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ヒンデンブル  作者: 中矢良一
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丸いテーブル

 玄関は、芦沢の背丈178cmよりはるかに高い2m50cmほどの両開きで、鉄製の分厚く、しかし明るい黄緑色に塗装された風変わりな扉であった。右側だけにステンドグラスがはめ込まれるその作りは、輸入家具を扱っていた芦沢の専門的好奇心を大きく膨張させた。

 案の定、家の中に入ると、そこは日本建築とはまるで異なる洋館であり、目の前に大きく開けたエントランス・・・そのロビーには、芦沢が扱っていた輸入高級家具をなど足元にも及ばぬ、現在では入手困難な高価アンティーク家具が、同じく芦沢が所持していた家具類の数を上回る点数あろうか、センスよく置かれていた。

「妻は2階の寝室に居りますので、ご足労ですが2階のほうへ・・・」

 老人は幅広で傾斜が緩やかな階段をゆっくり上って行った。芦沢もそれに続いた。

 階段を上りきると、広い廊下に出た。その両側にはいくつもの扉が左右に配されていた。

「ここです。どうぞ・・・・」

 老人は一番奥にある部屋の右側の扉を開いて、先に芦沢を中に入れた。

「ようこそいらっしゃいました。またおいでくださって、嬉しいわ」

 そこには老人より少し若く見える色白の婦人が、ベッドの上に体を起こして座っていた。呆けているようには見えないが、やはり初めて会う自分を見て(またおいでくださって、嬉しいわ)・・・と言うのはおかしいとも思った。

「誰かと勘違いしているのでしょう。気にせんでください」

 老人はそう言うと

「名前も名乗らず失礼しましたね」

 と、自分の名刺を芦沢に渡した。そこには(木島倫太郎)と書かれていただけでその他には住所のみが記されていた。

「はい、ありがとうございます。不調法な者で、現在名刺を持ち合わせません。私 芦沢啓二と申します。輸入家具の販売をしております」

「ほう・・・・輸入家具を。売れていますか?」

「そこそこ・・・でしょう。食うにいっぱいでして」

 まさか、経営に行き詰まり、死ぬ目的で港に居たとは言えなかった。

「この部屋にも・・そう、アレですね・・・丸いテーブルが欲しい。芦沢さん良いものがあったら届けてください」

「あ、はい・・・ありがとうございます・・・・・・早速手配いたしましょう」

 思わぬ商談成立である。在庫は腐るほど抱えていた。

「あなた・・・おいくつになられたのかしら?」

 突然婦人が芦沢に聞いた。

「はあ、38歳になりました」

「奥様はお元気?可愛い奥様」

「え?・・・・ええ、おかげさまで・・・・・・」

 芦沢は適当に話をあわせるよりほかないと思った。

「君のお話を、この芦沢さんにしてあげて欲しいと思うのだが、空から見たというO岬から伊豆の風景の」

「まあ!嬉しい・・・では私の横にいらして」

 婦人は、芦沢を自分の傍らにある丸椅子に座るよう促した。

 芦沢が婦人の傍らに行くと、婦人は目を閉じ、 

「こうして目を閉じますとね、はっきりと見えますのよ」

 芦沢はその言葉を聞きながら、ゆっくりと丸いすに腰を下ろした。

「まるで・・・ほら、O岬の海辺で遊ぶ人たちが米粒のよう。あら、こちらに手などを振っていますわ。反対側を見てくださいな。伊豆の山々が・・・・戸田でしょうか?大丈夫よ、お母様。チャンとこぼさずに食べますから、スパゲッチ」

 婦人は懐かしそうに話していたが、突然目を見開いて

「でも・・・・・お聞きにはならないでね。どこからそんな景色が見えたかは」

「大丈夫です奥様。スパゲッチは美味しかったですか?」

「はい、とっても・・・・・・・」

 婦人は再び目を閉じ、

「少し疲れてしまいましたわ・・・・お休みしてもよろしいかしら?」

「どうぞどうぞ」

 芦沢がそのように答えると、婦人は横になった。5分もしないうちに婦人は寝息を立て始めた。


 芦沢と木島倫太郎は、そっと部屋を出て、今度は倫太郎の書斎に話の場を移した。

「どのように感じましたか?率直な意見を聞かせてください、あなたの」

「そうですね・・・・・やはり、奥様は過去の思い出と、幻影が入り混じったお話しをされておられますね」

「やはりそうですか・・・そうでしょうなあ」

「奥様のお生まれは何年ごろでしょうか?」

「私は明治の40年代ですが、彼女は大正3年です」

「そうですか・・・・その頃に旅客機はありません。また、ヘリコプターなどももちろんない時代です。空からO岬を見下ろすことは不可能でしょう」

「そうですよね。やはり家内は・・・・・・」

「しかし、意識はしっかりなさっておられますから、そのおつもりでいつまでもご夫婦仲良くお過ごしになられるのも、またよろしいのではないでしょうか」

「いや、ありがとう・・・・では丸テーブル・・・届けてください。50cmほどの小ぶりな舶来モノ。あなたにお任せします」

 倫太郎の話が一段落付くと、そこへ茶色のフレアスカートに絹地の白い上品なブラウスを着た、なんともか細い30手前と思われる女性が六つ切りほどの封筒を抱えて入って来た。ポニーテールに髪を束ね、見かけは活発そうだが寡黙である。

「瑞穂です」

 倫太郎は、その女性について、名前だけ伝えた。

 瑞穂は、無表情のまま芦沢に軽く会釈して部屋を出て行った。

「ここにお金が入っています。それで丸テーブルをお願いします。

それから・・・・これはお願いなのですが・・・・・調べていただきたいことがあるのです」

「はあ・・・私にできることでしたら」

「そうですか、それを聞いて私はとても嬉しい。実は、あなたに、その・・・熱気球について調べていただきたいのですよ。私は妻の話が、まったくの幻にしては、どうも細かな部分で、詳しすぎると思うのです。恐らく、空からO岬を見たことは真実であると確信しています。家内は熱気球に乗ったのではないかと思うのですよ。とりあえず当初はこの封筒の中の金額で、足りなければいくらでもお金を用意するつもりです」

 芦沢は、封筒を受け取るとその重みに驚いた。

(1000円札200枚は入っているな・・・・調査してみてもよさそうだ)

「わかりました。私の知人には、その手の専門家が何人かいます。

しばらくお時間をください。電話番号は・・・」

 倫太郎に連絡先を告げ、芦沢は木島邸を後にした。

 玄関までの道のりは来た時とは比べようもないほど長く思えた。

 芦沢は途中立ち止まり、大き目の封筒の封を切り、中身を確かめた。中には1000円札ではなく、束ねられた新札の10000円札の束が2つ、無造作に入れ込まれていた。

 洋館2階の小窓から、瑞穂は静かにその様子をうかがっていた。


「ヒンデンブル ・・・ 第3話(モンゴル熱気球)」へ

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