死の森の魔女 第1話
「一体……なにがどうなってるんだ……」
人型魔獣が現れたと知らせを受けた聖騎士団は、手の空いている者が総出でオリヴァー邸へと向かった。
そしてその光景に言葉を失う。
屋敷からは火の手が上がり、戦闘中のオリヴァーと、倒れているリアムとユーゴ。屋根の上には倒れているタリアがいた。
「ウィル、アイツの相手を頼む」
「勿論です。ぺニナはとにかくなんでもいい。情報を」
「わかってる!」
聖騎士団はウィリアム率いる対人型魔獣の部隊と、ぺニナ率いる情報収集の部隊に別れて行動を開始した。
オリヴァーは一人、人型魔獣と戦闘中だが、すでに限界を超えていた。
対人型魔獣部隊が戦闘に加わり、オリヴァーを戦闘から遠ざける。
「オリヴァー! 話せるか! 状況を!」
「ウィル……待ちくたびれたぞ」
「一体、何があったんだ!」
「さぁ……屋根の上にタリアがいる。危害は加えないようなことを言っていたが、無事か確認したい」
「危害を加えない? 誰がそんなこと」
「着物を着た女……がはっ!」
「オリヴァー!」
オリヴァーは血を吐き、苦しみながらも人型魔獣を指差す。
先にアイツをどうにかしろと。
「あー、くっそ! オリヴァーを頼む! ギルバートと同じ処置を!」
そう叫び、ウィリアムは立ち上がって刀を抜いた。
龍の愛し子 第二章
死の森の魔女 第一話
「なんだよこれ……たった三人に、この被害……」
オリヴァー邸での事件から二日が経過していた。
この日、ウィリアムは研究室ではなく、別の部屋で事件の報告書に目を通していた。
目撃者の証言から、人型魔獣と化した聖騎士見習いと、その他に黒装束の男らしき人物と、見たこともない衣装を纏った黒髪の女がいたと分かった。
オリヴァー邸の敷地内では屋敷正面の庭にオリヴァー、建物近くにリアムとユーゴ。屋根の上にタリア。
裏手にはオリヴァー邸の執事とその家族。そしてリアムとユーゴの家族がいた。
遺体の傷から、全て人型魔獣ではない誰かが斬殺したことは明白だった。
被害に遭ったのは一般人が七人。
オリヴァー邸にいた元聖騎士団長と、聖騎士が二人。そして聖騎士養成学校の学生一人と、人型魔獣になった聖騎士見習いの五人。
ほかに、人型魔獣を倒すために駆けつけた聖騎士も七人が重傷を負うという事態だった。
聖騎士が一気に十人も再起不能に陥るなど、約二十年前の戦争以来のことだった。
被害状況に頭を抱えているウィリアムの耳に、けたたましい足音が近づいて来る。
程なく、乱暴に扉が開かれた。
「ウィル! 一緒に来い!」
「ぺニナ……今の私に聖騎士団の問題まで背負う余裕は」
「タリアが!」
ウィリアムは勢いよく立ち上がっていた。
「目覚めたのか!」
「ああ! かなりのご乱心っぷりだ」
「移動しながら聞く」
ウィリアムは持っていた報告書をテーブルの上に放り、部屋を飛び出した。
事件後、タリアはただ眠り続けていた。
少しだけ、その姿が変化していた。
事件の当事者であるタリアに話を聞けないことには詳しい事情を知ることはできない。
しかし、状況が状況なだけに根掘り葉掘り聞くわけにもいかないので、タリアの精神状態をしっかりと把握してから事情を聞くことになっていた。
「それで、ご乱心ってどんなです?」
「起きてすぐ、吐きまくってた。それが落ち着いたと思ったら、医務室にいた怪我人に片っ端から治癒魔法を……」
「それで?」
「全員がすぐに完治した」
「は? すぐにって」
「すぐはすぐだ。もう兵士としては戦えないと覚悟してた奴の傷も、タリアが触れて数秒で」
「なんだ、それ」
「ウィルも知らなかったか。その後、自分の部屋に行きたいとわめき散らして、宥めて部屋に連れて行ったんだが、それから閉じこもって出てこない。なんでか扉も開かない」
急ぎタリアの部屋に向かうと、入り口の扉を必死に叩くフィオナと数人の聖騎士がいた。
居合わせた聖騎士が心配して屋上や窓から様子を伺い、侵入を試みていた。しかし窓にはカーテンが引かれていて中を見ることが出来ず、屋上からの出入り口の扉も窓も、蹴破ることさえできなくなっていた。
「まるではめ殺しの扉みたいにびくともしませんね」
その扉に触れてみた、ウィリアムの率直な感想だった。壁の一部に飾りとして貼り付けられた出入り口としての役目を担っていないもののように感じたのだ。
「蹴破ることもできないとなると……ぺニナ。この扉に無効魔法、試していただけませんか?」
「この扉に、なんらかの魔法がかかっていると?」
「わかりません。ですが、もし魔法なら」
「とりあえず、試してみるか」
「お願いします。私も同時に」
ウィリアムとぺニナは頷きあい、先に扉に触れたぺニナの目配せでウィリアムは思いっきり扉に蹴りを入れた。
「まさか本当に魔法がかけられていたとはな」
「なんにせよ、開いて良かっ……」
鼻をついた微かな匂いに、ウィリアムは階段を駆け上がっていた。鉄のような匂い。何度嗅いでも慣れることのできない、血の臭いだった。
嫌な予感しかなかった。
「タリア! タリア!」
部屋には人の気配がない。
見回すと、浴室の扉が少しだけ開いていた。
「……タリア?」
そっと、浴室の扉を開ける。
むせ返るような血の臭いで充満した浴室は、血で赤く染まっていた。壁も、天井も、床も。
血の海と化した浴室の床には、全身血塗れのタリアが横たわっていた。
あまりの惨状に息を飲んだ。
「なんてことを……」
タリアの投げ出された手の先には血に塗れた短刀が転がっていて、その状況はタリアが自害したと物語っていた。
ゆっくりとタリアに近づいたウィリアムは、静かに膝を下ろす。
「お前、知ってたのか?」
タリアが目覚めても、オリヴァー邸での事件については一切教えるなと通達しておいた。
気絶したまま二日も眠り続けていたタリアが、あの惨劇をどこまで見ていたのかわからない。
裏口で起きたことまでは知らないのではないかとさえ思えたので、起きてからのタリアの様子を見てから状況を伝えようとしていた。
だから、タリアは全てを知っていたのだとしか思えなかった。
そうでなければ、自害した理由に説明がつかない。
ウィリアムは血塗れの、正気のないタリアの頬に手を延ばした。
体温がある。
よくよく見れば、微かに胸が上下していた。
とても静かではあったが、息もある。
「タリア! タリア!」
まだ生きている。そう確信したウィリアムはタリアを抱き起こして頬を叩いた。
微かに、タリアの瞼が震えた。
生きているのなら傷口の止血を。ウィリアムはタリアの服を乱暴に脱がせた。
「……どういうことだ? 傷が、ない」
服の下の肌は血の気が引いている。しかし傷はどこにも見当たらなかった。
「その、声……ウィル?」
「タリア! お前、怪我は! って、その目……」
薄っすらと開いた瞼から覗く瞳は、ウィリアムがよく知っているタリアの琥珀色の瞳ではなく、灰色のような、銀色のような瞳になっていた。
「もしかして、見えないのか?」
「……見えて、は、います……魔力の色が邪魔して、人の顔が、わからない」
「そうか……って、お前! なんでこんなこと!」
「なんでって……だって……え?」
完全に脱力したままウィリアムに上半身を抱き起こされていたタリアが目を見開き、ウィリアムの胸元を掴んだ。
「オリヴァーさんが……ギルが……生きてるの?」
「なんでそれを」
「生きてるんですね! 本当に!」
「ああ。まだ危険な状況ではあるが」
「生き……生きてて、くれた……」
タリアの瞳から、涙が溢れ出す。
「なんなんだよ、お前……二人が目覚めた時、お前が自殺したなんて知ったらどう思うか……この短刀だって、こんなことのためにオリヴァーに貰ったんじゃねーだろうが!」
ウィリアムの胸には安堵と、怒りがこみ上げていた。
「良かった……死ねなくて」
「死ねなくてって」
「死ねなかった。心臓を刺しても、深く首を切っても……」
このおびただしい量の血は、タリアが死のうとして深く体を傷つけ、それを何度も繰り返した為だった。
タリアが望まなくても勝手に治癒魔法が発動して、瞬時に傷が癒えてしまう。
少しでも躊躇うと防御魔法が発動して傷つけられなくなってしまうので、躊躇うことなく何度も死のうとした。
「二人に、会いたい」
「……今、目覚めてたとしても、この姿は見せられないな。まずは別の場所で体を洗って……お前の治癒魔法、なんか凄いことになってるらしいし、二人もすぐに治せるだろ」
「それは……無理」
「なんで」
「枷、らしいから……大切な人に、私の魔法は何も……効かない」
枷という言葉の意味も、なぜ大切な人に魔法は効かないと断言できるのかも、タリアは口にしなかった。
「でも、薬酒は別だろ」
「さぁ」
「実際、二人の命を繋ぎとめたのはお前の魔法をかけた薬酒と塗り薬だぞ?」
「……え?」
「詰所に常備してたアレがなきゃ、二人とも死んでた」
自力では動けないほど疲弊しているタリアを抱き上げたウィリアムは隣の部屋へ。
そこにはぺニナだけが様子を見に来ていて、浴室の掃除を侍女ではない誰かにさせるように頼む。
そしてタリアをベッドに起き、その体についた血を隠すようにシーツで包んでから、また抱き上げた。
その間にオリヴァーとギルバートが助かった経緯を話す。
ギルバートは正面に深く大きな刀傷を負っていた。上手く交わしたのか即死には至らない程度ではあったが、その後、攻撃系魔法の身体強化と防御系魔法の身体操作を駆使して聖騎士団の駐屯所へと全力で走ったのか、大量の出血でショックを起こしかけていた。
ギルバートの知らせを受けてすぐに動き出した聖騎士団。ウィリアムはタリアの『完全治癒魔法』がかけてある薬酒と塗り薬を使うようにと指示してからオリヴァー邸へと向かった。
そしてオリヴァーにも同様の処置をした。
普通ならば死んでいておかしくない状況の二人に効くかどうかはウィリアムにとっても賭けだったが、二人とも一命を取り留める結果となった。
オリヴァーとギルバートはなんとか生きている状況だが、他は聖騎士団が到着した時に死亡していたのでどうしようもなかった。
タリアが大好きだった人たちが死んでしまったことは確かで、オリヴァーとギルバートにもしものことがあれば、またタリアが変な気を起こすかもしれない。
監視が必要だと思ったウィリアムは、侍女のフィオナも一緒に来てもらい、もっと監視のしやすい部屋に移動する。
「あの、ウィリアム様。この先は……」
「……貴女が命令に忠実で、とても口が堅いことは知ってる。だから連れてきた」
「ウィリアム様……いえ、もしかして貴方様は……」
フィオナの問いに、ウィリアムは困ったような笑みを返す。
ウィリアムが先導して進んでいるのは、王宮の中。複雑な廊下を進み、階段を上ったり降りたりしながらやってきた、最上階にほど近い区画だった。
王の一族だけが私生活を営むその区画は宮廷と呼ばれ、立ち入りが厳しく制限されている。
そこに自由に出入りが許されているのは、王とその一族と、そこで仕える人間のみ。その上、なんの許可もなく部外者を連れて入ることが出来るとなるとーー
「ウィルが……第二王子だったの?」
「騙して悪いとは思ったが、言えない決まりなんだ。許せ」
「第二王子……金髪だった」
「この髪は目立つから、染めてた。洗えば元通りになってしまう」
「……そう」
ウィリアムは宮廷内の一室の前で立ち止まって、フィオナに扉を開けさせる。
「フィオナはタリアの荷物を全部移動させてくれ。着替えは至急で」
そこはウィリアムの私室。サラの部屋と間取りは同じで、扉のない三つの部屋があった。
今後暫くはウィリアムとフィオナが交代でタリアの傍にい続けることにする。部屋全体に魔法をかけられるとその度に解除が面倒なので、どちらかが必ずタリアと同じ部屋にいることになった。
フィオナがタリアの荷物を取りに向かい、ウィリアムはタリアを宮廷の大浴場へと連れて入った。
「……ここ、お風呂、ですか?」
「そうだ」
「水に魔力はないと思ってたのに……魔力で満たされてる」
「へー、王城内の水は全て龍脈から溢れてるものだ。そのせいかもな」
龍脈の上に建てられている王城は地上からかなりの高さがある。その高さまで水を引いていたのではなく、龍脈から水が溢れているので組み上げる必要がないことをタリアは初めて知った。
「ここに浸かったら、魔力の回復早そう」
「都合いいな。薬酒も塗り薬も明日の朝の分までしかない。それまでにタリアには無駄に使いすぎた魔力を回復してもらわないと」
「……はい」
タリアの体を洗うために来たのだが、タリアは自分で動くことが出来ず、ウィリアムが洗う羽目になった。
タリアを湯船に一人にしたら沈んだので、支えるために一緒に入る羽目にもなった。
体を洗い、着替えをしたタリアを抱え、ウィリアムはオリヴァーとギルバートのいる病室へと向かう。
二人を殺し損ねたと知った犯人が戻ってくる可能性も考えられたので、王宮内の一室に保護していた。
また、国の英雄の屋敷が事件の現場になったということもあり、治療には国一番の回復魔法の使い手が派遣されていた。
二人が生きていることをその目で確認したタリアは静かに涙を流す。
他人が魔力の塊にしか見えなくなってしまったタリアの目には、オリヴァーとギルバートの姿だけがまともに見える。二人の体の魔力だけが視えないのだと話した。
その後、タリアを自室に連れ帰ったウィリアムはフィオナにタリアを任せて執務に戻る。
そして夜には部屋に戻り、フィオナと交代した。
※ ※
オリヴァー邸での事件から三日目。
昨日のことが嘘のように、タリアは回復していた。
ただ、全くと言っていいほど眠っていないのを、ウィリアムは知っていた。
新たに『完全治癒魔法』をかけた薬酒と塗り薬を作るにあたり、事件前のものと見比べたいとタリアが言うので、オリヴァーとギルバートに投与する前に二人の病室へと来ていた。
「どうだ?」
「今作った物の方が効果あるかもしれません。光がかなり強いので」
事件の後、タリアの特殊魔法が強くなっていることは、引退を余儀なくされかけてた聖騎士を片っ端から瞬時に治したこともそうだし、誰も部屋に入らないようにと部屋全体にかけた防御魔法と思えるものでも十分にわかっていた。
『完全治癒魔法』を龍脈の小瓶の薬酒と塗り薬に付与しても、効果は直接『完全治癒魔法』をかけた場合の半分しかなかった。
タリア自身の力が強くなり、それを小瓶の中身に付加することで前よりも効果に期待を持てるのではないか。
そんな期待もあって、オリヴァーとギルバートには今作ったばかりのものを投与することにした。
意識のない人間に薬酒を与えるので、一気に飲ませることは不可能。だから薬酒の方はスプーンで舌を濡らす程度の量を少しずつ飲ませる。
塗り薬の方は塗ってから包帯を巻いているので一度包帯を全て外す。
タリアはじっとその様子を見ていたと思ったら、両手で口元を覆って泣き出す。
「どうした?」
「効いてる……ちゃんと……私の魔法が……」
体内に入ってしまう薬酒の方は見えなくなってしまうのだが、塗り薬の方は体の表面に留まってそこから体内に浸透していく。
治癒魔法が少しずつ体内に流れて見えなくなる様子を確認し、タリアは泣き出したのだ。
「タリアの枷は、間接的には効かないってことだな。でも良かった。これで二人は確実に」
柔らかな衝撃にウィリアムは言葉を切った。
タリアが抱きついていた。
「ウィル……ありがとう。二人を助けてくれて」
「お前の治癒魔法があってこそだろ」
強く、抱きつきながら首を振るタリアに、ウィリアムは続けた。
「手元にお前の薬酒がなかったら、傷を見たときに諦めてた。でも、この一年、お前と研究してたことが、二人を救ったんだ。急がなくていい。話せるようになったら、何があったのか教えてくれ」
タリアは小さく頷き、「オリヴァーさんの意識が戻ったら」と小さく呟いた。
オリヴァーが目覚めたのは、その翌日の夕方。
それにいち早く気づいたのは、オリヴァーとギルバートの傍から離れようとしなかったタリアだった。
知らせを受けて急ぎオリヴァーの病室へとやってきたウィリアムを出迎えたのは、ベッドの上で体を起こし、枕や毛布を背もたれにして「よう」と軽く手を挙げたオリヴァーだった。
その傍にはオリヴァーにしがみついて寝ているタリアがいた。
「今しがた、泣き疲れて眠ったところだ」
「オリヴァーさえ構わないのなら、そのまま寝かせてやってくれ。この二日、全く寝てなかった」
「そう、か……可哀想なことしちまったな」
愛おしそうに、眠るタリアの頭を撫でるオリヴァーに、ウィリアムは現状を報告する。
その上で、あの日、オリヴァー邸で起こったことの全てを聞いた。
「裏口の連中のことはさっきタリアに聞いた。全く、なんでこんなことになっちまったんだか」
「何か、心当たりはないのか?」
「タリアは自分のせいだと言っていた。屋根の上で女と話してたんだ。その内容までは分からなかったし、それを聞こうにもタリアが泣きじゃくってて」
「タリアに用事があったってことか」
「多分、な。ただ、あの女には見覚えがある。着物を着た黒髪の女なんて、そういない」
「あの日も言ってたが、キモノって?」
「……ああ、そうだな……ウィルにはそこから話さねーと」
オリヴァーが語ったのは、この世界には、こことは違う世界の記憶を持っている人間がオリヴァーとタリアを含め、複数存在している事。時代は違えど、同じ国に生きていた事だった。
その上で、『スティグマータの乙女』という存在がオリヴァーたちと同じ世界から来ているのではないかという可能性があると考えていることも。
「つまり、そのキモノを着ていた女も、違う世界から来た可能性があるってことか」
「そう思う。しかもスティグマータの乙女となんらかの関係があるんじゃないか? でなきゃ、タリアのこの変化に説明がつかない気がする」
タリアの変化は目の色と、魔力が急激に強くなったことの他に、その前髪が白く変色していることもあった。
着物を着た女との接触があってからのことなので、タリアの変化にはその着物を着た女が関わっているとしか思えない。
「でも、聖痕はなかった」
「なかったって、ウィル、お前……」
「全身確認した。この目で」
「はぁ? 全部って、婚約者だからってお前っ」
「不可抗力だ!」
「一体どんな不可抗力だ! 俺のタリアに一体何を」
「あんたのじゃないだろ!」
「俺の大切な一人娘だ!」
「ふふっ」
「タリア、起きたのか」
オリヴァーに抱かれ、タリアは頷いた。そして二人が着物の女性について話しているのを夢現つに聞いていたと言った。
「オリヴァーさん、もう少しこのままでいても平気ですか?」
「抱っこしてろってことか?」
「できれば……こうしてると、何も見えなくて落ち着くんです」
目覚めてからのタリアには、目を閉じてようが開いていようが常に周囲の魔力が視えていた。
人の顔が分からなくなるほど鮮明に視えてしまう魔力に戸惑い、慣れず。背後は見ようと思わなければ視えないが、視界の内側は無意識で魔力が視えてしまう。
しかしオリヴァーとギルバートの魔力は全く視えないし、頭部をオリヴァーの腕に包まれている今は周囲の魔力が全く視えないので落ち着くのだ。
「あの人は、私に関わる全員を殺すつもりで来たみたいです」
たどたどしくも、タリアはその女性と話した内容を語り始めた。
タリアが、中途半端ではあるが『スティグマータの乙女』で間違いないと断言していたこと。
力は誰よりも強いが大切な者は救えない。それが『スティグマータの乙女』の枷であること。
その女性もかつて、『スティグマータの乙女』と呼ばれていたこと。
『スティグマータの乙女』は覚醒する。そのために絶望が必要なこと。
一年前、オリヴァーの未来を見て、覚醒するタリアを見たこと。
タリアは絶望の中、女の言う通りに力が欲しいと望んだこと。
「そのことを踏まえて、私なりに考えてみたんです。あの人は、最後に確認されたスティグマータの乙女なんじゃないかって」
「最後にって、五百年も前の話だぞ!」
「ウィル、話の腰を折るな。タリア、続けていいぞ?」
「はい。あの人は魔女だと名乗っていたし、どう見ても二十代前半にしか見えない姿。ほかにスティグマータの乙女を二人知っているような口ぶりでした。考えられないほど長く生きているんじゃないかと」
この世界の歴史上、確認されている『スティグマータの乙女』は四人。最後に確認されたのが五百年前だ。
『スティグマータの乙女』に関しては初代の功績以外、その姿しか記されていないに等しいので、どんな生涯を送ったかまでは不明点が多い。
ただ、クオーツ王国を例にとってみても『スティグマータの乙女』の候補者でさえ国の最重要保護対象としている。
歴史上、なんらかの形で国同士の紛争に巻き込まれていることは確かだった。
流石にタリアも二千年以上前の初代『スティグマータの乙女』が現存しているとは考えにくく、確認された四人の中では五百年前に最後に確認されている『スティグマータの乙女』が一番、現存している可能性が高いのではないか。という程度の推測だった。
「他に、なにか気づいた点はなかったか?」
オリヴァーの質問に、タリアは首を振る。
ちょうど、夕食の時間になりフィオナがタリアを迎えに来たので、タリアはウィリアムの部屋に戻る。
オリヴァーの傍に居たいとは言ったが、オリヴァーの傷が完治した訳ではない。タリアが看病するのは日中だけにするようにとウィリアムにもオリヴァーにも言われ、明日また来ると言って部屋に戻っていった。
「で、ギルバートの様子は?」
「正直、オリヴァーより早く目覚めると思ってた。傷はもう完治してるといっていい」
「でも、目覚めねーのか」
オリヴァーが目覚めたので、面会の申し出がある。タリアも日中は常駐するだろうということで、ギルバートは明日、隣の病室に移すことになっていた。
「オリヴァー、大丈夫か?」
「正直、しんどい」
ため息を吐き出したオリヴァーは、疲れ切った表情に変わっていた。タリアがいたので元気なふりをしていたが、意識が戻ったというだけで完治には程遠い。
背もたれにしていた枕や毛布を取り外し、寝転んだオリヴァーはホッと息をついた。
「全部、俺のせいだったな」
「何を言いだすんだ」
「あの女に接触しなきゃ、タリアの存在は知られなかったってことだ」
「そんなこと言い出したら、オリヴァーに任務を与えた私のせいだ」
「そんなわけあるかっ……って、こんなことになれば、関わったやつ全員が何かしら責任を感じるものかもな」
「……そう、だな」
オリヴァーに任務を命じたのは第二王子としてのウィリアムだった。
任務の内容は、いるかいないかもわからない『スティグマータの乙女』の捜索。本人を見つけることはできなくても、クオーツ以外の国での情報収集をして『スティグマータの乙女』の身体的特徴以外の文献等が残っていないのかを調査するというものだった。
その任務はサラのため。タリアには素性を隠すためにウィリアムの妹だという設定にはしていたが、実際には姪。亡き第一王子の愛娘。つまりは女王になる少女だ。
サラが女王となりその姿を国民の目に晒す前に、『スティグマータの乙女』が他にいるという事実。もしくはサラが『スティグマータの乙女』ではないという確固たる証明が欲しかったのだ。
そしてオリヴァーもまた、タリアが『スティグマータの乙女』であるのかないのか、タリアのために情報を集めたいと思ったので、その任務を引き受けていた。
オリヴァーの一時帰国は予定にはないものだった。
五百年前に存在が確認された『スティグマータの乙女』は北のオブシディアン、当時はオブシディアン地方と呼ばれていた地域の中にあった龍脈を所持するアリーズ、トーラス、ジェミニという三国が統一された時代に生きていた。三国が統一されてオブシディアンとなるまでに何度も大規模な戦争が繰り返され、統一と同時期に『スティグマータの乙女』の存在が歴史上から消える。
「五百年前……あの手記に何か手がかりでもあればいいんだが」
「手記?」
「そうだった。あの手記を読んでる時に……ウィル、庭に資料は残ってなかったか?」
「資料? 屋敷が全焼して、残ってたものはそこに」
部屋の隅にはリアム、ユーゴ、ギルバートの荷物が置かれていた。
三人は任務から戻って来たばかりだったので、荷物を敷地内の通り沿いに放置していたので無事。
リアムとユーゴの家族の荷物は馬車ごと庭にあったので、人型魔獣との戦闘で大破した上に屋敷の火の粉で焼けてしまっていた。
三人の荷物以外に何も残らなかったことに消沈するオリヴァーだったが、切り替えて『クレメントの手記』に書かれていた内容が五百前のものであることを説明する。
その手記を書いた者がオリヴァーたちと同じように違う世界の記憶を持っていて、わざわざ違う国の言語を使ってその手記を手がけている上に、日本刀を持っている人物に託すよう子孫に伝えていたことも。
そこに登場する黒髪の女性がクレメントの傷を瞬時に癒す描写もあったことも。
「読み手をかなり限定しているから、何か重要なことが書かれていると踏んではいる。俺たちの求める内容であってくれるように願うよ。なんの成果もなく、家族を奪われたんじゃ……少しも気持ちが救われない」
オリヴァーはかなり滅入っていた。当然のことだ。
ウィリアムはオリヴァーに夜の分の薬酒と塗り薬を投与するように指示を出し、明日、ルドルフに翻訳の進捗を聞きに行くと約束した。
執務を終えて自室に戻ったウィリアムはフィオナを下がらせる。
タリアは寝室の窓枠に座って外を眺めている。この部屋に来てからのタリアの定位置だった。
王城の最上階にほど近い場所なので、周囲に建物はない。窓の外に魔力の備わる物が少ないので、その場所が一番落ち着くのだという。
「少しは寝たらいいんじゃないのか?」
「……ウィルこそ」
ウィリアムは寝室の出入り口に寄りかかり、中には入ろうとしなかった。
出入り口に背を向けたままのタリアに、ウィリアム自身の魔力を視せないためだ。
「今日は少し眠れそうだ。オリヴァーが目覚めてくれたし」
「そっか……」
「少しだけでも、眠れそうなら寝ろよ?」
「うん。ありがとう」
ウィリアムはデスクのある部屋に入って持ち込んだ仕事に手をつけた。
日中は出歩くことが多いので書類が溜まる。重要なものは夕方以降に仕上げ、タリアの目に触れても構わないような内容のものは部屋に持ち帰って仕上げていた。
タリアがこの部屋に来て、二度目の夜。眠っていないからこそ、お互いに寝ていないことを把握していた。
昨夜、タリアは少し眠った。しかし悪夢で目が覚めて、それ以来うたた寝はするもののやはり悪夢で目が覚めてしまうらしく、眠るのが怖いという。
もしかするとオリヴァーかギルバートの傍でしか安心して眠れないのかもしれない。
そんな思いがウィリアムにはあった。
仕事の手を止め、ウィリアムは静かにため息を吐き出した。
タリアの気配のある自室。
こんなにも傍にるというのに、タリアはウィリアムの顔さえ判別できないほどの魔力が視えてしまうし、他者より魔力量の多いウィリアムは特に目立つ。
ウィリアムは不用意に近づくことができなかった。
傷心のタリアの力になりたいと思っているし、頼れる存在でありたいとも思う。
しかしタリアが頼るのはオリヴァーかギルバートだろうとも思っている。
タリアがウィリアムの魔力を視るのも、ウィリアムの未来を見てオリヴァーの生存を知ったのも、ウィリアムがタリアの『枷』に該当していないからだった。
その事実がウィリアムに重くのしかかっていた。
第1話 完




