アイドルはステージを降りて、社会を生きる
「ララちゃんがデビューしてからだから、もうここに来るのは、7年目になるんですかね。」
「そうですね。」
美容師はララの髪を櫛で熱心にといていた。
「そういえばララちゃんと一緒にやってたゆみちゃんは海外の大学に行くことになったんですね。すごい子ですよねー。」
美容師さんはいつものようにララに話しかけていた。しかし、かつてのみんなのアイドル、ララは鏡を前にして、顔をこわばらせていた。
「滑らかできれいな紫の髪…。これだともらった子も喜ぶこと間違いないですよ。」
後ろに立った美容師さんが、ララの髪を手にとってうっとりとして髪を撫でた。
「でも、こんなにきれいに伸びた髪なのに、いいんですか?」
美容師さんは不思議そうな顔をしていた。
「いいんです。そのために今まで伸ばしてきたんですから。」
ララはそういって微笑んだ。
すっかり切ってしまって頭がだいぶ軽くなったようにララは感じた。
真中ララは、今年大学1年生になる。明日にはもう入学式である。憧れの心理学部に入学することが決定していた。髪を切ったのは、そんな春からの生活に向けて心機一転という気持ちもあった。
しかし、ララにとってはもうひとつの意味があった。
ララはそれを自分の目で確かめるため、大きな病院に来ていた。
ララは、エレベーターで5階まで行ったあと、ナースステーションに向かった。
「すみません。」
というと、はーい、という返事とともに若い看護師さんがやってきた。
「面会に来ました。」
その後、ララは、面会の相手の名前を告げると、看護師さんが、こちらです、と案内してくれることになった。
病棟はカラフルな模様に、かわいい動物の絵が描いてあった。そのデザインのせいか、ここの病棟は他の箇所よりも幾分か明るくなっているようにララは感じた。
「こちらの個室です。」
と看護師さんが案内してくれたのは、窓際の病棟だった。窓の外では、元気にキャッチボールをしている小学生くらいの男の子たちが見えた。看護師さんにお礼をいい、ララは病室をノックした。
「はーい。」
と中から可愛らしい女の子の声が聞こえた。
ララがそろりとドアをスライドさせると、ベッドの上で本を読んでいる滑らかで綺麗な紫の髪の女の子がいた。
その子は、ララが病室に入ってくるのを見ると、
「おねえちゃん!」
と嬉しそうに手を降った。ララも小さく手を振り返す。ベッドのそばの椅子にララは腰掛けた。
「今日はハナがいつもより元気そうでよかったよ。」
「うん。今日はロイコ?っていうのが1000くらいあるから大丈夫なんだって。お医者さんが言ってたよ。」
ハナというその少女は、嬉しそうに笑った。
「ありがとう。」
と言いながら、ハナは自分の髪の毛を撫でていた。
「いいのよ。ハナが使ってくれて私も嬉しい。」
ララがハナの手に自分の手を重ねた。
「おねえちゃん、明日から大学に行くんだってね。」
「そうよ。前から心理学は勉強したかったからね。進めることになれて嬉しいよ。」
ハナは少し黙って、ララの手を握っていた。その間、何度か口を開こうとしては、話そうかどうか迷っているようだった。しかし、口を開き、
「おねえちゃんはもうアイドルはやらないの?」
そう言って真っ直ぐにララの目を見つめた。
ララがアイドルとして日本中のファンを魅了し、ハラジュクの姫とまで言われていたのが、1年前である。その後、ララは、高校3年生になり、アイドルを卒業することになった。
ララは周りから名残り惜しがられながらも、ゆみと一緒にアイドルを引退した。その後、それぞれに将来の進路に向けて頑張っていた。
ララは、今でも、自分がアイドルをしていてよかったと思っている。
しかし、アイドルをやめてから一般人として街を歩いていた時に、この世界は、今までは自分があまり気に留めていなかったけれど、たくさんの人の力によって成り立っているのだということを実感した。
そして、アイドルとしての自分も好きだったけれど、誰かのために何かをする自分になりたい、と思うようになった。
ララは、母親と二人で病棟の一室で担当医師から説明を受けていた。
「ハナちゃんは、順調に良くなっています。まだ、病態はまだ安定はしていませんが、私達もチームとして精一杯できることはやっていきます。」
「よかった。」
ララはふっと息をつき、母と顔を見合わせた。
「じゃあ、今年中にはもしかしたら中学に帰れるかもしれないね。」
「あの子、まだ身長伸びてたかしら。また制服のサイズ合わせないと行けなかったりして。」
ふふふ、と二人して笑ってその場を失礼した。
母と二人で、ハナの病室に向かって歩いている途中、ふと母が口を開いた。
「ハナが元気になったら、ハナと二人であなたの大学に遊びに行くから、そのときは案内してちょうだい。」
「そうだね。」
「あなたも、大人になっていくのね。アイドルを始めたのがついこの間のようだった気がするけれど、あれはまだ小学生の頃だったものね。」
母は、遠くを眺めながらそういった。
「今までも十分自由にやってきたけれど、これからもあなたの人生だし、好きなことをやっていけばいいと私は思うわ。」
「うん。」
母が、そんな風に真面目な話をするのは久しぶりで、ララも、母と真面目な話をする年になったのだとしみじみと感じていた。
病室に帰ると、ハナはテレビを見ていた。テレビの中では綺麗な女性たちが、歌って踊っていた。
「おかえり。お医者さんなんか言ってた?」
「よくなってるって。」
そう言うと、ハナは胸をなでおろして、ふーっと息を吐いた。
「よかった。」
「また、出かけられるようになったらお姉ちゃんの大学に遊びに行こうね。」
「うん!すごく行きたい。楽しみだなぁ。」
ハナは、今日一番の笑顔を見せてくれていた。
窓の外では桜が少しずつ咲き始めており、満開も近いようであった。
ララは、ハナの手を、強く握りしめた。
ーおわりー