっかり握っていた。
怪しいとはいえ、かなり小柄で子供に見えたため、見回りの兵士もどう扱っていいものか迷い、ウィリアムを呼んだらしい。
「こんなとこで何してた?」
ウィリアムの声にビクッと体を震わせ、フードの隙間からチラッと見えた瞳は青みがかった灰色。
「ごめんなさい。もう用事は済んだので、帰ろうと思っていたんですが……」
兵士には怪しい人物ではないので見回りに戻っていいと言い、サラは世話係に任せて部屋に帰すことにした。
オリヴァー邸での事件を聞きつけたサラも、心配をしていたのは知っていた。しかし今のタリアに会わせるのもどうかと思い、先延ばしにしていたせいで、サラは強行突破をしようとしたのかもしれない。
そんな思いもあったので、ウィリアムはサラを責めることはしなかった。
「用事は済んだって……何しにこんなところに来てたんだ?」
ふと、そんな疑問が湧いた。ここにタリアはいなかったからだ。
疑問を抱きながらも、オリヴァーとギルバートの様子を確認してから執務に戻ろうと、ギルバートの病室の扉を開けた。
「……は?」
そこにギルバートはいなかった。
慌ててオリヴァーの部屋に行ってみると、そこには神妙な顔のオリヴァーとギルバートがいた。
「目が、覚めたのか」
こくんと頷くギルバートは、オリヴァーの部屋にあった荷物から自分の装備を見つけたのか、着替え、出かける準備が整っていた。
「出かける、のか?」
そう問えば、ギルバートはまたこくんと頷いた。
それを聞いていたオリヴァーが深くため息を吐き出す。
「もう少し、待てないか? せめて、みんなの弔いが終わるまで」
「時間が惜しいんだ。みんなのことはオリヴァーに任せる」
ギルバートにはオリヴァーに拾われる以前の記憶がなかった。しかし、全てを思い出し、やるべきことも思い出したのだという。
「やるべきことってなんだよ」
「……言えない。オレ一人の問題だから。これをタリアに」
「……これ、お前が大事にしてたやつだろ」
「母親の形見。もう、オレには必要ないから」
「はーー、わかった。渡しとく。代わりにこれ、持っていけ」
オリヴァーがギルバートに渡したのは、昼間、ルーに貰った刀だった。
「お前には朱雀をやる。炎を纏う刀だそうだ。朱雀は不死鳥、火の鳥。やることやったら帰ってこい、必ず」
オリヴァーに使い方を教わると、ギルバートは立ち上がって腰にあった剣の代わりに、その日本刀を装備した。
「ちょっと待ってくれ! 今すぐ発つ気か? タリアに会わないのか!」
「……会わせる顔ない」
「は? タリアがどれだけ心配してたか!」
「それはオレが弱かったからだ。タリアには強くなるって約束したのに。戦場に行って、オレは強くなったって思ってた。勘違いだったけど。あの日、裏口にいた黒づくめの男を前にして、弱さを思い知った。今のオレには誰も助けられない。だから、行く」
ギルバートは部屋を出て行く。
オリヴァーは引きとめない。
ウィリアムはギルバートを追いかけ、部屋を飛び出していた。
「待てって! もう少し、タリアの傍にいてやってくれ! あいつにはお前が必要なんだ! やるべきことってなんだよ! 今のあいつは、オリヴァーとお前しか……」
足早に歩いていたギルバートの足が止まった。
振り返る素振りだけして再び歩き始めたのだが、その速度は先ほどよりかなりゆっくりだった。
ウィリアムはギルバートと足並みを揃え、隣を歩く。
「オリヴァーには言わないでくれ。タリアにも」
「わかった」
「仇を討ちに行く。多分、オレにしか出来ない」
「仇を討ちたい気持ちはわかる。でも、一人でか」
「オリヴァーにはもう、危険な目に遭わないで欲しい。オレのためにも、タリアのためにも」
「だからって、一人で行く必要ないだろ」
「一人の方がいい。それに、あの女、普通の人間には見えたが、多分、人型魔獣だ」
「は?」
「上手くは言えないけど、人型魔獣が近くにいるのがわかった。嫌な感じがしたんだ。だからそれを辿れば、きっとあいつらのところに行ける」
「相手が本当に人型魔獣なら、一人で行くのは危険すぎる!」
「わかってる。だから今すぐに行くわけじゃない。それに仇を討つのだけが目的じゃない。オレのやるべきことのためでもある」
「そのやるべきことって?」
「それは言えない。なー、タリアを頼めるか?」
「……言われなくても。だが、タリアが頼りにしてるのは俺じゃない」
「そうかもしれない。だけど、だからこそアンタに頼みたい」
「……どういう意味だ」
「アイツ、多分、一人でどっかに行っちまいそうな気がする」
「……どっかって」
「オリヴァーがまた危険な目に遭うのを嫌がって」
「また、タリアが狙われると?」
「それはわからない。だけど、あいつの性格上、自分のせいで誰かが傷ついたりするのが一番嫌なんだ。守られてるだけでいるのが嫌なんだ。こんなことになったから余計……オリヴァーのいない、守ってくれる人のいないところに行きたがる気がする」
「……わかった」
「タリアが死なないようにも、見張ってて欲しい。戦う力がないことはタリアが一番理解してる。だから仇を討つことより、死ぬことを選ぶと思うから」
「それは……心配ない。死ねないらしいから」
「……そう、か」
「お前もオリヴァーも死んだと思って。だから、二人にはタリアの傍にいて欲しい」
ギルバートの足が止まった。
しかしすぐにまた歩き出した。
今のタリアにオリヴァーとギルバートが必要な理由を知っても、旅立つ覚悟が変わらなかったということだった。
「あんなタリアを置いて、どこに行くって言うんだよ!」
ウィリアムは叫んでいた。
タリアをどんなに想っていても、タリアが求めているのはウィリアムではないことを痛感しているから。
タリアが求めているというのに、ギルバートはそれを知っている上でタリアを置いていこうとしているから。
それが悔しくて、叫んだ。
「オレ、タリアには貰ってばかりなんだ」
「は?」
「魔力も、命も」
タリアと出会うまでは生活魔法さえままならなかったギルバートが、聖騎士を目指せるほどの魔力を得た。
死んでおかしくない傷も、タリアの力で命拾いをした。
だからこそ、全てを思い出し、やるべきことをするために動くことができる。
全て、タリアのおかげだった。
「タリアに恩を返すために行く。暫くは辛いかもしれないけど、何年か先……あいつがちゃんと笑って生きてられるように」
第2話 完




