謙虚な謀略者
何のために書いたのか忘れた作品です。誤字もそのままだったので、どこにもアップしてないのは確かなようです。(さすがに修正しました)
なんだろう。面白いと思っていただければ幸い。
注 作中の時間、距離などの単位系はもちろん全く別の単位系であるが、作中人物と感覚を一にするため二十一世紀地球のものに換算している。
遠いようでそう遠くもない未来のお話。人類は不愉快な労働から解き放たれた。いや、まだごく一部物好きな人達がいたのは事実であるが、大半の人類はもっとも不愉快な仕事をしなくて済むようになった。
一つは輸送手段の革命による居住圏の爆発的な拡大。今ひとつは補則を加えた修正三原則をそなえたロボットの普及である。判断力を備え、高度なものは人間に劣らぬ思考力をそなえたそれらの普及を新しい奴隷制度の始まりと訴える者もいたが、実態はシステムであり、そうと言いきるにはむずかしいところもあった。
人間は働かなくなったかといえばそうではなかった。人によってはこれまでと変わらず忙しく、ただ全体に少し余裕ができたくらいである。そして、過去の人間が不愉快な労働を行っていた時代を覚えているものがいなくなるにつれ、相対的にはそうたいしてかわりもしなかったのである。
さて、物語を始めよう。
そこは廃墟だった。だが、完全な廃墟ではなかった。一見すればそれは駅前のバスターミナルのように見えただろう。高いアンテナをそなえた朽ちかけた二階建てがあり、片隅にはつぶれかけた自動車のようなものが五、六台積み上げてあるし、その隣にはこれまた各種作業用のドローンの朽ち果てたのが十数体虐殺の犠牲者めいて折り重なっている。周辺は壁と柱が少し残った建物跡が灌木や茂みに覆われて散在している。時刻は夕方、少し肌寒い風が呆然とする彼の髪の毛をひゅうと吹き乱して通り過ぎた。三十少し前くらいの、日によくやけてはいて顎のすっきりした線のほそい顔に眼鏡をかけているが、この眼鏡は安価なヘッドアップディスプレイである。少したれ目でおっとりした印象。着ているのは防虫剤の臭いのするビジネススーツで、昔はもっと痩せていたのかややぴちぴちである。名前をヒコナという。つい先日までは両親より引き継いだ農園を経営し、惑星の農協でロボットファームの更新、改善の相談を担当していた。
その傍らにはマイクロバスほどもあるリムジンが夕日にそのぴかぴかの車体を輝かせている。
建物の中から人影が出てきた。埃を払って背筋もまっすぐに彼のほうへむかってくる。大柄な人間のようだが、古代の青銅器のような面をつけていて怖い。
「このターミナルは機能していません」
非常に耳ざわりの良い声でそれは報告した。
「機材は撤去済みか破損したものばかり。ビーコンとゲートは受動的なものなので、何者かがこの廃港の座標を指定したのでしょう」
「それはつまり、ここで立ち往生ということか」
「さようです。暗くなってきましたし、一度車内にお戻りください」
ドアにハンドルはついているが、仮面の中の目がちかっと光るだけで、ぷしゅっと音がしてドアが開いた。この仮面男はもちろん人間ではない。この恐ろしげな仮面が証だ。人間でも身体を作り物に置き換えた者はいるが、それと判別のつくようこういう仮面などの見るものの目をひきつけ、警戒心を呼び起こすような造形がなされている。
これは人型ロボットだった。長い複雑な識別子を持つがそれでは呼びにくいのでタロースと呼ばれている。名付け主は前の持ち主。今はヒコナの所有物になっている。
リムジンの中は広くはないものの豪華でくつろげる作りになっており、歓談するための高級酒や凍結してある高級食材をほぼ瞬時に解凍する調理機が備えられている。電源は生きており、閉所恐怖症でないかぎりかなり快適に過ごせそうだ。
「いちばん望ましいのはリムジンがもう一度動いてくれることなのだが」
タロースがかぶりをふった。
「手動で動かせるような作りになっていません。せめて別ターミナルから誘導を行いませんと」
「誰が誘導するんだ」
「いい質問です。私もそれは知りたいですね」
いま、こいつは何をいった? 彼はタロースの顔を見た。時々、こういう人間のようなことをいうロボットがいる。
いやこいつは本当は人間なんじゃないだろうか。ロボットのふりをしているだけの。
だいたい、なぜこうなったのだろう。
そこは小高い開かれた場所で、下のほうでは草取り用のマニュピレータをつけたドローンが二台、メンテナンス用のドローンに見守られながら畑の草取りをしていた。四角く水路で囲まれた畑の一ブロックは地下数メートルまで囲まれた水槽いや土槽というべきもので各種センサーや地中作業用のモグラメカも備えた製品だ。隣のブロックでは土の入れ替え作業が途中で投げ出されている。
泥のついた軍手と作業着すがたのヒコナはそこでタロースと会った。ロボットファームだからといって人間がまったく手を動かさないわけではない。歩留まりのよいロボットファームではオーナーの人間もまた勤勉なのだ。
インカムに農園を統括するロボットから来客あるむねきいていた彼は、一休みして涼んでいた。働かなければ生きて行けないわけではないが、ちょっとした贅沢や何か学ぶなら収入があるほうがいい。同じことばかりやるのも面白くない。この農園も農協に委託管理していたのを前の仕事をやめた契機に委託をやめて再開したものだ。ノウハウは設置されてから半世紀近くたつ農園ロボットに蓄積されているので、相談したり教えてもらいながら、ようやく一工夫、二工夫付け加えることができるようになった。
慌てることはないが、そろそろまた次を考えてもいい。その中にはここで家族を持つというのもあったが、縁がなければ始まらない。直接会う人間の数は通りすがりを含めても都会でもかなり少なくなっているのだから、縁は積極的に作っていかなければできない。
そんなときに来客である。眼下のドローンも、土槽も自家薬籠中というか、身体の一部として把握している農園が現在地まで教えてくれる。ロボットは統括システムの形を取る場合も、一つの体にまとまっていても、忠実な奉仕者であるために母親のように過保護でおせっかいなところがある。
「頭が悪ければかわいげもあるんだけどね」
状況分析と判断力は人間より優れている。特に人間を認識する点についてはもっとも安価なロボットでも相当な機能をもっている。これはロボット法に人間に関する条項が多いため、絶対に人間を人間でないと見誤ってはいけないからであった。
見覚えのあるエア・スクーターがよたよたとやってくるのが見えた。スクーターはターミナルのある町の農協出張所にいるじいさんのものだ。借りたのだろう。窮屈そうにそれにのってきたのがタロースだった。
ロボットは数秒彼を眺めてから、深々とお辞儀をした。
「認証しました。クニヌシ・ヒコナ様に間違いありませんね」
「君はロボットか」
「はい、前の主はタロースと呼んでおりました」
「前の? 今の主はどなたか? 」
「ヒコナ様、私は相続を待つ身です」
「相続? 」
「はい、相続人はあなたです」
彼は驚いた。
「人違いではないのか?」
「ロボットが人違いをするとお思いですか? もしそうなら私はオーバーホールしなければなりますまい」
「いったい、誰なのだ? 」
安価なロボットなら問い返されただろうが、このロボットは正しく認識した。
「あなたの大伯父にあたるかたで、サトミ・ナガトというかたです。私はタルタロスという別のロボットともにその秘書をしておりました」
「聞き覚えのある名前だ。たしかミルキーウェイ・ロボットサービスのオーナーなのでは」
最大手ではないが、得意分野ではトップの成績をもつ会社だ。
「はい。間違いございません」
「うちの親戚とは知らなかった」
「ご親族には伏せておりますゆえ」
「その相続人が僕ということは」
「はい、まことに残念ながら穏やかに終焉をお迎えになりました」
「お会いしたことがないのは残念だ。だが、なぜ相続人が僕なのか。他にも親族はいたと思うが」
「法定相続分につきましては生前分与で処理済みです。親族がたは生活に困らないだけの資産を受け取っております。あなたの農園もそうなのです」
「そうだったんだ」
知らなかった。知りようもない。彼が生まれるよりも前の話だ。
「私はナガト様の指定相続分です。あなたが同意してくれればあなたの所有となります。拒否された場合は政府預かりとなって競売に付されます」
ヒコナはタロースを値踏みした。
「なぜ、僕が指定されたのだ? 」
「あなたは、ミルキーウェイ・ロボットサービス社の後継者候補なのです」
脱いだ軍手がぼとっと草の上に落ちた。
「リムジンはミルキーウェイ社の備品であり一部でした。出発した時点でもそれに間違いはありません。途中制御を離れましたが、こうなることにミルキーウェイ社が関わってないはずはありません。それならば、可能な限りリムジンを回収できるようにするでしょうし、人命を危険にさらすことはできないはずです」
タロースは説明した。
「だから、いつか誰かが誘導しにくるはずなのですが、それはいつ来るのかが問題です」
「よびつけておいて、遭難させるとはどういうことだ」
「二つの意志が働いていると推測します。一方は後継者を決めるための親族委員会、もう一つはさて、ミルキーウェイに暫定でもオーナーがいるのか、何者かにコントロールを奪われたのか」
「とにかく、この状況をまずなんとかしたい。ここはどこだろう」
「自然主義者の保護区かも知れません」
自然主義者とひとくくりにいってもテクノロジーをある段階から先まったく否定し、破壊する過激なものからロボットを否定するだけのものまで多様である。彼らは自分たちの生活様式を守るための居留地をいくつか特権的に得ている。自然主義者のようにくらせなくても、あこがれる支援者にはことかかないし、自然主義の指導者たちも影響力のある人にせっせと働きかけている。
そのへんの結局俗っぽさを嫌う人も少なくない。ヒコナはどっちでもよかった。
「外部接続できないので、情報は不十分です。ただ、遠目に見張っている人間が二名おります。朝になればやってくるでしょう」
「目下、打つ手なしか」
「今は、休息を取ってください。明日、彼らと話をするのは私では不都合が予見されます」
「そうだな」
不幸中の幸いは、このリムジンは移動することをやめただけということか、彼は室内を見回した。飲食物も、寝る場所もあるし、空調もきいている。
「ゆっくりやすませてもらおう」
翌朝、彼らはやってきた。遠巻きに十数人、武器を手にしているのは容易に察することができた。そして代表者二名が銃を手にリムジンのそばまでやってきた。
「挨拶してくる」
身なりを整えると、彼は外に出た。
「こんにちわ。迷子です。ここはどこですか」
代表者の男二人はきれいに整えた髭面を見合わせた。
「知らんのか? 」
「ターミナルはあるけれど、もはや機能してないから、自然主義者の解放区らしいということまでしかわかりませんね。そもそもここに車がついてしまったことが何かの間違いなんです」
二人は再度顔を見合わせた。
「ちょっとだけ相談させてくれ」
「せめてどこかだけでも教えてくれませんか」
「それも含めて相談させてくれ。そうだ、あんたの名前とどこの人か、それと同行者がいればそれも教えてくれるか」
彼は自分の名前と、農園の名前を名乗った。嘘はいっていない。今時点ではまだ一介の農園主である。
「ずいぶん豪華な車にのってるが、どこにいくつもりだった? 」
「場所は知りません。ただ、この会社に話をしにいくところでした」
指差したところにはリムジンにつけられたミルキーウェイ社のロゴ。
「その車、ロボットか? 」
「いえ、誘導を受けて動くだけのデバイスです」
「ロボットはいないのか? 」
彼は少しためらった。が、それでもうばれたも同然と気づいた。
「います。自律型の汎用ロボットが一台」
「どうして…ああ、気にしないでくれ」
察して髭面その一が鼻で笑った。
「では相談してくる。少しまっててくれ」
「では、一旦中で待ってます。朝食がまだなので」
「ああ、好きにしな」
男たちはかすかに苦笑したが気持ちよくそういった。
中に戻った彼は、タロースが自然主義者たちの集まっているところを拡大しているのを見た。
「全部で十七人、全員男性で化学反応式の射出武器を持っていますね。電源が無くても単独で使用できる古典的な武器です」
そしてロボットらしからぬ感銘めいた口調で続けた。
「これほど大勢の人間が集まっているのは珍しいことです。ストレスに強い人たちなのでしょうか」
「君たちが現れる前はもっと大勢の人間が集まってくらしていて、危害の加え合いも頻繁だったそうだ。昔の映像の状態のいいのを見たらびっくりするぞ。見渡す限りの人間だ」
先の二人が戻っていくのが映る。集まった群衆に髭面一号が彼から聞いた通りのことを説明している。男はちらっとこちらを見ると一人見張りを指名して物陰まで他の者を誘導した。
「こうなると音が拾えません」
タロースは見張りの男が後ろとこちらを交互にちらちらみているのを指差した。
「ただ、遠くにはいってませんね」
「彼らの身なりとかは見たと思うが、何か推察できるところはないか」
「はっきり言えることはまだありません。着衣がハンドメイド品で本物の自然主義者と考えて間違いがないということくらいです」
そうか、偽物の可能性もあったな、と彼は思った。が、何者にしろ相手がそこまで手配できるともあまり思えなかった。
自然主義者たちは行き過ぎた文明を否定し、本来の人間の暮らしに回帰しようという人たちであるが、否定する文明がどこまでかはグループごとに異なる。共通しているのはロボットを否定し、すべてを人間の手で行おうという点くらい。そこに意図せずとはいえ飛び込んでいるわけだから、問題とならないはずはない。
過激な一派ならただちに壊しにくるだろう。穏便な一派でも対応を間違うと暴力的な反応を引き出すことになりかねない。
ここの住民が武器をもってきたのがその証拠だ。そして男ばかりであるというところに偏狭さを感じる。
先ほどの二人が戻ってきた。
「いってくる」
彼はこれを出迎えた。
「おまたせした」
髭面その一が少し緊張した顔でそういった。
「ようこそネオ・ピルグリム植民地へ。しかし我々としてはあなたの逗留を認められない。速やかに退去していただきたい」
「そうできればそうしたいのですが、車が動かないのです」
「故障しているのではなく、ここのターミナルの能動的な機能が停止しているから飛べないのだろう? 生きているターミナルがあるので、そこから誘導すれば回収できるはず。あれも持って行っていただきたい。たとえ残骸でさえとどまってほしくない」
くわしいじゃないか、と彼は思った。そうか、生まれつきここに住んでいる人ばかりではないのだな。
「ついては、あなたに同行していただきたい。ターミナルまでご案内する」
「職員か誰か、現地にいる人に連絡すればよいのでは? 」
「あのターミナルには常勤職員などいない。外の世界のようにメンテナンス会社から巡回があるだけだ。そして我々の仲間はもうあのレベルの文明には触れないことになっている。だから、あなたが自分でやるのだ」
彼は聞いていて背筋を汗が流れるのを感じた。これは大変なことになりそうだ。
「メンテナンス会社の次の巡回はいつごろになるのでしょう」
「それは我々も考えた。ところがいつもより早く巡回がやってきて次が来るまで三ヶ月またなければならない。それまでここにとどまるかね? 」
思わず顔をしかめてしまった。昨晩、タロースはこういわなかったか? 「いつ、誰が誘導するのかが問題」と。そして巡回スケジュールが変わったというところに作為がないとどうしていえる? ミルキーウェイ社が一部始終は知っているはずだから、まったくの時間稼ぎにすぎない。だが、何者にしろ有能でおそらく野心のある人間に時間を与えるのは危険だ。比べて道中の危険はいかほどであろうか。それを緩和する手段は一つしかない。
「わかった。同行しましょう。あなたがたは嫌でしょうが、私のロボットも同行させてもいいですか? 」
「だめだ」
予想した通りの返答だった。なんとか説得しようと口を開くのをそれまで黙っていた髭面その二がとどめた。
「我々がうけいれがたいから、という問題ではないのですよ」
見かけに相違して、実に穏やかな口調だった。
「もともとは普通の世界であったこの土地が我々に解放されたことには理由があるのです。ロボットはこの土地が受け入れない。あなたが出かけた後も、絶対外にでないようにあなたのロボットに命令しておきなさい。理由は道すがらお教えしましょう。見た方が早い」
「行程は一泊二日の予定だ。準備をすませてくれ」
それだけ申し渡すと、二人は一旦引き上げて行った。
彼は困惑を隠せないまま車の中に戻り、タロースにすべてを話した。
「私は壊されることになっても、あなたを危険にさらすわけには行きません」
これも頑固な回答だった。
「なにか、この土地についてわかることはあるかい? 」
「ありません」
「では、君が同行しないことで危険にさらされるかどうか、あるいは同行することで危険にさらされるかどうかは不明ということだ」
「そうです」
組み上げたばかりで学習の足りないロボットに、よくこういう風にいってきかせたな。彼はおかしく思った。学習の足りないロボットはまだ自分の手足をもてあましている状態だが、このロボットは十分な時間の学習を経た、しかも超のつく高級ロボットなのだ。これはおそらく公共データベースから遮断されたこんな状態にはさすがに不慣れなせいだろう。
「地元の人間に害意はない。そしてロボットにとっては何か脅威があるが、人間にとってはそうではないらしい。で、あれば君はここで待機しているほうが僕にとっては安全ではないかな」
「わかりました」
タロースに感情は無いはずだ。しかしその声に恥じ入ったような響きを彼は感じた。
ロボットたちは過保護だ。前の仕事についたときに真っ先に教えられたのはそのことだった。子供のころからロボットたちに囲まれていた彼にはすぐ納得のいくことであった。また、目から小さな鱗の落ちる思いもあった。人間を守るためには危険を顧みない彼らは献身的であるというより、繰り返しになるが、まるでおせっかいな母親のようなところがあった。それは時々本当によけいなことであるが、ロボットにはロボットなりの理由と判断がある。ロボットシステムを組み上げるということは、企画と設計に加えてそんなコンサルタントめいた仕事も含まれていた。
「携帯端末にブースターをつけてもっていくよ。たぶん途中までは届く。必要なときは連絡する」
「これをお持ちください」
タロースに渡されたのはリムジン備え付けの非常持ち出しかばんだ。
「遭難時に必要なものがまとまっています」
「ありがとう」
これに少し小物を加え、一枚外套をはおったところで迎えが来た。
迎えは馬車だった。これに髭面その二と先ほどまではみなかった少年二人。それに荷台の半分ほどを占める荷物。生きた馬を間近に見るのは初めてで、その鼻息あらいいかにも悍馬の有様に思わずひるむのを見て、自然主義者の三人はにやりと笑った。
「いや、もうしわけない。外の人はだいたい同じ反応をするのでな」
髭面その二は手招いた。
「私はジーロン・スミス。この二人は息子でインリンとヤンリン」
髭を一生懸命蓄えているところといった少年たちは、押さえた敵意のこもった目と、どこか小馬鹿にした目で会釈した。
「井の中の蛙ゆえ、少々失礼なところがありますが、今回あなたに道すがらお見せするものはこの子たちにも見せたいのでどうぞご寛容にお願いいたします」
さ、と促されて荷台に上ろうとするが、思ったより高いし足をどこにかけていいのかわからない。一方の少年、インリンが教えてくれてヤンリンが手を貸してくれた。警戒心は強いが、根は善良、親切にしつけられているようだ。
「行きますぞ」
ぴしりと鞭を鳴らすと馬車は思ったよりも速い速度で走り始めた。いや、彼が常日頃使っている交通手段にくらべればかたつむりがはっているようなもののはずだが、流れる地面、過ぎ去る道路わきの樹木を間近にするとその程度の速さでもひどく実感を伴う。自然主義者たちがなぜ不便な生活にあえて身をおくのかわかるような気がした。
「本当は蒸気機関くらい使ってもよいのですがね、化石燃料のないこの惑星ではどうも燃費が悪いのでみんな馬車を使っているのですよ。同じ理由で畑では牛に鋤を引かせています」
驚いている彼にジーロンは説明した。
「ロボットを使っているのと何が違うのか、よく聞かれます」
「どう答えるのですか」
「ロボットに人間と同じかたちの命はない、と」
「蒸気機関にも、ありませんね」
「確かに」
ジーロンははっはっはと豪快に笑った。珍しいことなのだろう。息子二人が目を丸くしていた。
途中、たき火でお湯をわかして彼らのもってきた乾燥食料を煮戻したスープに固く焼き締めたパンを浸しながら食べるという昼食をとった。彼の荷物にももっと簡単に食べることのできる携行食はあったが、万が一のために温存しておけと止められた。
ハーブが強くきいていて、彼はおいしいと思ったがインリンとヤンリンは微妙な顔で食べている。好みは別れそうだな、と彼は思った。
昼食がすんで少し進んだところで道の真ん中に簡単なバリケードがおいてある所を通過した。二人の少年が父親を手伝ってそれをどけ、通り過ぎてからまた元に戻した。少し緊張した顔をしている。ここから先は入ることを禁じられたところなのだろう。周辺に建物の廃墟が増えてきた。
「ここはかつて、もっともロボット化の進んだ場所でした」
廃墟をぐるっと鞭でさしながらジーロンは説明を始めた。
「農園、会社、家の管理、そういったものがすべてロボットに任されていた。ほんの三十年ほど前までの話だ。人間は彼らと適当につきあうだけで何の心配もいらないくらしを手にしていたし、病気や事故は巧妙に回避され、犯罪も芽のうちに摘まれて理不尽な死などほとんど起きなかった。子供たちだってほんとうにのびのび過ごしていたと思う」
なにやらなつかしそうである。
「ところで、普通、一つだけ絶対ロボットシステム化されないものがありますね 」
元ロボットシステム技術者には初歩的すぎる問題だった。
「政府。ロボットの所有者の上位に位置するのに、ロボットではおかしくなってしまう。こればかりはロボットシステム化できない」
「即答にしてはご名答。ところが、ここではそれに手をつけた」
「オーナーは? 」
「選挙で選ばれた首長。複数の自治体の間の微妙な問題は首長同士で話し合って決まったことを命じるということになっていた」
「ふむ、法人にも似た形式がありますね。うまくいきましたか」
いったらこうはなってない、それでもわかりきったことを聞いたのは興味を禁じ得なかったからだ。
「実のところ、かなり長い間うまくいっていました。自治体ロボット同士の問題は人間の首長とそのスタッフで調整され、民間ロボットと自治体ロボットの利益相反も所有者と話し合うことで解決してきました。ところが、うまくいっているように見える時こそ何かがおきているもの。はじまりは、不在所有者の経営するロボット法人とのもめ事でした。法人ロボットが自分の一部があると思っている土地と、政府ロボットが自分の一部と思っている土地が重なったままもめ続けた結果、政府ロボットが実力行使にでました。ただし、表立った問題にすべきでないという判断はあったので、実に巧妙な方法を用いて係争の箇所の法人ロボットのデバイスにたいして破壊工作を行ったのです。これで政府ロボットは味をしめました」
「そうか、政府ロボットとなると境界線の内側はすべて自分の一部になるのか」
「今度こそご名答。彼らのテリトリーは重なるべきではありません。まして政府というのは干渉するのが仕事です。将来は知らず、今のところ、彼らはそれを所有権の侵害と判断します」
「もしや、政府ロボットはその後も」
「邪魔な法人ロボットや家屋管理ロボットを排除し始めました。いろいろうまくいかないのでだんだん転居する人間が増えはじめました。困ったことに、他のロボットを排除すればいいということに気づいた政府ロボットは一つではなかった」
ここでジーロンは言葉をきった。
「日が傾いてきました。夜営する場所を探します。暗くなってからでは遅い」
薪をあつめてたき火、水の確保、馬のえさの準備、天幕の展張、簡易寝台の設置(親子はハンモックを使った)、キャンプという娯楽は今でもあるため全く無知ではなかったものの、レジャーとしてのそれより手間もリスクも大きな夜営準備は大変そうであった。それをなんでもないという顔でやってのける自然主義者たちの仲間にはとうていなれそうもないと、彼は思った。
たき火をかこんで彼らは昼と同じような夕食を食べた。
「なあに、すぐ慣れます。慣れればこの不便さもまたよろしい」
ジーロンはそういうが、それでも無理だろうと彼は思った。
「それにここはまだ恵まれている。水が昔の水道由来であることに気づきましたか? こんなところにわき水なんかあるわけがない。普通なら川をさがしておっかなびっくりできるだけ浄水して使うしかないのです」
「水道? 」
「暗くなってきましたね。ほら、廃墟を見てください。照明とはいえないけれど、小さな灯りがいくつも見えるでしょう? 」
言われて目をこらしてみると、確かに赤や青の小さな灯りがそこかしこに見える。発光虫のように動くことはない。
「この廃墟は、半分だけ生きているのです」
「ロボットの生き残りが? 」
ジーロンはかぶりをふった。
「システムの一部が生きていて、かろうじて維持されている部分があのような光になっているのです。ロボットはもう残っていません」
「なぜ? 」
「そうですな。少しお待ちを」
ジーロンは何か目をつけていたらしく、立ち上がると迷うこと無く樹木の小枝を一本もぎとった。それをつまんで彼の前に差し出すと、小枝は明らかに人工物の足をだして逃れようともがいている。擬態だ。
「ロボット殺しです。この小さなデバイスがどうやってロボットを見分けているのかわかりませんが、見つけると中に侵入して破壊的なナノマシンをばらまき、ロボット・システムをばらばらにしてしまいます。政府ロボット同士が争うのに使われ、お互いに相手のテリトリーを自分に編入しようとしたようです。主が不在となった彼らは、こう考えたと思われます。係争が続くのは統合管理できていないからで、自己防衛のためには相手をこわして編入するのが最善。どこかで聞いたような話ではありませんか? 」
「政府ロボットたちはこれで自滅してしまったのですか」
「不幸なことに、彼らが姿を消してもこのロボット殺したちは消えませんでした。ここに元通りの生活を再建することはあきらめざるを得ず、ロボットなど使わない我々に解放された次第」
ジーロンは自分の息子たちに捕まえたロボット殺しを投げた。反射的に悲鳴をあげるのを愉快そうに眺めてから、父親は息子たちに問うた。
「おまえたち、こうなってない世界を見てみたいか? 」
インリンはかぶりをふった、ヤンリンはちょっとためらってからうなずいた。
「実は外世界の移住者募集所に誰か出すことになっている。おまえたち、行ってこい」
いやだ、とインリンが答え、いいの?とヤンリンが問う。この二人を見て父親は何を思うか微笑みを浮かべた。
「今日ここで見たこと、聞いたことを覚えておけ。外の世界を批判しろという意味ではない。どんな社会だって経緯は異なれ似たような結果を迎えることがある。一つの価値観に固まるな。他者の価値観、くらしを軽視せず自分の価値観とくらしを築け。それがおまえたち次の世代の仕事だ」
「外が気に入ったら、帰ってこなくてもいいってこと? 」
「かまわん。だが自分で決めたことなら泣き言は絶対にいうなよ」
「俺はここが好きだから絶対帰ってくる」
「それも自分で決めることだ。やっぱり泣き言は通じないぞ」
親子の語らいの間、彼はロボット殺しを観察していた。それはひょこひょこもといた枝に走って行くとびっくりするほどの跳躍力で元の位置に戻った。決めた場所に戻って待機するらしい。結構激しく動いていたが、エネルギーはどうしているのか。
それから携帯端末を出してタロースにメッセージを送った。内容はロボット殺しのこと、あの擬態ロボット殺しについても画像ほか携帯端末程度で収集できるデータは可能な限り添付して送った。
翌朝、夜明けとともに彼らは動き始めた。ロボット殺しは昨日と同じ場所でじっとしていた。
目的地のターミナルについたのは、そろそろ飽きてきたメニューの昼食を終え、腹がこなれたあたり。あのターミナルとちがって荒れた印象はなく、また木造だが新しい建物が隣接され、一文字脱落してしまってはいるが歓迎のメッセージが屋根に並んでいた。ここはどうやら移住者の受け入れを行っているらしい。
馬車がつくと、建物の中から夫婦者らしい太めの男女が現れた。ジーロンが気軽に手をあげて挨拶する。彼をちらちらみながら少し話し込んだ末に、女房のほうが建物に戻ってなにやら支度を始め、夫のほうは壁にかかった鍵をつかむとターミナルの建物のほうへと先導を始めた。
「事情は聞いたよ。こいつんちのハーブいり即席スープを三食とはえらいめにあったね」
気さくな男だった。
「俺は中には入らないから好きにしてくれ。壊さないようにな」
がちゃんと古風な南京錠をあけて扉をあければ少し黴臭い臭いが漂いでてくる。
礼を言って中にはいり、幽霊が出そうな無人の建物を管制室まで上ると、ここは埃をなんども払った人間の活動の痕跡がうかがわれた。もっとも、ミイラ化した死体が椅子に腰かけていたとしても何ら違和感はなかったが。
誘導の手順はリムジンのデータベースから抜き出し、注釈を加えて携帯端末にいれてある。それに従ってスイッチを入れれば死んだようであったターミナルがぶんとかすかにゆれた。あとはリムジンと滞留しているターミナルの認識コードを入れ、接続を確認の後、誘導操作を指示するだけである。
窓の外ではジーロン、インリン、ヤンリンが飛んでくるはずの方向を見ている。管理人はジーロンのそばでなにやら世間話をしているようだ。
五分ほどで飛んでくるリムジンの姿が見えた。ジーロン親子はそれを確かめると彼のほうに手をふって馬車のほうへと歩いて行く。彼も手を振り返した。
スイッチを切って外に出たときにはリムジンは到着していた。だが、なんだか違和感がある。そう、茂みにでもつっこんだように木の葉や枝が大量についているのだ。
いや、それは木の葉や枝ではない。
近づいてそのことに気づいて彼はぞっとした。ばらばらとリムジンからはがれ落ちたそれはしばらくうごめいていたかと思うと、動かなくなった。
「ああ、こりゃあずいぶんくっついたな。中にロボットがいるだろ? 」
管理人が箒を手にやってきた。
「こいつら、いたところからあんまり離れると死んでしまうんだよな」
うごかなくなったロボット殺しをはきあつめ、バケツにいれて持って行く。
リムジンのドアが開いた。彼は管理人にも手をふると乗り込んですばやく閉めた。
「タロース、無事か」
「ロボット殺しのことを聞かなければ危ない所でした」
ロボットは飄々と答えた。
「それよりこのリムジンはまたミルキーウェイと接続できたようです」
「よし、とりあえずここを離れてくれないか。最初の目的地でもなんでもいい。立ち去れといわれているから、なるべくはやくそうしなければ僕の安全が保証できなくなる」
「わかりました。当初目的地に向かいます」
リムジンは初めて音声で応答してきた。軽い加速感があり、あの両日かけて移動した距離よりはるかに長い距離を一瞬で過ぎさる旅に入ったのだと知れた。
「ミルキーウェイ、あの自然主義者解放区の閉鎖されたターミナルへの到着について命令者と命令内容について禁止されてない範囲で説明してもらえるか? 」
「命令者が誰かいうことは禁止されています。命令内容は質問された通りです。先ほどのターミナルにメンテナンス要員がきたときに回収する見通しで、その最大間隔である三ヶ月分の物資を用意しました。しかし私がリムジンとの接続を回復したとき、あなたは外にいましたね。どうやってあそこまで移動したのです? 」
「馬車で送ってもらった」
ミルキーウェイはほんの一瞬沈黙した。
「そうですか」
そしてもう一度言った。
「そうですか」
そして沈黙した。
タロースが彼の顔を見た。
「ヒコナ様、ミルキーウェイ社は一瞬エラーを起こして部分的な再構成を行いました。あなたが彼になにをやったのか私にも分析が及びません」
「僕もわからない。ロボットと対話調整しているときには思いがけずそんなことがある」
「それは、楽しみです」
それはちょっとびっくりするような反応だった。ロボットには感情はない。必要とされるものを積み込んでいるだけだ。一番大事な機能は人間とそれ以外を判別すること、因果関係を分析し、主に損害の期待値から判断を行うこと。
言語応答はあいまいさから判断を行う高度な機能だから、タロースが「楽しみ」といったのはもっと複雑で人間とは異なる意味があるのだろう。
だが、それでも「楽しみ」といったことは事実だ。
二時間ほど静かな時間がすぎて、リムジンは止まった。
外は夜だった。飛び立ってきたところは死んだ都市であったが、ここは生きている都市である。多数の車が車寄せにとまり、あちらでは乗り合いバスに旅行者が多数乗降している。
これも会社のデバイスなのだろう。間髪いれずに地上車が近寄ってきてドアをあけた。タロースがうなずくので、罠ではないと判断して彼は乗り込む。リムジンは牽引車にひかれてメンテナンスドックに向かったようだ。この流れるような手順はすべてミルキーウェイ社のコントロールによるものである。
「それでは、みなさまがお待ちの場所まで」
車の中ではごく自然にそんなアナウンスが流れる。
大きなビルが見えてきた。てっぺんには見覚えのあるロゴがある。リムジンについていたのと同じものだ。これが巨大法人ロボットの一つ、ミルキーウェイ・ロボットサービス社の本社である。
「さすがに大きいな」
「はい、しかし貴方が以前つとめていたところはもっと大きかったでしょう」
「あそこは拠点が分散していてこんな風に集中してなかったからね」
前の仕事、ロボットシステムの最大手の銀河ロボットサービスのことである。会社を自分の体として維持統括するロボットはその本体の所在が秘されていて誰もみたことがない。巨大といわれているし、人間の脳のようにバックアップと補完をかねて二分割されているともいわれているが、社主以外に詳細を知る人間がいるかどうかは伝わっていない。
「これくらいの規模になると全体最適のための葛藤は大変だろう」
あちら立てればこちら立たずという事態は管理対象が多くなると起きやすい。人間は時間と効率のトレードオフができるので「適当」にやっつけることができるが人間より明確に全部把握できるロボットは動けなくなってしまうこともある。性能が高いゆえにどんどん仕事を付け足された高性能ロボットにときどきおきる。まるで違うはずなのだが「機械の鬱病」などと呼ばれることもある。
「そのリスクを少なくするために集中構造にしてあるのです。球体は大きいほど体積に対する表面積の比率が下がりますが、表面積を外とのインターフェイスと考えればまとまるほうが葛藤が起きにくいのです」
「なるほど。くわしいね」
「ナガト様と、私と、タルタロスで大分議論しました。集中した場合には事故や過激な自然主義者の破壊による被害が大きくなります。どちらを取るかは実に悩ましい」
数式をあいまいな自然言語に変換しているだけなのに、なぜこうも人間くさくなるのか。
車は駐車場に吸い込まれて行った。
(ちょっとひっかかる)
ヒコナは何かひらめきそうに感じていたが、車のドアが開いたので後でじっくり考え直すことにした。たいてい忘れてしまうものではあるが。
出ると、プロトコルデバイスが出てきて案内に立った。おもちゃの兵隊をかたどった人の背丈の半分ほどのデバイスで、昔の軍隊の行進のように歩く。
「こちらへ」
案内されたのはがらんとしたホール。中央に背もたれの大きな回転椅子が置かれているが、誰かすわっているとしてもあちらむきなのでわからない。
後ろでドアがしまった。椅子がゆっくりまわりはじめた。
「はじめまして」
げっそり痩せた不健康そうな男がそこにいた。
「俺のことはそこのタロースにきくといい。少し話をしたい」
「あんたが呼んだのかい? 」
傲慢な態度に少し気を悪くして言葉がぞんざいになる。
「こちらはサトミ・ヒョウエ様。先代のお孫さんです」
タロースが耳打ちをする。ヒコナにはどうでもよかった。
「ああ、もちろんだ。せっかくきてもらったのにロボットに門前払いさせるのも悪いので俺が出てきた。もうおまえさんに用はない。帰ってくれ。ご足労代は出す」
「ふうん」
ヒコナは背筋をのばしてなるべく上からヒョウエを睨みつけた。
「あんたの立場は? 」
「この会社の正当な相続者だ」
「そんなことはきいていない。オーナーなのか? 」
「ああ」
一拍置いて返事。
「オーナー代理として登録されています。期限は明日まで」
間髪いれずタロース。
「人間はどうして下手な嘘をつくんだろうな」
ヒコナは苦笑した。
「リムジンの不時着の件、あんたの差し金か? 」
ヒョウエは何か言おうとしたが、どうやらここで気力がつきたらしくがっくり面を伏せた。
「ああ、俺とミルキーウェイで相談して決めた。命令は俺が出した」
(おや? )
ヒコナの中でまたひっかかるものがあった。今度はもう少し見えてきた気がする。
「この会社は俺のものだ。おじいさまの跡をつげるよう努力してきたんだ。それをおまえみたいなぽっと出にさらわれてたまるものか」
頼む、手を引いてくれとヒョウエは哀願してきた。やったことを考えるとかなり厚かましくもあった。
「僕が身を引いても、あんたが継承者になるとは限らない」
ヒコナは言った。
「それを決める人達のところに一緒に行こう」
「同道してもよろしゅうございますか」
声に振り返れば背丈のはんぶんほどのぬいぐるみの熊がひょこっと立っている。
「タルタロス? 」
ヒョウエが不思議そうな顔をした。理解しようとする気力もあまりないらしい。
「クニヌシ・ヒコナ様。はじめまして、私はタルタロスともうします。そこのタロースのかつての同僚でした。このようなプロトコルデバイスでご挨拶する失礼をお許しください」
ロボット同士は自然言語でない大量データ通信で話し合っているようだ。タロースは無言である。
「そしてサトミ・ヒョウエ様。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はナガト様による指定相続分で相続人はあなたです。受け入れていただけますか? 受け入れていただけるなら手続きをまたずオーナーとして仕えさせていただきます」
「どうやら、タルタロスはこのタイミングをまっていたようです」
タロースが小声で告げた。
「人間の表現でいえば、我々はしてやられたようです」
ヒョウエが無気力な王のようにくまのぬいぐるみの忠誠を受け取る声が聞こえた。
「では、ともにまいりましょう。委員会のみなさまがお待ちです」
その委員会とタルタロスの話し合いもついているのだろうな、とヒコナは思った。
そろそろだいぶわかってきたが、もう少しだけ様子を見ようと彼は思った。
案内された会議室には五人の人物がいた。うち、知った顔が一人。彼が前につとめていた銀河ロボット社の社主で一度だけ声をかけられたことがある。
「おお、きたね」
社主は老人だった。この時代、事故を除いて生物学的な死はほぼ根絶されていたが、それでも人はいずれ死ぬ。そのいずれくる死にずいぶん近い年齢だろう。
「覚えておられましたか」
「そりゃあ。後継者候補としてナガト氏から預かったのだからね。辞職されて人事がなげいていたよ」
「あ、そうだったのですか」
察して当然のことだった。
「そういう関係でこの委員もつとめておる。さて、始めよう」
会長が座長にうなずいた。座長はまるまるとした中年女性で、温厚そうな顔をしていたが、みかけに騙されては行けないと本能的な何かが彼に訴えていた。年齢や外見など、この時代なんとでもなる。それをこういう見かけにしているのだ。
「クニヌシ・ヒコナくん」
彼女の声は声量豊かで心地よかった。声楽家でも通じそうであった。
「わたくしは当委員会の議長を勤めるクニヌシ・リンドウです。あなたのお父様はわたくしの甥です。つまりわたくしはあなたの大叔母にあたります。お父様は残念なことでした」
悔やみの言葉に彼は会釈を返した。
「今日、ここにいる委員は銀河ロボットの社主様をのぞいて初めて会う親戚ばかりになります。結論はともかく、今後は身内としてのおつきあいをお願いしますね」
「あ、はい」
リンドウ女史はにっこり微笑んだ。ヒコナはメリットとデメリットが増えたとあんまり落ち着ける気分でもなかった。
「ナガト兄はそれなりの年齢でしたが、少し早世であったと思います。それでなければもう少しあなたがたの成長を待てたでしょうし、候補ももう何人か得て選択になやまなかったでしょう」
きびしい言葉だ。
続いて残りの委員も挨拶した。一人は若く、これも代替わりしたばかりとのことでやはりはとこにあたる男性。ただし、何か尋常でない経験をしてきたらしく同じ世代とは思えない凄みがにじみ出ている。もう一人は再び遠縁の女性で、これも名の知れた中規模食品企業のオーナー。この人が一番平凡に見えるという面子であった。
「われわれはどちらがよりふさわしいかを先ほどまで議論し、ようやく結論に達しました」
リンドウ女史が申し渡しに入った。
「その人のみを見れば、ヒコナ君は機転、行動力、決断力においてヒョウエ以上でしょう。しかし二人ともまだまだひよっこ。我々が注視したのは補佐するロボットの能力です」
彼女はくまのぬいぐるみを見た。
「タルタロス、あなたの勝ちです」
くまのぬいぐるみ、タルタロスのプロトコルデバイスは優雅に一礼した。少し滑稽だった。
「タロース、あなたもそろそろ気づいたでしょう。ミルキーウェイのロボットは大企業病にかかっています。そこまでおいつめたのはあなたとタルタロスとナガト兄です」
「干渉」
ヒコナの口からぼそっと言葉がこぼれた。あの廃墟でロボットたちが壊し合った動機だ。
「そうです」
リンドウ女史はにっこりできのいい生徒を見る顔になった。
「ミルキーウェイはタロースを干渉する障害と考え、その補佐するあなたを相続できないようにしようとしました。無理に相続の場に現れても、タロースがいなくなっていれば問題ないと考えたのです。その点で利害の一致が多いヒョウエから命令を引き出すのは簡単でした」
げっそり痩せた顔がますますげっそりして見えた。
「一方、タルタロスはこの展開を読んでいたようです。みなしオーナーの利害にさわるからこそ、名乗りを後回しにし、ライバルに勝てる見込みにかけた」
彼女はここで視線をヒョウエに向けた。
「ヒョウエ、今一度確認します。あなたはナガト兄の会社を、あなたに一杯食わせた会社を今でも引き継ぎたいと思っていますか? タルタロスの補佐を得て努力しますか? 」
「継ぎたい」
ヒョウエはくまのぬいぐるみを見ながら答えた。かすれた声を絞り出しての返答だった。その中には傷ついたプライドとそれでもなおつきぬ渇望がせめぎあっているに違いない。
リンドウ女史は彼にすまなさそうな目を向けた。
「ヒコナくん、あなたに落ち度はありません。しかし、委員会は補佐込みの総合評価でサトミ・ヒョウエくん選ぶことにしました」
彼女は今一度ヒョウエのほうを向いた。
「おめでとう。新社長。これから大変ですよ」
「それでは、本日の連絡事項は以上です。みなさん気をつけて」
農協の作業服をきたヒコナが朝礼の終わりをつげた。連絡内容はタロースが整理したものでおかげで連絡漏れや段取りミスが減ったと隅っこでお茶を飲んでいる理事が喜んでいる。
組合員たちはめいめいに昼食に出たり弁当を広げているが、ヒコナはこれから改善委員会の若手とランチミーティングだ。
ふたたび、田舎の農場主である。大企業のオーナーになりそこなって一ヶ月ほどのことである。
結局、三つのロボットのしのぎあいで制したのは事態の推移を読み切り、タイミングをはかってまっていたロボットということになる。
「ヒョウエ様のことは私もタルタロスもよく存じていました。私が知らなかったのは、あの方も候補者であったこととあなたの人となりです。これは不公平だ」
ロボットも負け惜しみをいうのだな、といまは彼も面白く思う余裕がある。
「しかし、私が壊れてもかまわないということをされるというのは予測もできませんでした。いい学習をいたしました」
社長が交代してからのミルキーウェイの様子は、まだ初年度の決算もでていないのでなんともいえないのだが、報道で新社長のサトミ・ヒョウエの姿を見ることは何度かあった。神経質な感じがずいぶんやわらいで落ち着きがでている。変わったな、と彼は思った。
ヒコナが手にしたのは委員会の何人か、それぞれ地位のある人の連絡先だった。つまり一度くらいは使えるコネである。
「再就職に使うのもつまらないよな」
ランチミーティングで開発から生産、出荷の改善検討会をすませたあと、彼は独り言ちた。雨が振り出していてタロースが傘をさしてくれている。相変わらず過保護だ。こいつも含めて、とヒコナは苦笑いを浮かべた。
「クニヌシ・ヒコナ様ですか? 」
一台のプロトコル・デバイスが声をかけてきた。見覚えがないし、汚れたりへこんだりの中古でもない新品だ。発音もかなり自然。見かけはおしきせをきたようなおもちゃの兵隊。
「主がお会いしたいともうしております」
「どなた? 」
「銀河ロボット社の会長です」
自然言語より大量の情報をデバイスと交換したタロースが補足した。
「どうぞ、あの車へ」
差ししめされたところには会社ロゴもなにもはいっていない黒塗りリムジンが止まっていた。いかにもな車である。
社主は車で待っていた。ただしホログラフィーだったが。
「実際そこまでいこうと思ったのだが、どうしてもはずせない用ができてな」
すまなさそうにホログラフィーの社主は頭をかいた。
「農協での君の仕事ぶりは公開の範囲で確かめさせてもらったよ。非常に興味深い」
「なんでもない田舎の仕事ですよ」
「改善できる収益と、解消できる問題があるが、意図的に手をふれてないのはなぜだね? 」
「できますが、少々タイミングが悪いですね。それよりの優先事項は山積されています」
「ふむ、ミルキーウェイではサトミ社長が三百以上の改善を実施してずいぶん効率があがったそうだ」
「それはちょっとはりきりすぎですね」
社主はにやりと笑った。
「同感だ。しかし新社長のデモンストレーションとしては好意的に見られている」
「一方僕は…御用向きを伺いましょう。田舎ののんびりした仕事ですが、案外忙しいのですよ」
「おお、それはすまんな。では手短にいこう」
田舎の農協職員よりあきらかに多忙なはずの社主があやまった。
「さて、わしはいくつも法人をもっておることはしっておるな? 」
集中型のミルキーウェイと対照的に分散型の銀河ロボットはオーナー同じくして共有するグループ会社形式をとっている。
「存じてます」
「今回のおわびとして、一つゆずろう。ミルキーウェイよりずっとささやかだが、ここの農協より資本規模は大きい。了承してくれるなら明日にも君のものだ。もっと早くしたかったのだが、遅れてすまぬ」
また、ちょっとひらめきつながるものがあった。
「どうした、何を苦笑いしておる」
「その会社はもしかしていろいろむずかしいことになってはいませんか? 」
「ふん、鋭いな」
社主は愉快そうだった。
「そうだ。しかも君の知っている範囲のどの問題物件よりもややこしいことになっている。わしが専念できればなんとかなりそうだ。だがわしには時間がない。切り捨ててしまおうかと思っておったところだった。どうだ、やってみるか? 」
「それで、うけたのですか」
タロースは受け取ったばかりのデータを分析しながら聞いた。
「うん、」
「データをみるに、これはかなりのハイリスクハイリターンですね」
「うん、かなり無茶だ。無理に近いね。普通は失敗する」
「ではなぜ受けたのです? 」
「君は銀河ロボット社の社主秘書になってみたくないか? 」
「いえ、私は・・・」
いいかけてタロースははっと言葉をきった。
「何か、約束をいただいたのですか? 」
「いや、そんなものあるわけがないだろう」
「ではまたいっぱい食うかもしれませんよ」
「それくらいなんでもないさ。まあ、行けるところまで行ってみよう」
「いきなり失敗の可能性が高いのですが」
「ま、おまえがいるし、きっとなんとかなるさ」
「私? 」
「楽しみだ、といっていたろう。楽しもうじゃないか」
タロースはびっくりしたようにしばらく動きを止めた。しばらく考えて、何か思い当たったようにはっとして、そして深々とお辞儀をした。
「人間には、まことかないませぬ」