着水
半月ほどしたある晴れた日曜の午後、飛行船はノベル・ローの就航ルートとほぼ同じ上空を飛行していた。
キンブルの操縦する飛行船は、地上で見ると巨大に感じたが、ノベル・アローとその全長は大きく変わらなかった。大きく変わるのは乗船定員である。ノベル・アローの定員200名に対し、飛行船は20人・・・
「燃料費、人件費、停泊設備・施設などを考えると、採算がどんなものだろう?」
飛行船に乗り込んだ木島が、同乗した瑞穂にそれとなく言った。
「大型化は、無理ですの?・・・キンブルさん・・・・」
キンブルは黙って操縦桿を操っていたが、次第にその高度を下げS浦の沿岸300m付近で、突然その機体を海面に着水させた。
「君!!・・・・・故障ですか?!墜落??」
木島はキンブルに向かって悲鳴に近い叫び声を上げた。
「ノー・・・ドン・ウォリー・・・・着水試験です。この室内は完全な防水機構になっていますから、浸水や沈没はありません」
その様子をS浦港の高台から双眼鏡で観ている男がいた。芦沢である。キンブルと打ち合わせての計画的な着水であった。
一隻の漁船が、猛スピードで着水現場に向かった。それに続いて4~5隻の同じトン数クラスが猛スピードで直進する一隻の後を半円を描くように追いかけた。
その出動までの時間は3分弱・・・・・・・芦沢は腕時計で確認。
全ての漁船は着水した飛行船の近くで減速し、直進してきた最初の漁船から
「墜落か~~??!!」
と、飛行船に向けて男が怒鳴った。漁師田上清であった。
程なく客船ノベル・アローも近くに到着した。
「清さ~ん・・・・墜落なんかしないのよ、この飛行船は安全なのぉ~」
飛行船上部の外部スピーカーから瑞穂の拡声された電気的な声がした。
「そうですか~!!じゃ、俺たちは戻りますよ~~~」
「は~い・・・着水試験なの~・・・・ゴメンナサイね~~」
数隻の漁船は緩やかに回るエンジンの回転を一気に上げて岸に引き上げて行った。
一部始終を高台から眺めていた芦沢は、ふと、この一件から自分は手を引こうかと考えた。自分が死のうとさえ追い込まれて思い悩んでいた5000万・・・
その額は、木島、坂部、総理、あるいはキンブルにとって、5000円ほどの些細な金額でしかなかったのだ。
すでに支度金、木島への仲介料として、芦沢はキンブルから相当な金額を受け取り、また、木島とのつながりで、銀行にビルを差し押さえられることもなくなっている。
「静かな暮らし・・・・か・・・・」
芦沢は、再び上空にゆっくりと浮かび上がり始めた飛行船を眺めながら、ポツリとそんな独り言を言った。
『まるで・・・ほら、O岬の海辺で遊ぶ人たちが米粒のよう、あら、こちらに手などを振っていますわ。反対側を見てくださいな。伊豆の山々が・・・・戸田でしょうか?大丈夫よ、お母様。チャンとこぼさずに食べますから、スパゲッチ』
木島の妻朝子の言葉を思い出し、芦沢はなぜかとても切なく、そして悲しくなった。
キンブルは、本国に超大型飛行船を発注して、荷は既にY港に到着していた。
今回は分解されて持ち込まれていたため、その規模を誰も知り得るところではなかった。
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