最終話 披露宴
最終話(披露宴から)
中矢良一
木島邸の敷地内を、高級外車や大型国産車およそ30台ほどが埋め尽くしていた。
芦沢と瑞穂の披露宴は午後3時より行われる予定であったが、芦沢の義理兄で、自衛省大臣の坂部とその妻で芦沢の実姉は昼前に木島邸へ到着して、坂部は訪れた木島の関係者に挨拶するため走り回っていた。
「何しに来たんだか・・・」
芦沢の実姉がほとほとあきれ果てた・・・そんな顔つきで言った。
「仕方ないよ、大臣なんだから・・・」
芦沢は苦笑いした。
披露宴の始まる10分ほど前になり、出席した人々は幅の広い洋風階段の最上段に立つ、濃い緑のイブニング・ドレスを身にまとう女性を、ちらちらと時折窺うようにして見た。
視力の弱まってきている木島倫太郎は、それがまさか、普段ベッドに座って静養する妻、朝子であるとは想像もできず、気づくまでにしばらくの時間を要した。
芦沢、瑞穂の2人にも同じく、その凛々しく階下を見下ろす夫人が、朝子であるという想像力はまったく働かなかった。
それほど、朝子の姿、顔つきは、木島、瑞穂、芦沢がかつてまったく見たことのない、例えていうなら王女のように気高く優雅でさえあった。
木島は急いで階段をかけ上り、朝子の手を引いて、
「大丈夫かい?」
と心配そうに聞いた。
「あなたこそ、そんなに慌てて階段を・・・・・・躓きでもしたらどうなさいますの?」
その快活な口ぶりに、倫太郎は自分の耳をも疑った。
「あ、朝子だよね?君は・・・・・・・・・」
「あなた、私がお分かりにならなくなってしまわれては・・・」
と、朝子はいたずらな眼をして微笑んだが、
「澪です。私は立花澪」
倫太郎の目は澪と名乗るその夫人の全身を、2,3度行ったり来たりした。
「からかわんでくれないか!確かに・・・・君はいつもと様子は違うが朝子に間違いないよ!」
「姉さんは亡くなりましたのよ。私たちはあなたが海軍に戻られる前々日に初めてお会いしましたでしょ?私と姉。急いでご祝言をして・・・・ですからあなたは、戦争から戻られたときに私も姉も見分けがつかなかったのですよ、終戦のドサクサと疲労で・・・そんな時、あなたは幸いにも焼け残ったこの屋敷に戻っていらっしゃいました。魂のない抜け殻のようなあなたは、庭で洗濯をしている私を見つけると、泣きながら走って来られて(朝子~朝子~良かった良かった~)と私と傍らの瑞穂を抱きしめてくださったの。私はそのとき、自分が妹の澪であることを言いそびれてしまいました。本当にごめんなさい。瑞穂は私と、ある男性の子供です。その方は戦死なさいました。このことは瑞穂にも今日初めて話すことなのです」
「知っていました、私・・・・・」
階下から瑞穂が言った。
「そう・・・勘の良いあなたが知らないはずないですものね。騙していてごめんね」
瑞穂は静かに下を向いて首を振った。芦沢がそっとその肩を抱いた。
倫太郎は汗を拭うふりをして、止めどなく流れる涙を手の甲で拭いた。
「私は・・・・私は瑞穂は自分の娘でないとわかっていたが、それは・・・それはとてもひどい妄想で・・・・つまり、朝子が私以外の・・・・・・すまない瑞穂、君には私の態度がさぞ辛かっただろうね」
「いいえ、パパはパパよ・・・・・少しだけ娘にクール
な・・・」
瑞穂は笑顔で倫太郎に答えた。
来賓客たちはその話にほとんどが涙した。
大臣の坂部だけがそんな状況をよそに挨拶を続け、妻に尻をを引っ叩かれていた。
「でもママ・・・・・どうしてそんなに元気でいられたのに・・・」
「あなたとパパは、ご自分たちでも気づかないくらい、この家にはあまり居なかったのよ。せいぜい月に7日くらいしか・・・・・ここにはお手伝いさんもいないから、私はその間にいつもロールス・ロイスを運転して、お出かけしていたわ。ベッドにいたのはね、私のほんの遊び心もあったのだけれど・・・・・本当はね、あなたを自由にしてあげたかったの」
澪は倫太郎に多少遠い目を向けた。
「私は自由だし、君と暮らせて幸せだったよ。なぜそんなこと言うの?」
「私が呆けて何もわからなってしまえば、あなたは私を、あなたを騙し通した私を・・・・」
「たとえ呆けようが、どのような状態になろうが、君の夫、木島倫太郎は最後まで君の夫でしかありえない。」
「ごめんなさい。あなた。わかってはいたの。瑞穂には少しお芝居が過ぎちゃったわね」
澪の倫太郎に向けられた遠い目が、優しい母の目になって瑞穂と芦沢に注がれた。
「ひどいママね・・・・・・・」
瑞穂は芦沢に子供のような告げ口をした。
芦沢はにこりと微笑んで無言を通した。
「え~皆様・・・本日は芦沢家、木島家ご両家のご結婚披露宴の予定でございますが、いかがでしょう?新たに、木島倫太郎、澪様の披露宴をも兼ねて行い、良き日の幸をより深いものにしようではありませんか。いかがでしょう??」
司会進行役の伊豆登山鉄道観光事業部担当のプロ司会者が、気の利いたアドリブを入れた。皆が拍手で賛同した。
*
およそ3時間ほどで披露宴はお開きとなり、芦沢と瑞穂は、芦沢のコロナに乗って、皆の見送りを受けながら、木島邸の門に向かって、ゆっくり走り始めていた。中からは芦沢と瑞穂が、見送りの人々に丁寧に頭を下げながら、小さく手を振っていた。
すると、薄暗くなり始めた邸の小道が昼間のように明るくなり、見るとロールス・ロイスがライトをパッシングさせながら上品なクラクションの音を響かせた。
朝子・・・・いや澪が運転するロールス・ロイスが倫太郎を助手席に乗せてその中からは、
「私たちも新婚旅行に行ってきま~~す」
という澪の軽やかな声が見送りの人々の間に届いた。
芦沢と瑞穂は、そこから伊豆一周という地味な新婚旅行を計画し、飛行船就航や、伊豆登山鉄道株式会社との縁は断ち切り、芦沢の本業、輸入家具販売の仕事に瑞穂と精を出そうと決めていた。
一方木島と澪はいつの間にキンブルに連絡をつけたのか、澪は横浜に近いYS駐屯地から、大型飛行船の特別飛行を依頼、倫太郎と2人乗り込んで、ある場所に向かっていた。
飛行船は、数時間後目的の上空に到着、極端に低い高度まで、その船体を降下させていた。
見下ろすと、キンブルから連絡を受けて、地上で手を振るある老人が天空を仰いでいた。
一国の代表であるその老人も、田んぼの中では単なる田舎紳士でしかなかった。
澪は多少皺のよった、しかしその形、白く透き通るような色はあのときのままにか細く華奢な手を、小さく振って呟いた。
「お前の母ちゃん、出、べ、ソ~~~~」
田舎紳士は、いつまでもいつまでも飛行船に向かって大きく手を振り続けていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・終わり




