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さようならとおやすみを_風花

 チサトくんを見つけてくれた親子は、すぐに彼を自分の家へ連れ帰り、チサトくんのお母さんへ連絡してくれた。

 そして今、彼は住み慣れた家に舞い戻り、いつものベッドの上に寝かせられている。顔が赤くて汗をかいていて、息は相変わらず、少し荒い。彼の母親も懸命に看病していた。

 私は今、チサトくんの部屋でその光景を眺めている。本当はこの家の中に入るつもりはなかったのだが、私のせいでこんな風になってしまったのに、何も言わずに姿を消すなんて出来るわけがない。彼の部屋に入るのは初めてだった。初めてがこんな形になるとは、思ってもみなかったけれど。

 何をしているんだろう、私は。何が誕生日の前祝いだ。私がしたことは、彼と母親の大事な約束を破らせて、大事な友人を危険に晒してしまっただけだ。まるで疫病神か死神か。ただの死人なんだから、神なんてものと同等に考えるのもおこがましいか。

 具合が悪くなったら帰らせる、なんて、お姉さんぶったことを言ったのに。私は何一つ気付くことができなかった。自分も、彼と外で遊ぶのが楽しくて、周りが見えなくなっていた、なんていうのはただの言い訳でしかない。彼がこんな状態になっている原因は、間違いなく私にあるのだ。

 ちょっとだけ、涙が溢れた。自業自得。

 ここら辺りが潮時というやつなのかもしれない。たとえ成仏できなかったとしても、チサトくんに会うのはこれが最後にした方が、きっと、私にとっても彼にとっても、それが最善なのだと思った。あまりにも長く共に過ごしすぎてしまったのかもしれない。相手の中に、踏み込みすぎてしまったのかもしれない。


「……私ってば、死んでからの方が感情的になってる気がする」


 自嘲気味に呟いて笑う。もちろん、チサトくんのお母さんには聞こえていないようだ。


「……ん、ぅ」


 布団が僅かに動く。チサトくんが目を覚ましたらしい。

 すぐにでも声をかけたいのをぐっと堪えて、寝ているチサトくんからしたら見え辛い位置に座る。暫くは黙っていよう。彼の母親が居るこの場所で、迂闊に話しかけるわけにもいかない。

 

「チサト、大丈夫?」


 少しの間の後にチサトくんは答える。思いの外受け答えははっきりしていて、病状はさほど重くはないというのが見て取れた。

 それにしても、チサトくんのお母さんは随分優しい人だと思う。約束を破ったことに対して叱咤しないし、むしろ我慢させてしまったことを謝るくらいだ。もちろん、チサトくんが今寝込んでいるからかもしれないけれど、懸命に看病しながら息子と言葉を交わす彼女は、きっと、良い母親なのだろうと思う。この親にしてこの子あり、とはよく言ったものだ。

 親子関係も良好、学校にも友達が居て、優しくて素直で愛嬌もあって、チサトくんは私とは何もかも正反対な気もする。でも不思議と嫉妬やら羨みなんてものはほとんどなくて、私にはただ、彼が大切だという認識しかなかった。

 不意に、チサトくんのお母さんの声が耳に入る。突然現実に引き戻された感覚だった。


「チサト、ずっと一人で遊んでたの?」

「一人じゃないよ、フウカちゃんと一緒」


 チサトくんも、おずおずとした口調で答えた。

 そりゃあ、そういう話題にもなる。私が連れて来たあの親子が見つけたのは、公園の中でたった一人、仰向けに寝転がっている男の子だけなのだから。そして、私を一人の女の子としか見ていないチサトくんは、私の名前を出す他答え方はない。

 体を起こしたチサトくんと目が合った。真っ赤な顔で笑いかけられる。ああ、駄目だよそんな顔しちゃ。壁に向かって笑いかける変な子だって思われちゃうよ。言いたかったけれど、出かけた言葉を飲み込んだ。

 私に向かって真っ直ぐに手を伸ばしたチサトくんは、母親に私のことを紹介した。雪うさぎを作るのが上手だって。いやいや、キミが特別下手っぴなだけだよ、と、ちょっとだけ笑いそうになってしまった。

 母親の顔を一瞥して、心が痛む。明らかに困惑した顔で、私が居る場所とは少しずれた所と見つめていた。彼女の目に映るものは虚空。今更だけど、本当に、私なんてここには居ないんだな、と実感する。チサトくんを見つめることも心苦しくて、思わず俯いてしまった。


「ね、ねえ、お母さん。僕変なこと言ってる?」


 言ってないよ。キミは何も悪くない。何も変なことなんて言ってない。

 チサトくんの世界には、ちゃんと私が居たのだから。他の誰の世界にも、今の私は居られないけれど、キミの目に映る世界に、私はまだ存在し続けているのだから。それが誰にも理解されなくても、私だけは分かっているよ。

 もう本当に、終わりにしよう。生者のふりを続けるのは無理がある。こんな終わり方、私は望んでいなかったけれど。

 息子の言葉を受け入れることが出来なかった母親は、何やかんやとはぐらかして部屋を出て行った。

 階段を下りる音が遠ざかっていくのを確かめ、私は椅子から立ち上がり、母親が座っていた椅子に腰掛ける。チサトくんは未だ熱っぽい顔で私を見た。最初に彼が発した言葉は、謝罪であった。


「……いつかね、いつかちゃんと、冬でも外で遊べるくらい、元気になれるよ。今日は急ぎすぎちゃったね」


 そう言って、笑おうとしたけれど、いつもみたいには笑えなかった。

 いつか元気になる。私の嫌いな言葉だ。何の根拠もない、私の大嫌いな言葉。それをチサトくんに投げかけるとは思わなかった。でも、きっと、彼は何れ、本当に元気になれると思う。この言葉には、彼には元気になってもらいたいという願望も含まれてはいるのだが、且つて私にこの言葉ばかり送っていた周りの大人たちもそうだったのだろうか。もしそうだったなら、あの大人たちには申し訳ないことをしたものだ。

 不意に、私の手にチサトくんの指先が触れた。


「フウカちゃんは、ここに居るよね?」


 彼の質問に、すぐに返答は出来なかった。

 居るか、居ないか。居ると言えば居るし、居ないと言えば居ない。そんな存在なのだと思う。

 ちゃんと、答えよう。本当の答えを。そして終わりにするんだ。名残惜しさは私の身に余るほどあるけれど、死んだということを分からせた上で、このまま彼の傍に居続けることは出来ないから、だからここでお別れだ。

 

「たとえ、キミにしか見えていなくたって、私はちゃんと、ここに居るよ」


 今度は、笑えていた気がする。

 チサトくんは、具合が悪いせいもあるだろうけれど、小さな息を漏らしただけで、他に何も言わなかった。というか、既に目が眠そう。眠たければ我慢せずに寝ればいいのに。どうせまた今度、と思いかけて止めた。今度なんてないんだった。

 私は手をチサトくんの額に乗せた。熱いのかどうかはやっぱり分からないが、チサトくんが小さな声で「つめた」と呟いたので、きっと私の手は彼の熱を冷ますのに良い役割を果たすことができるのだろう。

 さて、いつまでも時間稼ぎしてはいけない。

 ごめんね、お別れがこんな形になることを、どうか許してください。


「チサトくん。私ね……本当はもう、死んじゃってるんだ」


 部屋の中が静まり返った。

 言ったよ、ちゃんと言った。最後はどんな顔をしていたかな。ちゃんと笑えていたらいいんだけど。

 ゆっくり額から手を離すと、ひっそりと目を閉じて、小さな寝息を立てているチサトくんが目に入った。どのタイミングで寝たんだろう。私の言葉、ちゃんと聞いてたのかな。せっかく勇気を出して言ったっていうのに。

 そう思って、人差し指で彼の頬を突こうとして、気づいた。私の指は彼の肌に触れることなく、ただ空気を貫通しただけだった。チサトくんに触れられなくなっている。そして、自分の身体を見たとき、まるでゼリーか何かみたいに、向こう側が見えていることにも気が付いた。


「……本当にお別れか」


 成仏するのだろう、と思った。

 一体私の未練は何だったのか。今になってやっと気付く。恐らく、チサトくんと再会を果たすまで、私の中にあった引っ掛かりは、本当にチサトくんとの約束だったのだろう。しかし彼と会う回数が増す度に、彼の隣に居ることが心地良くなってしまった、もっとここに留まっていたいと思うようになってしまった。そして、本当にやり残したことをやり遂げた後に、もう一つの未練が生まれてしまったのだ。


「死んだこと、チサトくんに教えてなかったもんね……」


 自分が死人である真実を隠したまま、彼の友達で在り続けたことが、ちょっとした罪悪感にもなっていたのだと思う。

 チサトくんとの一番最初の約束は既に果たした。彼の傍に居続けることがいけないことだと、これで最後にしようとついさっき決心した。そして、自身が死んだということを彼に告げた。私の未練はもう残ってはいない。残っちゃ、いけない。

 私は小さく笑みを零して、もう触れることはできないけれど、再びその手をチサトくんの額に乗せた。


「キミに出会えて良かったよ。キミの友達になれて、すごく楽しかった。ありがとう、大好きだよ」


 ちらりと、窓の外を見る。いつの間に晴れていたのか、空は綺麗な夕暮れだった。

 最後だし、もう一度雪うさぎでも作って、置き土産みたいにこの窓辺に残していきたかった気持ちもある。まあ、仕方がない。もう雪うさぎを作れる身体じゃないからね。何も残してはいけないけれど、きっと、それでいいんだ。

 もうそろそろ自分の手すら目視できなくなってきた。

 私は最後の言葉を放つ。


「さようなら、チサトくん」


 私は、冬の綺麗な夕暮れの空に溶けた。


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