04-15 岩戸
「姉さんは狂っていない……?」
ポンテールは呆然と俺の言葉を繰り返し、
「それは本当なのか?」
シャドウは冷静に受け止め、念を押して確認する。
サエ達三人も怪訝な顔だ。
「ここでは彼女の邪魔になる。上に行こう」
俺はウィルデカットの邪魔にならないよう、場所を変える事を提案した。
「それでカミ君、あの人が狂ってないって本当なの?」
一階に戻り、リビングに揃うとサエが切り出した。
サエだけじゃなく、クミも、アリスまでが興味深げな感じでこちらを窺っている。
ポンテールとシャドウは言わずもがなだ。
「ああ、彼女は健常だよ。狂ってなどいない」
再び、俺は言い切った。
「勝手な事をお言いでないよ! だったら、なんで姉さんはあんななんだい!?」
「その疑問はもっともだ。だが、俺の言っている事は本当だ。彼女は抗っているんだと思う」
うん、それが一番しっくりくるかな。
「抗うって、何に対して?」
サエが更に興味を深めたのか、深く突っ込んでくる。
「そりゃあ、もちろん忘却に対して、だな」
「忘却?」
「ああ」
「ねぇチロ。もっと分かりやすく教えて?」
「そうだな。元々彼女は世界樹にアクセスして未知なる知識を手に入れた。だが深入りしすぎて、それに耐えられなかった。ここまではいいな?」
「うん」
アリスだけでなく、サエとクミ、更にはポンテールとシャドウまでが頷いていた。
「そこがそもそもの間違いだ。彼女は耐え切ったんだ、その時点では」
「姉さんは耐え切っていた…?」
「待って! その時点ではってどういう意味よ?」
呆然と繰り返すポンテールと違い、サエは納得いかないようだ。
「レディパンサーの話では、戻ってきた直後に意味不明の言葉を発して興奮していたんだろ?」
「うん。確かに、そう言っていたわ」
「で、喚き疲れて気を失って、起きてから今の状態――がむしゃらに作品を作り続けるようになった。――そうだな?」
ポンテールとシャドウに確認を取る。
「確かにレディはそう言っていた」
「…アタシもそう聞いたね」
他の三人も確認すると、アリスは勿論、サエとクミも頷いている。
サエとクミは直接話を聞いていた訳ではないが、その状況を把握したって意味だろう。
「そこから彼女の抗う戦いは始まったんだろう」
誰も言葉を発しない。
俺が続きを話すのを待っている。
「戻ってきた直後は膨大な知識量に混乱していたんだろう。その後、気を失い、その間に知識は整理された」
ウィルデカットは確かに耐え切った。しかし、それは薄皮一枚の勝利だったのだ。
「起きてからが問題だ。恐らく、死ぬような思いをして得た知識に欠落ができた。だから気付いた。自分が忘却に晒されている事に」
そのまま耐え続ける事ができないと本能が察したのだろうか。
負荷を抑えるために、せっかく得た知識を手放し始めた。
忘却の始まりだ。
「それって」
「彼女は忘れないために――いや、違うな。忘れる前に形にしてしまおうと必死に作品を作り続けているんだ」
「それが、抗うと言った意味か」
「そうだ」
彼女は正常だ。
正常だからこそ、一心不乱に作品を作り続けているんだ。
「彼女を見かけ上、治す事はできる。だがそれは、全てを忘れさせる事と同義だ。――果たして、それが彼女にとっての幸せと言えるのか……俺には判断できない」
俺だけじゃない。きっと本人以外、誰にもできないだろう。
そして恐らく……彼女はそれを断るんじゃないかな。
俺にはそう思えてならなかった。
「待ちなよ、シャドウ」
帰りしな、ポンテールがシャドウを呼び止めた。珍しい。
何となくこの二人はそりが合わないのではないかと思っていたんだが、そうでもなかったのかね。
「これをお持ち」
そう言ってポンテールが差し出したのは小箱だった。長方形の宝石ケースみたいなサイズだ。
「これは?」
「姉さんが作った物だよ」
シャドウが問うとポンテールが答えた。
「ごくまれに正気に戻る事があってね、その際に言ったのさ。これをエルフの“そげきしゅ”に――あの、姉さんの作った“じゅう”の使い手に渡して欲しいとね」
ほほー、シャドウの使う銃はウィルデカットが作った物か。通りで高性能な訳だよ。
「ただね、こんな事も言っていた。これを万全に使うためには、まだ足りないと」
「む?」
「それに力を与えられる人物の協力が必要なんだとさ」
中身が何かは知らないが、未完成って事か。
「そこへ至る道は、黒と銀の若神が示すだろう…って――え!?」
その言葉にシャドウが俺を見る。
次いでポンテールの目が驚愕に見開かれ、声を上げた。
「そうかい、アンタが……なら、アンタにはこれだよ」
「は? 俺にもあんの?」
「その黒と銀の若神にはこれを渡すようにと姉さんにいわれたのさ。四の五の言わずに受け取りな」
「これは…」
俺へと渡されたウィルデカットからの贈り物。
それは――
「よりによってこれか」
随分と懐かしい――けれど、その意味を考えると気が重くなる。
それは、そんな魔力回路が刻まれた精神感応金属だった。
その後、俺達は宿を引き払い、シャドウの操作する馬車に揺られてレディパンサーの事務所へと向かった。
宿の女将さんにはまた来ると伝えている。
この村で一番上手い郷土料理は何かと尋ねたら石焼きビビンバっぽい料理だと答えが返ってきたからだ。
それを食べるなら、ちょっと寒くなったくらいの季節がいいだろう。
暑い時期に熱い物を食べるのがオツだと言う人も中にはいるが、俺はMじゃないんでね。
まあ、それはそれとして、
「みんなあれからずっと無言だな。そんなにショックだったのか?」
「う、ん……ちょっと考えさせられちゃったかな」
これはサエ。
「幸せってなんだろうって思っちゃうよねぇ」
これはクミ。
なんか昔のCMにそんなフレーズのがあったってテレビ番組で見た気がするぞ。
「私はチロさえいてくれれば幸せだから、よく分かんない」
アリスは淡泊だな。
「けど、だからって私が勝手に口を挟める事でもないかなって思った」
と思ったら、しっかり考えてはいたようだ。
さて、この事を知ってレディパンサーはどう思うのかね。
「そうかい、ご苦労だったねぇ。今日はゆっくりお休み」
今回の件を報告した後、レディパンサーの発した言葉はこれだけだった。
「あんたは今後どうするんだ?」
お節介かとも思ったが、誰もいなくなった部屋――当然シャドウは残っているが――で、つい口にしてしまった。
「どうもしやしないさね。これまで通り、援助を続けるだけさ」
「そうか」
「それがあの子の望みなら、それを支える。それだけがアタシにできる精一杯の罪滅ぼしだよ」
「罪滅ぼし?」
「世界樹に頼るって話はね、アタシが最初に言い出したのさ」
だから罪滅ぼしか。
だけど、
「それは違うだろ。言い出したのはアンタかもしれないが、それに同意し、剰え限界を超えて世界樹にアクセスしつづけたのは本人の意思だ。あんたが罪を覚える事じゃない」
飽くまでも自己責任。それが今回の件に関する俺の感想だ。
「そうかもしれないけどねぇ。それでも、あの子のために何かしてやりたいんだよ。察しておくれでないかね」
ああ、なるほど。
「そういう話なら、俺から言える事は何もないな」
やりたい事をやってるだけって話だろ?
その後、三日間は仕事の予約が入っているからと待たされた。
無論、その間はドワーフの国の首都で観光と洒落込んだ。勿論“物真似ピエロ”で変装して。
中々楽しめたし女性陣にも好評だったので、三日間などあっという間に過ぎてしまった。
そして三日後、俺達はレディパンサーと一緒に馬車に揺られている。
いや、この馬車殆ど揺れないけどさ。
「待たせたねぇ。五日もすれば世界樹の入り口に着くからね。気楽にしておくといいさね」
「そんなもんなのか」
一ヶ月くらいかかるかと思ってたわ。根拠はないけど。
「でも上空からは何もそれらしいの見えなかったよね~?」
「ほう、空を飛べるのかい」
「うん、LSDに乗って来たんだよ、わたし達」
「何だって!? そりゃすごいねぇ、ラージ・ドラゴンともなるとアタシですら物語の中でしか聞いた事がないよ」
「えっへっへ~」
クミよ、何故そこで君が胸を張るんだね。
「まぁ、真面目な話をするとだねぇ。世界樹は別の場所にあるんだよ。入り口が五日ほど先にあるってだけでねぇ」
「あ、そうなんだ~」
別の場所ね。その“場所”にはルビで「世界」とか「次元」とか書かれてるんじゃないのか?
旅と言うには短い五日間。
特にトラブルなどもなく、実にあっさりと目的の場所に到着した。
そこは小さな山。
一、二時間もあれば登って降りて来れそうな小山だ。
いや、山というか丘かな。
知ってるか? 山と丘の違いって、地元民がそれを山と呼ぶか呼ばないかで決まるって。
つまり大きな山は、誰が見ても山って呼ぶから山なんだよ。これ豆な。
「ここがそうだよ。世界樹への入り口さ」
レディパンサーが示したのは岩肌剥き出しの崖の一角だった。
「正しい手順を踏めば、この岩が開くのさ」
「岩?」
言われて見上げると、それは岩肌ではなく巨大な岩そのものだった。
「岩で閉じるとか、天岩戸かよ…」
「うわ~、おっきいね~」
「地震で倒れたりしないのかしら…」
サエは何の心配をしている。
神懸かったモノが倒れる訳ないだろう。仮に倒れても、そっと元に戻すさ。
「ちょっと待っといで。すぐに開くよ」
俺達に待機を告げるとレディパンサーは横笛を取り出し、徐に演奏し始める。
すると周囲の空気に変化が訪れた。空気、魔力、そう言った目に見えないモノが徐々に清浄なモノへと換わっていく。
「これは……音霊祝詞か」
「カミ君、何か知ってるの?」
「ああ。音霊とは音の霊と書く。音霊祝詞とは、音を使った祝詞って事だ。神事の中には音霊祝詞奏上という楽曲演奏を神へと捧げるものもあるんだよ」
「へぇ~」
「そして、音霊とは“おんりょう”とも読める。つまり怨霊を指してもいるんだ。それは怨霊を鎮める楽曲。場を清浄にするには確かに打ってつけかもな」
「へぇ、へぇ、へぇ~」
「カミ君って意外なところで物知りよね」
「守久家は神事に関わる事も多かったからな。その手の話をよく聞いたんだよ」
こっちに来てからも、その頃の記憶を辿って自分への祝詞を作ったりもしたしな。
シーラのためとは言え、あれは恥ずかしかった…
「終わったみたいよ」
俺達がこそこそと会話している間に奏上が終わったらしい。
「さあ、行くよアンタ達」
レディパンサーの声にそちらを見ると巨大な岩にぽっかり穴が開いていた。
「岩が開くんじゃなくて、穴が開くのかよ!」
ゴゴゴゴゴ…とか言って岩戸が開くシーンを想像してたのに!
「え? 他に何があるの?」
え、何、サエのその反応?
もしかして、これに不満があるのって俺だけ?
「く、クミは? クミだって岩戸が開くシーンを想像したよな?」
神話とか好きなクミなら、きっと俺と同じはず!
「嫌だなぁ、カミ君。そんなのは物語の中だけだよ~、現実はこんなものだって」
がーん!?
何、この現実主義!? 夢がないよ、君達!?
だいたい、それを言ったらこの世界だって非現実的だろうが!?
「ほら、さっさとおし!」
気が付けば皆はもう準備ができている。俺だけがぼーっと突っ立っていた。
「解せぬ」
なに、この扱い。
納得いかない気持ちを抑えつけ、俺も彼女たちに続いて岩戸に開いた穴をくぐった。
ポンテールの口調はレディを真似ています。
口では嫌っていても、本心では認めているのです。
次回、四章ラスト
※追記
一部改行がおかしかったのを修正。