第3話
振り下ろされる剣がやけにゆっくりと見える。
刃先が体を撫でるかのように通過すると、そこから鮮血が一気に噴き出した。
その様を眺めながら、のんきにも案外痛くないものだ、と思っていた。
ふと手を見ると、無意識に切られたところでも押さえたのだろうか、手は真っ赤に染まっていた。
「はっ。」
呼吸が乱れ、息苦しい。
もう一度手を見てみるも血はついていない。
切られたはずの体は、先ほどの暗い色のドレスではなく、白色のシルクのネグリジェを纏っていて、そっと胸に手を当ててみると、いつもよりも早く心臓がドクドクとリズムを刻んでおり、そこから手を撫で下ろしてみると、普段と何ら変わらないなだらかな双丘とペタンコなお腹があるだけである。
見渡すといつもの寝台の上にいて、見慣れた家具に囲まれている。
部屋には日が差し込んでいてやけに明るく感じられた。
男2人が入ってきた時、私は死を覚悟した。
長い長い時間を過ごした、この冷たい場所で、斬り殺されるのだと。
しかし、そんな覚悟もむなしく、2人は私を殺すことなく去っていった。
恐らく私のことも調査済みであったのだろう。
ならば、何の後ろ盾もなく、国民に存在すら知られぬ王女など殺すに値しないということなのだろうか。
それとも何か生かしておく理由があるのか。
暫くすると、ヴェリニジ王国から来たと言う侍女3人がやって来て、食事に湯浴みにと甲斐甲斐しく尽くされ余計に戸惑うことになった。その日は一睡もできなかった。
彼女らは次の日も朝はやくからやって来ると、私が持ってる中で1番華やかなドレスを私に着せると、凝った髪型にメイクまで施し、どこかへと連れて行く。
何も知らされぬままにやって来たのは、今は亡き国王の執務室であった。
促され中に1人で入る。執務机に向かう王子と控える見知らぬ男。
男はツェザーリの側近のイーニアスと言うらしい。
いかにも文官といった見た目で、そこに鋭利さは感じられない。
「どうぞこちらへ。」
イーニアスに促され執務机の前まで行くと、息つく間もなく1枚の紙をずいっと前に置かれる。
「ではこちらにサインを。」
書類に目を落とす。
「ああ、こちらを渡し忘れていましたね。」
そう言ってペンを寄越し、書類のサイン欄を指でトントンと指し示される。
ちらりと王子を盗み見るも、相変わらず書類に没頭している。
「さあ。」
イーニアスに畳みかけるように満面の笑みで再度促されると、その有無を言わせない様にサインをせざるを得なかった。
「それにしても、書類だけとはあんまりですよね。これからが大変ですね。ああ、そういえば今後のことはお聞きになられましたか?」
「いいえ。何も。」
「何も?」
「ええ。」
「昨日は?」
静かに首を振る。
「まさか…。」
イーニアスから不穏なものを感じた気がした。
「忙しくてな。」
それまで書類に没頭していたツェザーリが顔を上げた。聞いていたらしい。
「そうでしたか。どおりで戸惑っていらしたのですね。それでは私が説明いたしましょう。ツェザーリ殿下が国王になると同時に、ラシェル様には王妃になっていただきます。先ほどサインいただいた書類は結婚契約書です。ああ、ヴェリニジ王国は一夫一妻制の国なので、今後側妃を娶るということもございませんのでその点はご安心ください。」
「あなたとの結婚は我々がこの国を支配下に置いた証であり、無駄な争いを避けるものだ。」
要するに人質というところか。
部屋を出ると、きちんと確認してサインをしなかったことが悔やまれた。
しかし、サインをすることを断固拒否したところで、今や彼がこの国の秩序であって、彼が是なのである。
サインをしようがしまいが結局は変わらないだろう。
その日の晩。いわゆる結婚初夜。
侍女たちに手伝われて丹念に湯あみをし、髪には香油まで塗られ、白色のシルクのネグリジェを着せられていた。
改めて自分の姿を見て、思わずため息がもれる。
せめてもの抵抗にとツェザーリを待つことなく寝台に潜り込む。恐らく来ないだろう。
それでも、悪い想像をせずにはいられなかった。
もし来たらどうしたらいいのだろうか。ただ素直にツェザーリを受け入れるということにはとてつもない抵抗があった。
しかし、それを受け入れることが私の運命であるようにも思われた。
あのまま寝てしまったか。
やはり昨夜はツェザーリは来なかったようであった。
ほっとした半面、死刑宣告が先延ばしにされただけのようにも思えた。
それと同時に、『お飾りの王妃』という言葉が浮かび、こびりついて離れなかった。
ふとよぎる面影。ただ母のようにはなりたくなかった。