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龍の愛し子 ー 聖痕の乙女と魔女 ー  作者: 月城 忍
第1章 聖痕の乙女
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聖痕の乙女 第12話

 

 サンドラから塗り薬がもたらされてから約二ヶ月。

 ウィリアムとタリアは塗り薬での治癒魔法の研究を続け、量産も可能となり、回復魔法研究棟へと引き継いだ。

 そんなある日。


 タリアは足取り軽く、聖騎士団の駐屯所に向かっていた。

 この日、待ちに待った実験を開始することになっていたのだ。

 攻撃系魔法の身体強化を塗り薬に付与して、思うような効果が得られるのかどうか。治癒魔法はうまく言ったが、攻撃系魔法でうまく行くのかがはっきりする日。

 治癒系魔法で成功しているのだから、攻撃系魔法でもうまくいくはずだと信じ、タリアの心は弾むばかりだった。


(あ! ギルだ! なんで!)


 タリアがいつものように訓練場へ行くと、ギルバートの姿があった。もう八ヶ月以上も見ていなかったその姿に、タリアは嬉しくなる。

 一緒にいるのは副隊長のペニナで、真剣に何かを教わっているようだった。

 タリアはギルバートの後方からこっそりと近づく。タリアを視界に捉えているぺニナと一瞬目があったものの、タリアの意図を汲んで何事もなかったかのようにギルバートとの話を続けていた。

 タリアは距離を縮め、あと数歩というところで駆け出し、勢いそのままギルバートの背中に飛びかかった。


「ギルー! 久しぶり!」

「……タリアか。驚いた」

「全然驚いてないでしょ!」

「いや、本当に驚いてる」

「反応薄いよ!」

「んなこと言われても、びっくりして……」


 本当に驚いてて反応も言葉も失っているギルバートにタリアはご満悦。ギルバートにしがみついたままよじ登ると、察したギルバートが背負ってくれた。


「ギル、そのままあの上まで行ってこい」


 ペニナが指差したのは、訓練所内にある切り立った岩山だった。

 ギルバートは無言で頷き、タリアを背負ったまま走り出す。


「ギル! 速い! 速すぎる!」

「文句言ってっと舌噛むぞ」

「そんなこと言ったって……ぎゃーー!」


 ギルバートは走る速度そのままに、岩山を駆け上がって行く。あっという間に頂上へと到着した。


「うっわ、たっかい……ここを登ったの……一瞬で」

「一瞬は言い過ぎ」

「今の、身体操作と身体強化?」

「ああ」

「すっかり、使いこなせるようになったんだね。今日はなんでここに?」

「知らね。呼ばれたから来た」

「へー、なんで呼ばれたんだろ。ねー、養成学校でどんなことしてたの? 面白い魔法習った?」


 岩山の上で、タリアはしきりにギルバートに話しかけた。背負われたままで。

 ギルバートも、上まで行ってこいという指示は受けた。このまま降りていいものか悩んでいるのだが、ぺニナはいつの間にか現れたウィリアムと談笑している。

 少しくらいなら、とギルバートはそのままタリアに付き合って話をすることにした。



「あれは……ギルバート、でしたか」

「おお、ウィル。来てたのか」

「ええ、今しがた」


 タリアがいるだろうと、聖騎士団の訓練所に来たウィリアムは衝撃を受けた。

 タリアがーーギルバートに飛びかかり、楽しそうにはしゃいでいる姿を見て。


「浮かない顔だな。タリアが他の男と仲良くしているのを見るのはそんなに嫌か」

「……ええ。気に入りませんね。あれくらい、私にだってできるのにっ」

「ははっ、正直だな。タリアは、お前になど興味はないから仕方ない」

「そうはっきり言わないでくださいませんか」

「あーーはっは! ざまーみろっ!」

「……ペニナ副隊長、あんまりです」


 ウィリアムを指差し、遠慮もなくあざ笑うぺニナに、ウィリアムはため息をついた。

 ペニナはウィリアムとタリアが一緒にいるのを初めて見た時から、二人の関係性を見抜いていた。


「そのくらいは思ってもいいだろう。だいたいお前、女なんて少し笑いかければ思い通りになると思ってただろ。違うか?」

「……否定はしません」

「それがタリアには一切通じないどころか、一切興味も持たれていない。こんな面白いことが他にあるか!」

「面白がらないでいただきたい。私は本気で悩んでるんですからっ」


 ぺニナは大声で笑い、ウィリアムの肩を叩いた。


「しかし、なぜタリアなんだ。わざわざ婚約者のいる相手を好きになるなんて」

「好きになってしまったものは仕方ないじゃないですか」

「他に寄ってくる女はいくらでもいるのに、辛い恋を選んだもんだな」

「選んだわけではないです。ただ……これが恋なのだと、教えてくれたのがタリアだったというだけです」


 タリアを背負ったギルバートが戻ってきて、ウィリアムとペニナは話すのをやめた。

 そのかわり、ウィリアムはタリアを指差した。


「それを私にも貸していただけませんか?」


 それはギルバートに向けた言葉だった。ギルバートは頷いてタリアを下ろそうとしたのだが。


「ダメ!」


 タリアは降りることを拒むようにぎゅっとギルバートにしがみつく。


「ウィルに貸すと壊すからダメ! ウィルのせいで何回リアムが怪我したと思ってるんですか!」


 ギルバートに背負われて楽しそうにはしゃいでたのを見て、羨ましく思ったウィリアムはギルバートと交代がしたかった。

 しかしギルバートを借して欲しいのだと勘違いをしたタリアは、激しくウィリアムを拒絶。


「ギルもこの人と手合わせしちゃダメだからね! すぐ手加減間違って相手に怪我させるんだからっ!」


 やっとギルバートの背中から降りたタリアは、ギルバートを庇うように立ち、ウィリアムを睨みつける。

 そんな状況にぺニナはまた大笑いして、ウィリアムの肩を豪快に叩く。


「ウィル、同情くらいはしてやろう。タリア、安心していい。流石に学生とウィルを手合わせはさせん」


 ぺニナの言葉にやっと安心して、タリアは威嚇をやめた。


「それに今日は合同訓練だし、その前に怪我をされても、な」


 ギルバートが聖騎士団の駐屯所に呼ばれたのは、聖騎士見習いと聖騎士養成学校の学生を集めて、聖騎士団との合同訓練をするためだった。

 訓練所には少しずつ人が集まってきていて、その中にはタリアも見たことのない顔があった。




 訓練の邪魔にならないようにと、ウィリアムとタリアの実験は使われていない広間で行うことになった。


 攻撃系魔法の実験はリアムとユーゴに手伝ってもらい、龍脈の小瓶の塗り薬に攻撃系魔法をかけて身体強化魔法を試す。

 治癒魔法同様、身体強化魔法も塗ったその周囲に留まって作用した。十分程度、効果が持続する。実験は成功だった。

 しかし使用後、ユーゴに異変が起きた。極度の疲労感と、塗り薬を塗った箇所の痛みで動かせなくなった。


 もともと攻撃系魔法の適正を持っているウィリアムとリアムはいつもと変わらない発動を実感していたが、ユーゴにとっては初めて体験する攻撃系魔法。もともと適正のある二人は普段からその能力に合わせた訓練を行っているが、ユーゴは違う。そのため、ユーゴにのみ異変が起きたと考えられた。


「タリア、明日の夕方から数日、時間を取れますか?」


 その日の実験は終了し、タリアはユーゴに治癒魔法と疲労回復魔法をかけていた。


「そろそろ、タリアがオリヴァー邸に行っても大丈夫かと思いまして」

「本当ですか!」


 タリアが王城で暮らすようになって八ヶ月あまり。八ヶ月前の約束がやっと果たされようとしていた。


「タリア、十五歳になったでしょう? カーラが祝いたがってましたし、会うのをとても楽しみにしていましたよ」

「私も! 楽しみです!」


 先日、タリアは十五歳になっていた。カーラからそのことを聞かされたリアムとユーゴは連休を取るために動き出した。

 そして三連休が決まってすぐ、二人は動き、その日に家族をオリヴァー邸に呼ぶように手配しつつ、オリヴァー邸を預かっている執事のジェームズ一家にも伝えた。


 準備に時間の掛かる人たちへの連絡を優先させたので、タリアへの連絡が遅くなってしまったと二人は謝った。


「ウィル! ということで、数日留守にします!」

「また、急ですね。お二人とも、連休の申請を出したのはタリアのためでしたか」


 リアムとユーゴが休暇の申請を出したことは把握していたウィリアムだったが、理由を知って少し複雑そうな顔をした。

 そんなウィリアムに、タリアはニッコリと微笑む。


「元々、私の時間のある時だけ研究を手伝うって話しでしたし、ウィリアムに了承をとる必要はないんでした」

「……そうですね。そうですけれども!」


 明日の夕方リアムとユーゴの仕事が終わり次第、オリヴァー邸へと向かうことになったので、タリアはその頃に聖騎士団の駐屯所にやってくることになった。


 手早く実験の片付けをしたタリアはリアムとユーゴに別れを告げ、ウィリアムを急かして王宮の研究室へと戻る。


「見たことないほど上機嫌だな。そんなに家に帰れるのが嬉しいのか」


 この八ヶ月、他の誰より一緒に過ごしてきたと自負していたウィリアムが初めて見る、上機嫌なタリア。

 器具を片付けるときも、実験結果を書面にまとめているときも、時に思い出したようにはにかみ、時に鼻歌なんてものも飛び出す。


「はい! もうずっと帰りたかったんです。やっとジェームズさんのご飯が食べられるし、カーラさんに小言言われたーい」

「……そう、ですか」


 この時、タリアは満面の笑みをウィリアムに向けた。その笑顔に、ウィリアムは言葉を失っていた。

 嬉しさ以外の何も含まれていない笑顔を向けられたのが初めてで、しかもその笑顔を自分では引き出せていないことを痛感して。


「よし、終わり! 明日から来ませんのでよろしく!」

「明日も? 夕方までは時間があるんじゃ」

「そわそわして集中できないと思うから! それじゃ、お先しまーす!」


 タリアはやるべきことを済ませ、また屈託のない笑みでウィリアムに手を降って退室。軽い足取りで自室へと急ぐ。


 残されたウィリアムはため息とともにソファーに沈み、タリアがオリヴァーの家族に対して向ける態度と、自分への態度の違いを改めて見せつけられ、消沈する。


 タリアの誕生日を知らなかった。リアムたちも知らなかったようだが、知ってからタリアが一番喜ぶことを準備していた。


 タリアが王都レオに入る際、オリヴァーとその息子たちが迎えに行った。その旅路と、その後一年を共にしている。

 とはいえ、主に一緒に暮らしていたのはオリヴァーと執事の一家。リアムとユーゴは休暇に泊まりに行く程度だった筈で、ギルバートに至っては一年間の寮生活。その間、顔など合わせていなかった筈。

 それなのに、八ヶ月ほぼ毎日顔を合わせているウィリアムと、どうしてこんなにも態度に差があるのかと、考えずにはいられなかった。


 考えてもタリアが何を思っているかなど、ウィリアムにわかるはずもないのだが。

 ウィリアムはタリアが研究室に顔を出すまでの四日間、ふと気づくとタリアのことを考えて落ち込んでしまう不毛な時間を過ごすこととなった。



 一方のタリアは、オリヴァーのいない屋敷に違和感と寂しさを感じつつも、オリヴァー邸滞在を満喫。

 タリアが帰宅していると知られるとまずいので家の中だけで過ごしたが、リアムとユーゴとその家族、ギルバート、ジェームズ一家と楽しいばかりの三泊四日を堪能した。




  ※ ※




「……ここ、どこ」


 オリヴァー邸から戻った日、三泊四日分の荷物とジェームズが作ってくれたパイを持ったまま、タリアは王宮内で迷っていた。

 ウィリアムの研究室に行って一緒にパイを食べてから自室に戻ろうと思っていたのだが、広く複雑な王宮内で、しかも考え事をしていたために現在位置さえ分からないほどに迷っていた。


 光の差し込む幅の広い廊下。床には絨毯が敷かれ、壁も扉も煌びやかで細かな装飾が施されている。壁には絵画があったり、高級そうな壺が飾られたりしていて、普段出入りしている研究室の周辺からは想像もできないほど豪華絢爛な区画にいた。

 見る限り人はおらず、現在地の確認もできない。

 しばらく人を探して歩き回っていると、廊下の両側から光が差し込んでいる場所が見えた。


「あ、ここ……来賓区画の中庭?」


 そこには中庭があり、前に一度、王宮の来賓区画に軟禁されていた最終日にフィオナが案内してくれた場所だった。


「でも、ここから知ってる場所に出る道、覚えてないよー! あっ!」


 ふと、中庭に人影が見えた気がして、タリアは両手にいっぱいの荷物に苦戦しながらも走った。


「あの! すみません!」


 見間違いかもしれない。そう思いながらも人影があった木陰に向かって声を張り上げた。


「迷ってしまって! できれば研究室のある区画か、お城の出口への道を教えていただきたいん……ですが……」


 タリアの声に、木の陰から顔を出したのは少女だった。


(え? 白髪?)


 光に透ける白い髪は、太陽の光を浴びて黄金色を帯びている。少女の顔に似つかわしくないその髪色に、タリアは見入った。


「ごめんなさい。わたし、あまり部屋からも出ないのでご案内はできません」

(この子……もしかして……)


 木陰から完全に姿を表したその少女は、タリアと背丈も変わらず、年齢も変わらないように見えた。


「あの、間違っていたらすみません。貴女、タリア様では?」

「は、はい。そうですが、なぜ……」

「合っててよかった! ウィリアムおにいさまからお話を伺ったことがあるんです」

(あの人、妹がいたのー?)


 よくよく見れば、白髪だと思った髪は、白にも見える銀髪だった。


(顔はあんまり似てないけど、将来絶世の美女間違いなしだ! 兄妹だ! 間違いない!)


 大きな瞳は青みがかった灰色。その不思議な色に吸い込まれてしまいそうなほど、タリアは食い入るようにその少女の目を見つめていた。


「よろしければ少しだけでもお話をしたいんですけど、お時間ありますか?」

「あります!」

「よかったー。お茶もあるのでこちらへ」

「あ、パイがあるんです。ウィルに持っていこうと思っていたんですけど、一緒に食べませんか?」

「まぁ、食べてよろしいのですか?」

「もちろん!」


 その少女の名前はサラ。もうすぐ十三歳になるという。タリアが王都レオに入って、一番歳の近い女の子だ。


「さっき、ウィルから私の話を聞いてるって……一体どんな話を聞かされているんですか?」

「研究を手伝ってくれている、それはもう可愛らしい方だと。あのウィリアムおにいさまが女性を褒めるなんて初めてだったので、いつかお会いしてみたいと思っていたんですよ?」

(ウィルに容姿褒められても嬉しくないのはなんでだ……)

「想像よりもずっとお可愛らしくって、びっくりして見惚れてしまいました」

「見惚れたのは私の方です! ウィルにこんな可愛い妹さんがいるなんて! 知ってたらもっと早く会いに来たのに!」


 一緒にパイを食べ、お茶を飲み、話すのは共通の話題であるウィリアムのことばかりだった。


「タリア様、あの人、忙しくなると不機嫌になって八つ当たりするのご存知ですか?」

「えっ、そうなの?」

「やっぱり、タリア様の前では格好つけてるんだわっ」

「いや、格好良くはないです。あ、顔はすごいと思いますけど」

「ぷふっ、顔だけですか?」

「はい」

「あははっ、顔だけっ! そういえば、随分前にタリア様に不味いもの無理やり飲まされたって」

「……研究し始めの頃かな? ウィルは実験台なので、仕方ないです」


 ウィリアムの悪口、とも思える会話の内容は延々と続く。しかも盛り上がる。

 二人は時間の経つのも忘れて、たくさん話をした。


 サラはもうすぐ十三歳。実は今日、特殊魔法の適正検査を受ける予定だったのだが、結果を聞くのが怖くて検査前に逃げ出し、この中庭に身を潜めていたらしかった。

 サラには生活魔法さえ使えない。それなのに特殊魔法が使えるはずないと。


「ねー、サラ。私の特殊魔法とか、その他のことってウィルから聞いてますか?」

「いいえ」

「……そっか。ならいいんです」


 サラの状況には覚えがあった。ギルバートと出会ってた時と同じだと、タリアは思った。

 ギルバートも以前は生活魔法すらまともに使えず、特殊魔法の適正もないと言われていたのだから。


(サラの魔力も視てみたいところだけど……)


 タリアが魔力を視る力があることをサラに話すわけにはいかない。ウィリアムが話していて知っていれば視ることも可能だっただろうが、特殊魔法の二種持ちだということさえ話していなそうだ。


 それに魔力を視たところで、ギルバートと同じように魔力が滞っていて循環が上手くいっていないことがわかったとして、その魔力の流れを正した時、ギルバートの魔力は暴走し、人型魔獣になりかけた。

 簡単にそれと同じことをするわけにもいかないと考え直す。


「そうだ! タリア様はアルフーという楽器がお得意だと伺ったんですが」

「得意、というわけでは……練習中です」

「ご謙遜を。あの、今度私と一緒に演奏してみませんか?」

「演奏、ですか。サラもアルフーを?」

「いいえ。私はライアーを。おにいさまが、きっとアルフーと音が合うとおっしゃてて」

(ライアーって天使が持ってるようなやつ! 似合いすぎ!)


 ライアーは竪琴の一種。持ち歩きができ、膝に乗せて両手で挟むように、弦を撫でるようにして奏でる楽器。

 日本において天使が持っているハープはライアーやリラという、形はハープに似ている別の楽器だ。

 タリアも実は持っている。以前、西の塔に住んでいる貴族から贈られたものの中にあったのだ。

 しかし難しそうで習得を諦めた過去がある。


「やっぱり、お嫌ですか?」

「へ?」

「アルフーを人前で演奏することがお好きではないと、おにいさまが。一緒に演奏したのも一度きりだとも」

「あーー」


 タリアは思い出していた。ウィリアムと一緒に演奏したあの夜を。

 翌朝、タリアの元に第二王子がやってきたと噂になった。第二王子からは何の反応もなかったが、二度と異性を部屋に入れないと誓った。


 その後、ウィリアムからはあの場所でまた演奏したいと申し出があったが断り続け、最近ではその話題にすらならなかったのですっかり忘れていた。


 そのことを話すと、サラは大笑い。「確かに、婚約者がいるのに異性を部屋には招けない」と。


「サラとは演奏してみたい! ライアーもちゃんとした演奏って聴いたことないし」

「では、今度ぜひ。私のお部屋に」

「サラ!」


 サラの言葉を遮り、遠くで声がした。


「あ、おにいさまだ」

「怒ってるね。物凄く」

「ふふっ、私がいなくなったので捜していたんだと思います」


 ウィリアムが眉間に深いシワを寄せ、物凄い速度で近づいてきていた。そんなウィリアムに、立ち上がったサラは駆け寄って笑顔で飛びついた。


「そんなに怒らないでください。お・に・い・さ・まっ」


 立ち止まってサラを抱きとめたウィリアムは、首元にしがみつくサラになにかを耳打ちされて頭を抱えてため息をついた。


「しかし、なんでタリアがここに?」

「迷い込みました」

「迷ったって……どこで」

「さー? ウィルの研究室に行こうとはしてたんですけど、いつのまにかここに」

「で、焦りもせずにティーパティーか」


 広げられたバスケットの中身とティーセット。食べ終わったパイの残骸。それを見たウィリアムはまたため息をついてサラをおろした。


「で、サラは……まぁ、いい。検査は今度にしてもらった」

「……やっぱり、しなきゃだめ?」

「しなきゃダメだ。絶対に」


 二人の会話に、タリアはウィリアムを突っつき、手招き。そして耳打ちする。


「サラの魔力、こっそり視ちゃだめですか?」


 ウィリアムは目を見開いて停止。

 反応がないので、タリアが覗き込むと、やっと瞬きをした。


「今の、もう一回」


 その言葉に、タリアは素早く一回転。その勢いのままに回し蹴りを繰り出した。

 しかし、あっさりとウィリアムに足首を掴まれた。


「冗談です。いいですよ、視ても」


 わかってはいたが、攻撃が通じなかったことに不満を露わにするタリア。


(やけにあっさり……サンドラさんは頑として話しちゃだけだって言うのにっ)


 研究に協力してくれているサンドラにタリアが魔力を視れることを話せないでいるのに、妹のサラにはあっさりと話すのかと、タリアはまた不満を募らせた。


「不満そうな顔してるが、理由はある」

「……どんな?」

「サラも……スティグマータの乙女の可能性があるからです」

「サラ、も……」

「この容姿、だからな」


 この子はもしかすると『スティグマータの乙女』なのではないかと、タリアも思った。しかし生活魔法すらないと知り、その可能性を捨てかけていた。


 サラは不安げな表情に代わり、ウィリアムが肩を抱き寄せる。


「タリアのことは、もう一人のスティグマータの乙女の候補者として話してた。細かい内容までは話してなかったが、なにも隠す必要はない。サラ、タリアには魔力が視える。お前の魔力を視てもらえ」


 サラは小さく頷きはしたものの、ウィリアムに抱きついた。その小さな肩が小刻みに震えている。

 サラが恐怖と戦っているのがタリアにも伝わってきた。


「……いいんですか?」

「ああ。視てやってくれ」


 特殊魔法の検査から逃げてきたこともタリアは知っている。

 そして、サラもまた『スティグマータの乙女』の可能性があると知り、タリアは複雑な思いを抱いていた。


(サラは……どっちなんだろ)


『スティグマータの乙女』であって欲しい。だから魔力がないと言われるのが怖い。

『スティグマータの乙女』であって欲しくない。だから魔力があっては困る。


 タリアはそっとサラに触れ、魔力を視る。


「どうだ?」


 タリアは初めて視る魔力に驚いていた。その色は生活魔法と同じ色なのだが、体内で循環はしていない。少しずつ全身から放出されていた。


「特殊魔法は無いようです」

「本当ですか!」


 顔を上げたサラの顔は晴れていた。


「うん。特殊魔法はなかった。生活魔法は持っているんですけど、少し普通と違う動きをしてたから使えないのかも」

「〜〜っ、よかった……よかったーー」


 そう言ったサラの目には安堵の涙が溢れていた。


「サラ、もう逃げなくてもいいだろ。みんな心配して捜してるから、戻ってやれ」


 涙を拭い、しっかりと頷いたサラは、戻ってみんなに謝ると言った。

 戻る前、今度タリアと会う時間を作って欲しいとウィリアムにお願いをして、了承を得てから安心して戻っていった。


 サラがいなくなり、ウィリアムとタリアはその場の片付けをし、ウィリアムが荷物をタリアの部屋まで運んでくれることになった。


「ねー、ウィル」

「ん?」

「どうして、サラのこと、教えてくれなかったんですか?」

「アレの存在も極秘だから」


 サラは生まれた時から王宮で保護されていた。サラが生活魔法すら使えないことは幼い頃からわかっていたが、特殊魔法に関しては十二歳を超えないと適正の有無が判断できない。そのため、十三歳の適性検査で何の特殊魔法の適正も持っていなければ『スティグマータの乙女』の可能性は否定される。ということになっていた。


 ウィリアムの家系にはたまに銀髪の子供が生まれる。

『スティグマータの乙女』は銀色の髪と目を持っていると言われているため、ウィリアムの家系は代々、銀色の髪の子供が生まれるたびに王城で保護されてきた。


「でも、これでやっと、少し安心できた」


 そう言って表情を和らげるウィリアムに、タリアは言葉を返すことができなかった。


『スティグマータの乙女』の可能性を持っている少女がもう一人いた事実。

 その可能性を自ら否定した事実。


 それはつまり、タリアの『スティグマータの乙女』の可能性をまた強くなった。ということだった。


「タリアも……スティグマータの乙女でありたくないんだな」

「……はい」

「それだけ、人と違う力を持っていても?」

「……はい。銀髪じゃないし、目の色も違う。この力は、ただ偶然持ち合わせただけだと信じたいです」

「そう、か。私は、タリアがスティグマータの乙女ではないと思ってる」

「……根拠は?」

「ない」

「ないんですか」

「ない。ただ……タリアがスティグマータの乙女であっては困るんだ」

「困るって」

「完璧なスティグマータの乙女が現れてくれないと困る。でないとサラが、一生外に出られない」

「そう、なってしまうんですね」


 タリアも、オリヴァーが保護すると言ってくれなければ、王城に軟禁され続けていただろう。

 サラはその容姿から、生まれた時から王城に軟禁状態にある。

 詳しくは聞かなかったが、王城内でも王宮の一部分にしか出入りが許されていないことは想像できる。


「って、サラがあの中庭にいたの、かなりまずいんじゃ」

「まずい、といえばまずい。ただ、国賓でも来ない限りは大丈夫なんだ」


 先ほどまでいた中庭は王宮内の来賓専用の区画。そこに滞在するのは国賓級のもてなしが必要とされる場合のみに限られているので、普段はあまり使用されておらず、サラもそれを知っていてこっそり遊びに行っていた。

 サラがその中庭にたまに遊びに行っていることを知っていたのはウィリアムのみで、サラがいなくなったという知らせを受けて一番に捜しにきたのだと言った。


「でも、なんでタリアがあそこにいたんだ?」

「だから、迷ったんですって。ウィルの研究室にパイを届けに行こうとして」

「迷うか?」


 ウィリアムの研究室と来賓用の区画は真逆と言ってもいい。入り口から入ってそのまま奥へと進めば研究室があり、階段を上って入り組んだ廊下をいくつも経由して来賓区画があった。


「考え事してたんです」


 そうだ。考え事をしていたんだ。それを思い出し、タリアはため息をついた。


「ねー、ウィルは知ってたんですか?」

「何を?」

「ギルが、戦場に行くこと」

「……まぁ、な」

「ギルってば何も言わずに出発しちゃって。見送りもできなくて」

「見送られたくなかったんだろ」

「そうみたいです。どうせ、私が変な顔するだろうからって! 酷くない?」


 以前、聖騎士になるために戦争に赴き、成果を挙げることが必要だとギルバートに教わった際、タリアは戦争というものを、この世界で強くなるということを改めて考えることになった。

 その時のタリアの顔をギルバートも覚えていたらしく、タリアには言わずに戦地に赴いたということだった。


「どんな顔でギルを送り出していいか、今でも悩んでるし……でも、考えたくはないけど、もう二度と会えない可能性だってあるのに……とか考えてたら迷ってました」

「昨日までは、楽しかったか?」

「それはもちろん! ここにオリヴァーさんもいて、いつまでもこんな日が続けばいいのに! って思えるくらい」

「そうか……たぶん、それはギルバートにとっても幸せな時間だった。タリアに変な顔で見送られて台無しにされたくないくらい」


 ギルバートだけでなく、ウィリアムにまで見送りを否定され、タリアは不貞腐れる。

 そんなタリアの頭に、ウィリアムの手が載った。


「戦地に赴くのに、恐怖を感じない人間なんていないと私は思ってる。ギルバートが見送りをして欲しくなかったのも、タリアが悲しい顔をしたら決心が鈍ると、そう思ったからかも」

「……ウィルも、怖いの?」

「いつだって怖い。何が起こるかなんてわからないし」

「……そう」

「だからあまりギルバートを責めないでやって」


 小さくではあったがタリアが頷いたので、ウィリアムは微笑み、手を退けた。


「って、なんで泣く!」

「だって、無事に帰ってくるかなんてわからないじゃないですかっ! ギルは見送られたくなかったのかもしれないけど、もう会えないかもしれないのに見送りもさせてもらえないとか……悔しいっ」


 タリアの体は十五歳。十七歳になろうとしているギルバートよりも年下ではあるが、タリアの中身は二十七歳。それに加え、この世界に来てから十一年生きた記憶がある。

 精神的にはギルバートよりも随分と大人の気でいたが、聖騎士になりたいという目標も、戦争に赴く覚悟も心構えも、ギルバートの方がよほど大人のような気がして、タリアは悔しかった。

 ウィリアムはギルバートを責めるなと言ったが、ギルバートが見送りを拒んだのはタリアが戦争というものにまだ向き合えていないことを見透かしてのことだと思えてしまった。

 悔しくて、けれどその悔しさをぶつける相手はもういなくて、それが悲しくてタリアは泣いていた。


「ああっ、もうっ……」


 初めて見るタリアの涙に、ウィリアムは思わず荷物を床に置き、手を延ばして抱きしめていた。

 タリアは微動だにせず、ウィリアムの腕の中に収まって泣き続けている。


「……ウィルに慰められるとか、屈辱です」

「慰めている人間に、その言い草はどうかと」

「こんな屈辱……全部ギルのせいだ」

「ははっ、そうだな。長くても三ヶ月。無事に帰ってきたら文句を言ってやればいい」


 いつものタリアなら、ウィリアムに抱きしめられているままでいるなど考えられない。

 しかし今は、悪態をつきながらもそこから動こうとはしていなかった。


 そしてウィリアムは思った。タリアの悪態は、なにかを隠したい気持ちの裏返しなのではないかと。

 今で言えば、ギルバートが戦地に赴いた不安を隠すため。ギルバートが危険な場所に行ってしまったという恐怖が涙に現れている。その気持ちを誤魔化すための悪態のようにも思えた。


 それならば、いつもウィリアムに向けられている悪態も、なにかを隠したり、誤魔化すためのものではないかとも思える。


「……そんなわけ、ない、か」

「なんです?」

「いや、なんでも」

「そう? ねー、ウィル」

「はい」

「ごめん、鼻水ついた」

「……まぁ、それは仕方ない」


 タリアは泣き止んだのがそのまま部屋に帰るとフィオナに心配をかけてしまうと言うので、二人は一度研究室に立ち寄ることにした。


 研究室でいつも通りに過ごし、荷物があるので部屋まで送ると言ってくれたウィリアムの申し出を断り、タリアは一人で部屋に戻ることにした。


 そして夕食もお風呂も済み、フィオナがいなくなったベッドでーー


「ウィルの前で泣くとかありえないから!」


 タリアは一人、後悔に打ちひしがれていた。






 第12話 完

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