ハッピーエンドの定義
「お前、如何したんだ?」
「……」
「まあ、こんな雪の日にそんな薄着で蹲っていれば、大抵の事情は推測出来るけどな」
「……」
「とは言え選択肢は幾つか浮かぶし、其のどれも決定打に欠ける。だんまりを決め込んでるとこっちで勝手に事情を推測するぞ?」
「……」
「自分の過去や現在について、勝手に推測された挙句的外れな結論を出されたくないなら、いい加減口を開いたら如何だ?」
其の言葉に促されたワケじゃない。別にオレの過去も現在も、勝手に推測すれば良いと思ってる。
でも根負けしたのは事実だ。大抵のヤツはオレをゴミでも見るかの様に不快そうに見るか、中途半端な同情を向けるかでそもそも関わろうとしない。
時々こうして話し掛けてくるのもいるけど、1言も喋ろうとしないオレをもう相手に出来ないとでも言う様に匙を投げて帰っていく。時々悪態を吐いているヤツも居るくらいだから、可哀想な子供に声を掛けるっていう自分のやさしさに酔ってるだけだろう。オレは他人の自己満足に付き合ってやるほどやさしくない。
ただ今こうしてオレに話し掛けてくる声の持ち主……多分声音からして男……は、幾らオレが沈黙を押し通そうとしても一方的な会話を止めない。
それこそオレが何らかのアクションを起こす迄、たとえ夜中になっても付き合うんじゃないかと危惧するほど。
そんな風に粘られてはオレの方がたまらない。其れに無駄に目立つ事だって出来れば避けたい。だからオレは折れる事にした。
どこかでそんな理屈無しに、此処迄道端に横たわる薄汚い少年、つまりはオレに構えるヤツに興味は湧いてたし、今迄と違う雰囲気を感じてちょっと気になってたのかもしれない。
顔を上げたオレの目に映ったのは、先ず、オレの方を見下す様に視線を投じている、其の両眼。
深いグリーンは全てを飲み込みそうで、何もかも包み込みそうで、見慣れた夜の闇なんかよりよっぽど底知れなさがある。
蹲るオレに目の高さを合わせようとしないから、其の目は自然オレを見下してる。でも其の眼にはオレを嘲る気持ちも、同情心も、可哀想な少年を気遣ってる私やさしい的な自己満足の愉悦も、何も感じられなかった。
ただ純粋にオレを見てる。
こんな目、初めてだ。
実の親からさえ嘲りや恐怖の目しか向けられなかったっていうのに。
オレは其の目を見ただけで思考が止まって、返そうとしていた言葉も全部失った。
それでも幸か不幸か、オレが動きを見せた事で何らかの会話をする意思はあると伝わったのか、声の主であり目線の主でもある男は満足そうに笑ってみせた。
オレより少し年上で青年と言えるような風貌。
顔立ちが少しだけ幼い事もあるかもしれないけど、笑った事でその幼い部分、未だ此の青年に残っているんだろう少年の部分が強調される。
勿論、オレに声を掛けてきた大人がこんな風に笑うのを見るのも初めてだ。
「如何だ?話す気になったか?」
「……少しはね」
努めて素っ気無く返す。
考えてみれば久し振りに声を出した気がする。
声を出す事を放棄して暫くは、もしかしたらもう声が出ないかもしれないとか、喋ろうとしたら酷くざらついた掠れ声になってるかもしれないとか、そんな風に考えた事もあった。
そんな想像は更に暫く声を出さない日が続く事でとっくに忘れていた事だけど、其の時危惧した様な事態は起こらず、オレの声帯は久方振りの労働にも関わらず今迄と変わらずスムーズに動いた。
其れに少しだけ驚く。
如何やら少し労働をサボったくらいではオレの体の機能は錆び付かないらしい。
とは言えオレの今の関心は眼前の青年だけで、自分の体の機能云々は二の次三の次ってヤツだけど。
強い印象を焼き付けた両眼から他を窺う。
とは言え、透けて見える目の奥の感情以外は、大まかには其の他大勢と変わらない。
肌がオレより顔色悪いんじゃないかと思うほど白かったり、其れとは対照的に髪は夜の闇にさえ勝るかと言うほど黒々としていたり。
身に付けている物1つ1つが、今迄オレに声を掛けてきたヤツと比べて抜きん出て上等な物だったり。
そんな細かい差異こそあるけど、後は全部一緒。額に目もなければ骨が透けてもいないし、黒髪から獣耳が生えたりもしてない。極普通の人型。
其れにしては少し、身に纏う威圧感が凄いけど。
「オレはね、親から捨てられたんだよ。普通の家に生まれて、普通に生きて、普通に死ぬ予定だったんだけど、其れは生まれた瞬間に破綻した。其の他大勢から大きく逸脱してた」
言っておきながら、此の青年の前で其れを説明するのは何処か妙にも思えた。
だって此の人は其の他大勢とは絶対に違う。此の人の前じゃ、周囲が怖がったオレの外見も能力も、全部子供騙しに過ぎないだろう。
もしかしたら何もかも分かって聞いたのかも。ある程度推測出来るもののどれも決定打に欠く、なんて言っておきながら其の決定打さえ持っていそうだ。
ただ此の人が予めオレが現在に至った経緯全てを正確に推測出来ているか否かは、最早如何でも良い。
オレは此の人が気になった。根負けさせられた此の人を。
「顔が周囲を魅了して堕落させる魔のモノかってぐらいに整ってるとか、出気が良過ぎるから魔のモノと契約を結んでいるとか。もう少し歳を喰ってればオレも其れなりに理解して、歳不相応な振る舞いをせず、自制も出来たんだろうけど、生憎幾ら大人が目をひん剥くほどの事が出来てもまだ2歳かそこいらだからね。両親に褒めてもらおうと躍起になって、でも其れは却って両親を気味悪がらせ、今に至ります、って感じ」
当時の自分の事をオレはよく覚えている。
あの時はまだ無邪気で、何かをすれば、凄い事をすれば、両親が褒めてくれると思ってた。両親はオレが生まれた其の時からオレを怖がっていて、年齢に見合わない事をすればするだけ彼等が離れていくなんて、あの時のオレには夢にも思わない事だったんだ。
もっとも早く殺してしまえだの、声高に訴えるヤツがいる中、其れでも自分1人で何とか食って雨風凌ぎ、騙し騙しやっていけるだけの年齢迄待ってくれたのは彼等の最後のやさしさなのかもしれない。実際のところオレの報復を恐れていただけだというのも知ってるけど。
元より恵まれた家庭に生まれたワケではなかったけど、其れからオレの生活は一転。
雨風凌げていた屋根もなければ、食事も自分で何とかする他無い。ゴミを漁る事を覚え、服は汚れ、要らぬ同情を買う様にもなった。
通行人に向けられる感情はどういった種類であってもオレの胸を最初は怒りで満たし、次第に何も感じなくなっていたから、好感に近い感情を抱くのは此れが正真正銘初めてである。
其れは単純に眼前の青年が何処か人と違うオーラを纏っているからかもしれない。
此の青年の作りは、魔のモノっぽくないという意味に於いて殆ど他の連中と大差ない作りをしているけれど、オレが散々言われた「魔のモノを思わせる程整った顔立ち」と言うのがあれば此の青年は確実に当て嵌まるし、寧ろオレの顔なんて人として整っている程度にしか思えてこない。
本当に魔のモノなんじゃないかと思わせる。
オレは此の青年の正体が気になった。
正体次第で態度を変えるつもりなんて毛頭ない。ただ純粋に、好奇心として気になったんだ。
其れに好奇心と言うのならもう1つ、何故路肩で蹲る小汚い少年に声を掛けたのかというのも気になる。
同情心や優越感に浸りたい気持ちからではなさそうで、自己満足でもなさそうで。
掛けた言葉の内容や浮べている表情から慈善事業を謳う団体様とも違う雰囲気だ。
じゃあ、何で?
「次はオレから質問。良い?」
「へぇ。だんまりを決め込んでたから寡黙なヤツかと思ったが、存外饒舌だな。オレも見る目が曇ったか?はっ、歳はとりたくないねぇ」
何歳だよ!?傍目には此の青年、オレと大きく歳が離れている様には見えない。少なくともハタチじゃなさそう。百歩譲って童顔だとしても10歳離れているとは考えられない。
此れ以上オレの頭上に疑問符を増やさないで欲しい。
「……えっと、アンタは何でオレに話し掛けたのさ?見たところアンタは慈善事業を訴える聖職者気取りにも、自己の心を中途半端な親切で満たすタイプにも見えない。じゃあ何で?」
「お前が自分でも言っただろ?オレは身勝手な事情で人を放り投げるヤツを好いちゃいない。まあ、お前の指摘通りオレは慈善事業を掲げたいワケでもなければ、御明察通りつーか分かり易いだろうけど教会の人間でもないさ。ただ身勝手で放り捨てられた餓鬼の中で、オレが見込み強だと思ったヤツ、惹かれたヤツに声を掛け、選択肢を与えてるだけだな」
言って青年は大仰にも思える仕草でオレの方に手を差し伸べた。
差し出された手は華奢にも思えるほどで、青年の推定年齢にしては小さくて、汚れを知らないような綺麗な物だった。少なくともオレみたいな薄汚れた餓鬼を触りたいとは思えないだろう。
だって慈善事業を掲げた教会のお偉いさんだって、オレに触れるのは戸惑って、思わず顔を顰めて、教会での保護を持ちかけつつオレに手を差し伸べる事はなかったんだから。
今迄誰かに手を差し伸べられた事なんてなくて、だからこそオレは面食らったし、躊躇った。此の綺麗な手をオレが触って汚しちゃいけないと言うか。
路肩に蹲る小汚い餓鬼って立場を心底から痛感したと言うか。
戸惑うオレに気付いていないのか、気にしていないのか青年は言葉を続ける。
青年の顔には何処か事態の成り行きを楽しむ様な、子供染みた笑みが、其れでいて無邪気さとは縁遠い腹に幾物も抱えていそうな笑みが浮かんでいる。
「此の儘今日の事を忘れて今迄と同じ生活を送るか、其れとも今以上に人の道を外れてみるか。他を踏み潰し、奪う、蹂躙する側にまわるかってトコだな」
「……潰す側」
思わず青年の言葉を復唱する。
其れで何となく、青年風に言うなら決定打に欠けるものの幾つかの選択肢は浮かんだ。そして其れは青年の言動や雰囲気からして、決定打に欠けてるっていうのは多分言い訳だ。
「お前も薄々察しているだろうが、オレは魔王だよ。お前を魔族として生かす事や魔王の眷属とする事なんて容易い。ただ其れはお前が生きていた世界に牙剥き、元同族を種族ぐるみの相容れない天敵として潰す事を意味する。其れを忌避したいと望む思いを否定はしないし、此処で断ったからって口封じはしねぇよ。だからお前が決めろ」
魔王。
青年が明かした彼自身の身分は大分ぶっ飛んでいるものだったけど、彼自身が言った様にオレが薄々察した通りの答えだった。
其れなら明らかに本物らしい魅力も、彼が纏う雰囲気も自然であり、明らかにハタチ手前にしか見えないというのに歳をとりたくないと笑ってみせた事も納得出来る。
魔の物は根本的に人間と造りが異なり、不老不死とはいかないにせよ人間より頑丈であったり桁外れに長生きであったりと、時間経過による影響が違う。
そうした魔の物の頂点である魔王ともなれば身体構造も桁外れであって不思議は無く、そうなれば其の副産物として歳若い外見のままに何十年何百年と時を重ねていても、驚愕に値する事ではない。
差し出された手を見つめる。
人間は実の親さえオレを拒み、慈善団体でさえ小汚い子供に触れる事を躊躇った。
まだ2つ3つだった頃ならまだしも、今のオレに彼等に媚び売って好かれたいという気持ちが如何して残っていよう。此の世界に牙剥く事も、一応現在では同族である人間全てが相容れない天敵になる事も、如何して今更躊躇う必要があるのだろう。
そもそも人間がオレの味方だった瞬間なんて、今迄生きてきて1度だって無かったのだから。
でも違う。
そんなもっともらしい理由を並べた所で、本当の意味で正解でない事はオレ自身がよく分かっていた。
オレは今、こうしてオレに手を差し伸べてくれている青年に、魔王に惹かれているのだ。どうせ捨てたも同じ、碌に使い道さえない此の命を、彼に仕える為に使えるのであれば、其れはどれ程の幸福だろうと、そんな夢想に震え上がりそうな程。
オレは確かに、興奮さえ抱いている。
「……そんなの、本当はわざわざ聞くまでも無く分かってるんじゃないの?」
「一応オレは個人の意思を尊重する王であるつもりなんでね」
冗談めかし、悪戯っぽく笑う姿は気安くて、傍目には人間界を脅かす魔の物を束ねる王には見えないだろう。
人は見掛けによらないというのは、人間に限った話ではないのかもしれない。そんな如何でも良い事を頭の片隅に思いつつ、オレは人生を変える決断をあっさりと下した。
もっともそんなもの、彼の正体を知る前から、彼に手を差し伸べられてから。
其の時点でとっくに決まっていたのだろうから今更だが。
触れた綺麗な手は、オレみたいな栄養不十分な餓鬼でさえ思わずぎょっとする程華奢な作りをしている。
実際魔王がどんな戦闘を好むのかは知らないが、伝聞で有名な所の魔剣なんかを振り回せる様には到底思えず、此の手から村1つ消し去れる程の魔力が放出されると言われてもピンと来ない。
それこそオレの力だけでも折れてしまいそうな、か弱ささえ感じられる。
ただ不思議な事に、ひ弱なイメージはない。
此の青年について行っても大丈夫だと、此の青年は魔王の器に足る者だと思わせるだけの何かが、冷たく華奢な手を通して十分に伝わってくる。
オレはそんな彼の手に触れたまま、彼の方を見上げて精一杯に偉そうな笑みを浮べてみせた。
意識しなくともオレが浮かべる笑顔なんて、歩んできた人生のおかげか酷く歪んだ醜い物になっているんだろうけど、此の人の前では何故かとうに忘れた筈の、或いは初めから知らなかった筈の純粋で喜色だけを湛えた笑みが零れそうになるのだ。
同時に彼が纏うオーラの前には生半可な嘲笑やプライド等、無意味で紙切れにも等しい様な。
だからこそオレは精一杯に偉そうな、捻くれた笑みを浮かべられる様尽力した。
「アンタの思ってる通りだよ。オレは此の世界に牙剥き、此処の住人の敵になる事なんて何とも思ってない。アンタの眷属になってアンタを守るよ」
果たして其の成果はあったのか。
青年は楽しくてたまらないと言う様に、無邪気にさえ見える幼い笑みを零したから、きっと失敗していたのかもしれないけれど。
次いで彼が発した、此れからよろしくなという言葉に、そんな失敗さえ如何でもよくなっていた。
何度此の時を夢に見ただろうか。
此の時を、此の瞬間を求めて、一体何人の冒険者達が命を落としたのだろうか。
興奮。緊張。言い様の無い感情。
そうした様々な物に支配され、高鳴る胸を無理に抑え付けようとしつつ、豪奢な造りの門に手を掛ける。
細工の一々が細かく、上品な美しさをしているのが興奮と緊張の最中、憎悪で渦巻く胸中、決戦を眼前に控えているといった状況であるにも関わらず嫌でも目に付いた。
勿論細工の美しさに目を奪われる事はない。
比較するのも罪深い、例え話で止めるにもおぞましい話ではあるが、こうした細工を成されているのが旅立った故郷の城であれば其の美しさに目を奪われ、溜息も漏れ出ただろう。しかし此処は何人もが何年にも渡り憎悪だけを向け、事実何人もの命を気安く奪ったモノの根城。魔王城なのだ。
そうした敵地の城が豪奢であった所で感嘆等抱きはしない。
しかし戦いに赴くにあたり、嫌でも目を奪う美しい装飾は或る意味で抜群の効果を発揮した。
此の扉の装飾1つに罪の無い村が焼かれたのかもしれない。
其の年を凌ぐ金品を強奪し、些細な装飾を施したのかもしれない。
或いはもっと直接的且つもっとおぞましい事に、今迄命を奪った人間の骨や臓器で飾り立てられているのかも。
魔王や魔族であれば行っていても不思議でない想像はあまりに鮮明で、魔王に対する怒りは更に燃え上がる。
最早恐怖等其処には無く、魔王を討ち取る事だけが脳内を占める。
果たして趣味の悪い扉を開け放った先には、魔王が1人立ち尽くしていた。
溝川を思わせる淀みきった醜い緑の目が、此方を真正面に捉える。一瞬其の目が発する威圧感に身が竦み、其の目の醜さに吐き気さえ抱いた。
ものの、辛うじて取り成す。
己に渇を入れ直し、代々受け継がれている伝説の剣を構え、魔王の隙を窺う。
世界の半分という甘言で誘われても無論、揺らぐ気は微塵もありはしない。
ぞっとする程白い、魔王の穢れた片手が何かを、恐らくは魔力を練る様に動く。
武力や腕力、剣術では誰にも劣らぬ自信があり、現に使い慣れた愛剣で魔族を何匹も倒してきた。
驕りではなく魔王にも引けを取らぬ自信はあり、事実歴代冒険者の中では1番そうした術に優れた冒険者だと周囲には言われてきた。
しかし冒険者は万能ではない。
剣術武術に極端に秀でているツケなのか、魔力に対する才能及び耐性は皆無であり、情けない話だが魔法学校入学前の幼児が練習に扱っていた小さな攻撃魔法を喰らっただけで数日間寝込んだ過去さえ持っている。
魔王の腰に武器の類が一切見留められないあたり、魔王は次なる冒険者の腕や弱点を全て把握していたのだろう。
幼児の魔力でさえ寝込んだ自分が魔王の魔法を、仮に手加減されていたとしても僅かに喰らえばどうなるかは想像に難くない。
魔王討伐の旅に出る際、絶対に殺してやるという覚悟と共に己が殺される覚悟も決めていた。
ならばする事は1つだけだ。自滅覚悟で魔王が魔法を振るうより先に切り込んでしまえば良い。
覚悟を改めて決め、剣を握る手に力を込めて地を蹴った。
果たして、憎き魔王は此の剣に敗れた。
人間の姿をしていたがやはり魔王は所詮魔王、人間とは異なる生き物だ。
血を撒き散らし、其の場に糸が切れた人形の様に倒れた。ぴくりとも動かない姿を見て、しかし其れで長年の恨みが治まるワケもない。
動かぬ、恐らくは骸に更に剣を付き立てようと魔王の血で染まった剣を振り上げた時、魔王の姿は砕け散った。後に残るのは床を汚した、魔王の汚らわしい血のみ。
無論1人の力で魔王を討ち取ったとは思えない。歴代冒険者が確かに魔王を弱らせ、其の結果止めを刺せたと考えた方が利口であり、正解だろう。
其れでも寧ろ恨めしい程あっさりと死に絶えた魔王に、此れ程弱い存在に脅かされ、命を何とも思わずに搾取されていたのかと考えるともっと早く自分が立ち上がるべきであったのでは?という怒り混じりの疑問さえ湧き上がる。
しかし結局其れは言っても仕方の無い、自惚れに過ぎない。
無意味で傲慢な感傷を振り払い、魔王城を後にした。
こうして1人の冒険者の活躍で魔王は討ち取られ、世界は平和になった。
冒険者は勇者となり、王の娘と結婚して、王となった。
みんながみんな、幸せに暮らしましたとさ。めでたし。
「目を開けてよ」
返事はない。
此の人が寝起き最悪なのは分かってる。其れでも声を掛けずにいられなかった。
「とっとと起きないと、まぁた先輩達が心配するんだからさ」
オレの先輩の事を思い出す。
新参のオレもやさしく受け入れて、オレの過去も気にせずに同等に接してくれた人の良い彼等。
彼等も此の人を慕っていて、此の人の身を案じている。だからなかなか起き上がらないなんて事、寝起きが最悪だから珍しくないのに、一大事になりかねない。
とは言え今ではオレも心配する側になってしまったから、あまり先輩達の事を笑えないけど。
「ねぇ」
起きない。
何時からだろう。此の人が持つ治癒の力が弱くなっていたのは。
或る程度の怪我でも簡単に自然治癒してしまった。其れが此の人の力だと本人からも、先輩からも聞かされていた。其の力が目に見えて弱まったのは何年前だっただろうか。
其れなのに恐らく枯渇していただろう治癒魔法を此の人は自分に使う事無く、オレ等に与えていた。其れで治りが遅くなっても、優秀で心配性な眷属達が看病してくれるのだから其れで良いと。
あの怪我も穢れもなかった白い肌に、白い包帯が、生々しい傷跡が、火に爛れた痕が目立つ様になったのは。
其れでも其れ等全て隠して、何時も通り余裕そうに此の人は笑っていた。
初めて会った時と、まるで変わらなかった。
「アンタ、如何したの?」
治癒魔法を絶やす事無く、初めて会った時、オレが掛けられた言葉を、今度はオレが返す。
初めて会った時、オレは無言を答えとした様に、此の人は何も話してくれない。
此の人の胸を裂いた大きな傷は、オレの治癒魔法でも塞がる気配がない。
「大抵の事情は推測出来るけど、どれも決め手に欠けるんだよね。勝手に推測されて的外れな結論を出されたくないなら、口を開いたらどう?」
城内に聞こえるのはオレの声だけ。
あれだけ沢山いた眷族も、先輩を含めてもう誰もいない。
此の人が追い出したから。でもみんな此の人に逆らったから。
だって何時も助けてくれたのに、あそこから救い出してくれたのに、危険になったからって見放せる筈がない。
オレ達は何処かでこんな時の為の盾になる事を望んでいた。其れなのに此の人は1番守りたい時に、オレ達全員を切り捨てた。
もう用無しなんだよ。なんて乱暴な口調で言い捨てて。
眷属が侵入出来ない呪いを城に施して。
もう簡単な魔法さえ練れない程衰弱しているにも関わらず、1人人間と対峙した。
其の結果がこうなる事を本人が1番分かっていたというのに。
魔族がいる限り人間は襲ってくる。其れを退ければ怒りを増して更にまた。
人間が全滅するか、魔族が全滅するかしなければ終わらないと此の人は呟いていた。但し人間の場合はもう1つ動きを止める可能性があると彼は口にしていた。
其の時、此の人は此の未来を描いていたのだろう。
魔王が死んで、他を助ける未来を。
そんなもの、いらないというのに。
いっそ使い捨てにして、彼の盾になって、敗れた方がオレも先輩達も幸せだったのに。
「さすが魔王と言うか、酷い人だよね。アンタ。こんな形で助けられたら無駄死になんて出来ないじゃん」
努めて皮肉っぽく笑おうとする。成功したのか否かは分からない。
眼下の青年はどんな笑みも浮べてはくれないから。
「……魔王が死ねばめでたし、って一体誰が決めたんだよ……」
オレの呟きは、虚しく城内に溶けた。
あの時、路肩に蹲る薄汚い少年に差し伸べられたやさしさは、もう其処にはなかった。
1人の人間の活躍で魔王は殺され、人間は平和になりました。
魔王の眷属は彼を守る事も叶わず。
それでも魔王の死によって、人間からの攻撃は止み、表面上の争いは一切なくなりました。
……めでたし、めでたし?