閑話 緩衝地帯のギルドマスター
「人間の軍隊が攻めてきただと?」
その一報がもたらされた時、当初彼は信用しなかった。
遙かな昔は人間と戦争していた歴史がある事は皆知っているが、時代は過ぎ去り当時を知る者がいなくなって久しい。
況してや今は当時と違い、人間の領域との間には広大な砂漠が横たわっている。あの砂漠を越えて進軍するなど自殺行為でしかない。
「とはいえ先日の件もある。念のため誰かに様子を見に行かせるよう手配してくれ」
「承知しました、ギルドマスター」
ギルドマスターと呼ばれた男の名はアンビエンス。
その容貌は一言で言えば蜥蜴であった。全身が蜥蜴の蜥蜴族。
獣人族が集まるこの緩衝地帯には多種多様な容姿を持つ者がいる。
獣の特徴を持つ彼ら獣人族だが、個々の持つ獣の部位は各々違う。
それは手であったり足であったりと様々だ。獣の部位を多く持つほど彼らの神――獣神――に近い存在として敬われた過去を持つが、そんな歴史を抜きにしても獣の部位を多く持つほど戦闘力が高くなるため、人々に尊敬される風潮があった。
そんな中、蜥蜴族は一人の例外もなく全身が蜥蜴なのだ。
二足歩行の蜥蜴。獣人族の例に漏れず――蜥蜴が獣と言えるのか? という問題はさておいて――その戦闘力は群を抜いて高い種族。その中でも実力者であるアンビエンスは荒くれ者の多い冒険者を纏める冒険者ギルドのマスターとして適任であった。
(先日の事件は未解決のままだ。あの砂漠を越える軍隊があるとは思えないが、警戒はしておくべきだろう)
そう考えながらも溜まった仕事を淡々とこなすアンビエンス。
蜥蜴族に合わせた特注の椅子と、セットになった重厚な執務机に着き、苦手な事務仕事に精を出す。
「ギルドマスター!」
そこへ先ほどの秘書が息を切らして入ってきた。相当慌てているのかノックすら忘れている。
だがアンビエンスはそんな秘書を責める事はせず、ただ一言呟いた。
「本当だったか」
「は、はい!」
秘書の返事を聞いたアンビエンスはすっと席を立つ。
「エルヴィスに言ってすぐに幹部を集めさせてくれ。それと全ての冒険者に緊急招集をかけるように通達を」
「は、はい。あ、でも…い、いえ、そうではなくて、ああっ!?」
混乱しているのか秘書の言葉は要領を得ない。
「落ち着きなさい。私に伝えたい事があるなら正確に。まずは深呼吸でもしてはどうかね」
「は、はい! すーっ、はーっ、ええと――」
言われるままに深呼吸をして多少は落ち着きを取り戻したのか、秘書が言葉を続ける。
「人間の軍隊が攻めてきているのは本当なのですが、現在その軍隊はこの街を攻め倦ねているそうです」
「なんだって? 攻め倦ねている?」
それはおかしい。
先日、人間がこの街の迷宮に入り込んだ事件を見ても分かるように、外敵の侵入を阻むような設備はこの街にはないのだ。
戦争がなくなって時代が過ぎて行くに従い、必要のない物に予算を割けず、補修のないまま次第に朽ちてしまった。
先日の件があり巡回警備こそ行っているものの、軍隊に先手を取られたら抑える術はない筈であった。
「人間の軍隊を阻むように巨人の騎士が立ち塞がっているというのです。まるで街を守るかのように」
「何を馬鹿な! 巨人族と言えば魔物だぞ! 襲われこそすれ守られるなどあり得ん!」
そう言ってアンビエンスは、部屋を出て行った。
慌てて秘書が追い縋る。
「ギ、ギルドマスター、どちらへ!?」
「直接この目で見る。人伝では話にならん」
先ほどまでの冷静さはどこへやら。アンビエンスは急ぎ砂漠との境界へと足を運んだ。
《これは迷宮の意思である! ――天を見よ!》
アンビエンスがそこへと着いた時、まさにその時に決着は付いた。
巨人の騎士が天を指すと空の彼方からラージ・サファイアドラゴンが舞い降りてきた。
そして強大な雷をまき散らす。あり得ない事に死者はいなかった。
「信じられん、あれほど至近に雷を落としていながら誰一人殺さなかったと言うのか!?」
それはつまり、あの落雷は完全にコントロールされていたという事。
あれだけの莫大なエネルギーを完璧に制御するなど何十年修行を重ねたとて手に出来るとは思えなかった。
「あれが……千年ドラゴンか」
とても勝てる相手とは思えなかった。
(本迷宮――“星の迷宮”の先には、あんな化け物が待ち受けていると言うのか)
この地でギルドマスターを張るアンビエンスだ。腕にはそれなり以上の自信があり、現役時代は本迷宮で種族の発展に貢献してきたという自負があった。
しかし、それでも。
あのLSDに勝てるとは、これっぽちも思えない。例え強がりでさえ口にする事は出来なかった。千年ドラゴンとはそれ程の怪物なのだ。
「ギルドマスター」
アンビエンスが静かに立ち尽くし、内心で打ち拉がれていると声を掛けられた。
「ダグラスか」
黒髪に金髪のメッシュをした青年がそこにいた。この街では有名な青年だ。
Dランク冒険者にして虎族の“獣化”持ち。その上“隠されっ子”だと言う。
話題には事欠かないがアンビエンスは知っていた。その実態は実直で誠実な青年だという事を。
「ギルドには手を出さないで頂きたい。それよりも事態の収拾に手を貸してくれませんか」
その落ち着いた口ぶりと言葉の意味に気付きピンと来た。
「何か知っているのか!?」
「自分は何も」
「ではなぜ手を出すなと言った!」
「自分は何も解りません。ですが“調教師”――彼らのリーダー、ゼンは全てを任せろと言いました」
「……カーティス達と問題を起こしたが和解、そして例の件でロイドとモリンズを救ってくれたと言う彼か」
「ええ、そうです。そして彼は自分ら仲間達に言いました。無駄な被害を出さないように街の住民達を抑えていて欲しいと、そう頼んだのです」
普段なら一笑に付すところだが、先ほどのLSDの落雷を見た後では笑えない。
確かにあそこまで精密にコントロールされているとなると、出しゃばっては迷惑だろう。却って怪我人を増やす結果になりかねない。
「まだ信じられないと言うなら、これを――」
そう言ってダグラスが差し出したのは、一つのメダルだった。
「銀のメダル。――そうか、Cランクになったか。だがこれがどうした?」
目の前の青年ならば、近いうちにCランクに上がるだろうとギルド内でも噂されていた。
「昨日、自分達はこのメダルを獲得しました。そして神託を得て、そのまま踏破へと挑んだのです」
「なんだと!?」
神託も珍しいが、昨日の今日で地上にいる。そして、先ほどまでの話の流れから言っても――それはつまり、
「踏破……したと言うのか!」
「はい。しかし、それは自分達“ビースト”の手によってではありません」
「なに? では……いや、しかし」
「彼ら“調教師”だけで成し遂げました。それも極々短時間で。自分達はただ付いていっただけです」
そう言ってダグラスはちらりと巨人の騎士を見た。
「あの巨人は最下層にいた迷宮の護り手です」
「なんと!?」
「彼らを信じて下さい。それだけで、この地の安寧は約束されたも同然でしょう」
彼が口にしている内容は荒唐無稽もいいところだ。俄には信じがたい。
だがアンビエンスにはダグラスが嘘を言っているようには見えなかった。
「――分かった。事態の収拾にギルドも手を貸そう」
「ありがとうございます」
「――但し! 説明はして貰うぞ。全て片付いたら説明に来るようにと連中にも伝えておけ」
これが精一杯の譲歩だ。全て他人任せで事情も知らないでは組織の頭は勤まらない。
「分かりました。間違いなく伝えます」
そう言うとダグラスは街の住民の説得に戻っていった。
見れば他にも住民を街から出さないようにしている者達がいた。
カーティス達“ビースト”の面々が大声を張り上げながら走り回っている。
中には土の壁を広範囲に作り出し、強引に街に押し込めている者さえいるようだ。
「あれが錬金術だと言うのか…。そんな事ができる術師など聞いた事がない。まさに規格外だな」
先ほどの話は、やはり真実か。
そんな確信を持ちながら、アンビエンスはギルド職員に彼らを手伝わせるべく踵を返した。
閑話ですが、こっそり更新。(こっそりか?)
一人称だと外で起こっている事を書けないので大変です。
解っていたつもりですが、まだまだだったと思い知るばかりです。