聖痕の乙女 第15話 ② ※残酷な表現あり
「オリヴァー! 全員を中に入れろ!」
聖騎士団のワイバーンが出立しても、一人だけ通りに残っていたギルバートが叫ぶ。
その声にオリヴァーと、リアムとユーゴに緊張が走ったのをタリアは感じ取っていた。
「なんか、やばいのが近づいて来る!」
さらに続いたギルバートの声に、リアムとユーゴは家族を屋敷の中に避難させる。その中にはタリアも含まれていた。
「ユーゴ、どうなってるんですか?」
「わかりません。けれど、城下町に入ってからずっと、ギルの様子がおかしかった。何かやばいのが近くにいる気がするってずっと……ジェームズ! 危険だと思ったらすぐに裏口から逃げて、聖騎士団に知らせを!」
そう言って、リアムと共に外に飛び出していった。
外の様子が知りたいと、タリアは応接室のカーテンを開け放つ。
「あの人は……」
俯きがちによろよろと歩き、敷地の入り口で止まった人物に、タリアは見覚えがあった。
名前までは覚えていない。聖騎士団の駐屯所で何度か見かけたことのある、聖騎士団見習いの一人だった。
その男が顔を上げると、その目がーー白目が黒く変化し、黒目は赤く怪しい光を宿している。
「あの目……魔獣と同じ……」
そしてその男が叫ぶ。
「タリア様! お逃げください!」
そして男は、頭を抱えて膝から崩れ落ちた。
「オリヴァー様! どうか僕をっ……殺、し、て……」
そう叫んだ男は、言葉にならない悲痛な悲鳴を繰り返した。
オリヴァーは男の様子を観察しながら、リアムとユーゴの傍にゆっくりと移動をする。
二人にその男を知っているか聞きたかったのだ。オリヴァーは知らない男。しかしタリアに逃げろと言ったからには、聖騎士団に関わる人間である可能性があったからだ。
悲鳴をあげるばかりだった男が急に静かになった。
そして、目にも止まらぬ速さで動き、タリアのいる窓の横の壁に激突した。
窓が破られ、タリアはギルバートに抱きかかえられていた。
「ギル……何が……」
「どうやらお前が狙いらしい。家の中にいるとほかの奴らにも危険が及ぶ」
タリアには何が起こったのかわからなかったが、ギルバートはタリア目掛けて突進していた男を寸でのところで蹴り飛ばして方向を逸らし、窓を突き破ってタリアを救出に来ていたのだ。
ギルバートに抱えられて外に出たタリアはオリヴァーたちと合流する。
すると壁にぶつかった衝撃で頭から血を流している男がゆっくりと振り返った。
「本当に、狙いはタリアか」
「オリヴァーさん、一体何が」
「俺にも分からん。ただ一つわかるのは、あいつが人型魔獣になったってことだ」
「……なんで? あの人、聖騎士の見習いで」
「見習い? あいつの特殊魔法は?」
「防御系です」
質問に答えたユーゴに、オリヴァーは舌打ちをした。
「厄介だな」
「ええ、とても」
「オリヴァー! 屋敷の裏に、もっとヤバいのがいそうな気がする」
「なに?」
人型魔獣が再び動き出そうとしていた。
「チッ、考える暇も与えてくれないってか! ギルはユーゴとタリアを連れて屋根に! 裏口の様子を見てほかの連中を逃がせるようなら逃がせ! そのまま聖騎士団を呼んでこい!」
「オレも戦いたい!」
「わかってる! 俺とリアムじゃ時間稼ぎしかできねー! 戻って来て戦う時間はいくらでもあるから急いで戻ってこい!」
しぶしぶ頷いたギルバートを見たタリアはオリヴァーに飛びついた。
「避難する前にせめて完全防御魔法を!」
なぜ、聖騎士の見習いの男が人型魔獣になったのかはわからない。なぜ、タリアを狙っているのかも。
何も分からないが、タリアに今できることがあるとすれば、足手まといにならないことと、完全防御魔法をかけることだけだった。
「……あ、あれ? 魔法が、発動しない? なんで!」
「……タリア、もういい。ギル、行け!」
ギルバートは両手にタリアとユーゴを抱えて走り、屋敷の屋根まで一気に飛び上がった。
そしてオリヴァーに言われた通り、裏口の方へと降りていった。
タリアが移動したことで、人型魔獣はまた方向を変え、屋敷の壁をよじ登ろうとしている。
オリヴァーとリアムには見向きもしないので、二人は反撃を恐れることなく人型魔獣に攻撃を加えていた。
ユーゴにしがみついてその様子を見ていたタリアは、ユーゴにも完全防御魔法をかけてみた。
「なんで……」
しかし、オリヴァーの時と同様に、魔法が発動しない。
完全防御魔法だけではない。ただの防御魔法も、回復系魔法も全て発動しない。簡単に視えていたはずの魔力でさえも、少しも視えなかった。
「なんで……なんで!」
「タリア、落ち着いて……こんな非常事態です」
「でも、こんな時なのに!」
「気が動転していれば、魔法も上手く発動できません」
この世界の魔法に必要なのは想像力だ。防御したいという強い意志。治癒したいという強い意志が必要だった。
こんな非常事態に遭遇したのが初めてであれば、魔法が発動できなくて当然だと、ユーゴはタリアを諭す。
タリアは唇を噛み締め、拳を屋根の瓦に叩きつけた。
戦闘に向かないタリアの能力では守られることしかできない。それでもせめて十分という短い時間だけでも戦いの補佐くらいはできると思っていた。
しかし実際にはなんの役にも立てなかったことが悔しい。
そんなタリアの肩をユーゴはそっと抱く。
「人型魔獣を見るのは初めてですね?」
「……はい」
「どうして人間が人型魔獣になるのかはわかっていません。ただ、魔力の暴走状態にあって、人が魔獣化するとどういうわけか攻撃力も防御力も上がって、手がつけられない状態になります」
「さっき、二人掛かりでも時間稼ぎしか出来ないって」
「一般的に、人型魔獣の活動時間は三十分程度だと言われています」
「その時間さえどうにかできれば」
「これまで龍脈にこれほど近い場所で人型魔獣が確認されたことはないのでなんとも言えません。魔獣同様、常に魔力が枯渇状態なのかと」
龍脈の近くにある街には魔獣対策の高い壁が設置されている。それは龍脈の力を求めて魔獣が集まってくるからだった。
街の外でさえ三十分程度の活動時間を持っているのに、龍脈にほど近いこの貴族の区画でどれほど活動できるのかは未知数。
「時間だけでなく、彼が防御魔法の適正者であることも、聖騎士見習いになれる程度に潜在魔力が多いことも厄介なんですよ」
人型魔獣に特殊魔法の適正があると、それでなくとも高い攻撃力や防御力が上がる。
人型魔獣には高い自己治癒能力があって、怪我も瞬時に回復してしまうが、大量の魔力を消費するので怪我をさせればさせるほど活動時間が短くできる。その点でいうと、回復系魔法の適正があっても怖くはない。
しかし防御系魔法の適正に関しては一番厄介だと言われていて、攻撃をしても殆ど効かないので回復の機会が少なく、戦いが長引くことになる。
潜在魔力の量は人それぞれ違うもの。体内の魔力を溜め込める器の大きさが人それぞれだということで、防御系魔法の適正者で例えるならば何人に防御魔法をかけられるのか。持続時間の量にも関わってくる。
「長い戦いになるってことは間違いないですね」
国で一番強いと言われている聖騎士。その見習いは後の聖騎士とも言える。魔力を溜め込める器が大きく、龍脈という魔力の供給源がそばにある。
自己回復を何度もさせれば魔力の消費を速めることができるのに、防御に特化しているために攻撃が通じない。ということだった。
「何か策はないんでしょうか。無策で、ただこちらの体力を奪われるだけのような気が」
「あちらが防御魔法を使っているということは、魔力は消費されているということです。でも、無策に近いですね」
人型魔獣は攻撃を受ければ防御をする。その際にも魔力は消費するので、延々と人を襲い続けるというわけではない。回復させた方がより魔力の消費を速められるが。
「あっ、オリヴァーさんが何か思いついたようですね」
攻撃の手を休めることのなかったオリヴァーとリアムが数秒だけ攻撃をやめて何かを話した。
再び攻撃に戻ったので、何をしたのかと下を覗き込んだユーゴとタリア。
人型魔獣は右腕を切り落とされていた。
「何が起こったんですか?」
「うーん……無効魔法が効いたのかも」
「なるほど……」
魔力が暴走状態の人型魔獣は大量の魔力を使い、肉体を強化し、防御している。
無効魔法でその魔力を乱せたら、少しの間、無防備になる。そこを狙って攻撃をすれば、確実にダメージを与えられるということになる。
「でも、かなり危険ですね。今はタリアに夢中なので攻撃もできますが、魔力が少なくなると手近なものから魔力を奪おうとする」
「そのうち、オリヴァーさんたちを襲うってことですか?」
「体のどこからでも、触れた場所から相手の魔力を奪うんです。これから先、無効魔法はかなりの危険を伴いま……」
(え? なんで……ユーゴから剣が……)
突然のことだった。真下で行われている戦いの行方を気にしながら話している中、ユーゴの胸から鋭利な剣の先が現れた。
「ユーゴ!」
「リアム! 迂闊に動くな!」
ユーゴがゆっくりと膝から崩れ、屋根を転がり落ちていく。
屋根に飛び上がったリアムが、屋根から落ちそうになったユーゴを抱きとめた。
「リアム! 後ろだ!」
リアムの背後に黒い影が通り過ぎ、首に短剣を刺して消えた。
「タリ、ア……逃げ……」
タリアに手を延ばしたリアムが、ユーゴと一緒に地面へと落ちていった。
タリアはただ、呆然とその光景を見ていた。
何が起こっているのか全く分からなかった。
「英雄殿、この女の子には手出しはせん! 安心して戦ってて良いぞー」
聞き覚えのない女性の声に、タリアはゆっくりと首を動かした。
いつのまにか隣に、見知らぬ女性が立っていた。
この世界の人間ではない。そうとしか思えなかった。
歪みのない、腰まである長い黒髪に黒い瞳。何より、着物を着ているのだ。
「貴女は……」
「さて、残るはあの英雄殿だけじゃな」
貴女は誰? そんな質問をしようとしたタリアを現実に引き戻した一言だった。
今、目の前でリアムとユーゴが刺された事実を受け入れることができすにいるタリアに、現実を突きつけるような言葉だった。
「っ、ユーゴ! リアム!」
「おい、危ないぞ?」
屋根から落ちた二人の安否を確認したかったタリアだったか、黒髪の女性に手を引かれて止まった。
「離してください!」
「さっきの双子ならもう死んでおる。あの傷では助からん」
(そんなの……分かってる!)
タリアは言葉を返す代わりに、黒髪の女性を睨みつけた。
ユーゴは心臓付近を刺され、血を吐いていた。リアムは頚動脈を刺され、大量の血が吹き出していた。
どちらも致命傷であることを、タリアはよく理解していた。
「貴女なんですか?」
「何が? 双子を殺したことか? それとも、裏から出てきた八人を殺したことか?」
「……え? 八、人?」
「男が三人、女が三人。子供も二人いたな」
「まさかっ……」
タリアは両手で口元を押さえ、その場に膝から崩れ落ちる。
裏から出た八人とは、ジェームズ一家三人と、リアムとユーゴの妻子。そしてギルバートだ。間違いなく、男が三人と女が三人、子供が二人。
その八人を殺したと、黒髪の女性は平然と口にした。
「どうしてっ……」
「助けてくれる仲間もなく、あの英雄殿はあとどれくらい持つのか」
「どうしてこんなことするんですか! 貴女は誰? 何が目的なんですか!」
「のう、大切な人に魔法はかけられたか?」
「は?」
「誰かに魔法をかけてみたか? ちゃんとかかったか?」
タリアの質問には答えてくれない。しかしタリアには質問に答えさせようとしてくる。
タリアは黒髪の女性の質問に、無言で答えた。歯を食いしばり、睨みつけることしかできなかった。
「ほっほっ、そうかそうか。ならば殺した甲斐があったというのもよ」
「……一体なんで」
黒髪の女性の手がタリアの両頬を包む。
「愛いのー。そなたは最後の希望かもしれぬ」
目を細めて微笑むその女性からは愛おしさがにじみ出ているようだった。
タリアの大切な人を無残に殺しておきながら、なんの悪意も感じさせない表情だった。
「そなたは中途半端ではあるが、スティグマータの乙女。間違いない」
「何を言って」
「力は誰よりも強い。しかし大切な者は救えん。それがスティグマータの乙女の枷」
「どうして……貴女にそんなことが」
「我もスティグマータの乙女と呼ばれていた……おや、そろそろ英雄殿も限界のよう」
女性が離れ、下での攻防に目をやった。タリアも自然と視線が移動していた。
「っ、オリヴァーさん!」
「これこれ、あまり興奮するでない」
屋根から身を乗り出して叫んだタリア。黒髪の女性はタリアが落ちないように服を引っ張っていた。
オリヴァーは一人、人型魔獣と戦い続けている。人型魔獣がタリアだけに向かってくれていれば楽だったろうが、今は完全にオリヴァーにしか向いていない。
その強烈な攻撃にオリヴァーは防戦一方になっているし、タリアが目を離している隙に左腕に大火傷を負ったようで黒く焼け焦げ煙が立っていて、動かせないようだ。
ギルバートが人型魔獣になりかけた際には熱が体から吹き出し風を起こしていた。
本物の人型魔獣の周囲に熱風は起こっていない。しかし怪我をした箇所を自己治癒しているのか、その部分からは激しく湯気が上がっている。片腕を切り落とされたままなので、切り口からは大量の湯気。体内には高温の熱を溜め込んでいて、他者が人型魔獣の体内に触れると大火傷を負ってしまうようだ。
「……教えてください。なんでこんなことをするんですか」
「そなたには覚醒してもらわねばならん。それに必要なのが、絶望。そうそう……魔獣となった男はな、そなたのことが好きだったそうだ。いつも遠目に見ているだけではあったが、相当悩んでおった。もし自分にもっと強い力があれば隣に並べたかもしれないと。そなたに会えなくなるのが怖くて、聖騎士になるための実践に行けなんだと泣いておった。そこに我がつけ込んだわけだが……」
「そんな……」
「あの男があんな姿になったのも、大切な人が全員死んでしまうのも、ぜーんぶそなたがスティグマータの乙女故に」
「私はスティグマータの乙女なんかじゃない!」
「いいや。間違いなく本物だ。そうでなければ我が未来を予知してここに来ている理由にならん」
「……未来を、予知」
「一年前、あの英雄殿の未来をたまたま見てな。そなたが覚醒した姿に興奮したぞ? 今日という日をどれだけ心待ちにしていたか。のう、せめて英雄殿くらいは助けたいとは思わんか」
「助け、られるの?」
「願え。力が欲しいと。大切な人を救える力が欲しいと願え」
助けたい
助けたい
助けたい
この身で、オリヴァーさんを助けられる力が欲しい
願って力を手に入れられるなら、いくらでも願う
私が本当にスティグマータの乙女であるというなら、それに相応しい力をーー
代わりに何を差し出せと言われても構わないから
誰でもいい
神様でも悪魔でもなんでもいいから
どうか私の願いをーー
「いい子……我は人々を滅ぼす魔女。我を憎め」
いつの間にかタリアは横たわっていた。
その頭に手を載せ、自らを魔女と呼ぶ女性は囁く。
「そなたが来るのを五年だけ待つ。来なければ、人型魔獣を大量にこの世に放つ。この世界から全ての人間が消えることになるぞ」
意識が保てなかった。開ききらない瞼。曖昧になっていく視界。次第に目を開けていることさえできなくなった。
「過去に二人、スティグマータの乙女が我を殺そうとして失敗した。そなたに、失敗は許されないと肝に銘じろ」
耳も、少しずつ機能を失っていくようだった。
「もう二度と、大切な人を失いたくないのなら……我を、殺しておくれ」
聖痕の乙女 完




