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恋する淫魔と大剣使いの傭兵  作者: 上原のあ
四章 サキュバスであるということ
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四章 四 女王の説得

 しばらく歩いて、そろそろ町の近郊とは言い難いところに差し掛かってきた。

 ここまでは討伐依頼の成果もあるのか魔獣が出てくることはなかったが、この辺りからは流石に、魔獣に遭遇することもあるだろうか――と不安に思い始めたところで、頭上から声がかかった。


「シェスティ!」


 見上げれば、エーレリアが飛んできていた。聞けば、魔力がないシェスティを心配してわざわざ来てくれたのだという。

 彼女はシェスティに合わせて高度を下げてくれた。


「待ち合わせ場所なんだけどねぇ、女王が来ちゃってるのよ。良かった、ちゃんと来てて」


「ちゃんと待ってらっしゃるの?」


 まだ夜の鐘は鳴っていないはずだ。けれど彼女は少しせっかちなところがあるのもわかっていた。エーレリアは苦笑しながらシェスティの隣に並ぶ。


「うん。でも、もう少し遅かったら、入れ違いで町に行っちゃってたかもしれないわ」


 シェスティは安心した。躊躇していたら、手遅れになっていたかもしれない。


「……アナタも大変ねえ」


 聞けば、実のところシェスティ以外にもほんの一握り、恋をして複数のひとと交わることを良しとせず、人間族の伴侶と人間族のふりをして生活している者もいて、彼女らは招集に応じていないものの、特に引きずり出されることもなく日常を送っているのだという。

 つまり、シェスティが特別なのである。


「……次期女王は、私以外にしてくれたら困らないのにな」


「それは――無理でしょうねえ」


 彼女はシェスティの体をてっぺんからつま先まで眺めまわす。


「アナタは――アナタにとっては不本意でしょうけど、逸材だもの」


「……うん」


 同い年の者にそう言われて、気が重い。まあ、諦めなさいって、とエーレリアに背中を叩かれる。


「説得するつもりはあるの?」


「うん。どうにか納得してくれるといいのだけど……どうかなあ」


 せっかくノルベールに協力してもらったはいいものの、あの日言ったように、うまくいくとはあまり思えていなかった。

 足取りは重い。それでも、シェスティは行かなくてはいけなかった。




 森の入り口にようやくたどり着くと、そこには女王が一人でふわふわと漂っていた。


「女王、お久しぶりです」


 そうシェスティが言うと、女王がにこりと笑う。


「シェスティ、久しぶり――思った通り、全然元気じゃなさそうねっ!」


 けらけらと彼女は笑った。ちょっとむっとする。確かに魔力量は少ないけれど。

 しかし喧嘩別れのような形で飛び出したのが最後だったから、少し緊張していたのだが、彼女の方はそこまでそのことを気にしていなかったらしい。普段通りの、余裕の笑みである。


「それじゃ――一緒に帰りましょうか。飛ぶのはわたくしが手助けしてあげるから――」


 そう言われて、シェスティは首を振った。血が滲むほど強く、手を握る。


「い、いや、です――」


 どうにか声を振り絞り、面と向かって拒絶する。


 ――どうして。あそこのサキュバスに報復をしたくはないの。そう問いかける声がする。


(いやだ。今ここで行ったら、――帰れなかったら、あの人とどんな顔して出会えばいいのかわからない。さっき、決めたじゃない――)


 ぷるぷると手が震えた。自分の昏い声から耳を背けるように。必死に立って女王を見据える。

 女王はほんの少し眉尻を下げて、「もう」と首を振る。


「わがままを言わないの。――あなたはわたくしの娘、次期女王。フェルトシュテルンのサキュバスで、わたくしの次に魔力があるのは、あなたなの。あなただってわかっているでしょう」


「それは――」


 ――そう、そう。わかっている。シェスティだって、そのくらい。


 シェスティが次期女王と言われていたのは、別に現女王――ゲートルーデの娘だからというだけの理由ではない。それだけなら自分のような倫理観の破綻した(・・・・)出来損ないは、すぐに捨て置かれたはずだった。


 けれどシェスティは、現存魔力はともかくとして、その器は莫大な量を有していた。女王の血を引いて、女王から魔力を受けていた幼い頃から、すでにそれはわかりきっていた。出来損ないであることを差し引いたとしても、彼女の魔力量は明らかにだいたいのサキュバスよりも格上だ。


 ――それゆえに、次代の女王はシェスティだと言われていた。


 いくら笑われようとも、馬鹿にされようとも、その女王の決定が覆らないのは、埋めようもない才能の差がそこにあったから。


 女王は、そんな力が持ち腐れになっていることが不満なのだ。わかっていた。ああしてシェスティを嗜めようとするのも、ある意味で親心であることも。

 シェスティにそんな器がなければ、こんなにとやかく言われることはなかったに違いない。


「それに、今回は、ベルグシュタットのコたちが、わたくし亡き後もフェルトシュテルンにちょっかいをかける気を起こさないようにするために、あなたの力を示すいい機会なのよ。

 直接おしおきできるなんて滅多にないのよ。これを逃すわけにはいかないわ」


「……はい、わかっています」


 女王の言うように、この報復はある種の政治的な意味を孕んでいた。できれば他地方のサキュバスたちに対して、有利に出たいと思ったとしても、大義名分がなくてはやり返されてしまう。

 こんな――不必要な領域侵犯などという、おあつらえ向きの機会がきたのだ。この機会に徹底的に殴っておく。そして次期女王の代まで含め、しばらく自分たちの『遊び場』を誰にも邪魔されぬ安泰なものとしたい。


 そうするためには、シェスティ自身がその力を見せる必要がある。


「……何、何が不満なの? もしかして、やっぱり魔力の回復の仕方が不服なの?」


 黙りこくったシェスティに対し、女王がため息交じりにそう問う。それに、シェスティは少し返答するのを悩んだ。


「……そう……なんでしょうか。そうかもしれません」


 確かに――回復の仕方がもう少し健全なやり方なら、戦力として扱われることについては構わないのかもしれない。問題はサキュバスであるが故にシェスティが受け入れ得る『健全なやり方』がすべて効率の悪いものになるという点だ。


 ――強いて言えば、サキュバスであることを捨てたいとすら時折思うシェスティとしては、そもそもサキュバス同士の抗争というものに巻き込まれたくなかったけれど、今回については、シェスティ自身まったく無関係なことではなかったから、その点については目をつぶることにする。

 女王が言うように、この件でベルグシュタットのサキュバスたちが大人しくなってくれるなら悪いことはない。


「じゃあ――そうねえ」


 女王はふぅ、とため息をついた。そうして次に口を開いた時には、――妖艶なまでの笑みを浮かべている。知らず、背筋にぞわりとしたものが走った。


「相手が――あの男なら、構わないのかしら?」


 言いながら彼女は、シェスティに向かって指をさす。――いや、違う。その指先はシェスティではなく、その後ろから来る者に向けられていて――


「――シェスティ!」


 ――静かな低い声が、耳を打つ。


(え、)


 どうしてここに。そんな言葉も出てこなくて。振り返らなくてもわかった。ここにいるはずのない人。


 草を踏みしめる音がする。ほんの少しだけ上がった息遣いが聞こえる。走って、きたのだろうか。


「ねえ、シェスティ?」


 女王が――クスクスと笑う。

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