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龍の愛し子 ー 聖痕の乙女と魔女 ー  作者: 月城 忍
第1章 聖痕の乙女
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聖痕の乙女 第14話

 

「準備は整った! あとは夜を待つだけだ!」


 祭りの最終日。

 休んでいいと言ったのに、フィオナは朝、いつも通りの時間にやってきた。その上、タリアの朝食を持って。

 せめてこのくらいは、というフィオナから朝食を受け取って、これ以上仕事したら口をきかないと脅してやっと祭りに向かわせた。


 朝食を食べたタリアは探索も兼ねて研究棟へと向かった。

 居住区にある研究棟は三つ。それぞれが攻撃系魔法、防御系魔法、治癒系魔法の研究施設兼、研究員の住居となっている。

 王宮で働く貴族の住居になっている中央や西の塔とは根本的に違うようで、食堂は高級レストランのようではなく、入り口でお金を払い、バイキング形式で好きなものを取り、好きな席で食べ、食べ終わった食器を自分で洗い場に持っていくという食堂らしい食堂だった。

 店舗の種類もいろいろで、洋服を売っている店が数軒。生活用品を売っている店や、研究に必要な道具を売っている店もある。

 塔によって売っているものが異なっていたりもするので、夕方まで時間を潰すにはちょうど良かった。


 タリアは目的のものを買い揃えて自室へと帰り、町娘のような服に着替え、ウィリアムが来たらマントも着る準備を整え、夜を待つ。


 ウィリアムは完全に日が沈んでからやってきた。


「はは、準備万端だな」

「もちろんです! ねー、お祭りに食べる物って売ってますか?」

「選ぶのが大変だと思えるくらいには」

「やったっ! 夕飯食べずに待てって正解でした!」

「じゃ、行くか」

「はい! って、屋上?」


 ウィリアムはなぜか、タリアの部屋の階段を上る。


「いいから、ついて来い」


 言われるままにタリアはついて行くが、屋上は侵入者を防ぐために出入り口はタリアの部屋からの一つしかなかった。


「今からすこし危険な方法で脱出するが、声は出すな。絶対に」


 そう言いながらタリアにマントのフードをかぶせたウィリアムは楽しげだった。

 タリアが頷いて、ウィリアムもマントのフードを被る。そしてーー


「わっ!」

「声を出していいのはここまでだからな」


 軽々とタリアを抱き上げたウィリアムは、そのまま壁の上へ飛び上がる。


「怖かったらしがみ付いていいから」


 そう言って、空中に一歩踏み出した。

 思わず、タリアはウィリアムに抱きつく。落ちると思い、ぎゅっと目をつぶって体を強張らせた。


 しかし、落ちてはいない。

 タリアが目を開けると、ウィリアムは空中に浮いていた。


「走るけど、大丈夫そうか?」


 一体何がどうなって空中に立っているのか。その説明が欲しかったが、それは後でゆっくり聞かせてもらおうと、タリアは頷いた。


「ん。そのまましっかり掴まってて」


 ウィリアムは空中を走り出す。塔の屋上から真っ直ぐに。

 王城を囲む柵も、貴族の区画の屋敷の屋根も関係ないほどの高さを保って。


 程なく貴族の区画を抜け、灯りの少ない民家の路地に降り立った。


「もう、声を出していいぞ?」


 ウィリアムはゆっくりとタリアをおろし、タリアはウィリアムの服にしがみつくように、驚いて乱れた息を整えた。


「なんで、空中を歩くなんて」

「攻撃系の部分障壁の応用」

「そんなこともできるんですね」


 敵の攻撃から身を守るための、攻撃系魔法の適正者にしか使えない障壁。その中でも戦闘中の必要な時に、部分的に障壁を出し、直ぐに消すという部分障壁は聖騎士の攻撃系魔法の適正者であっても日々の鍛練を必要としている高等技術だ。

 ウィリアムはそれを自分の走る速度、歩幅に合わせて使っていた。


「さも簡単そうに使ってましたけど、かなり難易度高そうですね」

「今のところ、私だけ、かな」

「オリヴァーさんは?」

「先日思いついて試しにやってみたら出来たって感じで、オリヴァーさんが使えるかどうかは知らない」

(なんだ、ただの天才か……苦労知らなそうでムカつく!)

「それより、ここから先はこれを」


 そう言って、ウィリアムが差し出したのは額から鼻までを隠せる仮面だった。


「これをつけるんですか?」

「聖騎士に見られないように」

「でも、マントでこんなのつけてたら怪しまれませんか?」

「それは大丈夫。今から行くのはマスカレードと呼ばれている祭りで、参加者は全員、仮面をつけている」

「へー! 私たちにはちょうどいいお祭りですね!」


 マスカレードは豊作を祈願する祭りで、明るいうちは子供から大人まで参加できるが、暗くなってからは大人のみが参加できるというもの。

 三日間ある祭りの最終日にのみ行われる、一番盛り上がる祭りの一つだった。


 この世界には電気やガスがないので街灯がない。街は夜になると暗くなるので、出歩くときはランタンを持ち歩く。

 しかしこの日は民家の軒先にランタンが並び、出店にもランタンが並んでいる。広場にはいくつもの松明があるので夜でも街並みがよく見える。

 いつもの街並みと違う顔を見せる祭りの景色。

 ウィリアムの言っていた通り、食べ物を選ぶのに困るほどの出店が並び、他にも装飾品や武具を売っている店など、多種多様な出店があったので、タリアの心は弾むばかりだった。


 タリアはまず、一番心惹かれたものを買って食べることにした。


(幸せー。買い食い、立ち食いでこんなに幸せなのって……私、やっぱり庶民なんだなー)


 そんなことを思いつつ、二品目以降は計画的に食べなければとも思う。満腹の時に「これ、絶対に食べておきたかった!」という後悔をしないために。


「なんだ? 難しい顔して」

「食べたい物が多すぎてどれから食べようか迷っているのと、私の胃袋がどこまで欲求についてこれるのかなーと」

「意外と冷静なんだな。もっと興奮そのままに動くものかと」

「だって次は二年後でしょう? 今日、後悔すると二年間引きずることになりそうで」

「食べ物に二年間も? それなら、タリアが食べたい物を半分貰う。倍の種類が食べられることになるし」

「わかりました。ウィルが残飯処理をしてくれるってことで」

「言い方!」


 出店は広場に向かって通りの両側に立ち並んでいた。広場に近づくほどに人で賑わっているので、ウィリアムはタリアの手を取った。

 祭りの参加者は仮面をつけていたり、つけていなかったり。とにかく人が多く、逸れては仮面にマントのお互いを捜すのは困難だと思い、タリアは手を振りほどかなかった。


「ウィル! あっち! あの店が見たいです!」


 興味がある店を見つけると、大声で喋っても声が届かないのでタリアはウィリアムの手を引っ張って合図。

 ウィリアムは耳を寄せてタリアの要望を聞き、指差した方向へ人混みをかき分けて目的の場所まで進む。


 それを何度となく繰り返し、その場で食べることも難しいほど混み合っていたので、二人は落ち着いて食べられる場所を探していた。

 気がつくと少しずつではあったが人が減っていた。


「少し、歩くのが楽になりましたね」

「これからどんどん減ってくはずだ」

「なんだか、仮面の人達ばかりになってきた気が」


 現在時刻は午後十時半。祭りは日付が変わると同時に終了するのだが、午後十一時以降は仮面をつけている人しか参加できないということだった。


 広場の噴水の周囲に座れる場所があり、二人はそこで落ち着いて戦利品を食べることにする。


 広場では特設の舞台で行われていた劇が終了し、代わりに音楽隊が準備を始めていた。


「いよいよ、最後の準備をしてる」


 祭りの締めくくりは音楽と、仮面さえつけていれば誰でも参加することができるダンスだった。

 軽快な音楽が広場に響き、舞台の前には人が集まって踊り始める。

 タリアがカーラに教わった社交界用のお上品なものではなく、みんなそれぞれ好きなように踊っていた。

 リズムに合わせて踊り狂っている人もいれば、ペアになって踊っている人もいるし、集団で輪になって踊っていたりもする。

 全員が様々な仮面をつけているので、かなり怪しげな光景ではあった。

 しかし参加者は本当に楽しそうで、食べながら見ているだけのタリアも楽しくなっていた。


「祭りは楽しめた?」

「ええ、とても。音を聞くだけでは、こんなお祭りだなんて想像もしてませんでした」

「このマスカレードは人気で、社交界でも時々やるらしい」

「このお祭りの方が先なんですか?」

「そう。そして、この祭りの最後には仮面をこの場に捨てるのが習わしなんだ」

「わっ! その前に帰らないと!」


 タリアは慌てて時計を見た。午後十一時を少し過ぎたところだった。


「心配はない。十二時になったら、広場の灯りが全て消される」

「真っ暗になっちゃいますね」

「それが狙いだ。だから祭りはこの時期の月のない晩に行われる」


 この世界の月は二十八日周期で満ちては掛ける。タリアが前にいた世界と同じく、満月の夜もあるし、新月の夜もある。

 今夜は新月。月が見えない夜。

 日付が変わるとともに、祭りが終わり、広場の灯りが消される。


「さてと」


 タリアの食が止まるのを待ち、ウィリアムが立ち上がった。


「一緒に踊っていただけますか?」

(ほんと、自分の魅せ方をよく知っていらっしゃること)


 ウィリアムは少し頭を傾けて口角を上げ、タリアに向かって手を差延べた。

 仮面のせいで口元しか見えないが、それでも顔の造形の良さが十分にわかる。

 仮面の目の部分から覗く目は少しだけ細くなり、長い睫毛を強調していた。


「仕方ないなー」


 タリアはウィリアムの手を取って立ち上がった。断る理由は考える必要などなく、誘われるまでもなくタリアは踊りの輪の中に入ろうと思っていた。


「でも私、社交界用のダンスしか知りません」

「私もだ。まぁ、適度にクルクル回しておけばいいのかと」

「あははっ、クルクルって」


 手を繋いで踊っている人の群れの中に入った二人は、見様見真似で踊り始めた。

 次第に周囲を気にすることも忘れ、好きなように体を動かす。


(やばい、頬痛くなるくらい楽しいっ!)


 タリアには自然と笑顔が溢れていた。楽しくて、笑顔から別の表情を作ることができない。

 ずっと上がりっぱなしの口角のせいで頬の筋肉がつりそうな感覚まであったが、それでも楽しくて笑う事をやめられなかった。


 ウィリアムも珍しく、大口を開いて笑っている。楽しいのは自分だけではないのだという感覚もまた、タリアの楽しさを増幅させているようだった。


 二人は時間が経つのも忘れて踊っていた。


 すると、急に曲調が変わった。スローテンポのワルツ。ヴァイオリンがメインの情緒あふれる音楽が辺りを包む。


「これ、多分ラストダンスだ」

「そっかー、終わっちゃうんですね」


 二人は周囲を真似て体を寄せ合い、今度はゆっくりと踊る。

 タリアはウィリアムのリードに身を委ね、動きに合わせる。


「通りの灯りが消えてますね、いつの間に……」

「この広場の灯りも」


 先ほどまで屋台を照らす灯りで溢れていた通りが真っ暗になっている。

 人も、この広場にしかいなくなってしまったようで、広場の松明は徐々に消され始め、音楽隊のいる舞台の周辺を照らすものだけが灯されている。

 祭りが本当にまもなく終わってしまうのだと、初めて参加したタリアであっても理解できた。


 タリアはウィリアムの胸に額を当てて、目を閉じる。

 ウィリアムのリードは優しくて、少し強引な時もある。わかりやすくて、スローテンポでなら目をつぶって全てを任せても平気だと思えた。


「楽しかったー。ウィル、今日は本当に連れてきてくれてありがとうございました」


 ウィリアムは何も言わず、そのままステップを続けていた。




 突然、音楽がやむ。動きを止めたウィリアム。タリアが顔をあげると、驚くほどに真っ暗だった。

 周囲ではカランとした乾いた音が聞こえる。皆、仮面を外しているのだ。

 見えはしないが、ウィリアムも仮面を取ったようなので、タリアも仮面を外す。


「タリア、上を」

「……星がっ」


 灯りが消され、月はなく、頭上には満点の星空があった。

 そこに黒い影が落ちてきた。


(え? これって……キス、されて……)


 ウィリアムの大きな手が、両方ともタリアの顎から後頭部までを包み込んでいる。

 二人の唇が重なり、熱を共有する。


「嫌がるかと思ってた」


 数秒間、触れただけの唇は離れた。しかし今にもまた触れそうなほどの距離で、ウィリアムが話す。


「マスカレードはいろんな縁を結ぶ為の祭り。ラストダンスに参加できるのは男女のペアだって、気づいてた?」


 先ほどのキスに驚き、タリアは言葉を発することも、瞬きさえも忘れてウィリアムの影を見つめていた。


「ラストダンスが終わると同時に仮面を外してキスを。そしてそれぞれどこかで結ばれる。それがこの祭りなんだ」


 目が慣れてきて、暗闇の中でもウィリアムの輪郭を捉えられるようになった。


「結ばれるって……」

「自分の家のベッドか、宿か。それともその辺の路地ってことも」


 周囲から笑い声が聞こえ、それが離れていく。男女が結ばれるために、動き出しているのだ。


「タリアが望むなら、この祭りに最後まで便乗しても構わないんだけど?」

「こんなの……困ります」

「それは残念だ。満足させる自信はあるんだけど」

「わっ! なにを」

「帰るだろ? 部屋までちゃんと届ける」


 タリアを抱き上げたウィリアムは、暗闇の中でも構わず走った。

 タリアには何も見えていない等しいのだが、ウィリアムには攻撃系魔法の身体強化がある。目に使えば暗闇でも昼間のように見えていた。


 王城を脱出した時のように、ウィリアムは部分障壁を使って城下町の上空を通り、タリアの部屋の屋上へと向かう。

 その間、タリアはウィリアムの服に捕まりながら、ずっと黙っていた。




 大庭園はいつもよりかなり控えめに松明が灯され、その光は上空を進む二人までは届いていなかった。


 王城へと到着し、地面に降ろされたタリアはウィリアムを押しのける。

 タリア一人では帰って来られなかったので大人しくしていたが、帰ってきてしまえば大人しくしている必要もない。

 しかし押しのけた腕を掴まれ、その指先にウィリアムはキスをする。


「本当は、帰したくない」

(そんな綺麗な顔で、そんな言葉を吐かないで欲しい……)


 指先に唇を当てたまま。

 少し屈んだウィリアムの視線は、タリアの視線と同じ高さにあった。


「困ります。ウィルだって困ることになるんじゃないですか?」

「それは、タリアには婚約者がいるからって意味?」

「ええ」


 ウィリアムは背筋を伸ばしたものの、タリアの手を離す気はない。その手を自らの頬に当て愛しむように、今度は掌にキスをする。


「それなら、少しも心配はしてない」

「少しもって」

「第二王子とタリアの婚約は形式的なものだって知ってるから」

「……なんで」

「しかも、婚約の儀も実際にはやってない。この一年、会うどころかお互いに連絡すら取っていないことも知ってる」

「なんで……」

「第二王子とは幼馴染のようなもので、本人から直接聞いた」


 タリアの手はウィリアムの口を塞ぐように置かれたまま。

 ウィリアムの真っ直ぐな視線から、タリアは目を背けることができなかった。


 ウィリアムは幼少期からその髪のせいで王城に保護された。

 年齢の近い第二王子と並んで勉強をし、オリヴァーから剣術を習っていた。


 第二王子の婚約者であることが形式的なものであることを、タリアは誰にも言ったことがない。タリアの周囲で知っているのはオリヴァーだけだと思っていた。

 それがウィリアムの口から出たことも、ウィリアムと第二王子に個人的なつながりがあったことにも驚くタリアは言葉を失った。


「第二王子がレオを離れるまであと一、二年はあると思って、タリアのことは焦らずにゆっくり時間をかけようと思っていたんだけど、そうもいかなくて。オリヴァーさんが帰ってくる」

「……え?」

「一時帰国するらしい。もしかするともうレオに入っているかも」

「なにそれ! 聞いてない!」

「教えなかったからな」

「なん、で……」

「今日、タリアを独り占めするため」


 タリアが祭りを知った頃、ウィリアムの元にはオリヴァーの一時帰国の情報がもたらされていた。しかし、タリアにそれを伝えては、祭りにはオリヴァーと行きたいと望むだろう。

 だからウィリアムはオリヴァーの帰国をタリアに伏せることにした。

 聖騎士団が街の警備に駆り出される祭り期間、タリアが外出できるとすればウィリアムの協力が絶対に必要だから。


 タリアが祭りに行きたいと言ってきた時には、計画を実行に移そうと決めていた。

 まず、連れていくのはマスカレード。仮面はウィリアムが祭りで遊んでいるのを聖騎士に見られないためにも必須だったし、その祭りの趣旨が縁結びであることも好都合だった。

 ラストダンスまでタリアを帰さずにいられたら、暗がりでキスくらいならできるかもしれないと。


 オリヴァーが帰国すれば、タリアがウィリアムそっちのけでオリヴァーにべったりになるだろうことは予測できていたし、そうなる前にタリアにはウィリアムに対する意識を変えてもらいたい。

 そう思ったからこそ、あらかじめ仮面を用意し、タリアから祭りの誘いが来るのを待っていた。


「タリアが自らの意思で……こんな風に私に触れてくれるようになれば、こんな回りくどいことはしなかったかもしれない」

「なんで……私なんですか。女性なら他に沢山いるでしょう」

「どんなに女性がいても、タリアがいい」

(心臓が……壊れそうだ)


 タリアの腰に回された手。


「以前ここで一緒に演奏をした夜から」

(もう、やめてっ)


 一歩だけ、近づく距離。


「この人とずっとこうして居たいと」

(これ以上は聞いちゃダメだっ)


 タリアの手が解放された代わりに、今度はウィリアムの手がタリアの頬に触れる。


「出来ることならこれから先もずっと、一番近くで見ていたいと思ってた」

(でもこの人を……傷つけたくない)


 ふっ、と表情を崩したウィリアムは、頬を撫でていたその指でタリアの眉間に触れた。


「そんな、困り果てた目で見るな」


 目の前に指が迫っていたので、タリアは反射的に目を閉じていた。

 それを狙っていたウィリアムが再び唇を重ねる。


(あ! また! って、今度は舌もかよっ!)


 今度は深く。


 流石に今度は抵抗をしたタリアだったが、腰を抱かれ、頭を手で押さえつけられ、どんなに力を込めてウィリアムを押し返そうとしても無駄だった。


「やっ……」


 嫌だと声に出そうにも、ウィリアムの舌がタリアの舌を翻弄し、言葉にならないくぐもった声しか出ない。


(苦しいっ……キスがこんなに苦しいなんて知らないっ!)


『タリア』の体で味わう初めての激しいキスに、タリアは無駄な抵抗をしつつ堪えるしかなかった。


(鼻だ! 鼻で息しないとっ!)


 酸欠で頭に痺れるような感覚が迫ってきて、思い出したように鼻で呼吸をし始めたもののーー


(ふあっ! ぞわぞわするっ!)


 頭に廻されていたウィリアムの手が耳を撫で、くすぐったいような感覚に思わず触られた耳側の肩が竦む。

 腰に廻されていた手が背中をなぞり、触れられた場所から頭に、つま先に向かって電気が走るような感覚に思わず両手を握りしめていた。


(あ、終わっ……ほわっ!)


 キスは止んだ。しかし頬と頬が擦り合った直後、耳にキス。


「耳、弱いんだな」

「〜〜っ、弱くて悪かったですね!」


 腰の拘束も頭の拘束も無くなっていたので、限界まで仰け反ったタリアは思い切りウィリアムの顔を引っ叩いた。

 叩かれたウィリアムの動きが停止したので、その隙に突き飛ばし、素早く後方へ退がる。

 しかし酸欠で足が絡れ、勢いのまま壁に背中を強打。そのまま座り込んでしまった。


 ウィリアムの動きに警戒しながらも息を整えるタリア。

 ウィリアムは叩かれた頬に手を当て、驚いたような顔でタリアを見下ろしていた。


「……悪い。理性がぶっ飛んだ」

「謝るくらいなら飛ばすな!」

「想像してた以上に、タリアが可愛い反応するから」

「私のせいにすんの!」

「いや、こんなつもりじゃ」

「だったら、どういうつもりでキスなんて」

「……至近距離で見つめられたから」

「はぁ? 至近距離で見つめられたら誰とでもキスしちゃうんですか、貴方は!」

「違う! 好きな女を目の前にしたらそりゃしたくなって当然だろ!」

「今度は開き直りですか!」

「ああ、そうだ! 開き直りだ!」


 睨み合い、怒鳴り合っていたのだが、突然、ウィリアムはその場に座り、胡座をかいた膝に肘を載せ、手で目元を覆って深くため息をついた。


「……本当に悪かった。今日はただ、私が本気でタリアを好きだと伝えるだけのつもりでいたんだ」

「なら、祭りに便乗してのキスは?」

「あれくらいなら許されるかと」

「あれくらいなら無かったことにできたのにっ」

「それは困る」


 タリアの言葉に勢いよく顔を上げたウィリアムの目が真剣だったので、タリアは言葉に詰まった。


「謝ったのも撤回する。無かったことになんてされてたまるかっ」

「嫌。撤回なんてさせない」

「これ以上、私の気持ちを無視するのはやめてくれ」

「無視だなんて」

「してただろ、実際。私の気持ちに気付いてて、ずっと知らないフリをしてたんだろ?」


 タリアは何も答えなかった。ウィリアムの言う通りだったから。

 ウィリアムに向けられているものがタリアへの興味なのか、好意なのか分かりはしなかったものの、どちらにせよ気付いていることに気づかれたら面倒だと思って気づかないフリをしてきた。それは無視と同意の行為だった。


 だからこそ、ウィリアムの口から直接想いをぶつけられて困っているのだ。


(だって、タリアと私は違うもの……タリアはウィルが好きなのかもしれない。でも私は……)


 タリアの体を借りているだけ。そう思っている永峰 茉莉子は、借り物の体で恋など出来ないと思っていた。

 結婚なんて以ての外。


 永峰 茉莉子の言っている「タリアはウィルが好きなのかもしれない」は、永峰 茉莉子の価値観が強く影響してでた言葉だった。


 人間の感情は脳内ホルモンの分泌の影響下にある。

 喜怒哀楽も、人の好き嫌いも、全ては脳内ホルモンが引き起こす反応でしかない。

 人それぞれ好きな人が違うのも、脳が違えばホルモンの分泌も人それぞれなので当たり前のこと。

 好きな人を前にして心臓が高鳴ったりするのも、脳が好きだと判断し、それに相応しいホルモンを分泌させ、その結果、好きだという感情が生まれる。


 そんな価値観の持ち主だからこそ、体と心が別人の今、体がどんなにウィリアムを好きだと反応しても、心が付いてこない。


 そんな中途半端な状態ではあるが、いつかは体をタリアに返す時が来る。

 その時にウィリアムが傍にいればタリアが喜ぶのではないかと思うから、できればウィリアムを傷つけるような真似はしたくなかった。


「そんな難しい顔をするな。ただ、私が本気だと知ってくれればいい」

「……それはもう、充分に」

「そうか」

(自分ばっかりスッキリしちゃって)


 ウィリアムがホッとしたような表情を見せるので、タリアは自分ばかりが悩まされていることに不満を感じた。


「正直に言うと、今すぐにでも抱きたい」

「……真顔で言うのやめてください」

「そんなこと言ったって、私自身、理性が消え失せることが初めてでびっくりしてて」

「わー、初体験。良かったですね」

「茶化すなよ」

「真面目に聞く気ないですもん」

「ったく、さっきまでは最強に可愛かったのに」

「すみませんねー。これが平常です」

「キスぐらいで鼻声の『や』とか」

「ぎゃーーー!」

「無意味な抵抗とか」

「言葉にしなくていい!」

「耳が弱いとか」

「もー、やめて!」


 聞いていられなくて、タリアは膝を抱え、両手で耳を塞ぐ。


「弱い部分をもっと攻めたらどうなるのか見たいから、抱きたい」

「もうっ、そんなの私に言わないでっ! 他の女性に言ってあげてください!」

「こんなの、タリアにしか言わない。タリアだから言ってる。タリアだから欲しい」

「私、ウィルに好かれるようなことした覚えないんですけど」

「まぁ、扱いは酷いもんだった。最初は他の女性たちと違うので興味を持って、ちょっかい出すとその反応が面白くて……いつの間にか好きになってた。自覚したのはあの、ここでの夜。あの時は先に抱きたいって欲求が来て」

「えっ! あの時も?」

「そのままこの下のベッドに連れ込もうとしてやめた」


 そんなことしようとしていたんだ。油断も隙もあったもんじゃない。と、タリアは思った。


「でもまぁ、今日のところは引き下がる」

(今日のところは、って……)



 ウィリアムが急に喋るのをやめたので静かになった。


 顔を伏せたままだったタリアは、やっと顔を上げてウィリアムを見るとーータリアが顔を上げるのを待っていたかのように胡座のまま、膝で頬杖をつく笑顔のウィリアムがいた。


「少しだけ待つ」

「……何を?」

「タリアが、私を好きになるのを。抱くのはそれから」

「……好きにならなかったら?」

「無理矢理にでも抱くかと」

「それって……なんにせよ、私を抱くってことなんじゃ」

「そうだな。無理矢理が嫌なら早く私を好きになればいい」

「ちょっと待って」

「今日で私に堪え性がないとよく分かったことだし」

「ちょっと待ってって」

「早く好きになった方が身のためだな」

「いやいや、おかしいでしょう! 私の気持ちは完全無視?」

「心配ない。一度抱いたら、何度でも私に抱かれたいって思わせる自信がある」

「心配だらけですよ!」

「体の関係から好きになることだってあるだろ」


 唖然とするタリアに、ウィリアムは笑みを深めて立ち上がった。


「明日から、研究室に来なかったら迎えに来る」

「……本気ですか」

「手は出さないから安心していい。あ、来なかった場合、迎えに来たついでに手を出してしまうかも。ベッドもあるし」

(こんなの、ただの脅しじゃん!)


 タリアの反応を楽しんでいるのか、これまでタリアに酷い扱いをされていた腹いせなのか、優位に立てている今の状況を、ウィリアムは心の底から楽しんでいた。


「では、また明日」


 ウィリアムは飛び上がって壁の先端に立ち、そのまま飛び降りた。以前と同じように。


 タリアは壁にもたれていたのだが、そのまま横に倒れこんだ。


「あ……石の床……冷たくって気持ちいい……」


 一難去ってまた一難。


「はーー、星が綺麗……」


 もう何も考えたくなくて、現実逃避に必死だった。





 第14話 完

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