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龍の愛し子 ー 聖痕の乙女と魔女 ー  作者: 月城 忍
第1章 聖痕の乙女
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聖痕の乙女 第1話

 

 小高い丘にポツリと一軒だけ佇むあるレンガ造りの家。玄関前の花壇には色とりどりの花が咲き誇り、丘を降る道の両側は綺麗に整えられた畑があり豊かに実っている。

 夜明け直前、空は白みを帯び始め、朝靄が煙る。その中をマントで身を隠し、フードで顔を隠した男が音もなく丘の上の家に向かっていた。

 男が玄関を叩くとしばらくして扉が開く。出迎えたのは目の下に薄くくまを携えた綺麗な顔立ちの男だった。


「荷物は」

「中だ」

「準備は出来てるか」

「……もう少しだけ時間をくれ」


 綺麗な顔立ちの男に促され、マントの男は家の中に入った。

 そこには女性が二人、静かに抱き合っていた。


 この家には父と母、そして娘の三人が暮らしていた。

 この家の主人、マティアスは領主の次男として生まれ、栗毛色の髪と琥珀色の瞳の美男。家督を継ぐのは兄だが皆に愛される人柄を買われ、町の相談役をしていた。

 その妻、アリアは隣の大きな町の生まれで、黄金色の髪に碧眼。町で一番の美女だった。マティアスとの結婚を機にこの町へとやってきて、絵に描いたような美男美女の夫婦だと評判が高い。

 そしてその娘、タリアは生まれたばかりの頃から天使のようだと言われて育ち、まだ十三歳になったばかりだというのに大人びた雰囲気があり、父譲りの栗毛色の髪と琥珀色の瞳で、母譲りの顔立ちをしている。

 そして今、タリアが旅立ちの日を迎えようとしていた。


「母様、もう行きます」

「……ええ、分かっているわ。どうか元気で。落ち着いたら手紙を書いて。絶対よ?」

「はい。必ず」


 アリアは腕を緩め、タリアの額にキスを落とす。そこへマティアスが近づき、二人を抱き締めてタリアの額にキスをした。


「いつでもかまわないから、顔を見せに来るんだよ。待ってるから」

「はい。行ってきます」


  三人は微笑みを交わし、名残惜しそうにゆっくりと体を離した。一歩、後ろに下がったタリアを引き止めようとしたアリアをマティアスが止める。


「父様、母様、どうかお元気で」


 タリアは涙を堪えて笑顔を作り、すぐに踵を返して玄関へと進む。振り返ることはしなかった。二人に背を向けた瞬間にこぼれはじめた涙を見せたくないのだろう。

 マントの男が静かに扉を開け、タリアが、続いてタリアの荷物を持ったマントの男が外へと出て、静かに扉を閉めた。

 アリアはその場で崩れ落ち、必死に声を殺して泣いた。

 マティアスは重い足取りで玄関の横にある窓から外を見る。朝靄の中、丘を下りていく二つの背中が見えなくなるまで見送って、泣き続けるアリアを抱き上げる。


 タリアとの別れが決まったのは一週間前だった。別れの日はもう少し先になる予定だったのだが、昨日になって急遽旅立つことが決まり、心の準備も整わないままに別れの時を迎えることになってしまった。


「眠れないで朝を迎えたのは久しぶりだね。タリアが小さかった頃はよく熱を出して目が離せなくて眠れなかったことが多かったけど」


 寝室に向かいながら、マティアスは優しい声で語りかけていた。


「いつの頃から熱も出さなくなって……大きくなったね。王都への招集なんてすごいじゃないか。僕らの娘が特殊魔法の適性を持ってたってだけですごいのに」

「その適性がなければ、お嫁に行くまではずっと一緒にいられたのに」

「それはそうだけど。仕方ないって思うしかないよ。僕らのために、タリアは決断してくれたんだから」

「あの子にだけ、苦労を背負わせたようで……代わってあげられたらどんなにいいか」

「……それは僕も同じ気持ちだよ。さ、今日は何もしないで気がすむまで悲しもう。もう大声で泣いてもタリアには聞こえないはずだよ」




  ※ ※




 町は眠りから覚めつつあった。外が明るくなり始めると、人々が活動を開始する。


「少し時間食ったな。人に見られるのはまずい。これ持ってろ」

「わっ!」


 町に入ってすぐ、マントの男はタリアに荷物を押し付け抱き上げた。


「声を出すな。歯を食いしばってしっかり掴まってろ。走るぞ」


 言い終わってすぐに男は走り出した。


(ちょ、車並みに速いんですけど!)


 その走る速さは並みの人間が走る速さとは比べものにならず、タリアはこの世界で経験したことのない移動速度に驚いた。

 前を向いていると強い風圧で息もできない。顔は自然と後方に向けられた。ものすごい速さで、丘の上の生まれ育った家が小さくなっていった。

 ほんの少しの時間で町を抜け、草原の中を移動する。


 町が小さく見えるところに来て、やっと男は足を止めた。

 タリアの心にあった寂しさも驚きで薄くなり、涙もすっかり乾いてしまっていた。


「あの、今のも魔法の一種ですか?」

「そうだ。肉体強化と肉体操作の応用で回避魔法と呼ばれているものだ」


 この世界には誰でも使える生活魔法と、限られた人にのみ使える特殊魔法というものがある。

 生活魔法は火、水、風を用いる魔法で誰にでも使うことができるもの。

 特殊魔法は攻撃系魔法、防御系魔法、回復系魔法の三つに分類されていて、限られた人間だけが適性を持っている。


「回避魔法? 聞いたことないです」

「そりゃそうだ。応用だと言っただろ。簡単に肉体強化は攻撃系、肉体操作は防御系の合わせ技。つまり、特殊魔法の適性を二種類持ってる奴にしか出来ない芸当だから、一般には知られてない」

「二種類持ってるってことですか!」

「まーな。でもお前、それ以上持ってるかもしれないんだろ?」

「あ。そう、でしたね。だからこんなことになってるんだった」


 特殊魔法の適性は基本的には一人に一つ。十三歳になると適性検査が行われ、適性があるものは大きな都市にある訓練学校で適性魔法について学ぶ。

 稀に二つの適性を持っている者もいるので、その場合は王都にて特殊な訓練を受けることになっていた。


 適性検査は特殊な水晶を使って調べる。適性があれば透明な水晶が光を放ち、その色で適性を見極めるのだが、タリアはその検査で水晶は光ったものの見たことのない色だった。また光の強さでおおよその魔力量もわかるのだが、タリアは過去に確認されたことがないほどの輝きを放った。

 その検査でタリアは魔力量が他者より多く、未知の魔法の適性を持っている可能性があると言われ、水晶での判別は不可能なので王都で調べることになっていた。


 それに加え、タリアには『スティグマータの乙女』と呼ばれる特別な存在の可能性があった。

『スティグマータの乙女』とは二千年以上前からその存在が確認されていて、一番最近では五百前に実在したと言い伝えられている。

 最近であっても五百年前ともなれば実際に見た者はなく、古い伝承として限られた者しか知ることのないものになっていた。

 その伝承によると『スティグマータの乙女』には体のどこかに聖痕スティグマータがあり、銀色の髪と目を持ち、複数の魔法を使いこなし、未来を予見することができるとなっていた。

 タリアに聖痕らしきものはなく、髪と目の色も違うのだが、未知の魔法の適性を持っているかもしれないことで『スティグマータの乙女』である可能性があると判断されてしまった。


 もし本当に『スティグマータの乙女』ならば国の最重要保護対象となる。

 二種以上の魔法を使いこなすだけでも特別であることは間違いなく、未来を予見する力はいくらでも悪用できる。その力を欲しがる者も多く現れ、『スティグマータの乙女』を巡って争いが起こることもあるからだ。


 一週間前に適性検査があったが、昨日までタリアは特殊魔法を発動することもなければ、未来を予見することなど出来た試しはなかった。しかし、祖父の家に呼び出されてマントの男と対面し握手をした時に初めて、未来を見てしまった。

 孫が最重要保護対象になるということは、保護されなければいけないほどの危険にさらされる可能性があるということ。孫を守るためにタリアが死んだと偽るのだが、それが嘘だと知られ、国に対する領主の隠蔽、反逆行為だとみなされてしまう。町ぐるみでの企みとも考えられるので、全員が殺されるという未来を見てしまったのだ。


 だからタリアは見てしまった未来を祖父と両親に話し、王都へ旅立つ決意を決めたと説得して今に至る。


「それで、ここからどうやって移動するんです? まさか徒歩?」

「そんなわけあるか。あの岩陰に部下がいる。移動手段も用意してあるから安心しろ。見たら驚くぞ?」


 マントから見える口元は怪しげにニヤリと笑い、その口元を見たタリアは一抹の不安を感じた。

 マントの男が岩場に向かって歩き出したので、タリアもそのあとに続く。歩きながら男は王都までの道のりについて説明を始めた。

 ここは大陸の西側に位置するクオーツという国。王都は山脈に囲まれた中にあり、タリアの生まれ育った町、クレアはクオーツの中心部に位置し、王都までは雨が降らなければ二週間で到着するとのことだった。

 その間にタリアにどんな魔法が使えるのかを把握する役目も担っているので、簡単な特殊魔法の使い方も教えてくれるという。

 話し終えた頃、岩場に到着した。岩の間を抜けていくと馬車が見えた。ただし、荷車を引くのは馬ではなかった。


「まさか恐りゅ……ドラゴン?」

「そりゃ伝説の生き物だ。あれは巨大トカゲの亜種で、ワイバーンと呼んでる。伝説のワイバーンかはわからないが、似てるからな」

(ファンタジーの仮想生物キタ!)


 ワイバーンと呼ばれた生物は、体長はおおよそ七メートルほど。巨大化した首の長い、丸みを帯びたトカゲのような形をしている。

 タリアは初めそれを恐竜だと思ったのだが、この世界には昔、龍やドラゴンがいたと習ったことがあったので、この世界で聞いたことのない恐竜よりもドラゴンである可能性が高いと思って言い直していた。

 二頭のワイバーンの首には石が散りばめたれた金属の首輪がつけられていて、馬車の荷車と繋がれていた。


「あの首輪は魔力を抑える効果がある。野生のワイバーンは大人になると魔力が暴走して魔獣化しちまうが、あの首輪があれば暴走もなくペットにできるんだ。あいつはいいぞー。馬や牛より力があるし、とにかく足が速い。なにより七日くらいなら平気で動き続けられる。その分、食う量はすごいけどな」


 二千年以上前から魔獣は存在し、人間は常に魔獣に脅かされていた。この世界の先人たちの手によって、魔獣は動物の魔力が暴走した結果だと分かり、魔獣を増やさない研究がなされてきた。

 千年の時を経て魔力を制御する術を手に入れ、人間は動物を飼育することができるようになった。

 そして近年、獰猛で飼育が難しいとされていたワイバーンの飼育と繁殖に成功した。

 飼い慣らしているとはいえ、ワイバーンは人間にとって危険すぎる生物だと知られているので、下手に恐怖心を煽らないよう、人目につかない場所に馬車を隠していたらしい。

 立ち止まった男がマントのフードを下ろした。


(意外……紳士風だ)


 四十代半ばと思われるその男は癖のある白髪混じりの黒髪と黒い瞳で、少しタレ目のせいか柔和そうな性格をしているように見えた。


「俺はオリヴァーという。国王からの命を受け、部下とともにお前を迎えに来た。お前がここに残ると言ったり、領主がお前を隠した場合、最悪は皆殺しにするように言われてはいたんだが……部下には最悪の事態になった場合のことは言ってないんで……秘密にしておいてくれないか?」

「……わかりました。誰にも言いません」


 その言葉はオリヴァーが最悪の事態、町の人達を皆殺しにする結果を望んでいなかったことを知るには十分だった。そんな任務を部下にさせたくないと思っていたことも十分に理解できたタリアは、オリヴァーが悪人ではないとわかり、笑顔で頷いた。

 オリヴァーは「よし」と言って笑顔を返すと、部下を紹介すると言って馬車に向かって再び歩み始める。


 馬車には二人の青年と一人の少年がいた。


「これはまた……」

「随分と可愛い子ですね」


 青年は攻撃魔法の使い手のリアムと、回復魔法の使い手のユーゴ。二人はまじまじとタリアを見つめている。年は二十代前半で、二人とも深い茶色の髪と瞳。リアムは短髪で、ユーゴは腰まである長髪を一つに結び、肩から前に垂らしている。顔立ちは同じ。髪形が同じなら見分けがつかないほどそっくりな双子の兄弟だった。

 もう一人の少年はタリアと年が近いので連れてきたという見習いの兵士、ギルバート。伸ばし始めで邪魔なのか、乱暴に、強引に結われた髪は黒く、少し吊り上がった目尻と真っ黒な瞳からは意思の強さが伺えた。しかし顔立ちには幼さを残す十五歳だった。


「出発まだかよ」


 ギルバートはタリアを一瞥したあと、部下の紹介をしている最中のオリヴァーに不満を漏らした。

 オリヴァーはそれを宥めるように頭を撫で、ギルバートに手を弾かれて面白そうに笑う。


「んじゃ、出発するか」


 出発準備はすでに整っていて、馬車に五人が乗り込むとすぐに出発した。

 入り組んだ大きな岩の間をゆっくりと進み、広大な草原に出ると徐々にスピードが上がっていく。

 タリアは振り返って、後方にかろうじて見えているクレアの町に「行ってきます」と別れを告げ、今度は正面を向き、目を輝かせた。


(九年……長かった。でもこれでようやく始まるんだ。私の冒険が!)


 九年前、タリアはある日突然、気がついたらタリアと言う名の四歳の少女の体になって、この世界にいた。

 元の世界での名前は永峰 茉利子。二十七歳で看護師をしていた。漫画やアニメを見ることが唯一の趣味だった彼女は、自分の身に異世界転生が起こったのだと理解できた。

 そして決意した。この世界を堪能してやろうと。

 茉莉子の知る異世界転生では、主人公は大抵、他の人には持ち得ない強大な力を手にして異世界へと転生していた。自分が転生したことには何かの意味がある。きっと凄い力が与えられていて、この世界を救ったり出来る能力が備わっているはずだと大いに期待した。


 しかし、成長とともに知ったのは、自分がごく一般的な人間に転生したという事実だった。

 タリアは類稀なる、美しすぎると言っても過言ではない容姿を生まれ持っていた。しかし、魔力の量は一般的で生活魔法程度しか使えず、運動神経はそこそこに優れているので身軽に動き回ることが出来るのだが、まだ十三歳だからなのか、筋力はごく普通の生活をするのに事足りない程度にしかなかった。

 それが十三歳になって特殊魔法の検査を受けてみれば、魔力量の多さと、未知の魔法への適性を持っている可能性が浮上した。

 やっと、優れた何かを持ってこの世界に旅立つんだ。そんな期待に胸を躍らせた。


(早く新しい魔法使ってみたい!身体強化……素敵な響き……魔王とか倒せる勇者になれちゃうかも!)


 先程オリヴァーが見せてくれた身体強化と身体操作。普通の人間の体では決して出せない速さで走ったオリヴァーの魔法の応用は、タリアの足りないものを補ってくれるものに違いなかった。



 馬車は街を避けるように荒野を進み、昼頃になって食事休憩を取る。


(尻がっ! 腰が!)


 馬よりも速く走るワイバーンに引かれている荷車は引っ切りなしに激しく揺れていた。

 慣れない馬車の振動に、タリアの体は悲鳴をあげていた。ヨロヨロと馬車を降り、痛む尻と腰をかばうようにそろそろと歩く。


「痛そうだな。大丈夫か?」

「……皆さんは平気そうですね。慣れてるから、ですか?」


 四人の男達は馬車を降りてもなんの苦痛もなく動き回っていた。


「ああ、忘れてた。防御系魔法に衝撃吸収魔法ってのがあってな。お前も使えるかも」

(……思い出すの遅い!)

「そう睨むな。衝撃吸収といっしょに回復魔法も教えてやるから」

「教えてくれるんですか? でも私にその適性があるかはまだ……」

「王都に着くまでにお前がどんな魔法をどれくらい使えるのか把握するのも俺の仕事だ。適性とセンスがあれば、すぐに使えるぞ? まず、座れ」


 すぐに新しい魔法が使える。タリアはそのことに喜びを露わにした。

 早速、座って特殊魔法について説明を受ける。


「特殊魔法を使うのに必要なものは、魔力を感じる力と想像力だ」

「……と、言いますと?」

「生活魔法を使うとき、どうやってる? 少しでいい。水を集めてみろ」


 言われるまま、タリアは右手を手を延ばし、空を撫でるような仕草をする。

 すると右手が動く中心に小さな水の塊が現れた。

 大気中に存在している水分を集める。それが水魔法の基礎だった。


「そのまま続けろ。今のお前の状態は、水を集めるという想像をして、それを形にしている。掌には自然と魔力が集まっているのを感じないか?」


 黙ったまま首を傾げるタリアに、オリヴァーは続けた。


「なんかこう……掌からモヤモヤと目に見えない何かが出てるような感覚とか」


 タリアはますます首を傾げる。


「……何も考えずに魔法を使うタイプか。わかった。それなら今度は、その集めた水をその辺に放り投げられるか?」

「放り投げる? 手を止めたら落ちるだけですけど」

「見てろ」


 オリヴァーはタリアと同じように右手を空に泳がせ、小さな水の塊を作る。

 そしてその塊を球体を保ったまま掌に収め、座ったまま軽く振りかぶって投げた。


「おわっ! 隊長、何してくれてんですか!」


 水の塊は離れた場所で食事の準備をしているギルバートの頭を直撃。水が弾け、ギルバートの頭を濡らした。


「もう一回やるぞー。リアム、ギルバートの前に障壁作れー」


 リアムはギルバートの前で手を下から上に移動させ、オリヴァーに目配せをして食事の準備に戻った。

 先ほどと同じように、オリヴァーは水の塊をギルバート目掛けて投げたのだが。

 水はギルバートの目前で弾け飛び、ギルバートを濡らすことはなかった。


「タリアもやってみろ」

「オレを実験台にすんな!」

「気にせずやっていいぞ? お前に攻撃系魔法の適性があれば、水は想像した通りに飛ぶ。攻撃系が使えないなら……」


 オリヴァーが言い終わる前に、タリアは立ち上げって振りかぶっていた。

 しかし振りかぶった瞬間、集めた水は制御を失い、ただその場に落ちる。一瞬でタリアは水浸しになっていた。


「あっはっはっ! お前に攻撃系の適性はないらしい」

「オリヴァーさん、ひどいです」

「悪い悪い。乾かして飯にしよう。続きはあとで」


 オリヴァーが手を合わせ、ゆっくりと手を離す。手と手の間に風が生まれた。生活魔法の風魔法だ。その風を利用してタリアの髪を、服を乾かしていく。


 髪を濡らしたギルバートも、食事の準備を終えたユーゴにからかわれながら乾かしてもらっていた。


「オリヴァーさん、乾かしついでに回復魔法とやらもお願いできませんか? お尻が……」

「そうだった。ユーゴ! 回復頼む! ケツが痛いんだと!」

「隊長、女の子に向かってケツだなんて失礼ですよ。タリアさん、お手を拝借」


 駆け寄ってきたユーゴがにっこりと微笑み、タリアの手を取った。


「あっ、何か流れ込んでくる」

「おお、感じ取れたか。それが魔力だ」

「痛みが消えてく!」

「回復魔法は人間の体に備わる自己治癒力を高める行為全般を指すんです。タリアさんにも回復魔法の適性があれば同じことができると思いますよ?」


 例えば指先を切ってしまった場合、時間はかかるが傷は消えていく。それが人間の体に備わっている自己治癒力だ。

 タリアのお尻と腰にあった痛みも、時間が経てば自然と治るものだが、回復魔法の力を借りるとすぐにおさまる。


 その回復魔法が自分にも使えるかもしれないと、タリアはジッとユーゴを観察した。

 よく見るとユーゴを取り巻く光の粒子が、掌を通してタリアの体に向かって流れている。


「はい、終了です。痛みの部位に直接触れたほうが早いんですけど、レディの体に気安く触れるのは生粋の女ったらしくらいですから」

「ユーゴ、それは俺のことか?」

「あ、隊長、自覚あったんですか」

「おい! って……タリア、なんだ?」


 オリヴァーとユーゴが戯れる中、ユーゴの手を離れたタリアはオリヴァーの腕を掴んでいた。

 タリアの目にはオリヴァーの魔力の流れが視えていた。よくよく目を凝らしてやっと見える程度のものではあったが、淡い光を放っているそれは体内を循環している。


「すごい、触れると視えるんですね」

「何が」

「これが、魔力の流れってことですよね?」


 オリヴァーとユーゴは顔を見合わせ、タリアに視線を戻した。


「タリアには魔力の流れが視えるんですか?」

「今視えてる、これがそうなら」

「魔力が視えるなんて聞いたことねーな」

「え?」

「感じが良いってのは稀にいるが……本当に見えてるんだとしたら」

「すごいことですね」


 タリアは自分にしか魔力の流れと思われる光の粒子が視えていないことに驚いた。

 それが視えたこと自体初めてて、それが本当に魔力なのかは不明だったが。


 タリアはオリヴァーから手を離し、また触れる。そして手を離し、また触れる。


「触らないと視えないし、魔力を視ようと思って触れないと視えないみたいです」


 ユーゴの魔力の流れを目にした時、タリアはユーゴがどんなことをするのか、どのように魔法を使うのかを観察した。

 これまでタリアの周りに特殊魔法の適性を持った人はいなかったし、その人に触れる機会もなかった。

 つまり、タリアが魔力の流れを視ることができるのは、特殊魔法の適性を持った人に限られるのかもしれないということだった。


 タリアはオリヴァーから完全に離れ、ジッと自分の手を見つめる。

 特殊魔法の適性はあるのだから、自分の魔力の流れを視ることができると思ったからだ。


「なんで……自分のは視えない」


 残念ながら、自分のどこに触れても魔力の流れは視えないようだった。


「ま、お前はまだ色々知り始めたばかりなんだし、これから出来ること、出来ないことがはっきりしてく。いちいち落胆してると疲れるだけだぞ? さ、飯だ飯!」


 タリアに回復魔法を施したら食事にするつもりだったが、やっと食事が始まる。

 食事は昨日の夜にクレアで購入していたパンとソーセージ。それとスープだった。




「ふと思ったんだが、タリア、お前はこれまで魔力の流れを視たことはなかったんだよな?」


 食事を食べ終える頃、ふとオリヴァーが切り出した。


「はい。もしかすると特殊魔法の流れだけが視えるのかもしれないって思いました」

「それなら……こいつの魔力の流れ、視えるか?」


 オリヴァーが指差したのはギルバートだった。


「こいつに特殊魔法の適性はないから、こいつで試してくれ」

「いや、オレは」

「なんだよ、怖いのか?」

「怖いとかじゃ」

「改めて、特殊魔法の適性がないって言われんのが怖いんだろ」

「……そんなもん、とっくに諦めてる」


 ん、と乱暴に、ギルバートはタリアに向かって手を延ばした。タリアはその手を取る。


「どうだ? こいつ、生活魔法もろくに使えず、特殊魔法の適性もなかったくせに聖騎士団に入りてーってわがまま言って強引に兵士になったものの、魔法使えないんで見習いから先に進めないのに、聖騎士を諦められない馬鹿なんだが」

「魔力は……視えます。ただ、なんかオリヴァーさんやユーゴさんと違う……なんだろ、少なくて、滞ってるっていうか……」


 タリアの目にはギルバートにも光の粒子が視えてはいた。ただ、オリヴァーやユーゴの光の粒子は全身を隈なく循環していた。太い粒子の流れがあって、そこから毛細血管のように細かいところまで粒子の流れがあった。

 しかしギルバートの粒子は見るからに少なく、一定の流れを持っていない。どこに行けばいいのか分からず、体内をフラフラと漂っている感じだった。


「あ、首の付け根あたり。遮ってる何かがあるみたいです。これを外せたら……」


 特殊魔法を使うのに必要なのは、魔力を感じる力と想像力だとオリヴァーが言っていたことを思い出す。タリアには魔力を感じる力というか、視る力がある。あと必要なのは想像力だった。


(魔力を遮ってるのは首のあたり。想像したことが魔力で実際に起こるんだとしたら、頚椎でその流れが止まってたら体に伝わらないってこと。だからこの遮ってるなにかを外せたら、魔力は流れを取り戻せるかも)


 人が動く時、例えば目の前の物を取ろうとする時、脳が情報を送り、それが体の中を伝達して手を動かして物を取る。

 魔力を使う時もそれとおなじようなことが起こっているのであれば、情報がどこかで遮断されていれば体になにも伝わらないので魔法の発動ができないということになる。


 視えたものを頭の中で整理し、タリアは目を閉じた。

 ギルバートの首元で魔力の流れを遮るなにかを取り払うイメージを作り上げてみる。

 蓋を開ける。そんなイメージを、繋いだ手からギルバートに送り込むようにイメージする。


「あ、なんか来た気がする」


 タリアには、オリヴァーたちと同じようにギルバートの中に魔力が流れているのが視える。

 首元にあった遮るものが消え、全身を滞りなく魔力が流れていた。その量と速度はタリアの目に追いきれないほどでーー

  ギルバートの全身から流れ出した熱風に、タリアは思わず手を離した。


「隊長、なんかやばくないですか?」

「俺もそう思う。ユーゴ、タリアはリアムの後ろに回れ。リアムは障壁で防御!」


 リアムは素早くギルバートから離れ、ユーゴはタリアの手を引きリアムの後ろへ隠れる。リアムは魔法障壁を作り熱風を遮った。

 ギルバートは自分の両手を見たまま固まっているが、その周囲から魔力が熱となって放出されていた。


「あの、一体これは」

「多分、急に魔力が流れ出して制御できないって感じですかね」

「制御できないって、それってどういう状況なんでしょうか」

「ええっと、このまま暴走すると魔獣化しちゃうんです」

(って、私……とんでもないことやらかしちゃったんじゃ!)

「でもまー、隊長がいるし大丈夫だと思いますよ?」


 焦るタリア。

 リアムの後ろでタリアをかばうように立っているユーゴは悠長に話す。


「ギルバート、聞こえるか」


 オリヴァーが話しかけると、ギルバートは小さく頷いた。


「落ち着いて、溢れまくってる力を体の内側に止めるよう想像しろ。その力はお前の体の外に向かうのではなく、体中を巡ってお前を助けてくれる力だ。怖がれば力は出て行こうとする。力に臆するな。制御して飼いならせ」


 落ち着いた声で語りかけるオリヴァーに応えるように、ギルバートから溢れ出る魔力の熱は弱まり、収束していった。

 ギルバートが完全に平常を取り戻したように見えてやっと、オリヴァーは近づいていき、ギルバートの肩を叩く。

 その瞬間、緊張が一気に解かれたギルバートは膝から崩れ落ちた。


「つか、れた……」

「そりゃ、あれだけ魔力を垂れ流せば疲れるさ。タリア、こいつの魔力、改めて見てやってくれ」


 タリアはギルバートに近づき、魔力の流れを視る。その流れはオリヴァーやユーゴと同じように、穏やかに流れていた。


「ごめんなさい。私、こんなつもりじゃ」


 ギルバートの魔力を視るだけのつもりが、制御できないほどの魔力が溢れ出すとは思ってもいなかった。

 さらに、魔獣化する可能性もあったとなると、危険な行為だった。


「わかってる。お前に悪意がなかったことくらい、全員わかってる。だけどタリア、お前がしたことは確かに少し危険なことだった。だから、今後は誰かに相談してからやってくれ」


 深く頷くタリアにオリヴァーは続ける。

 魔力が暴走してしまうと、この世界の生物は魔獣化してしまう。それは人間も例外ではなく、もしギルバートが制御出来ずに魔獣化すれば、オリヴァーはギルバートを殺さなければいけないところだったと。

 魔獣化した人間は街を襲い、人を喰らうようになってしまうからだ。


 タリアは座り込むギルバートの前に膝をつき、頭を下げる。


「本当にごめんな……」


 言葉を遮るように、タリアの頭にギルバートの手が載った。


「ありがとな」

「……え?」


 思いがけないギルバートの言葉に顔をあげようとしたタリアだったが、押さえつけられててそれは叶わなかった。


「生まれて初めて、自分の中に魔力を感じる。お前の魔力も、なんとなくわかる」

「こいつにとっては願っても無いことだったんだ。夢が叶うってことなんだから」


 ギルバートの夢は聖騎士団に入ることだった。しかし生活魔法を使うのもままならず、特殊魔法の適性もなかった。

 この世界では特殊魔法の適性があるものだけが正式な兵士になれる。

 ギルバートはオリヴァーの養子で、幼い頃から身体能力が抜群に高かった。

 しかしこの世界の戦いは主に魔力を使う。身体能力の高さだけでは魔力を自在に扱う敵とは戦いにならないので、生活魔法程度しか使えない一般市民の警備をする部隊の見習いでいる他に、兵士でいることができないでいた。


「んじゃ、片付けて出発するか」


 オリヴァーの声のあとにギルバートの手が離れて、やっと顔をあげられたタリア。

 ギルバートの両脇にはリアムとユーゴが駆け寄り、頭を撫でくり回したり小突いたりしていた。


 その様子を見て、タリアはやっと安心する。大事にならなくて本当によかった、と。


 タリアはオリヴァーに衝撃吸収魔法について教わる。また馬車でお尻や腰を痛めないように。


 その一方で片付けを言いつけられたリアムとユーゴは、疲れで機敏さを失っているギルバートに聞こえる声でーー


「リアム、さっきの見た?」

「ああ」

「ギルバートのやつ、女に興味ないって散々言ってたのに」

「タリアをかなり意識してたな」

「頭押さえつけたの、きっとあれだ」

「あんなに近くで顔を見たら平静を保てなかったんだな」

「可愛いもんなー、タリア」

「うるせー! さっさと仕事しろよ!」

「「はーい」」


 リアムもユーゴもオリヴァーの養子だった。だからギルバートは弟で、幼い頃からよく知っていた。

 二人はギルバートをよくからかっているし、ギルバートもからかわれることには慣れていた。




 片付けが終わる頃、タリアはオリヴァーに衝撃吸収魔法をかけてもらった。教わりはしたものの、使えはしなかったのだ。

 そして五人は馬車に乗り込み出発する。


 その日の夕方には予定していた町に到着し、休息を取る。

 馬車は町の外の人目につかない場所に隠し、リアムとギルバートが馬車に残った。

 オリバー、ユーゴ、タリアは町に入って夕食をとり、馬車に残る二人に夕食を届けてから宿に入った。





 第1話 完

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