飛行
半月ほどして日本に戻ったキンブルは芦沢と、木島の住む町から西へ1時間ほどの港町S港で落ち合うこととなった。
芦沢は瑞穂を伴い、自分のコロナでS港へ向かった。
「狭くて乗り心地が悪いでしょ?」
「いいえ、運転がお上手ですからちっとも。それにこのお車、とってもお洒落よ」
開通間もない東名高速道路の路面は滑らかであり、高速走行ではシトロエンもコロナも乗り心地に大きな差はなかった。
「S港に一体何が来ますの?ヘリコプター?気球?それとも飛行船?」
「おそらく飛行船の部品とそれを組み立てるスタッフでしょう」
「S港で組み立てるのでしょうか?」
「さあ・・・私にも今のところは・・・・・」
「面白そうですわね・・・・・」
「そうですか。そうおっしゃっていただければ嬉しいです」
「フワフワ~ってお空に浮かぶのかしらね?私、ヘリコプターと飛行機は嫌い。音がうるさくて、墜落しそう・・・・・」
芦沢はそのとき初めて、飛行船の安全性について考えさせられた。
「墜落・・・・・・」
「飛行船も墜落しますの??!!」
芦沢の呟いた一言に瑞穂が過敏に反応した。
「いえ、飛行機とかへリのようには・・・・・・・・」
しかし、100%墜落しないとは言い切れない。
「でも・・・・・まだ飛ばすかどうか、わからないんですものね。取り越し苦労はばかばかしいからよしましょう」
瑞穂は芦沢の一瞬曇った顔色を気遣ってそんな風に言った。
「え?・・・ええ、その・・・しかし飛ばしますよ。ここまできたら・・」
瑞穂には何もかも見通されていることがわかっている自分を、芦沢はなぜか情けなくも恥ずかしくもなく、むしろ、そうした自分の周りに漂うある種の心地良さを瑞穂から素直に受け取っていた。
S港に着いた芦沢と瑞穂は、車の中から岸壁に停泊する大型船を見た瞬間、同時に「あっ!」という低い驚声をあげた。
その船上には船体の3分の2ほどの大きさを持つ完成した飛行船が、無数のロープで固定されているのが見えた。
船体の真横には、ダッチのオープンカーが止まっていた。キンブルの自家用車である。
キンブルは船に乗り込んでいるのか、ひょろ長い姿がそこにはなかった。
「What's new?~~~~」(最近、いかが?~~)
近づいてきたコロナに向かって、大声で叫ぶキンブルの声が、おそらく飛行船の船体にこだましたのであろう、やけに大きく聞こえた。
船を見上げると、キンブルが小さな子供のように車を降りた芦沢と瑞穂に手を振っていた。
「Somebody loves me~~~I fall in love too easily,too~~~~」
(誰かが私に恋してる~~、私も惚れっぽいの~~)
瑞穂が岸壁からキンブルを見上げて叫んだ。その声も飛行船にこだました。
「I see~~~~~Goog luck・・・ですよ~~」
キンブルが敬礼した。
「中に入っていっていいのか~~い?」
芦沢は2人の会話の内容が自分に関することだとわかってはいたが、構わず叫んだ。
「OK~~~」
芦沢と瑞穂は船の横に備え付けられた長いタラップをのぼって、飛行船の固定されているグラウンドのように広い船上に辿り着いた。
「お疲れ様でした・・・・」
息を切らす芦沢にキンブルは労いの言葉をかけた。
「・・・・・・・運動不足を、、、、感じる、よ・・・・」
瑞穂はさすがに息の乱れなどいささかもなく、すぐに目の前の巨大な物体の観察を始めていた。
「これ、いつ飛ばすんだい??」
多少息の落ち着いた芦沢がキンブルに聞いた。
「今日・・・・・」
「何!!今日??・・・・・」
「その通り・・・パイロットもいるし、米軍にも許可を取った」
「驚いたな~、それで、どこまで飛ばすのかね?」
「木島邸から遊覧船のルートを一周する。そしてアレに絵を撮らせる」
と、その横にある小型ヘリを指差した。
「あと2時間で出発するが、お2人は乗りますか」
キンブルが聞いた。
「私は車で下を行きます。瑞穂さんは・・・・・」
「乗せていただきますわ!もちろん。」
「では、木島さんに連絡を取りましょう」
キンブルはそういうと、船の電話から木島に連絡を入れて、3時間か4時間後に木島邸上空を飛ぶ旨、報告した。
2時間後、ロープを全て解かれた飛行船はゆっくりと空中に浮上、その後切っ先を伊豆方面に向けて、これもまた、動いているかどうかわからぬほどの優雅な速度で進み始めた。船室は、飛行船の大きさからすると信じられないほど狭く、客席は20席がせいぜいといったところである。しかし瑞穂の驚きは、その飛行船を操縦するパイロットが、リチャード・キンブルその人であることだった。
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