第8話
私は母のことをほとんど覚えていない。
母が亡くなった後、あるとき幼い私に王妃がぽつりと言った。
「あの子、いつも無表情で声もなく泣いていて気味が悪いと侍女が言っていたわ。まるで壊れた人形のようだと。陛下はあれのどこに興味を持ったのかしら?」
幼いころの記憶なんてぼんやりとしか覚えていないけれど、この言葉だけはまるでさっき言われたかのように今でも鮮明に思い出すことができた。
母に付けられた侍女はすべて王妃の息がかかっていたようだ。
侍女たちは母に優しくしたり母を慰めるようなことはしなかったが、だからと言って積極的に悪意を向けることもなかったらしい。
幼い私の記憶とは裏腹に、王妃のその後の功績を見ると愚かな人ではないということは良くわかる。
当時の王妃は母が私を身籠ったことで少し感情的になってしまっていたのだろう。
私にぽつりと言ったことも、幼い私に理解ができるとは思っていなかったように思う。
プライドが高く勝気で向上心にあふれた王妃にしてみれば、低い身分であったにもかかわらず子を授かり側妃になれたのになぜ悲嘆にくれるのか、そんなちっぽけで弱い女のどこに国王が惹かれたのかが理解できなかったのだろう。
王妃が幼いころから王妃たるべく努力をしてきたであろうことは想像に容易く、水を差された形となった王妃もまた、あるいは被害者であったのかもしれない。
これは物事を理解するようになった時分に、母の死や当時のことについて調べた私の結論。
後に残ったのは何とも言えない虚しさと王妃が言った言葉、そして「かわいそうな人」という母に対してのイメージだけだった。
母が亡くなってからは誰からも忘れられたように離宮で日々を送っていた。
穏やかではあったが、閉ざされた空間ですることもなく、毎日がただ無為に過ぎていく日々はあまりにも長く、まるで時が止まったかのようだった。
ツェザーリが私の前に現れたとき、私はあっさりと死を覚悟した。
この世に未練などなかった。むしろこの永遠のような時が今日で終わるのだと内心では歓喜すらしたように思う。
結婚させられてもどこか他人事のように感じていた。
けれどツェザーリに組み敷かれたことで、これまで心の奥底に閉じ込めていた感情がせり上がり、蓋を突き破ってわっと悲鳴をあげた。
いや、いやだ、嫌っ。
こんな見ず知らずの男に勝手され、体までも蹂躙され、母のようになってしまうの?
母と同じ運命をたどるの?かわいそう人になってしまうの?誰からも忘れられてしまうの?
私にはツェザーリを受け入れることは到底できなかった。
それからツェザーリは表面上は紳士的に接してくれた。
国の現状からツェザーリが身勝手で野蛮なだけの人ではないのだと理解するにつれ、彼のことをもっと知りたいと思うようになっていった。
ツェザーリに組み敷かれたときはあんなに嫌だったのに、季節が移り変わり肌寒くなってきたころには、ツェザーリによって初めて与えられた人の温もりというものが、ついには恋しいとさえ思い始めていた。