03-10 家出
その後、ラウの反応に微妙に綱渡り感を覚えながらも何とかクッキーを作り終えた。
――さて、向こうの塩梅はどうだろう
ついでに美味しいお茶の入れ方なんかをレクチャーしつつ、出来立てのクッキーを持ってリビングへと並んで歩く。すると、
「もういい! 兄ちゃんの分からず屋!」
そんな叫び声と共にワイルドが部屋を出ていった。
――あちゃー、向こうは失敗したか
「分からず屋はお前の方、じゃなくて、待つんだ、ワイルド!」
これはダグラスの声だ。テンパってるなぁ。
「ワイルド!? 待って!」
「おっと、お茶が零れると火傷するよ」
ワイルドを追いかけようとするラウを、親切心で支えるフリをしながら追わせないように押さえ込む。いくら俺が貧弱でも、こんな幼い子なら押さえ付ける事くらいはできるんだ。
「ワイルド、待つんだ!」
次いで出て来たダグラスと鉢合わせる。ダグラスは俺達に気付くと気まずそうな顔をしながら謝ってきた。
「済まない、失敗してしまった」
「そうみたいだな」
俺は内心、ばかやめろ! と罵りつつ同意した。
「……何の事ですか?」
光彩を無くした目でラウが問い掛けてくる。
ほらみろ。この子は聡い。そんな隙を見せたら付け込まれるに決まっている。
「う…」
案の定、たじろぐダグラス。
あ~あ、こうなるとラウにも事情を説明するしかない。黙っているのは悪手だ。
俺が頷いたのを確認して、ダグラスが口を開く。
「実は――」
ダグラスはラウに事情を説明している。
斯く斯く然々。実に便利な言葉だ。楽でいい。
「そう…そうだったんですか」
「ラウはどう思う? 自分が彼らと手を組むのは反対かい?」
「いいえ、毒で死ぬところだったなんて、そっちの方が怖いです。それを助けてくれた人達と一緒なら安心できます」
「そうか、よかった。だけど、ワイルドはそうは思わなかったみたいなんだ」
事の経緯はこうだった。
ダグラスはワイルドに昨日の事をありのままに話す事を選択した。
周囲の助けを借りながら、少しずつ少しずつ話をそっちへと誘導していく。
そして、ついにその時が来た。
「昨日、自分は死にかけた。罠に掛かり毒を受けて倒れたんだ。そこを彼らに救われた」
「何でだよ! 罠くらい兄ちゃんなら簡単に避けられるだろ!?」
「途中まではよかったんだ。でも先に進むほど罠は密集していて、“獣化”だけでは躱し切れなくなってしまったんだよ」
「だからって――」
「自分一人では深部に到達する前に力尽きてしまった。誰かを頼らなければ先に進めない状況に追い込まれたんだよ。ワイルドの想いに応えてやれなくなったのは済まないと思う。自分にはそれだけの力がなかったんだ」
「そんなはずない! 兄ちゃんは世界一なんだ! “神隠し”から帰ってきた勇者なんだぞ!」
「そうじゃないんだ。結局“隠されっ子”なんてのは、何かを失った者の事なんだよ」
興味深いセリフだ。だが、結局この言葉が引き金になったらしい。
ダグラスはワイルドにとっての理想だ。その理想が諦めの言葉を吐いた。それが許せなかったのだろう。
「もういい! 兄ちゃんの分からず屋!」
結果、彼は感情を爆発させて出て行ってしまった。
「自分がもっと上手く話せていれば…」
ダグラスはそう言って項垂れるが、他の誰が言っても聞く耳すら持って貰えなかっただろうしなぁ。
「それはそうと、探す当てはあるのか?」
こんな時間から子供が外にいたら危ないんじゃないか?
「その内戻って来るさ。いつもそうだから心配いらないよ。それに緩衝地帯じゃ虎族は誰も相手にしてくれないからさ。そう言う意味じゃ安心なんだ」
「そうか」
何とも卑下した物言いだが、ダグラスがそう言うならそうなんだろう。
「――あの」
話が落ち着くのを待っていたのだろうか。ラウがこのタイミングで話しかけてきた。
「どうした?」
「わたしが、わたしだけがリビングから離されたのは、なぜなんでしょうか?」
ダグラスがぴくりと反応した。反応してしまった。
こいつ嘘を吐けないタイプだな。謀に向いてなさ過ぎる!
「…そうですか。なぜだか教えて貰えますか?」
考えていた以上にこの子は聡い。その場凌ぎはまずいな。
「俺から話そう。実は、俺は魔法師でもあるんだ」
「え!?」
ラウは酷く驚いている。そりゃそうだろう。
魔法師はそれだけで引く手数多の高収入。魔法師と言うだけで生活には困らないのは、太陽、月、星と全ての領域で共通だ(と思われている)。お料理大好きな雑用係のお兄さんが魔法師だなんて普通は思わない。魔法師は、いつだって作って貰う側なのだ。普通なら。
「ダグラスから相談を受けていてね。君に魔法を教えてやって欲しいって」
「え、でもわたしは――」
「俺は、きちんと手順を踏めば君にも魔法が使えると考えている」
「え……え…?」
ラウの目に怯えが走った。と、思った瞬間、
「いやーっ!」
今度こそ止める間もなく、ラウは外へと走って行ってしまった。
「ラウ! 待つんだ!」
ダグラスの制止する声も届いていないだろう。すでに姿が見えない。
「うーん。解っていたつもりだけど、こりゃ相当だなぁ」
俺は、今後の事を思って天を仰いだ。
肝心の二人が出て行ってしまったので、俺達は虎族の屋敷を辞して各々の宿へと戻る事になった。
「チロは、あの子達を説得できると考えているの?」
部屋に戻ると、すぐにアリスが聞いてきた。
「ワイルドはタイミング次第で結構簡単に落ちると思う」
あれは意固地になっているだけだ。冷静になって、ちゃんと考えられるようになれば、渋々でも納得するんじゃないかな。
まぁワイルドウィンドなんて呼ばれるくらいだから、何かの切欠は必要かもだけど。
そう、実はワイルドと言うのは渾名らしいのだ。
彼は族長の家系で、生まれる前から期待されていたのだが、いざ生まれてみれば耳尾だった。期待が大きかっただけに周囲の落胆は凄まじく、誰にも相手にされない悔しさからか、言動がどんどん大げさになり、イタズラ三昧の問題児になっていったと言う。
で、付いた渾名がワイルドウィンド。
だけど、ああ、そうか。だからかな、ワイルドがダグラスに依存するのは。
彼にしてみたら、“獣化”は希望なんだろう。無能から勇者への変身。ワイルドにすれば、“獣化”しか希望がないんだ。
それでも、実力を付ければ“獣化”なんて無くてもやって行けると気付く筈なんだよ。
「問題はラウだな」
俺がそう呟くと、サエとクミも会話に混ざってきた。
「そうなの? あたしは聞き分けのある子だと思ったけど」
「一見そう見えるけどな。あれは諦めているだけだ」
「諦めるって、何に対して?」
「そりゃ、全てだろうな」
「あの歳で~!?」
「でも、それだけなら絶望する筈なんだ。瞳に映るのは深い穴――深淵になる。そんな相手に希望を与えるのは、そりゃ難しい事だけど、まだ何とかなる。だけど、俺が見たラウの目に映ったのは闇だった」
そう、あの闇は絶望なんて生易しいモノじゃない。
「あれは――」
「あ、あれは?」
クミが、ごくりと喉を鳴らしながら聞いてくる。
「――何かを呪っている目だ」
何をなぜ呪っているのか。それが判らないと対処のしようがない。
いや、分かっても対処可能かどうかは分からない。
呪うというのは、それほどのモノなのだ。
夕飯を済ませて夜も更けてきた頃、アリスが擦り寄って来た。
「ねぇ、チロぉ?」
「な、何だよ?」
先程までとは空気が百八十度逆を向いていた。
甘えた声、余りの色っぽさに気圧される。
それを誤魔化すために水差しを咥えて口を湿らせた。
「今夜も可愛がってくれる?」
「ぶふっ! ごほっ、ごほっ!」
は、鼻に水が!
水を飲んだのは失敗だったか。
「だ、大丈夫?」
「うわぁっ!?」
「ちょ、ちょっとぉ、そんなに驚く事ないじゃない」
心配して覗き込んできたサエに吃驚した。いつの間に背後にいたんだ!?
「カミくぅん」
今度は横からクミが抱き着いてきた。前にはアリス。後ろにはサエ。もう逃げ場がない。
いくら何でも二晩連続はキツイってば。俺の精神的に。
四人部屋になった時は、迂闊な二人を内心で笑っていたが、こうなると笑えない。
まさか、初めから狙っていたのか!?
いやいや、そんな筈はない。だが、しかし…
「チロぉ?」
「え?」
ちゅ
パニックになり、内に籠り始めた俺をアリスのキスが現実に引き戻す。
「カミくぅん」
ちゅっ、ちゅっ
「カミくん」
ちゅっ、ちゅっ
同様にクミとサエも俺の頬や首筋にキスを繰り返してくる。
――ああ、もうダメだ、逃げられない
俺がそんな諦めの境地に達した時、
ドンドンドン!
「夜分に申し訳ありません、宿の者です。ダグラスという方がゼン様に至急面会したいとの事ですが、いかがいたしますか?」
――助かった!
内心を曖気にも出さず、俺は返事をする。
「すぐ行きます!」
俺が一階に降りて行くと、ダグラスは席に着かず、立ったままソワソワしていた。
「どうした、何があった?」
「ゼン、どうしよう、どうしたらいいかな?」
何となく、もっと冷めた奴ってイメージがあったんだが、ダグラスってこんなに取り乱すのか。
「それじゃ分からない。もっと分かり易く言ってくれ」
「あ、あ、済まない」
「はい、深呼吸。すー、はー」
「すー、はー」
「落ち着いたか?」
「ああ、ありがとう、少し落ち着いたよ」
「そりゃよかった。で、何があったんだ?」
やっと本題に入れたよ。人間、冷静じゃないと前に進めないよね。
「それが、ワイルドとラウがこの時間になっても帰ってこないんだ」
おろろ。それはもしかして?
「あいつら、家出したんだよ!」