03-13 前を向いて
今、俺は虎族の屋敷の台所にいる。何故かというと長くなるんだが、経緯はこうだ。
昨夜の騒動から一夜明けた翌朝。
子供達の精神状態を考えて、ダグラスは迷宮攻略を休ませた。現状“ビースト”の訓練がメインなので、それでも別に困らない。
ダグラスとの連携も訓練の内なので、ずっと休まれると問題だが、二、三日なら大丈夫だ。
いざ、迷宮に着いたらギルドの職員に追い出された。
今回の騒動が解決したと判断されるまで迷宮は封鎖だそうだ。
知らない内に人間が入り込み、ギルドの職員が二人も殺されかけ、子供二人が誘拐された。
言われてみれば大問題であった。
やる事が無くなったので、ダグラスの手伝いでもしようかと屋敷にお邪魔する。
具体的には迷宮からの戻り道で、新鮮な卵と苺が手に入ったのでお菓子でも作ろうと思ったのだ。
美味しい物を食べれば嫌な事も結構忘れられる物だと思う。大人のお酒と同じ理由だ。
「今日もクッキーですか?」
「ん?」
背後から声を掛けられたので振り返ると、そこにいたのはラウだった。
「今日はプリンとパブロバってケーキだ」
ここでは砂糖と牛乳――牛じゃないかもしれないが――が簡単に手に入るから、お菓子を作るのが楽でいい。
「あの、お手伝いします。作り方、教えて貰えますか?」
「いいとも」
早速、助手ゲット。幸先いいぞ。
「まず砂糖を水で溶かし、煮詰める」
まずはプリン用のカラメル作りからだ。
「だんだん水が飛んでくるから、そしたら焦げないように混ぜ続ける」
「はい…こうですか?」
「そう、それでいい。焦がし過ぎると苦くなるけど、そこは好みだな。俺は少し苦いくらいのが好きだ」
「そうなんですね」
カラメルができるまでに俺は別行程を進める。
「卵から卵黄を取り分ける。殻を使ってこう繰り返すと上手にできるぞ。コツを掴むまで失敗するかもだけど、そこは慣れだ」
「わあ! 凄いです。こんな綺麗に白身と別れるんですね」
ペットボトルがあればもっと簡単なんだけどな。無い物ねだりをしても仕方がない。
「卵白は後で使うから捨てないように分けておく」
「はい」
ついでに冷やしておこう。自作冷凍冷蔵庫を無限収納袋からダン! と出す。
言っておくが家電の500Lみたいな大きいのじゃないぞ?
キャンプやバーベキューで使うクーラーサイズの物だ。
それでも突然飛び出したそれにラウは吃驚した様子である。
「わ!」
「これは俺が作った魔道具で、冷凍冷蔵庫と言う。食材を冷やして長持ちさせたり凍らせたりできるんだ」
「わあ、凄いです!」
「そうだろう、そうだろう」
子供らしい初々しさを感じる反応に気分がいい。
「卵白はこれで冷やしておく」
さて、卵白はこれでいいから、プリン作りに戻ろう。
「卵黄に砂糖と牛乳を入れ、混ぜる。力いっぱい混ぜる。ああ、カラメルはもうそれくらいでいいや、そっちのカップに等分して入れて」
「は、はい」
「で、混ぜたらこっちのきれいに洗った布で濾してカップに注ぐ」
「そのまま入れたらダメなんですか?」
「入れてもいいけど、濾した方が、口当たりが滑らかになるんだよ」
「そうなんですね。分かりました」
「で、こっちの鍋で蒸す。入れる水はカップの半分くらいだ」
「むす?」
「水を温めると蒸気になる。その蒸気で火を通す事を蒸すって言うんだよ」
「わぁぁ、知りませんでした。そんな方法があるんですね!」
「時間は十分前後だ。蒸し過ぎないように注意する事」
「はい!」
次はジャム作りだ。
俺はまたしても自作魔道具を取り出す。こっちはサエに協力して貰って作った、電子レンジもどきだ。
「苺を洗ってこいつで温める」
「ええっと、これも?」
「そう、俺の自作魔道具だ。食べ物を温めるだけの物だけどね」
「もう何て言うか…凄いです」
「別になくても作れるぞ。作業時間を短く済ませたいから使ってるだけだ」
「お菓子作りにそこまでできるのが凄いです」
褒められてる気がしないな。多分に呆れられている気がする。
気を取り直して作業を進めよう。
ジャムは簡単だ。砂糖に苺を入れて適当に潰しながら混ぜて煮込めばいい。
最後にレモンを絞って常温で冷ます、それだけ。レンジで温めたのは、さっきも言ったが作業時間を短く済ませるためだ。
「で、次にパブロバだが、まずはメレンゲを作る」
「めれんげ?」
「まぁ、見てろ」
メレンゲは充分に冷やした卵白をひたすら混ぜて泡立てるだけだ。砂糖を加えながら混ぜるのでジャム作りに似ていると言えば似ているのかもしれない。少量の塩を混ぜるのがコツと言えばコツだろうか。
「できたメレンゲの形を整えながらオーブン…は無いから窯で焼く」
「はい!」
「焼きあがったら、上の窪みにジャムを乗せればパブロバの完成だ。簡単だろ?」
パブロバって名前は、有名なバレリーナのアンナ・パブロワから来てるとか。これ豆な。有名って言われても、俺は本人知らねーけどな。バレエに興味もないし。
「教えて貰えば簡単ですけど、そこに込められた工夫が凄いです」
「そうだな。これも先人の知恵ってやつかね」
「知恵……工夫……」
ラウは、それっきり黙り込んでしまった。何か考えている様子だ。
無言の時間が続くが、居心地の悪さは感じなかった。
「やーっ!」
黙々と作業を続けていると、庭から何やら気合いの入った声が聞こえてきた。
「何だ? この声はワイルドだな」
「ワイルド!?」
言うが早いか、ラウが飛び出していく。ほんと、この子はワイルドが好きなんだね。
プリンもパブロバも後は冷やすだけになっていたので、俺も様子を見に行ってみる。
「たぁー!」
庭に出てみると、そこではワイルドが槍を振っていた。
ダグラスが腕を組みながらそれを眺めている。ラウも邪魔にならないように端っこでワイルドの様子を伺っていた。
「スピードを意識し過ぎてフォームが雑になっているぞ」
「くっ」
「強力な一撃は正しい姿勢から始まるんだよ。まずは走り込みで下半身から鍛える必要があるね」
「ええ~!?」
「返事は“はい”だよ! 口応えはしない!」
「くっ…はいっ!」
「よろしい。では、走って来なさい。街を三周だ」
「さ!?」
「ほら行くんだ」
「くぅぅ…はいっ!」
ワイルドは悔しそうにしながらもダグラスに従って走って行った。
俺は残ったダグラスに声を掛ける。
「ほー、鍛えてやることにしたのか」
「見ていたのかい。ああ、あの子も迷宮に入れる歳だしね。守るばかりじゃなく、自身で戦えるようにしてやる事も自分の役目なんじゃないかって思ったんだよ」
「なるほどね。じゃあ、形になってきたら一緒に迷宮に潜るか」
「いいのかい!?」
「そりゃもちろん」
ちょっと前のめりなパーティーになるけど、長柄の武器持ちが多いから悪くはない。
ネックは、やはり術師がいない事か。
「あの、ゼンさん」
「ん、どうした?」
気が付けば、ラウが俺を見上げていた。
「わたしも……わたしも魔法師になれるでしょうか?」
「才能はあると思う。でも、魔法師になれるかどうかは君次第だな」
「……そうですか」
唇を噛みながら俯いたその表情は不安そうだ。自分に自信がないんだろう。
ちょっと賭けだけど、突っ込んでみるか。
「君は、バイウーを恨んでいるのか?」
「!?」
びくりと体を震わせて、ラウは驚いたように俺を見上げる。
どうして、と口が動いているが声にならない。
「どうして判った、かい?」
ラウは怯えを見せながらも、ゆっくりと頷いた。
「絶望しているだけの人間ってさ、無気力になるんだよ」
「――え?」
「君のように活力に溢れたりはしない」
びくり、とラウの体が再び震える。
「なのに、君は魔法師になる事を恐れていた。なら活力の源は何だろう」
あの時、目に映ったのは“呪い”
誰かを呪う事で活力としていたのなら、その対象は?
「そこまで来れば推理する事は簡単だった」
ポイントはラウが身を置く環境だ。
巫女としての期待を一身に浴びる窮屈さ。
その反面、混血だ四耳だと蔑まされる毎日。
そして、魔法を使えないと分かった時の周囲の落胆。
その淵を覗き込む。ラウの心の裡を読む。
――いったい、わたしが何をしたの?
何もしていない。周囲が勝手に期待して、勝手に落胆しただけ。
混血に生まれたのだってそうだ。生まれる場所は自分では選べない。
「お母さんはどこ?」
朝から母の姿が見えない。母を探して家中を歩き回る。
「――やっと肩の荷が下りたわねぇ」
「ほんと。いくら巫女だからって魔法を使えない者に仕えるなんて嫌よねぇ」
「魔法の使えない四耳なんて後継者を産んでしまえば用済みだものね」
そんな屋敷の使用人たちの会話が聞こえた。聞こえてしまった。
それ以来、母には会えなかった。
――この先、どうすればいいというの
わたしも母と同じ魔法の使えない巫女だ。
きっと、子供を産んで血を残したら用済みと言われるんだ。
そんな絶望の中にいた時、ワイルドに出会った。
自分と同じ様な境遇にいた彼には、すぐにシンパシーを感じた。
それはお互いを慰め合うだけの関係。それでも互いに互いを必要とした。
これは恋心とは違うのかもしれない。だけど、お互いがそこにいるというだけで安心できた。
お互いの隣が自分達の居場所となった。
そして、迷宮に旅立つ前のあの日。
ワイルドは本家から絶縁状を突き付けられた。
族長の家系として相応しくないと判断されたのだ。
名を奪われ、居場所を失い、一晩中泣き腫らしただろうワイルドの目を見た時、ラウは全てを憎んだ。
神と崇められておきながら眷属を救わない大神を恨んだ。
かつて巫女を救わず、今も自分達を助けてくれない神などいなくなればいい。
百歩譲って自分はいい、だけどワイルドにまで微笑まない神など、もはや神とは呼ばない。敬わない。
――他の誰も言わないのなら、わたしが言おう
「神なんていらない」
ラウの恨みの深さに慄然とする。
この歳で、ここまで誰かを呪えるものなのか。
以前、俺はこの子の問題を神への不信感だと受け止めていた。
だけど、違った。
不信感なんて生易しい物じゃない。
ここまでの憎悪を、俺はこの世界に来て初めて目の当たりにした。
「魔法師になるには、神との契約が必要だ」
それでも、俺はその負の感情を真っ向から受け止め、理を説く。
これは魔法師として必須条件なのだから。
俺のような存在は、飽くまで例外なんだ。
「――そうですか。じゃあ、やっぱりわたしは魔法師にはなれないんですね」
予想はしていたのだろう。ラウは落胆した素振りも見せず、そう言った。
「普通ならそうだけど、君の場合はまだ可能性がある」
混血だからな。まだ信仰対象を決めていないのは確実だし。
「えっ!?」
おや、意外だったのか、素直に驚いているみたいだ。さっきまでと違い、歳相応の顔である。
「ただなぁ…特定の神とは言え、そこまで不信感を持っていて、じゃあ他の神でもいいよって言って、果たして信仰できるかい?」
「うっ、それは……分かりません」
そうだよな。そこが一番の問題なんだ。
虎神への恨みが取り除ければ一番なんだが、百歩譲って信仰対象を他の神に変えたところで、それこそ一朝一夕では済まないだろう。
「――分かりませんけど、頑張ってみたいと思います」
「…ワイルドのためかい?」
こくり、と。
ラウは黙って頷いた。
「あの時、わたしはワイルドを助けられなかったから。ワイルドを助けられるわたしになりたい、です」
「そうか」
「わたしは、今まで恨むばかりで何もしてきませんでした。何の努力も工夫もしてこなかったんです。今のままじゃ魔法師になれないというのなら、知恵を出して、工夫して、死に物狂いになって魔法を使えるようになりたいと思います」
「そうか…」
昨夜は予想外の騒動だったけど、結果的にはいい方に転がったみたいだ。
絶望するだけじゃない、恨むだけじゃない、前を向いて歩けるようになった切欠の出来事となった。
そして――
「それなら、俺は俺の全てをかけて、お前を魔法師にしてやると約束しよう」
――その出来事は、俺にこの地で新たな目標をも与えたみたいだ。
パブロバはニュージーランドのお菓子ですが、アンナが大のお気に入りにしていたところから、この名前になったという話があります。(諸説あり)