聖痕の乙女 第8話
オリヴァーの屋敷を後にし、リアムとユーゴに連れられて訪れた聖騎士団の駐屯所。
「フィオナさん!」
以前、王城に滞在した際に世話をしてくれた侍女のフィオナがいた。
慣れない王城生活をするタリアが困らないようにと、顔見知りのフィオナが世話係に就くように手配をしていてくれた。
「お久しぶりでございます、タリア様。お元気そうで」
「はい! またお世話になります!」
任務で外に出ている時以外は駐屯所でいつでも会えるリアムとユーゴに別れを告げ、タリアは一年ぶりに王城を囲む堅牢な柵の内側へと入った。
「あれ? あっちの階段は使わないんですか?」
「はい。王城への入り口はいくつかあって、あちらは正面の入り口になっております」
王城と一言で言っても、かなり広い。
まず、正面の大階段を上った先にある一番大きな建物が王宮と呼ばれていて、おとぎ話のお城のような形をしている。
国王とその家族の住まいになっているので、そこには謁見の間やタリアが滞在していた来賓用の施設が揃っている区画、国政に関わる人の執務室、複数の大広間、兵士と使用人が寝泊まりする区画など、大小合わせて千以上の部屋がある。
そして王宮の裏側には、数百年前まで王城として使われていたものがそのまま残されていて、今は居住区と呼ばれている。建設当時は要塞の意味が強かった為に地味。城壁の中に五つの塔があって、中心の塔が一番大きく部屋数は三百。その建物を囲むような大庭園。他の四つは大庭園を囲むように、城壁と一体化するように均等に建てられていて、部屋数は二百。西側の一つが王宮と繋がっている。
西と中央は王宮で働く人の住まい。他の三塔は研究施設に利用されていてはいるが、元は要塞なので娯楽施設は一切ない。
「お城って巨大ですけど、その裏がこんなことになっているとは……」
龍脈は巨大な六角柱状の蒼く透明な水晶がいくつも地面から突き出していて、その中心に王城が建っているのだと思っていたが、見えていたのは王宮のみだったことを知った。
王宮の裏側、龍脈を削って平らにした場所に居住区はあって、要塞の城壁は後から出現した小型の水晶の柱に囲まれ、外側からは見難くなっていた。
「居住区の塔は全て、周囲を見渡せるように作られていました。けれど、水晶が成長して要塞を隠してしまうとわかったので、今の王宮が造られたと言われております」
龍脈の元の形に戻ろうとする性質。厳密に言えば、同じ質量に戻ろうとする性質だった。
元の形に戻ろうとした時、障害物があればそれを避けて成長する。
要塞を建設した当初はそれを知らなかったため、新しく王宮を建設することになった。
王宮へと繋がる西の塔は、元々の玄関口。やはりそこも龍脈の水晶を削って作った階段になってはいるが、敵が一気に押し寄せないように狭く作られていた。大人二人が並んで上れる程度。
階段から跳ね橋を渡って城壁の中に入ると、光の差し込む回廊になっていた。外側は敵の侵入を防ぐために窓はなかった。しかし内側は大庭園を望む大きな開口部が随所に設けられている。
タリアが住むことになったのは西の塔。娯楽施設のある王宮に一番近く、聖騎士団の駐屯所にも一番近いからだった。
一階には大広間、食堂、大浴場があり、二階と三階は住居として使われている。タリアに与えられたのは最上階の中央から螺旋階段を上った先にある、元は見張りの兵士の控え室。部屋の中にある階段を上れば屋上の見晴台へと行ける部屋だった。
(すっご……世界遺産の中にいるみたい。眺めが凄すぎる!)
部屋の西側は壁と階段で占められているが、他の壁には大きな窓。東側の窓は居住区の全てを見渡せる。南と北側の窓からは城下町が見下ろせた。
特に東側の窓から見える大庭園。中央の塔は池の中にある。塔へと繋がる通路。池に繋がる水路。噴水。整えられた草木。その全てが観る者に感動を与えるよう、計算尽くされた造りになっていた。
「一階に大浴場はありますが、ここにも浴室がございます。こちらの小部屋はクローゼット代わりにお使いいただくよう、荷物を運び込んであります」
「……あの、つかぬ事をお伺いしますが、ここって昔要塞だったんですよね? その……なんというか……」
要塞だったこの場所で、昔沢山の人が死んだ。などがあるのではないかと、タリアは思ってしまった。
幽霊の類を見たことはないが、沢山の人が死んだ場所に住むのは少々、いやかなり怖いと思ってしまった。
「まぁ……ふふっ。このレオという龍脈に人々が街を造ってから、一度も攻め込まれたことはありません。それで安心していただけますか?」
タリアが口にするのを躊躇った質問にもしっかり答えてくれたフィオナに、タリアは何度も頷いた。
「改めまして、この度はご婚約、おめでとうございます」
「うっ……ご存知だったんですね」
フィオナはオリヴァーから事情を聞かされていた。
正式発表の前なので、事情を知らない人に聞かれる可能性のある場所での婚約の話を避けていたのだと言った。
「まずは荷解きをして、夕食どきになったらこの塔の案内をしながら食堂へ参りましょう」
それから、タリアはフィオナに手伝ってもらいながら持ち込んだ荷物を整理した。
フィオナはタリアの侍女として、この塔の三階に住むことになったという。
タリアの着替え、三度の食事の配膳、部屋の掃除や洗濯等の身の回りの世話が仕事で、彼女の休日には別の侍女が代わりに来る。
(食堂があって、お風呂もあって……掃除や洗濯ならできるし、世話係って本当に必要なんだろうか)
案内はして欲しいし、ここの生活に慣れるまでは世話係の存在が有難い。しかし、自分でできることなのにフィオナにやってもらうというのがとても申し訳なく思えた。
※ ※
王城に住むようになってからのタリアの日課は、環境が変わっただけで内容はあまり変わらなかった。
朝起きてから朝食までの一時間と、夕食までの二時間は体を鍛える。腹筋、背筋、腕立て伏せ。それに走り込み。走る場所は大庭園。一周するだけで四キロに相当する。
毎日でも聖騎士団の駐屯所に通いたかったが、タリアは部外者。聖騎士団員は王城の警備かいつ任務に赴いても大丈夫なように準備をしている。その邪魔になっても嫌なのでリアムとユーゴにも相談した上で週に二回となった。
ただ、それ以外の時間の過ごし方に困っていた。
カーラのいる研究所に行って魔法の勉強をさせて貰えないかと思ってはいるが、この広い王城のどこにカーラがいるのかわからないので動けず。
やることがないので、日中は王宮の書庫に入り浸り、夕食後は眠くなるまでアルフーの練習をして過ごしていた。
王城内で暮らし始めて一週間が過ぎ、夕食を終えて部屋に戻ってきたところだった。
(ああっ、ジェームズさんのご飯が食べたい……)
タリアはホームシックに陥っていた。
王城での生活には何不自由ない。というより、贅沢すぎる生活だった。主に食事が。
居住区の五つの塔にはそれぞれ食堂があって、居住者は全員そこで食事をする。
しかし食堂とは言え、タリアの想像していた食堂は学生食堂や社員食堂。もしくは大衆食堂の類だったのだが、ここの食堂は全くの別物。食堂とは名ばかりの超がつくほどの高級レストランのようなものだった。
巨大なシャンデリアにアンティーク家具。皺一つないテーブルクロスに曇り一つない銀食器。
王城で働く王族や貴族用の食堂なので、食事をするために着飾るし、テーブルマナーも必須。
ついでにタリアがオリヴァーの里子であることも、第二王子の婚約者であることも知れ渡っている。タリアが粗相をすれば双方の面目を潰すことにもなりかねないので、一瞬たりとも気が抜けなかった。
食事の度に気が滅入ることもあって、タリアはオリヴァーの屋敷が恋しくて仕方なかった。
「そういえば……タリア様、いつも弾いていらっしゃる曲は何という曲なんです?」
「え?」
「毎日、屋上で弾いていらっしゃるでしょう?」
ドレスから部屋着に着替えるのをフィオナに手伝ってもらっていた。
「なぜ、それを……」
「なぜって、私の部屋にも聞こえますから」
「あ、そうだったんですか」
「西の塔にお住いの方は、皆さまご存知ですよ?」
「えっ!」
聞けば、今日、「タリアがいつも弾いている曲の中に知らない曲があるので、本人に聞いてみてほしい」と頼まれたらしかった。
「それで、何という曲なんでしょう」
(言えない! 好きなアニメのサントラっぽいもの、なんて言えない!)
前の世界でのタリアが楽器に触れたのは学生時代のピアニカとリコーダーのみ。
この世界でアルフーに触れるようになり、カーラに言われて毎日練習するようになった。
父マティアスの才能を受け継いだのか、タリアは練習すればするほど上手くなっていくことが面白くて、弾ける曲が増えていくのが楽しかった。
そんな中、ふと再現してみたくなってしまった、前の世界で馴染みの深かった曲。
しかし音の記憶はとても曖昧で「こんな雰囲気だった気がする」と、実際に音を出して探りながら、なんとか曲っぽい形にしてきたものだった。
ただ、聴き比べができるわけでもないので、アニメの曲と同じものになっているか、似ているものになっているのかも不明な代物だった。
「ち、父が弾いてくれた中にこんな曲があった気がして……曲名はわからないです!」
アニメのサントラとは言えないタリアの、苦し紛れの言い訳だった。
「そうでしたか。曲名がわからないのは残念ですが、とても綺麗な曲で、とても癒されます」
「……そう、ですか」
「今夜も楽しみにしておりますね」
(うっ……もう弾きたくないとは言えないっ!)
明日、タリアの方が早く起きてしまった時の為の着替えを準備し終えたフィオナは、おやすみなさいませと言って自室に戻っていった。
フィオナの足音が完全に聞こえなくなってから、タリアはベッドに倒れこむ。
タリアが毎晩屋上でアルフーを練習していることが西の塔の住民に知られていたことだけでも恥ずかしい。もう、練習するのをやめるか、場所を変えようと思うほどに。
けれどフィオナに褒められた。それも気恥ずかしいのだが、楽しみにしていると言われて弾かなくなるのは期待を裏切るだけの行為。
気配りが上手いフィオナのことだから、タリアがアルフーを弾かなくなった原因が、それを話題にした自分にあると考えてしまう。とも思えてしまって、弾きたくないとは言えなくなってしまった。
「あーー、うーーっ、みんなが聞いてると思うとやりにくいーー!」
ベッドの上でひとしきり身悶えて、起き上がり、座り込んだタリアは深く息を吐き出す。
「……仕方ない。やるかー」
そしてタリアはいつものようにアルフーを片手に階段を上り、元見晴台だった屋上へと出た。
夜になると大庭園には篝火が灯る。
昼間とは全く別の顔を見せるその景色を、とても好きになっていた。
その場所を見下ろしながら屋上でアルフーを奏でることが、慣れない生活で溜め込まれるストレス発散にもなっていた。
アルフーを奏でながら、タリアは歌う。
タリアの歌声は透明感があり、音域は広く、音程もブレない。タリア自身も好きな声だった。
数曲弾き終わって、今日は終わりにしようとほっと息をつく。
すると拍手が聞こえた。
「タリアちゃん、すっごいね! 楽器も歌もできるとか、聞いてないんだけど!」
「なんでドリーさん? ウィリアムさんも」
「ウィルが夜に女の子の部屋に一人で訪ねるの気が引けるって言うから付いてきた! そしたらすっごくいいもの見れた! あ、聴けた?」
(あああああ……恥ずか死ぬっ。やっぱり今日はやめておけばよかったーー!)
「あ、待って! 最後の曲、もう一回!」
ドリスの制止とリクエストを聞かなかったことにして、タリアは二人の間をすり抜けて階段を降り、浴室に駆け込んだ。
(なんでみんなアニソンに食いつくんだよ!)
洗面台で顔を洗い、恥かしさを鎮めたタリアは何食わぬ顔で浴室を出た。
二人は屋上から降りてきていて、待ち構えるように扉から姿を出したタリアを見ていた。
「それで、ご用件は?」
「ぷっは! なに? そんなに恥ずかしかったの? なかったことにして欲しかったの?」
ドリスはデリカシーというものを持ち合わせていない。遠慮もなくゲラゲラと腹を抱えて笑っている。
居た堪れないタリアは下唇を噛み締めて、図星を言い当てたドリスを睨みつける。
「恥ずかしがることないじゃん! ほんと感動する演奏と歌だったよ!」
「っ、もう勘弁してください! 人に聴かせるような演奏じゃないんです! 恥ずかしくて死にそうなんですから、そこには触れないでください!」
「えー、なんでよ! もっと聴きたいのに! ねー、ウィル!」
「ドリス、ご本人が嫌がってるんですからそれくらいで」
「えーーー! 一曲だけ! 最後のやつもう一回聴きたい!」
タリアはウィリアムの背後に隠れさせて貰った。ドリスは話にならない。庇う発言をしてくれたウィリアムに助けを求めるしかできなかった。
「ウィリアムさん! 小瓶の件で来たんですよね?」
「ええ。ドリス、いい加減、本題に移らさせていただけますか?」
「……はーい」
やっと話題が変えられたことにホッとして、タリアは駆け足でデスクの上に置いてあった、ウィリアムから預かっていた小瓶を取る。中身は空にしてあった。
「回復魔法が瓶の中に留まっていたのは三日間。新しい葉っぱに防御魔法をかけて時間を置いてみたんですけど、同じく三日でした」
「十分からかなりの進歩ですね」
「そうですね。欲を言えばもうすこし長持ちして欲しいところです」
「確かにそうですが、先に調べなければいけないことがあります」
「……この中にどれだけの魔力が収められるのか。それと効果ですね」
「はい。飲用して効果がなければ意味がないですから」
龍脈の水晶を利用したガラスの小瓶に特殊魔法を施した葉を入れると三日間、魔力を留めておくことが出来る。という結果は得られた。
その葉を体内に取り込むことできちんと効果が得られるのか。また、小さな葉の破片一つで事足りるのかがまだ不明。とりあえず三日間持つことはわかったのでさらに日数を増やすことよりも、効果の有無を調べる方が先決だった。
「それを調べる方法は考えてあるんですか?」
「一応。ただ、それにはタリアの目が不可欠になりますので、今日は研究のお誘いも兼ねて参りました」
ウィリアムの申し出は暇を持て余していた、ウィリアムの研究に興味を持っていたタリアにとって、とても喜ばしいものだった。
「もちろん、タリアの都合のいい時だけで構いません」
「はい! 喜んで!」
タリアに断る理由などない。ウィリアムからの誘いがなくても、タリアから「手伝わせてほしい」と申し出ていたはずだった。
「それは助かります」
「あ! ずるい! 私も手伝って欲しいのに! 今日は小瓶の結果聞くだけって話だったから、終わるの待ってたのに!」
「それは申し訳ない。でも、私の方が先ですよ? どうせドリスはガラクタを見せたいだけでしょう?」
「ガラクタとは言ってくれるねえ。ちゃんと商品化できたものもありますーう」
「ドリーさんの研究室にもお邪魔してみたいです!」
「でっしょう? まー、アタシの方は急ぎじゃないし、暇なときにでも顔だしてよ」
「では、ドリスの研究室へは折を見てご案内しますよ。もう遅いですし、詳しい話は私の研究室で」
ウィリアムの研究室は王宮内にあるとのことで、明日、タリアがよく行っている図書室で待ち合わせをすることになった。
「タリアちゃん、帰る前にお願いがあります!」
「アルフーなら弾きません」
「お願いする前に断られたー。仕方ない」
しょんぼりして帰ろうと歩きだしたドリスに安心したタリアがったがーー
「今度はこっそり聴きに来るわ」
「ちょ、それは嫌です! 困ります!」
「じゃーねー。次来る時楽しみにしてるっ!」
ドリスは呼び止める間も無く階段を降りてしまった。
「あ、行っちゃった……」
「行ってしまいましたね。そんなに聴かれたくないものですか」
「……はい。家の人以外に聴かせたこともありませんでしたから」
「へー。もったいないですね」
「……ありがとう、ございます」
褒められてもあまり嬉しくなかったタリアは、一応、褒めてもらったお礼を口にした。
(もう、アルフーに触るのやめようかな)
西の塔の住人にも知れ渡っているという話を聞いたばかりだったこともあるし、ドリスにこっそり聴かれるかもしれないと思うと、練習するのも嫌になってしまった。
「それでは、私も帰ります」
「あ、はい。明日、宜しくお願いします」
「こちらこそ。次に会う時はウィルって呼んでくださいね」
「あ、そうでした」
「それと、話していると年齢を忘れてしまうのですが……」
ウィリアムは腰を折り、タリアの耳元に口を寄せた。
「慌てふためく姿はとても可愛らしかったですよ」
耳に息がかかるほどに近い。目を見開いていたタリアから、ゆっくりとウィリアムは離れていく。
「では、また明日。おやすみなさい」
目を見開いて固まったままのタリアと視線を合わせ、薄く微笑んだウィリアムは軽く会釈をしてから背を向け、階段を降りて行った。
扉の閉まる音が聞こえて正気に戻ったタリアは、部屋の明かりを消してベッドに入る。
(びっくりした……びっくりしたびっくりした!)
思いがけずウィリアムの顔が近づいて来たので、驚いて完全に活動が停止していた。
息をするのも、瞬きをするのも忘れていた。
(はーーっ、イケメンのドアップ半端ない! 心臓止まるかと思ったわ!)
ベッドの中で縮こまり、今更になって極限まで高鳴っている鼓動に耐える。
何度も深呼吸をして、気持ちが治まるのを待つ。
(ふーーっ、いやー、ホント久しぶりにドキドキした! ドキドキしたけれども……あの手のイケメン、苦手ーー。父様はただうっとり出来る超絶イケメンだったけど、なんかあのイケメンは苦手だ)
心臓はいまだ高鳴ったまま。タリアは早く冷静になれるようにと、必死にウィリアムに苦手意識を持った理由を考えていた。
(なんだろ。なんで苦手なんだろ。雰囲気? というか、耳元で囁けば女性は喜ぶんですよね。知ってます。的な? 去り際の微笑とかも、それっぽいから……女慣れした感じが嫌なのかも)
タリアの父、マティアスをも凌駕するほどの美貌を持ったウィリアムならば、女性慣れしていて当然だった。
しかも、国民の憧れである聖騎士団に最年少で入隊し、副隊長。女性に騒がれないわけがなかった。
(ふー、落ち着いて来た。前の世界はあんな雰囲気の人って勘違いナルシストばっかりだったから、イケメンに醸し出されてびっくりしたけど、もう大丈夫! 忘れよ)
マティアスは自分の顔立ちの良さをひけらかすことは一切なかった。それはタリアが自分の娘であったことに大きな要因があったのだろうが、タリアが見ている前で母以外の女性の前にいるときにも自然体だった。
一方、ウィリアムは自分の顔立ちの良さを十分に理解し、どう見せれば相手に好意的に見られるのかを理解した上で、一番効果のあるタイミングで表情や言葉を使っているように思えた。
それはただ女性慣れしているというより、女性で散々遊んで来たからこその技術であるとも言える。
(そんなことより……フィオナさんには申し訳ないけど、明日からアルフー弾くのやめよ! ぎゃー、思い出しただけで恥ずかしくなる! 寝よ!)
思い出すたび恥ずかしくなって眠れないかもしれないと不安を抱きつつ、タリアはあっさりと眠った。
その翌日、アルフーの練習はタリアの日課から消えた。
※ ※
それからのタリアは持て余していた時間のほとんどをウィリアムの研究室で過ごすようになった。
ウィリアムの研究は国王からの命令で行なっているものなので、費用の全てが国の負担。研究棟ではなく、王宮内の研究室で行われ、量産する目処が立ったら研究棟へ引き継ぐことになっていた。
量産の目処が立つまでは本職である聖騎士としての活動ができなくなっている現状なので、少しでも早い完成を望んでいた。
小瓶に特殊魔法を施した葉の破片一つ入れて、それを飲んでも魔力が付与されている実感はなく、タリアが体内の魔力の流れを観察しても変化が見られなかった。
葉の量を増やせばタリアが目視出来るほどの魔力の変化が見られたので、魔法をかけてからすり潰してみることにした。
「……はい、ウィル」
「これを私に飲め、と?」
葉をすり潰し、飲みやすいように水を加えた。流動性のある半固形、つまりは緑色のペースト状。見るからに不味そうな代物だった。
「私、自分の魔力は視えないんですよ。知ってますよね?」
タリアはニッコリと微笑む。
「……飲みたくないから、自分には視えないことにしている可能性もあると思うんです」
ウィリアムもニッコリと微笑んだ。
「いいから、早く飲んでください。先に言っておきますけど、吐き出したらやり直しですからね」
タリアは笑みを深めた。
「……あーー! わかった! 飲めばいいんだろ、飲めば!」
「素が出ちゃってますよ? ささ、ぐいっといきましょう!」
数日一緒に過ごすうちに、ウィリアムが物腰柔らかな雰囲気をわざと出していたとタリアは気づいた。
本人に指摘したところ、「当たり前のことだ」と言われてタリアも納得。
初対面の人、目上の人に対して敬語を使うのも、失礼のないように気をつけて接するのも、当たり前のことだった。
以前、ギルバートにウィリアムのことを聞いた際に、ウィリアムがどこかの貴族の生まれらしいとも聞かされていたし、史上最年少で聖騎士団に入団し程なく副隊長にもなっている。周囲はもれなく全員年上で、部下であっても気を使ってきた。
ただ、タリアはウィリアムより年下で気を使う必要はなく、敬語を使う必要もないと言ってあるのだが、癖になっていてなかなか抜けないのだとか。
「〜〜っ、まっずい!」
「あー、ドロドロだから瓶に残っちゃいますね」
「うっ」
「吐くのなし。我慢してください」
タリアはウィリアムの腕に触れて目を閉じる。
「うーん。体内にはあるけど、ほとんど動きはないです」
「動いていいですか? 水が飲みたい」
「どーぞー」
タリアは目を開け、近くの椅子に腰掛けた。座面に踵を置くと膝を抱え、膝に顎をのせて。
(飲み込んですぐ、みぞおちあたりで止まってた。もし体内に入ってすぐに効き目があるなら、もう魔法発動状態になっててもおかしくない。でも発動した様子もない……胃で消化される時間は、野菜で約二時間、だったかな。それから十二指腸通って、吸収されるのは小腸。発動まで結構時間がかかるなー)
「考えは口に出した方が整理しやすいですよ」
「んーー、言葉に出来るほどまとまってません」
医学もないので解剖学も存在していないこの世界で、胃だの腸だの言っても通じない。
考えを口に出して、ウィリアムと議論できた方がいいとは思うが、食べ物の消化吸収についても考えながら魔力を観察しているとは言えなかった。
「水飲んでも口の中にまだ不味いのがいる。うえっ」
「フィオナさんが届けてくれたお昼ご飯の中にジュースがありましたよ?」
「甘いやつですか?」
「見てないからわからないですけど、ドロドロよりマシでしょう」
「それもそうですね」
(ジュース、か……糖分って確か消化吸収が……)
「ウィル! やっぱりジュースはダメ! 結果が出てからにしましょう!」
「……本気ですか?」
「実験中です。辛抱しましょう!」
有無を言わさず、実験が終わるまではウィリアムに飲食を許さなかった。
タリアは栄養学を専門にしていたわけでないので、正確なことは思い出せずにいたのだが、糖分は消化が早く、ジュースなら胃で消化されるのは十五分程度。
ジュースならば吸収も早く、魔法が発動するまでの時間短縮になるかもしれないと思ったのだ。
実験開始から約三時間後、ウィリアムは微量だが、特殊魔法が自然に発動されたことを実感。
魔力の観察を続けていたタリアは、おおよそ小腸まで魔力がたどり着いたのちに全身に散る様子を確認した。
すり潰した葉にかけた特殊魔法はタリアの防御魔法で、魔法の発動は確認できた。
一応の成功と言えたのだが、他の問題が山積みだった。
タリアの防御魔法は約一時間、効果が持続する。しかし今回の実験では三分と持たなかった。
その原因として考えられるのは二つ。
一つは、小さな葉、一枚に溜め込める魔力の量が少ないこと。人間の体全身を覆う尽くせるほどの魔力が、一枚の葉で収まりきるとも思えない。
そして二つ目は、まずは葉に魔法をかけているので、すり潰している間に魔力が放出されてしまったという可能性。例え魔力量そのものは防御魔法と同じであっても、作っている最中にも放出が始まっていたとすれば、瓶に収めたところで力が足りなくなっていて当然だった。
それにこの案はあまり使えない。不味いこともそうだが、飲みきれず瓶に残ってしまうことも改善する必要があった。
ジュースならば味も飲み残しも改善できる。しかも消化が早い。
しかし、ジュースにどうやって魔法をかけるのかが問題だった。
グラスに入れたジュースに魔法をかけてみたところ、ジュースだけでなくグラスにも魔力が留まってしまい、失敗。
以前、オリヴァーの家でウィリアムが水に攻撃魔法を付与した際には、空気中から水分を集めたものにそのまま攻撃魔法を付与。手が水から一定の距離を保てている場合は球体で空中に存在できる。離れれば重力に従って落ちる。ウィリアムは水の球体を空中に保ったまま、小瓶で球体の中から水をすくい取るようにして小瓶に収めていた。
それと同じことをしようと試みはしたが、空気中の水分とは違い、すでにジュースは液体としてそこにある。それをグラスから空中へ移動させる方法が見つからず、断念。
ウィリアムとタリアの実験は暗礁に乗り上げていた。
第8話 完