涙の爆発炎上事故中継
キンブルの操縦するノベル・アローII世号からメインステーションの8階部分に、艇の両端からドーナツ状の金属製と思われる直径50cmほどのリングのついたロープがゆっくり下りてきた。
それがステーション側の、口の大きく開いたペンチかハサミに似た装置にスーッと吸い付いていったかと思うと、その先端の大きく開いた口がそのリングを捉えカチーン・・・という金属音を発し瞬時に閉じた。
飛行船の両端にある扉からは、カメラの蛇腹に似た通路がステーションの入り口に伸び、そこでも同じような音を響かせてつながった。
巨大な飛行船は、港特有の突風に対してビクともしないよう固定される仕組みになっている。
定員100名の予約客は、すでに8階乗船通路の前に並んで、ステーション側の扉が開くのを、固唾を呑んで待ち構えていた。
瑞穂もこの日は、伊豆登山鉄道の、有名デザイナーにそのデザインを依頼した上下紺色のブレザーにタイトスカート、そして偶然ではあるが、瑞穂の好きな絹地の白いブラウス、ワンポイントにえんじとクリームのストライプを配したスカーフという制服を身にまとい、予約乗船客の世話係をかって出ていた。瑞穂は、立場として伊豆登山鉄道株式会社の社員ではあったが、このように実務につくのは初めての経験であり、心弾む思いであった。
10分後、十分な安全確認を行ったキンブルと同乗してきた伊豆登山鉄道の社員が、ステーションに開門のOKを知らせてきた。扉はマグネット使用の最新鋭機器で、通常の自動ドアのように緩慢な開きではなく、例えるなら、カメラのシャッターが切れるように、一瞬にして開く構造であった。その演出に徐船客からは一斉に歓声が上がった。
案内する瑞穂を先頭に、客がそれに続いて静かに乗船し始めた。
定員は本来150名であったが、100名の乗船でしばらくは飛行する予定が組まれた。
船内は水上を就航するノベル・アローよりも広く、中2階のビュッフェで、軽い食事ができた。
その日はバイキングの立食形式で、S浦のレストラン「ARTANIS」のシェフとその仲間数人が特別に乗り込んでくれていた。
赤い皮地のリクライニングシートにゆったりと腰を下ろし、乗船客は皆一様に、初めて体験する飛行船の旅をそれぞれに満喫していた。
「皆様・・・・本日はノベル・アロー?世号、ご搭乗まことにありがとうございます。スタッフ一同心より御礼申し上げます」
スタッフの女性の流暢なしゃべりで、幕を開けた話ではあったが
「・・・いささか、このおめでたき日に、これからテレビモニターでご覧いただきます映像は、あるいはこの場に相応しくないと、お感じになられるお客様もおられるかと存じます。しかし、このノベル・アローII世号の安全性をご理解いただく上におきまして、私ども伊豆登山鉄道株式会社は、あえて、今からお観せする映像を数多くの船内視聴映像の第一番目として選択いたしました。それではご覧ください」
そう乗客に告げると、窓のブラインドが自動で一斉に閉じられ、飛行船内は薄暗くなった。
通路の壁面に設置された大型ブラウン管から、白黒の古いニュース映像が流れ始めた。それは外国のニュースであり、アナウンサーが静かに着陸してきた飛行船の様子を実況するところから始まった。
しかし、その後すぐに
『あ~!!・・・・何ということでしょう!!着陸に失敗しました・・・・・!!あ~!!・・・・火がつきました!!乗客が逃げ
惑っております!人間に火が・・・!!あ!近くにいた人が自分のコートでその人の火を消しています・・・・・・・・・・何と言うことだ・・・神様・・・・・こんなことがあってよいのでしょうか??!!皆無事助けてください神様~~!!助けてぇ・・・・・・・・・』
それはラジオの実況放送と、近くで偶然その模様を撮影していたカメラマンの映像を重ね合わせ、字幕を付けた5分ほどの映像だった。泣き叫びながら中継を続けるアナウンサーの声は悲鳴に近かった。
船内はブラインドが開き、一気に明るくなった。
乗船客の間からは、ため息が漏れた。
「皆様、ご覧になられて、いかがな感想をお持ちになられましたでしょうか?現在飛行船を浮上させる気体は、ヘリウムガスでございます。引火の危険性の低いもので、このノベル・アローII世号にももちろん使用されております。また、機体は2重構造になっており、外側が万が一破裂した場合でも、内側第二の幕により飛行が可能でございます。そして・・・・なおも安全であるという証を、今から皆様にご体験いただきたいと思います。皆様窓の外をご覧ください・・・・・・」
窓が全て閉じられ乗客の目がテレビモニターに向いている約5分から6分の間に、飛行船は、S浦沿岸に着水していた。その周りは、予め打ち合わせのついていた漁師田上たちの漁船数席と旅客船ノベル・アローに取り囲まれていた。
乗客からは、再び大歓声が上がった。
「このように、万が一においても、飛行船は墜落、炎上などの危険は一切ございません。その上、皆様ご覧の通り、救援船も10分と待たずに皆様を救出に参る、ということでございます」
アナウンスの女性は誇らしげにその全説明を終えた。
船内には、大拍手の渦が巻き起こった。
飛行船はO岬を回り、伊豆をぐるりと一周してI高原の新設ステーションに到着した。
ここでは、ペンション『ユニティ』のオーナー大川率いる、熱気球軍団50機が、飛行船の処女航海を祝って大空に浮かび上がっていた。
ステーションに着いた飛行船から、乗客一行はI高原めぐりのため一旦下船した。
瑞穂もここで下船し、大川のペンション『ユニティ』にタクシーで向かった。瑞穂のスーツケースの中にはあるものが入っていた。
『ユニティ』に到着した瑞穂は、予約した部屋で急いでトランクの中のものに着替えると、待たせておいたタクシーに再び乗り込み、I高原の高台にある有名な教会に向かった。
大川の知人である日本人牧師の誘導で、神聖なる手続きの下、二人は正式に結婚の契りを交わした。
1時間後、高台から結婚衣裳に身を包んで天空を見上げる瑞穂と芦沢・・・・・
「そういえば・・・あなた、一度もお乗りにならなかったわね?飛行船・・・・」
瑞穂がそれとなく芦沢に言った。
「高いところはどうも・・・・高所恐怖症なんだよ」
「本当は私も嫌い・・・・人間は手の届かないようなところには行かない方がいいのよ」
瑞穂は独り言のように呟いた。
50機の熱気球、それを従えるようにして出発する飛行船ノベル・アローII世号は、まるで結婚を祝って解き放たれた幸せの白い無数の鳩のようで、2人は、この世に2つとはあり得ない祝福の贈り物に心から感謝して飛びゆく飛行船に大きく手を振った。
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